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    @IzumiKzs

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    以前頂いたリクエストの「海に招待する🦈💀」です。
    未来設定(5年後ぐらい)、🦈両親を含む捏造もりもり、6章ネタバレあり。

    実家をご案内~というイメージと伺ったのですが、6章などを経た結果、とても自分好みの仕上がりになってしまいました…💦
    リクなのに本人の趣味に走りすぎてしまった感がありますが、少しでも楽しんで頂ければ幸いです!リクエストありがとうございました🙏✨

    #フロイデ
    freudian

    沈没船には行きました。 フロイドがイデアに初めて「珊瑚の海に一緒に行こう」と誘いをかけたのは、まだ二人が番になる前のこと。NRC二年生だったフロイドは青色の髪を持つ一学年上の先輩に絶賛片思い中で、気分屋なりに全力でアプローチしていた時のことだ。
     しつこく付きまとう自分に対し「君がなに考えてるのか僕にはわからないけど、はっきり言って迷惑だ。頼むから、これ以上付きまとわないでくれ」と冷たい拒絶を繰り出した人に、「だったら一緒に珊瑚の海いこーよ。オレが育った場所でも見れば、少しはオレのこともわかんじゃない?」と、その場の思い付きで言ったのが最初だった。
     なお、フロイドは思い付きを即実行するタイプのウツボなので、そのまま身長の割に軽い体を担ぎ上げ鏡の間に向かおうとした。だが、水中呼吸薬が必要だと途中で気付き、貰いに向かった先――アズールに鉄拳制裁で阻止されたのは、今となっては良い思い出と言えなくもないかもしれない。
     それから暫くして、フロイドの粘り勝ちで付き合い始めた二人は、海と陸の考え方の違いやS.T.Y.X.襲撃からのあれやこれやに翻弄されまくりつつ、激しい衝突と譲歩を繰り返しながらも交際を重ね、なんだかんだと今に至るまで関係は続いている。
     NRC卒業後、完全な秘匿組織ではなくなったS.T.Y.X.の外交を担うため、黎明の国に構えた事務所兼住居を主な活動拠点にするようになったイデアのもとに、フロイドは当然のように転がり込んだ。もちろん、仕事場を兼ねた住まいなので、当初はかなり難色を示された。それでも、本格的に陸でのビジネスに乗り出したアズールやジェイドとあちこち飛び回るフロイドが帰りたいと思うのは番の元だし、そもそもウツボの人魚には通い婚の習性があるのだから、と。有無を言わさぬ調子で押し切ったフロイドがイデアと実質的な同棲状態になって、そろそろ二年が経とうとしている。
     とはいえ、イデアも月の半分は嘆きの島に赴く生活だ。共に過ごす時間は一緒に暮らしているにしては短く、だからこそ、二人はたまに重なるオフの日を大切にしていた。
     なので、久しぶりに重なる休日を前に、なにをしようかと相談していた一週間前の夜。そういえば、この前ジェイドが実家に帰ったって言ってたっけ、と。ぼんやり思い出したフロイドが、「珊瑚の海に行くとかどう?」と久しぶりに口にしたのは、否定されることを前提にした思いつきでしかなかった。
     だが意外にも、少し考えた後でイデアは「いいよ」と頷いたのだった。
     まったく期待していなかった了承にポカンと口を開け、パチパチと目を瞬かせた人魚は次いで「やったー!」と叫び、そのまま番にキスの雨を降らせまくった。
     初めて口にしてから、およそ五年。ずっと断られ続けていた誘いが実現する日が来るとは、実のところフロイドは思っていなかった。
     イデアが誘いを断り続けていた理由は、フロイドには分からない。陸の人間には快適とは言い難い環境が嫌だったのかもしれないし、単に珊瑚の海に興味がないのかもしれない。嘆きの島も海中にあるようだし、わざわざ行く必要がないと判断されたのだとしても、それはそれで仕方がないと思っていた。
     大体、陸で出会った陸の人間を番にすると決めた時点で、自分の生活環境を相手に合わせる覚悟は出来ていたのだ。たとえイデアが珊瑚の海を一生訪れなくても、別に問題はない。フロイドは真実そう思っていたし、だからこそ、最近は誘うこともあまりなくなっていた。
     しかし、こうしていざ「一緒に行ってもいいよ」と言われると、堪らなく嬉しくなってしまうのもまた事実だった。
     きっと、最初にこの誘いを口にした時からフロイドの想いは変わっていない。付き合い始めてそれなりの時間が経った今でも、故郷を――生まれ育った場所を案内することで、大好きな人にもっと自分を知ってほしかった。
     そんな訳で、次の休みは生まれ故郷のお気に入りスポットを一緒に巡って、陸に上がるまで自分がどんな時間を過ごしていたのかを話して聞かせるのだと。
     行く先々で出会う知り合いや、もちろん両親にも「この人がオレの番~!」と自慢しながらイデアを紹介しまくってやるのだと。
     番を連れての初めての里帰りを、陸上生活も気付けば七年目に突入した人魚は心から楽しみにしていたのだが。

