惚れ直す 怖い物見たさの一見さんか、常連客か。通路から嵩上げされた畳敷の席は、ほとんど埋まっている。前方に設置されているステージでは、天井にぶら下がるミラーボールに煌めく怪しい光の下、三味線の音に合わせてショーが繰り広げられていた。
ちなみに、店内にいるすべてのスタッフは女装姿の野郎どもだ。
奥まった席で一人グラスを傾けながら、土方はその様子を半ば呆れ気味に眺めていた。
――地獄絵図だな……。
眉間に皺を寄せながら、心の中で独りごちる。
この店で迂闊にそんな事を言おうものなら、店の用心棒兼ママ、マドマーゼル西郷により即強制退去。そんな既知の事実は土方も耳にしているし、実際現場も目撃している。放り出されては元も子もない。口に出さない方が賢明だ。
人の性癖趣向ををとやかく言うつもりはないし、言える立場でもない。とはいえ、この店に通う客の気持ちが、土方には全く理解できなかった。
そのとき、ふっと、テーブルに影が差した。
「まーた、来やがったのかよ。ったく、しょーがねえなぁ」
知った声にようやく来たかと顔を上げると、分厚い化粧をした女装姿の銀時が、腕を組んで顰めっ面で立っている。どかりと隣に座り込んだ拍子に、銀時のつけ毛が土方の頬を掠めた。舌打ちしそうになったが、歓迎されていない手前、これ以上銀時に機嫌が悪くなられるのも嫌なので我慢する。
銀時はそんな土方の気遣いなどお構いなしに、テーブルに置いてあったウイスキーボトルをかっ拐い、勝手に自分の分の水割りを作ると一気に半分ほど飲み干した。
「テメエは、客に了承ぐらい取らねェのか……」
思わず咎めるような声が出る。銀時はちらりと横目で土方を睨むと、グラスを両手で持ちながら、ワザとらしく科をつくる。
「あー、頂いちゃって、いいですかー?」
「遅えんだよ。もう、飲んでんだろーがっ」
「まあ、細けェ事はいいじゃん。あー、アッチィ」
銀時は手団扇で顔を扇ぐ。先ほどステージ上でショーを披露していた一人は銀時だ。額にうっすらと汗が浮かんでいる。土方は気を取りなすように、テーブルの上に置いてある煙草の箱から1本取り出し、口に咥えた。
「ったく、扇をひらひら振り回して腰振ってるだけのくせに、鍛え方が足んねーんじゃねェか?」
「はあ? ああ見えて、結構キツイんだよ、アレ。しかも、照明は熱ィしよ。肩とか腰とか……じゃねーよ、お前。んなとこ来んのいい加減やめろよなっ」
「俺が何処で酒を呑もうが、勝手だろーが」
「お前、んなとこ全然興味ねェくせに。白々しいな、ったく」
銀時が眉を潜め、わざとらしく大きく息を吐いた。
「テメーの魂胆は分かってんだよ。だいたい、お前が来ると、何かほら…店が気ィ遣うじゃねーの」
銀時が少し言いにくそうに、声のトーンを落とす。
確かに。土方が店のドアを開けた瞬間、スタッフらが息を呑んだのを感じた。
まあ、警察という職業柄、警戒されるのは慣れている。こっちもつい癖で、隅々まで見ちまうからな。銀時に指摘されなくても煙たがられるのは、分かっていた。
だがそれも一瞬のことで、すぐに女性キャストが集まってくるのもセットだ。性別が入れ替わっただけで、この店でもそれは変わらなかった。
「そうか?歓迎されてっと思うが」
「そ、そうかもだけど…」
銀時は少し端切れが悪い。
もしかして、何か隠し事でもあんのか?
思わず銀時を尋問しそうになり、土方ははっと我に返った。今はプライベートな時間だと自分に言い聞かせる。
「おい、大体、いつまでんな……格好で接客すんだ?」
『化物じみた』は西郷の視線を気にして、思わず小声になる。
「えっ、なに亭主関白風吹かせてんだよ? あーあ、やだねェ。これだから、お役所様は。こんな姿でも、立派なお仕事なんですぅ」
それに、と銀時は一呼吸おくと背筋をピンと伸ばした。上から見下ろすように、得意げに言った。
「こっちとら、パー子ちゃんっ、居なくならないでねっ、て泣きつく客もいんだよ」
土方の頬がヒクリと大きく引きつる。信じられないことに銀時ならぬパー子は、かまっ娘倶楽部でも上位に入る程の人気があるらしかった。水商売らしからぬ横着でふてぶてしい態度が、客に媚びてなくてイイと、一定数のファンがついているのだ。
――だから、だろーがッ!
