オセロゲーム⑥ 土方の提案は、一度だけ二人で映画に行って鉄子の口から村田に『思っていたのと違った』と伝えて貰うというものだった。さすがにそこまでして違ったとなれば、村田もこれ以上の世話を焼いてはこないだろう。
「正直、あんたが村田先輩を説得できるとは思えないからな」
少々、辛辣かもしれないが、土方は正直な気持ちを口にした。鉄子も同じことを思っていたのか、少し考えている様子だったが、土方の提案に頷いた。
ならばと詳しい打ち合わせをするためにラインを交換し、鉄子とはその日は別れた。
次の日、村田に鉄子と映画に行ってみる事を伝えた。やはり妹のことが大事なのか、「そうかっ!」と村田は嬉しそうに叫んだ。土方は少し良心が痛むが、それよりも早くこの件を解決して、またいつもの心穏やかな日々を取り戻したいという気持ちの方が優位だった。土方は心の中ですまねえと頭を下げながら、「ただ、どうなるかは分からねぇ。それまでは他言無用でお願いしたい」と肝心なことを村田に約束させる。
万が一村田の口から漏れ出て広まったりしたら、それこそ平穏な日々がふっとんでしまう。特に近藤や沖田にバレるのだけは回避したい。さらにややこしく絡み合い、複雑な迷路のようになるのは目に見えている。
村田は「あいわかった!」と真剣な顔で頷いた。真面目で律儀な人だから、他人に吹聴することはないだろう。それに大事な妹のことだ、変な噂は立てたくないだろうと期待した。
鉄子とはラインで秘密裏に連絡をとり、粛々と日時や場所を決めていった。
鉄子は少し離れた大学に通っていると言った。お互い学生で平日の方が融通がきくため、コマの入っていない平日の午後に決める。映画館でなるべく知り合いに会わないようにというのもある。
ただその1つ前に授業が入っているため、待ち合わせ場所は土方の大学に来てもらうことにした。鉄子に道場なら分かると言われ、そこにする。教室棟からは離れており、人もあまり通らない。部の稽古も夕方からだし、部員に会う心配もないだろう。
土方は講義が終わると、待ち合わせ場所に急いで移動した。近藤は別の講義があるからと途中で別れ、沖田は午前中1コマだけだから、家に帰って一眠りしてから稽古に参加すると言っていた。
だが、どこで誰に会うかも分からない。早く鉄子を連れて大学から出なければ、と土方が急いで道場まで行くと、階段下に鉄子らしき姿が見える。
「すまねぇ、待たせちまって。すぐに……」
「あれえ、土方さんじゃないですかィ」
突然、土方の声を遮るように、上から少し間延びした声が降ってくる。もしや、この声は…。間違っていなければ、土方が今一番会いたくない人物だ。土方がそろそろと、階段上へと顔を上げる。視線の先には、道場の扉の前に横たわり頬杖をついた沖田がこちらを見下ろしている。少し驚いた様子だったが、土方と視線が合った途端にニヤリと片口を上げる。土方には、まるで面白いおもちゃを見つけた猫のように、目がギラリと光ったように思えた。
――く、くそっ、一番見られたくない奴に見つかっちまった!