    「はじめまして。ご子息……フロイドくんとお付き合いさせて頂いている、イデア・シュラウドです」

     流石にこの状況は予想外なんだけど、と。
     慣れ親しんだ青の世界に沈む、今となっては懐かしささえ覚える実家の応接室でゆらゆらと尾びれを揺らしながら。張り詰めた空気の中、己の両親に向かって堅苦しい挨拶を繰り出した番に、フロイドは困惑しまくっていた。
     まあ、正直なところ。実家に用があるから、珊瑚の海には嘆きの島から直接向かうと言っていたイデアが、待ち合わせ場所にやけに仕立ての良いスーツ姿で現れた時点で、若干の違和感はあったのだけれど。
     久しぶりに本来の姿に戻ってテンションの上がっていたフロイドは、「親父のこと聞いた先輩、ビビってたもんな~。つっても、流石に海でスーツはなくね?」とか、「いくら魔法で制御しても水中じゃ動きにくそうな生地だよなぁ」とか、「すげー顔強張ってるけど、実は泳ぐの苦手だったりする?」、なんて風にしか思っていなかったのだ。
     それが、まずは小さい頃によく探検した沈没船に向かおうとしたところを「その前にご両親に挨拶したい」と言われて速攻で実家に案内させられたかと思えば、出迎えた両親も緊張した表情で正装をキメた陸の青年に只ならぬ気配を感じたのか、挨拶を前に父親が主に仕事で使う応接室に通されてしまった。
     そうして、なんか雰囲気かたくね? と思っているうちに、ガッチガチに固い挨拶が始まってしまったのだった。
     これはこれはご丁寧に、と挨拶を返す両親の声を聞き流しながら、フロイドは巨大な貝殻から作られた椅子に座る番の横顔にチラチラと視線を走らせる。海中にあっても微かな光を捉えて煌めく、黄金色の輝き。その美しい瞳をイデアは真っすぐ前に――長い身体を揺らめかせるウツボの夫婦に向けていた。

    「本来であれば一緒に暮らす前にご挨拶に伺うべきだったのですが、僕の決心がつかず、遅くなってしまったことを心よりお詫びします」

     え、そうだったの? 先輩、そんなこと考えてたの??
     唐突に暴露された事実に、フロイドは驚きを隠せない。思わず目を見張った彼の耳ヒレが、ぴくぴくと動いて弱い水流を立てた。そんな息子を見やった女性人魚の唇が、柔らかくも芯の強さを感じさせる声を紡いでゆく。

    「フロイドからは、貴方のところに無理やり転がり込んだと聞いています。であれば、よろしくお願いしますと言うべきはこちらの方でしょう。それに、私たちは息子の意思を尊重することにしていますので、二人で決めたことについてこちらの意見を気にする必要はありません。ですが、敢えてそのように仰るということは、イデアさんには私たちに伝えるべきことがあるということでしょうか?」
    「はい」

     息子たちと同じターコイズブルーの髪をゆらゆらと揺らめかせる人魚の母が、陸の青年に優しく微笑みながら問いかける。間を開けずに肯定を返した声には、新月の夜の海面みたいに静かな決意が滲みだしていた。

    「彼が既に自立した成人であり、人生における決定権は彼自身にあるということは僕も理解しています。ですが、それでも。彼が故郷の海を離れ、陸の人間である僕と共にあることを、ご両親であるあなた方に認めて頂きたいのです」