土方は危うく叫びそうになり、グッと咥えた煙草を噛んだ。
他の男に酌をさせたくねェ。それだけの理由でここに来た事は、銀時にはすでに薄らと見透かされている。だが、それをわざわざ口にした所で、感動するどころか揶揄われるのは目に見えている。
銀時にはそれとなく何度か言っているのだが、バイトを辞める気配はない。
大体コイツもコイツだ。付き合ってる奴がいるってのに、水商売なんかするか?普通。
「人気だか何だか知らねェが、てめえだって、こんな仕事とか言ってんじゃねえか」
「まあ、ね。でも、今月ピンチだしィ。ぶっちゃけ時給イイし。背に腹は変えられねーよ」
それを言われたら、こちらはもう黙るしかない。万事屋には、まだ未成年で大飯食らいの子供らがいる。生活費の援助を申し出たこともあるが、やんわりと拒否られた。まあ、そりゃそうだ。
銀時がいつの間に注文したのか、スタッフがテーブルにフルーツが盛られた皿を置いていった。
「まあまあ、せっかくだから、お前も楽しんでいけよ」
銀時がメロンを串に刺し、「はい、あーん」と口の前に差し出してきた。素直に口を開け咀嚼すると、じゅわっと汁気と甘い香りが口に広がる。嚥下する様子を見つめながら、銀時はピンク色に塗られた唇を満足げに引き上げた。
トクン。なぜか心臓が軽く跳ねる。
化粧のせいか酔いのせいか、目の前の女が銀時似の別人に見える。
「何、おかわり欲しいの?」
じっと見つめる土方に勘違いしたのか、銀時が皮でうさぎに見立てたリンゴを串に刺して口の中に突っ込んできた。唇よりも大きなリンゴを無理やり詰め込まれ、息苦しくて涙を滲ませながら、どうにか飲み込む。
「んぐっ……、てめえ、でけェだろーがっ」
「くく、悪ィ悪ィ」
苦み虫を潰したような表情の土方を面白そうに笑いながら、銀時はイチゴを一つ頬張ると、美味そうに目を細めた。その姿に、土方の胸が再びトクンと鳴った。
な、何だ、これ……?
土方は慌ててグラスを手に取り中身を飲み干す。テーブルへグラスを置くとすぐに隣から手が伸びてきた。銀時が空いたグラスに氷とウイスキーを注ぎ、水を入れるとマドラーでくるっとかき混ぜテーブルを滑らせる。
銀時は困ったように眉を僅かに下げ、宥めるように言った。
「ほら、もう十分だろ。これ飲んだら、もう帰れよ」
柔らかく優しい声色が、土方のアルコールで靄がかった脳を擽るように響く。
きっと、こーいうところだ。普段、ガサツで横着なのに、ちょっと気の利く所を見せられちまったら、絆されちまう客もいるだろう。
あれ、って誰に言ってんだ?
は? 絆されるってナニ?!
こいつは、女装した、ただの銀時だろーがっ!
土方は手渡された水割りを一口含み、硬直する。
それは最初に飲んだ水割りと違って、ちょうど良い濃さだ。ボトルはまあ迷惑料と考えて、そこそこの値段の物を選んでいる。「ヘルプでごめんなさい」とステージで踊っているパー子の代わりにと入った、やたら上品な仕草で顎の長い野郎が入れた水割りも案外美味く、感心しながら飲んでいたが、桁違いに美味い。
っつーか、俺好みの濃さだ。
「美味い……」
素直に溢れ出た感嘆の声に、銀時が驚いたように瞠目する。
「そ、そお? いや、まあ、さすがに何度も作ってれば、てめえの好みの味なんてわかるしよ」
そう言いながら銀時は頬を薄らと赤く染め、ガラガラとアイスペールの氷をトングでかき回している。すぼめた厚ぼったい唇が、口紅で艶々と艶かしく光った。
ドキンッ……。土方の心臓が、今度は大きく跳ねた。
はっ?な、何だ……。
土方の顔がかあっと火照り、それを見て銀時の顔もなぜか連なるように赤みを増す。誤魔化そうとしたのか、銀時がわざとらしい棒読み口調で一気に捲し立てた。
「や、やーん、惚れ直しちゃった? パー子嬉しい♡ これからも指名お願いしまーす♡……なーんてなっ」
土方の身体がビシリと硬直する。
「おい、どうした、土方?」
土方から全く突っ込みが返ってこないのを不審に思ったらしい。銀時が訝しげに顔を覗き込んでくる。
「……だ」
「え? ……何?」
聞き取れなかったのか、銀時が土方へと顔を寄せる。その拍子に、銀色のツインテールが揺れ、土方の頬をふわりと撫でた。柔らかな感触と化粧の下からほのかに漂う砂糖菓子のような甘い匂いに、土方の体温がさらに上がる。
土方は勢いよく顔を上げると、銀時の肩を掴み、一気に身体を離した。そして、銀時を正面から見据え大声で叫んだ。
