狸寝入りカウンターの上には徳利が並び、すぐ横で銀色の癖っ毛がゆっくりと上下している。店の奥から顔を出した店主が、あちゃーと呻き声を漏らした。
「ったく、旦那すっかり酔い潰れちまって」
ビールが半分ほど入ったジョッキを傾けていた土方は、店主の声にチラリと隣に視線を向ける。カウンターに肘をつき頬杖をすると、はあっと嘆息してもう一度グビリとビールを飲み込んだ。
「ああ、まったく。しょうがねェ野郎だ……」
この店に入ったのはいつもより少し遅い時間だった。明日は久しぶりの非番で、ひとしきり上に提出する報告書を書き終わり、せっかくなら夕飯も兼ねて酒でも呑もうと寄ったのだ。
暖簾をくぐると、カウンターに見覚えのある男が座っていて、その場に固まる。一体何着持っているのやら白地に青の奇抜な柄の着物に、銀色の天パがくっ付いてれば見間違えようがない。視線に気付いたのか、向こうもふとコチラを振り返り、即座に眉根を寄せた。ここで出ていくのも癪に触る。無視すりゃいいかと通り過ぎようとする前に、奴は少し呂律の回らない喧嘩口調で声をかけてきた。
「おいおい、もしかしてストーカーですかぁ、お巡りさん」
「はあ? 誰がストーカーだ。んな暇じゃねーんだよ」
「へええ? 本当かなぁ」
「何だ、何かやってんだったら、面倒くせェからこのまましょっ引いてもいいんだぞ?」
睨みつけると、銀時はケッと舌打ちして正面に向き直り、コップに口をつけた。冷酒でも呑んでいるのか、目の周りは薄らと赤く、すでにだいぶ出来上がっている様子だ。
あいにく奥の席は埋まっていて、しょうがなく空いていた銀時の隣の席に腰を下ろす。何か言われるかと思ったが、銀時は黙ってコップを傾けている。
カウンターの向こうに、ビールと腹に溜まりそうな料理を頼む。お通しと、冷えたジョッキに並々に注がれたビールがすぐに並べられる。ジョッキを傾けていると、おっちゃん酒もう一杯ちょーだいと舌ったらずな銀時の声が聞こえてくる。
熱々の玉子焼きが出され、さっそく袂からマヨネーズを取り出すと、赤いキャップを開け、存分に上からかけた。薄黄色のクリームに覆われた厚焼き卵の姿に満足感を覚える。さっそく端の方を切って、一欠片口に入れた。
「……なんだ、さっきから」
マヨネーズの酸味と卵のまろやかさを堪能したいのに、先程からチクチクと縫い針で刺されるようなわずかな刺激が邪魔をするのだ。
「べっつにィーーーっ」
カウンターに頬杖をついた銀時が、じっとコチラを眺めている。
「何だ、食いたいのか?」
「いや、んな犬の餌なんて、誰も欲しがらねェし」
「誰もやるなんざ言ってねェ」
「くっ……ああ、そぉおおですかっ」
怒った顔で顔を真っ赤にする銀時に、思わず喉の奥で笑った。
「おい、何がおかしい」
「いや、何でもねぇよ。そういや、例のゴタゴタは落ち着いたのか?」
「例の……?」
銀時は酔っているからか、何のことか分からなかったらしい。
「かぶき町でカラクリが暴れ回ったとかいう話だよ」
「ああ、あれね……」
銀時は頭の後ろを掻きながら、興味なさそうな顔で頷いた。
「まあ、カラクリも今は落ち着いて、カラクリ屋の爺さん所で手伝いしてるみてェだぜ」
何でも万事屋のちび供らが原因で、かぶき町ではひと騒動が起こっていたらしい。俺はちょうど鉄と見廻組との件で、松平のとっつあんへの説明や後始末でゴタゴタしていて感知するどころではなかった。少し後になって、山崎から報告があったのだ。
危うく万事屋が乗っ取られるところで、だいぶやばそうだったみたいですよ、と山崎に言われたのだが。コイツからはそんな気配は一切見えない。まー、俺には関係ねえって事か。
カウンターに出された唐揚げにしれっと箸を伸ばし、口に放り込む銀時の姿が目の端に映る。箸にはすでに別の唐揚げが捕獲されている。残りは大量のマヨネーズでトッピングしてやると、銀時は残念そうに呻き声をあげた。
それからどのくらい呑んでいただろう。気がつくと、銀時はカウンターに突っ伏していた。
「旦那も絡まれて、災難でしたねェ」
「別に、いつもの事だ」
眠り込む銀時を眺めながら、金目鯛の煮付けに箸をつける。
嗜好が似ているのか、万事屋と店が被ることは何度もあった。最初は苛つきもしたが、何度も続くとそのうち慣れた。今では『またか』と心の中でため息を吐く程度で収まってる。
「そういや、旦那たち最近よく一緒に呑んでますけど、いつの間に仲良くなったんです?」
「゛あ?」
表情に出てしまったのか、見上げて目が合った瞬間、店主の顔が引き攣った。
「あ、あれ? 違いやしたか? いつも隣同志だからてっきり……」
やべ、動揺してメンチ切っちまった。取りなすように言う店主に、土方は意識的に表情を戻す。
「違げェよ。ただの偶然と、まあ……腐れ縁ってやつだ」
はは、そうなんですねと店主は口元に笑みを浮かべ、流すように言った。
タバコの箱から一本取りだし、口に咥える。まさか、そんな風に見られてるとは思ってもいなかったぜ。ちっ、よりによってコイツなんかと仲良いなんてな。大体コイツは……。土方はそこで思考を切るようにタバコに火をつけて一息つく。