     堪らず喉が鳴りそうになるのを、フロイドはなんとか抑え込んだ。確かに、同棲状態の番と両親が初めて顔を合わすのだから、多少のやり取りはあるだろうと思っていた。
     だが、これではまるで――。

    「僕がご子息を陸に留め、その傍らにあることをお許しください」

     まるで、結婚の挨拶みたいじゃないかと思ってしまう。
     これまで、二人の間で結婚についての話が出たことはない。フロイドもイデアも社会のルールなんてどうでも良いタイプだから、というのも理由のひとつだろう。
     だがそれ以上に、一族に課せられた呪いを血によって後世に伝えなければならないシュラウド家嫡男のイデアにとって、異性と結婚して子孫を残すというのは逃れられない義務でもある。当然、雄同士である二人の関係は義務を達成するという点においては障害でしかないし、だからこそ、フロイドもそういった話題――長期的な関係性を前提とした話題に、自ら触れようとはしてこなかったのだ。
     だというのに。
     まるで、これからの長い時を自分と共に過ごす覚悟があるとでもいうようなイデアの言葉に、いつもは丸まった背中を精一杯伸ばした番の真剣な表情に、低温な人魚の体内を巡る血がぶわりと熱くなったように感じられた。

    「私たち人魚の寿命は、君たち人間と比べれば遥かに長い。とはいえ、海を棲み処とする人魚が陸での生活を続けるには変身薬の力が必要であり、長期に渡る継続使用は、結果としてその寿命を縮めることになる」

     ふいに、それまで黙って会話を聞いていたフロイドの父親が口を開いた。海水を振動させる低いバリトンに、イデアの視線がひと際大きな体躯を持つ人魚へと向けられる。

    「君も言った通り、息子の人生の決定権は息子自身にある。だから、余程のことがない限り、その選択に私たちが口を出すことはない。だが、君が直接私たちからの容認を望むのであれば話は別だ。――人魚にとって陸の人間との愛を貫くことは、命を削る行為に等しい。それを理解した上でなお、私たちに二人の仲を認めてほしいと望むのであれば。君にも当然、フロイドにすべてを捧げる覚悟があると思っても良いのだろうか」

     見透かすように、見定めるように。息子たちにそれぞれ片目ずつ引き継がれた深いオリーブグリーンが、水中にあっても青色に揺らめく炎を見つめる。
     上っ面な言葉は許さないというような視線を真向から受け止めて、イデアはごくりと喉を鳴らす。だが、次いでその白い喉から放たれたのは、「いえ、」という否定の言葉だった。
     瞬間、広々とした応接室に緊張が走る。それでも、魔法薬による水中呼吸で辛うじて命を繋ぐ陸の青年は、怯むことなく巨大な尾びれを揺らす人魚を見上げた。

    「僕の魂はもうずっと前から、僕のせいで命を落とした弟のものです。彼は今でも、昏い地の底で僕を待ってくれている。ですから、人間である僕のすべてを――この魂をフロイドに捧げることはできません」

     嘘偽りのない真摯な響きに、フロイドはクルルと小さく喉を鳴らす。
     そんなこと、とっくのとうに知っていることだ。今さら、聞くまでもない。
     嘆きの島と繋がる地の底のさらに奥深く、冥府と呼ばれる場所で彼を待つという”弟”については、イデアの口からもう何度も聞かされている。
     なにかにつけて、折にふれて。
     嘆きの島に囚われた愛しい人は、確定した未来を謳うように囁く。

     ――僕はいずれ、オルトのもとに還る。

     祈りを捧げるように懺悔をするように、遥か彼方を見つめながら呟いて。そうして、困ったように眉を下げて聞いてくる。

     ――君は、本当にそんな奴でいいの?

     答えは勿論イエスだ。
     イデアの一番がオルト――今は死んでしまった本当の”弟”であれ、彼が造り出したヒューマノイドの「弟」であれ――であることも、決して自分が彼の一番にはなれないことも、最初から分かっている。だから、フロイドは一向にそれで構わなかった。
     理由は単純にして明快。フロイドが惹かれるままに好意を寄せ、番として添い遂げようと決めた人は――人魚からすれば溜め息が出る程に美しいと感じてしまった人の魂は、彼の弟の存在なくしては成り立たないからだ。
     イデアを手に入れようと決めた時、同時に彼のすべてを自分のものには出来ないとフロイドは理解した。でも、そんなことはすぐにどうでもよくなってしまった。
     もともと、人魚は魂を持たない。ならば、自分だって彼に陸の人間が持つようなすべてを――魂を捧げることはできないのだ。
     だから、魂の代わりに長い寿命を持つ自分を彼が受け入れ、仮初の姿に鉤爪を隠す存在の側にいることを望んでくれるという、そんな未来を引き寄せることが出来るのならば。
     自分も彼の側にいたいと、番としてその喜びも苦しみも悲しみも分かち合いたいと、そう自分勝手に願っただけなのだ。
     だから、改めて現実を突きつけた恋人の言葉にも、フロイドは特に思うところはなかったのだが。