「惚れ直すってなんだっ! 俺が惚れてるのは、銀時だけだァアアア!」
銀時は呆気にとられたように、ぽかんと目と口を開けたまま固まっている。が、襦袢の紅色が移るように、じわじわと首から真っ赤に染まっていった。
「は、はぁあああ?っつーか、ナニ言っちゃってんの、お前っ!」
顔を茹ダコのように上気させる二人を、周囲の客やスタッフらが唖然と見守っている。ステージの袖からその様子を眺めていたマドマーゼル西郷は、ふっと片口を上げた。
「フフ、どうやらお前さんも、パー子沼にはまっちまったようだね……」
* * *
「もうパー子ったら、副長さん、出て行っちゃったじゃない。こっちは居てくれたって、全然構わないのよォ?」
閉店後の静かな店内で、アゴ美ことあずみは大きく溜息を吐いた。銀時は床を拭いていたモップの手を止め、じろりと睨みつける。
「何言ってやがる、攘夷浪士の吹き溜まりじゃねーか、ココ。んなとこに真選組の副長様が居る事自体、笑えねェだろ」
あずみは「もと、ね!」と強調して銀時を睨み返す。
「そりゃ多少拗ねに傷のある子達が集まっているのは確かだけど…。今は足を洗って、すっかり大人しくやってるじゃない。私たちは清く正しく、オカマ道を極めているだけよ」
「オカマに清さも正しさもねーんだよっ。それに、現役バリバリの奴もたまに顔を出すじゃねェか」
ヅラこと桂が、時々かまっ子倶楽部でバイトしているのは知っている。資金の足しにと言っちゃいるが、まあ、情報収集にでも利用してるってとこだろう。
「えー、誰のことかしらァ? 怖いわぁ」
わざとらしく、眉毛を下げるあずみを銀時はケッと一笑する。
「はいはい、どうせ、判ってやってんだろ。とにかく、そいつと土方が鉢合わせたらマズイからな」
「ふーん、そんなこと言っちゃって。パー子ったらぁ」
「は?ナニ?」
「まったく。誰もあなたの彼氏取ったりなんてしないわよォ」
「は、はぁあああっ?」
「もー、彼氏取られたくないからって、追い出す真似しなくたっていいのに。」
あずみがバチンと片目を瞑る。分厚い付け睫毛が上下するのを、銀時は唖然と見つめる。
「いや、自分の顔、鏡で見て言えよ」
銀時は言った後で、慌てて口を閉じたが遅かった。
「んだと、ゴラァッ」
不穏な気配に背後を振り返ると、声と同時に拳が飛んでくるのが目に入る。あっと思った瞬間にはあ銀時の目には火花が散り、見事、西郷に身体ごと吹っ飛ばされていた。
「あー、っくそ。ったく、本当の事だろーがよ」
銀時はソファに横になると、忌々しく呟いた。
いつもなら少し躱すのだが、あずみの言葉に動揺して避け損ねた。西郷の拳を真正面から受け止めた頬は見事にぶっくりと腫れ、濡れタオルで冷やしてはいるもののズキズキと痛む。
もちろん、土方がアイツらに取られるとかそんなこと、これっぽっちも心配などしていない。
ヅラと鉢合わせるとか元攘夷浪士がいるからとかは只の言い訳なのは自分でも判っている。
ただ、例え濁声だとしても、土方が店に入って来た瞬間、黄色い声が立つのを目の当たりにするのはやはり面白くない。
しかも、いつも着流し一枚のくせに、毎回やけに高そうな着物を着て粧しこんで来やがって。
あの顔だ。腰に物騒なもん挿してなきゃ、まるで一体どこの若旦那かよって風体だ。どうせ、店に来る途中も視線集めまくってきたんだろーよ。
いかにも水商売してますってド派手な着物を着て、ゴテゴテの厚化粧をした女装姿の俺と横に並ばれてみ? もうプライドも何も、ボッキボキに折れまくって、マジで泣きそうになるって。
はーっと銀時は大きく溜息を吐いた。頬の痛みがジンジンと増した気がする。
それなのに、こんな化け物みてーな俺が他の客に触られるのが嫌だからって、わざわざ来たくもねえ、あんな所にまで来やがるんだ。何がそんなに心配なんだか。
土方の様子を思い出し、ふっと笑いが溢れる。
――嬉しいって思っちまうんだから、自分にも、ほとほと呆れらぁ。
来て欲しくないというのは本音だが、もっと心配して嫉妬して、どんな姿の俺にも溺れて欲しい。
あんな可愛い奴、見るたびに惚れ直すに決まってんだろーが。
「あー、好きすぎてやべェ」
思わず漏らした言葉に、じわっと頬が熱くなる。
神楽に聞かれていないだろうか。心配になりそっと部屋の奥の押し入れへ視線を向けるが、さすがに夜中だからか寝入っているようだ。
銀時はタオルを広げ、目の周りを隠すように乗せた。濡れたタオルの冷たい感触が、火照った顔に冷んやりと気持ちよかった。