そろそろ閉店時間が近いのか、店内の客はまばらになっていた。水場からは皿を片す音が聞こえてくる。
「そろそろ、勘定をいいか?」
「ああ、こりゃどうも。ほら、旦那もそろそろ起きてくだせぇよ」
土方が取り出した諭吉を手に取り、店主が隣で眠りこけている銀時にも声をかけた。
「んん〜」
銀時はむずかるような声を上げるが、起きる気配はない。腕を枕に、土方とは反対の方へと顔を向けたままだ。
「ったく、しょーがねぇお人だなぁ」
店主が困りきった顔った顔でレジへと向かった。
銀色の髪の隙間から真っ赤な耳が覗いている。土方はおもむろに銀時に近づくと、顔を耳元に寄せた。手の平で口元を隠すようにして、そっと囁いた。
「イイ加減、起きろ。――白夜叉殿」
ガタンッ。
椅子のひっくり返る音が店内に響く。顔を真っ赤に染めた銀時が、片耳を両の手の平で隠して突っ立っている。
「なっ、なっ、な……」
「なーに、狸寝入りしてやがる。また、飲み代踏み倒す気か?」
「ん、んなのしてねえっ! 払うわっ、おっちゃん、あっ、金が……」
銀時が慌てて懐から財布を取り出し、ひっくり返す。数枚の小銭がテーブルにチャリンと寂しい音を立てた。
「おっちゃん、ツケで何とか……」
「ぇえー、旦那ぁ、前回のツケもまだありやすぜぇ」
呆れ果てる店主に、銀時が顔の前で両手を合わせて必死に平頭する。土方は、はあっと大きくため息を吐くと財布からもう一枚、諭吉を抜き出した。
「店主、こいつの今日の分。これで払っといてくれ」
「えっ、いいのかい? 旦那」
「ああ。まあ、コイツには、うちの小姓がちィっと世話になったからな」
「あ、そーだよね。お世話したよねぇ、鉄くんの件で色々と! だったら、前回のツケもコイツのコレで何とかしてくんない?」
「どんだけ図々しいんだ、てめえはっ。ったく、ツケの分はてめえでちゃんと払えよ!」
ケチっ、鬼っ、人手なし………散々な暴言を吐く銀時を残し、土方は先に店を出た。チッ、奢ってやったっつーのに、なんつー奴だ。タバコを咥えながら、屯所の方へとゆっくりと歩きだす。
「何だ、まだ何か用か?」
後ろを振り向くと、銀時が少し距離をとって付いてきていた。
「もう、あれ以上何もでねぇぞ」
「いや、別にタカろうとかそんなんじゃねえよ。さっきの金も、今度返すわ」
「ま、期待せずに待ってるよ。で、用件は?」
「あーいや、あのさ、お前……、俺が、その……元攘夷志士だってぇのに、いいのかよ、一緒に呑んで?」
頭の後ろを掻きながら、コイツにしては珍しくもごもごと歯切れが悪い。土方は視線を合わせようとしない銀時の顔面を、正面から見据えて言った。
「は? ああ、伝説の攘夷志士 白夜叉殿だっけ?」
「やめろよ、その恥ずかしい呼び名っ。てめえ、馬鹿にしてんだろ、中二病とか思ってんだろっ」
「別にー、思ってないよ」
「思いっきり思ってんじゃねぇえかっ!」
「だいたい、一緒に呑んでなんかねェだろが」
「は?」
「たまたま偶然、店にてめえがいただけで。たまたま席が空いてなくて隣に座っただけだろーが」
「あ、……そう。まあそーいうつもりなら、それでいいんですけど。今は善良な一般市民なんで――」
「どこが、善良な一般市民だ。四捨五入どころか、どう見ても黒に近いグレーなマダオだろーが」
「それ、ただのマダオッ!」
「安心しろ。てめえが今でも攘夷浪士どもと繋がってるってんなら、まとめて牢屋にぶち込んでやる」
「安心できるかっ! だから、もう繋がってねえって」
「どうだかな。ま、今のとこ嘘はついてねェみてーだけどな」
土方はふーっとタバコの煙を吐く。こいつが元攘夷志士と知れてから、当たり前だが監視下に置いてある。今のところ変な動きがあるとの報告は入っていない。
「ったく。まあ、監視もほどほどにしてよね。目障りなんで」
「山崎……あいつ、バレてんじゃねーか」
監察官としては優秀だが、コイツには通用しないらしい。まあ牽制になればいいかぐらいに思ってはいたが、それさえも怪しい。銀時がふっと口元を緩ませる。
「まあ、副長さんにそう言ってもらえて安心したわ。」
「は?」
「いやあ、お前の料理を分けてもらえなくなるのは、少し寂しい気がしたからさぁ」
「てめえに分けた覚えはねェが? 勝手に横から食ってるだけだろが」
「まあまあ。じゃあ、また偶然一緒の店になったときも、よろしくね、土方くん」
「なっ、何で俺がっ。おいっ」
聞こえてないのか、聞こえないふりをしているのか。銀時はさっさと踵を返すと、ヒラヒラと片手を振って離れていった。
「タカる気満々じゃねえか……」
もしかして、白夜叉であることがバレて、俺が離れるのを気にしてたとか?
「いや、んな愁傷なやつじゃねえだろ」
大方、ちょっと酒と料理を恵んでくれる『体のいい財布』、程度に思われているのだろう。ったく、タカリ野郎で元攘夷志士とは、ひでえ奴と腐れ縁になっちまったもんだ。はあっと息を吐いて、短くなった手元のタバコを吸った。チリッと苦々しさが舌を刺す。
暖簾の向こうに腑抜けた顔を見た瞬間、口元が緩みそうになったなんて、俺は絶っ対認めねェからな。
end