    「ならば、君はなにを対価として差し出すと言うのかな」

     一段と低くなった父親の声に、ウツボの子どもはハッと顔を上げる。仕事でミスをした部下に向けるような、冷たい光を湛えたオリーブの瞳は、息子であっても背筋がピリピリとした。
     親父、なんて顔してんだよ。言ったじゃん、オレの番はビビりだから、あんま威圧的な態度はとるなって。
     そう心の中で抗議するものの、声に出して言うことは出来なかった。
     フロイドの両親が言った通り、彼らは息子の選択を尊重する。だから、愛する息子が陸の人間を番にしたと言った時も、愛しい人の命が尽きるまで海に戻るつもりはないと宣言した時も、ただその決断を受け入れた。
     それは同時に、イデア・シュラウドという人間を、人魚である息子が選んだ番として暗黙のうちに認めたということでもある。だから、イデアが敢えて口にしなければ、容認への対価を要求されることもなかったのだ。
     だが、イデアは面と向かってそれを望んだ。
     そして、父親は要望に真向から応じた。
     であれば、たとえ当事者であろうと、フロイドに二人の会話に口を出す権利はなかった。 
     チラリと様子を伺った母親は、息子と同じく少し心配そうな表情で事の成り行きを見守っている。普段は妻にまったく頭の上がらない父親であっても、こうなった時の彼には誰も意見できないことを、二人ともよく分かっていた。

    「――鼓動を」

     僅かな沈黙のあとで。
     躊躇いのない凛とした声が、耳ヒレを持つ者たちの聴覚を刺激した。
     人魚たちの視線を集めながら、海にあっても目を引く青を纏う人が言葉を紡ぐ。

    「……僕にはもう一人、弟がいるのですが。幸いなことに彼は既に僕の手を離れて自立し、僕が僕として思うがままに生きることを望んでくれています。冥府で僕を待つ弟も、この命が尽きるまでは来ないで欲しいと、そう言ってくれました」

     情けない兄なので、そんな風に後押しされてもこの結論を出すのには、随分と時間が掛かってしまったのですが。
     そこで一度言葉を切ったイデアが、フロイドに視線を向ける。緊張で強張る目元が、恋人を捉えた瞳ごと微かに緩んだ。

    「ですから、僕の心臓が動いている限りは、」

     再び表情を引き締め視線を戻した番を、フロイドはただ見守ることしか出来ない。水の中だというのに、喉がカラカラになった気がした。

    「この魂が冥府に落ちるまでは、僕の鼓動をフロイドに捧げると誓います」

     それはもう、すべてを捧げるのと同じじゃないか、とフロイドは思う。
     長い寿命を持つ代わりに、人魚には魂がない。当然、死後の世界は人魚にとっては無縁のものだ。死んでしまえば、泡になって消えておしまい。それで、ジ・エンドだ。
     だから、フロイドにとって大事なのはイデアがこの世で生きている瞬間で。彼が欲するのは番の魂ではなく、鼓動を刻む心臓だ。
     だとすれば。イデアが今まさに放ったばかりの言葉は、陸に上がった人魚にとって、最上級の愛の誓いでしかなかった。
     キュルルル、とウツボの喉が鳴る。
     今回ばかりは堪えることが出来なかった。
     だって仕方がないじゃん、と思いながら。同時に、最悪だ、とフロイドは手のひらで顔を覆う。親の前でこんな稚魚みたいに甘えた音を出すなんて、もうとっくの昔に卒業したはずなのに。ほとんど事故のようなものとはいえ、恥ずかしくて仕方がない。
     そんな息子の心情なんて、手に取るように分かるのだろう。見ていなくても、両親の視線が自分に向けられているのを感じたフロイドの尾びれが、そわそわと落ち着きなく揺れ動く。
     急速に和やかになってしまった雰囲気は番にも伝わってしまったようで、「どうしたの?」と心配そうに聞かれる。仕方なく顔から退けた鉤爪付きの手で、強力な防水魔法が施されている高そうなスーツの裾を、傷つけないようにきゅっと握りしめた。