「お前、家に帰ったんじゃ……」
土方が恐る恐る声をかけると、沖田が飄々と答えた。
「いや、そう思ったんですがね、また戻って来るのも怠くて。天気も良いことだし、ここで昼寝でもして待っていようかと思いやしてね」
土方の額からツーッと汗が流れ落ちる。沖田が面白そうに目を細め、愉快そうに訊いてきた。
「で、誰ですかィ、隣のお嬢さんは」
偶然にしてはタイミングが悪すぎる。もしかして、ここで待ち合わせしていたことを知っていたのか? そう訝るが、聞いたところで沖田は惚けるだけだろう。土方は諦めて正直に話せることは話すことにした。ことにした。
「この方は…その、と、友達だ。今からちょっと用件を済ましにだな……」
さすがに全て話すわけにもいかず、どうしても説明が苦しくなってしまう。
「トシ! 何だ、お前も来てたのか」
「げっ、近藤さんっ……」
後ろを振り向くと、近藤が笑顔で手を振ってこっちの方へ歩いてくる。視線が隣の鉄子を捉え、笑顔がピシッと固まる。
「ん? トシ、この方は……」
「この人は、知り合いの鉄子さんで村田先輩の妹さんだ」
「近藤さん、土方さんは今からこの人と野暮用らしいですぜ」
沖田がいかにも意味ありげに言うのを聞いて、近藤がえっと驚いたように目を見開いた。くっそ、総悟のヤツ、と土方は慌てて訂正する。
「ち、違うんだ近藤さん。おい、総悟ッ! てめえ、誤解するような言い方すんじゃねェ!」
「なに言ってんですか。あんたが言ったんじゃねェですかィ。用事があるって」
「くっ、それはそうだが……」
「そ、そうか。トシ、すまんな邪魔して」
「いや、違え、近藤さん……」
そのとき、鉄子が真っ赤な顔で3人の間に入って小さな声で訴えた。
「ち、違うんです。今から映画に行くだけです」
「「え、映画ッ!?」」
あーっと土方が頭を抱える。これは、二人にちゃんと説明した方がいいのかと土方が悩んでいる間に、近藤が笑顔を引き攣らせてきっぱりと言った。
「そ、そうか。そういう事なら楽しんできたくださいよ、鉄子さん、トシ」
いや、なんでちょっと涙目になってんだよ、あんた。
「おい、勘違いしないでくれ、これは…」
「ああ、皆まで言うな。そうだ、鉄子さん、こいつちょっとマヨネーズ好きで何にでもぶち掛けるんで、そこのところ引かないでやってください」
「ちょっ、そんなの必要ねェから……」
近藤は完全に勘違いしているようだ。近藤の言葉にのっかるように、沖田が口を開いた。
「そうそう、度が過ぎて、犬の餌になっちまう」
こちらは完全に面白がっての発言だ。土方は沖田をじろりと睨みつけた。
「マヨネーズは犬の餌じゃねえ」
「マヨネーズがとは言ってねえでしょ。あんたが犬の餌にするんでさァ」
そのとき「知ってる」と鉄子が小さな声で言った。少し迷いがあったが言葉を続ける。
「試合中、お弁当にかけているの見た。すごく好きなんだな」
その一言に、土方自身も驚いたが、おおっと感心した声とともに近藤の目が輝き、焦った。やばい、これは完全に誤解されている。
腕時計に視線をやるとバスの時間が迫っていた。ここから映画館まではバスを使うのだが、平日の昼間では便数が少なく、これを逃すと1時間待たなくてはならない。
「くそっ、近藤さん、それに総悟。これには色々と訳があるが今は時間がなくて説明ができねえ。今度きちんと説明するから、それまで誰にも言わないでくれ」
そう二人に理解を求め、返事を待たずに鉄子を大学の外へと連れ出した。
バスは少し遅れているようで、まだ到着していなかった。バスを待つ間、二人の非礼を詫びた。
「すまねェ、あいつらも人の話を聞かなくて」
「いいや、面白い人たちだ。あんたのマヨネーズ。量にはびっくりしたけどな」
「よく言われる」
自分では美味しいから掛けているだけなのだが、他人から理解を得られたことはない。
「別に、いいと思う。何が好きかは、それぞれだから」
土方を慰めるためだけの言葉かもしれないが、口元には笑みを湛えた鉄子の横顔は少し寂しげに見えた。口に出さないだけで、妹自身も色々と思うところがあるのだろうか。土方は鉄子の言葉に、ありがとうとだけ伝える。
あたたかい風が二人の間を通り過ぎていった。鉄子の淡い銀色の髪が、陽の光をうけて煌めく。一瞬、なつかしい顔が頭に浮かび、土方は慌ててぶんっと頭を振った。
んなとこで、何を思い出してやがんだ、俺は……。