    「話は済んだんなら、オレの部屋にいこ?」

     言った途端、最悪だと再び顔を覆いたくなったのをグッと堪える。もう、どうしたって声が甘えてしまっていた。これ以上は墓穴を掘りたくなくて、フロイドは掴んだ布地を無言で引っ張ることしか出来ない。

    「でも、まだ答えを聞いてないし……」

     そうだった。先輩と親父の話は、まだ終わってなかったんだ。
     反射的に前方に視線を向けた青年ウツボが、ぐうと唸る。にこにこと微笑ましいものを見守るような母親の慈愛に満ちた眼差しと、口端を吊り上げてニヤリと笑う父親の目線を真向から浴びて、フロイドは今すぐ狭くて暗い岩の隙間に入り込みたくなった。

    「こちらのことはお気になさらず。聞きたい答えは、もう頂きましたから」
    「では、認めて頂けるのでしょうか?」
    「私たちが駄目だと言っても、息子は聞く耳を持たないでしょうが。幸いなことに、私も妻も貴方がフロイドと共にあることを嬉しく思っていますよ」

     先ほどまでの冷たい雰囲気を霧散させた父親の言葉を、柔らかな笑みを浮かべた母親が引き継ぐ。

    「イデアさん。フロイドを、どうかよろしくお願いします」

     与えられた言葉に、イデアの白い頬が冷たい海に来て初めてふわりと綻んだ。

    「ありがとうございますぅっ……!?」

     だが、万感の思いを込めた礼を言い終える前に、その薄い身体は鉤爪のついた青緑色の手に引き寄せられてしまった。人間体の時よりもさらに逞しい腕に抱き込まれ、目を白黒とさせるイデアの頭上から、聞き慣れた――けれどもやけに子どもっぽい声が降り注ぐ。

    「話はもう済んだんでしょ? じゃーオレたちは部屋で少し休むから、ふたりとも勝手に来ないでよね」
    「はいはい、わかりましたよ」
    「彼はまだ水中に慣れてないんだろう? あまり無茶なことはしないように」
    「しねーっての!」

     照れるあまりぶっきら棒になり過ぎた口調で叫ぶ恋人に、囚われの身となった青年の青い唇から、ふひ、と楽しげな笑みが零れ落ちる。そうして、むーっと口を尖らせたフロイドに運ばれるまま、イデアは人間には広すぎる応接室を後にしたのだった。



     それから、およそ十分。
     雑多に物が積み上げられた少し狭めの空間――どうやらフロイドの部屋らしい――で、イデアは相変わらず恋人に抱きつかれていた。
     いや、これはむしろ巻きつかれていると言うべきだろうか?
     そんなことを考えながら、絶妙な力加減で尾びれを巻きつけている人魚の頭をイデアはよしよしと撫でる。

    「あーもうサイアク! この歳になって親の前であんな風に喉鳴らすとか、マジで恥ずかしすぎるんだけど!」
    「そういうもん?」
    「そーいうもんなの! 先輩だって、ネコたち相手に稚魚ちゃん言葉で話しかけてる姿、親には見られたくないでしょ?」
    「あー……言いたいことはわかりましたわ。よーしよし、乙でしたなぁ」
    「ちょっと扱い雑すぎない?」

     水の浮力でふわふわと揺れ動く髪は思った以上に撫でづらい。なので、「よしよし」というよりは「わしゃわしゃ~」という感じにターコイズブルーをかき回せば、不服そうな声が上がる。だが、ウツボの拘束が弱まる気配は一向になかった。

    「ほらほら、機嫌直して。今日は懐かしい場所を案内してくれるんじゃなかったの」
    「別に機嫌悪いわけじゃねーもん。つーか、誰のせいだと思ってんだよ」
    「えー……、拙者なりにきちんと挨拶したつもりなんですけど」
    「だからそれだよ、気合い入り過ぎだって言ってんの!」
    「そう? 拙者もフロイド氏も既に立派な成人ですし、パートナーのご両親への挨拶なら、これぐらい普通では?」
    「……先輩ってほんとテーブルマナーとかクソだしいつもは超ヘタレなのに、こういう時は育ちの良さとか年上らしさを全力で発揮してくるよね」
    「褒められてると見せかけて、割と率直に罵倒されてるのホント草」

     無事に挨拶を終えて安心したのか。すっかりいつもの調子に戻ったイデアが、恋人の腕の中でケラケラと笑う。そんな番の様子に溜め息を吐いたフロイドが、「だいたいさぁ……」と拗ねたように頬を膨らませた。

    「あーいうのは、直接オレに言って欲しいんだけど」
    「? あーいうのって?」
    「先輩の……イデアの鼓動はオレのもんってヤツ」
    「うーん。君には割とよく言ってると思うんだけどなぁ」
    「は? 記憶にないんだけど」

     ほんとにぃ? と訝しげにオッドアイを瞬かせる人魚の腕をぺちぺちと叩いて拘束を緩めさせ、イデアは鋭利な爪が光る恋人の手のひらを自身の心臓へと導く。高級スーツの厚みのある生地越しでも、とくとくと陸の人間の小さな鼓動が感じられた。

    「この鼓動は君のものだよ、フロイド」

     抱き込まれた腕の中、瞳を閉じた番の青い唇から零れた囁きが、ウツボの人魚に密やかな夜の記憶を呼び起させる。
     陸の人間のやり方で身体を重ね、存分に愛を確かめ合った後。いつからか――といっても本当にここ最近だけれど――、微睡みに落ちてゆく恋人がとろんとした瞳でするようになった行為が、実は確かな決意による告白だったと知ったフロイドは、あああ~あれかあぁぁ……と尾びれと耳ヒレをピクピクさせた。

    「ね?」
    「いや、ね?、じゃないでしょ。あんなポヤポヤした顔で言われても、ガチだと思うわけねーじゃん」
    「うう、ひどいでござる……。まあ確かに、面と向かって言うのはハードル高すぎるから、雰囲気とか勢いに任せて言える時にしか言ってなかったけど」
    「だよねぇ。とりあえず先輩が本気だってのはさっきイヤって程わかったし、今夜はポヤポヤする前にちゃんと言ってもらうから、別にもういいけど」
    「うっ……ど、努力はします……。えーと、それはさておき、そろそろ出掛けた方がいいんじゃないの? 薬の効果、あと三時間ぐらいで切れちゃいますけど」

     先ほどのやり取りで緩んだ拘束からある程度の自由を取り戻したイデアが、耐水圧完全防水のデジタルウォッチを確認する。
     アズール経由で手に入れた水中呼吸薬に不具合はないだろうが、普段とはまったく異なる環境下での活動は心身への負担が大きい。そのため、今日のところは短めの訪問にしようと提案してきたのはフロイドだ。そして、その時間内で番をどこに連れて行くべきか、恋人がうんうん唸りながら考え込んでいたのをイデアは知っている。
     なので、さっき言ってた沈没船にでも行こうか、と提案してはみるものの。「もーちょっとこうしてる」と言うなり再び拘束を強めてきた人魚に、陸の青年は仕方がないなぁと全身を預けることにした。

    「ねえねえ。先輩が言ってた実家での用事って、もしかして――」
    「うん。ご想像の通り、冥府にいるオルトに報告に行ったんだ。僕にとっての一番は二人のオルトでずっと変わらないし、あの子を想うのを止めるわけでもないけど。僕の心臓が止まるまでは、こっちの世界で一緒にいたいと思う人が出来たってこと、あっちのオルトにもちゃんと言っておきたくて」

     体温の低い人魚との接触で万が一にも相手に火傷を負わせないよう、体温低下の魔法がかけられた白い身体を、尾びれの先でさわさわと撫でながら。そういえば、と尋ねた深海の人魚に、ある意味では同じく海育ちと言えなくもない人間が答えを返す。
     珊瑚の海からは少しばかり離れた海底に、外界の目を徹底的に欺く形で存在する嘆きの島。シュラウド家が呪いと共に管理を担うタルタロスの最深部――冥府と呼ばれる場所で、ファントムと同化したイデアの”弟”は今もその存在を維持し続けている。
     一度は”弟”と深淵に呑まれることを望み、その”弟”の手で現世に送り返された嘆きの島の子どもは、いつか再び愛する者と共に冥府に沈むことを願いながら、時にもう一人の「弟」を通して”弟”に語りかける。
     もちろん、かつてイデアが開放した冥府の扉は固く閉ざされ、強化されたケルベロス・システムが世界最高峰のセキュリティシステムを展開する今、イデアに”弟”と直接会話をする術はない。だが、”弟”の魂を受け継いだ「弟」を通して話しかける時、彼らは確かに冥府に囚われた愛しい存在を感じるのだという。

    「クリオネちゃんも帰ってたの?」
    「うん。自分でアップデートしたシステムの調子が良くないから見て欲しいって、ちょうど頼まれてたしね。ついでに、兄弟三人で久しぶりに話してきたんだ」
    「そっか~、良かったねぇ」

     どうやら、親の前で稚魚のような反応をしてしまった羞恥からは立ち直ったらしいフロイドの喉が、クルルル……と柔らかく鳴る。甘える時の高い音とは違い、少し低いゆったりめのそれは、ウツボの人魚のご機嫌を示す合図だ。
     そうやって僕たちのことを気にかけて、自分のことのように喜んだりするの、こっちとしては本当に堪んないんだけど、なんて少し心をくすぐったくしながら。自分が人魚だったら、今すごく甘えた感じで喉を慣らしてるんだろうなぁ、なんて想像をしたイデアが、柔らかな色彩で瞬くオッドアイを見上げる。

    「次にまた休みが重なったら、嘆きの島に行ってみる?」
    「……いいの?」
    「うん。まあ、いろいろと覚悟は決めたし、あっちのオルトにもちゃんと君を紹介したいから。……一応、両親にも話はつけといたしね」
    「ええっ!」

     これまで「部外者は立ち入り禁止」の一点張りだった番の故郷へのご招待でも十分驚きだというのに、両親への対面――しかも秘密組織の現代表――を仄めかされて、仕事ではヤクザ顔負けの凄みをまき散らす咬魚も流石に少しばかり狼狽えてしまう。

    「親はやめとく?」
    「会う! 会わせてっ!!」

     だが、こちらの親になんとも立派な挨拶をされてしまった以上、なによりもイデアが自分との関係を長期的なものとして考えてくれていると知った以上、せっかくのチャンスを逃すなんてフロイドに出来るはずもない。

    「りょ。みんなのスケジュール合わせるのは大変そうだけど、遅くても年末か年明けには会えるでしょ」

     慌てる自分とは裏腹に、あっけらかんと言い放った番の揺らめく髪へと鼻先を突っ込んで、ウツボの人魚はうぐぐと唸る。

    「オレ、今回の先輩の気持ちスゲーよくわかったわ」

     だってまあ、こういう関係において大事なのは本人たちの意思だと分かってはいても。大事な人の家族には、少なくとも自分の想いが真剣なものであるということぐらいは認められたいと思うのは、自然な欲求というものだろう。
     加えて言うのならば。自分の番がそう思っていてくれたということを、フロイドはつい先ほど身をもって理解してしまったのだから。同じ想いを返そうとするのは、あまりにも当然のことだった。

    「オレもビシっとスーツでキメてこ~っと」
    「それはいいけど、取り立て用のは止めてクレメンス」
    「えー、あそこらへんのが一番金かかってんだけど」
    「それって脅し効果込みのヤツじゃん。僕の両親を脅してどうすんのさ」
    「んーそれもそっか。じゃ~好青年っぽく見えるヤツ、新しくオーダーしとくねぇ」
    「好青年の……フロイド氏……?」
    「すげー困惑した顔すんじゃん。オレだって、好青年風にするぐらいできるっつーの」
    「あくまでも”風”ならね。まあ、堅気を装ってくれるなら僕としては構わないんだけど」
    「残念でしたぁ、これでも立派な堅気でぇす」

     海流の影響をあまり受けない部屋の中。構造も生態もサイズも違う身体を寄せ合いながら、海と陸の恋人たちはくすくすと笑いあう。
     やがて、会話の切れ目に重なり合った唇は。冷たい海底に射し込む光のように、ほんのりと温かく優しかった。
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