Recent Search
    Create an account to bookmark works.
    Sign Up, Sign In

    Kzs

    @IzumiKzs

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 19

    Kzs

    ☆quiet follow

    イドイデ版ワンドロワンライ
    お題:もふもふ、抱きしめてもいいですか、それとこれとは話が別(過去お題)
    CP:フロイデ🦈💀
    捏造設定もりもり!
    遅刻参加&過去お題にて失礼します。
    これまでの企画運営、本当にありがとうございました!

    魚にだってギュッとされたい時がある フロイドが猫になった。
     その衝撃的な一報がイデアに届けられたのは、もう十日も前のことだ。
     指定暴力団オクタヴィネルの取り立て屋として日々業務に勤しむ、ウツボ人魚の双子の片割れ。業務遂行の際にはついうっかり手が出ることも多いフロイドは、当然ながら恨みを買いやすい。今回の事件も、そんな経緯で個人的な恨みを募らせた生徒が、故意に浴びせた魔法薬が原因だった。
     もちろん、加害生徒は既に拘束され今は謹慎中だ。
     恨みを募らせることになった取り立ての際、最終的にボコボコにされたのは彼だったが、最初に手を出したのも彼だという証拠が当然のように残っていたので、相応の処分を受けることになるだろう。あとは薬の効果が切れれば、一先ずは一件落着という運びになるはずだった。
     だが、当初クルーウェルが見立てた効果継続期間の三日を過ぎても、フロイドが元に戻る気配はない。考えられる原因は、すべての元凶でもある魔法薬そのものにあった。
     そもそも件の生徒が作ろうとしたのは、浴びせた相手を肉体的に弱体化させる魔法薬だ。そしてひと口に肉体の弱体化といっても、実現の方法は多岐に渡る。体を一時的に痺れさせる、筋力を著しく低下させる、肉体年齢の幼児化もしくは老体化を引き起こすなど、効果や効力によって必要な素材も錬成の難易度もバラバラだ。当然その多くは、平凡な魔法士見習い学生の手に負えるものではない。
     しかも、彼は錬金術の成績がすこぶる悪かった。
     そのうえ、徹底的に管理された学園内の魔法素材を盗む技量も、外部から買い集める金銭的な余裕もない。ついでに言えば、魔法薬の調合がいかに繊細なものであるかという認識にも欠けていた。
     結果、彼は手に入る素材―—それも、見た目が似てるから代用できるだろう、なんていうとんでもない理由で集めたものがほとんどだった―—を自己解釈した調合レシピにぶちこむという、乱雑すぎる手段に出たのだった。
     普通であれば、それで一定の効果が出る魔法薬が完成することはない。せいぜい投入された複数素材の薬効重ね合わせにより、激しい肌荒れを引き起こす液体が出来るぐらいが関の山だ。料理が苦手な人間による、代用食材と独自のレシピ解釈で作られた料理のほとんどが失敗に終わる―—いわゆる料理の体を成さないメシマズ案件になるのと似ているかもしれない。
     だが、偶然というものは時に恐ろしい力を発揮する。
     今回でいえば、適当に選んだ代用素材が奇跡的に最適な組み合わせと分量で調合されたことと、薬を使った相手が未だに謎の多い魔法生物―—人魚であることが、本来の想定効果からは想像も出来ない結果をもたらしてしまったらしい。
     お陰で、予想外に猫化したフロイドを前に逃げることを忘れた加害生徒は散々噛みつかれ引っかかれ、片割れを探していたジェイドに助けを求めたことで直ぐに拘束されることになったのだが。あまりにも適当に作られた薬の正確な素材名と分量、そして調合工程を彼が覚えているはずもなく。微かに鍋に残っていた薬の成分からクルーウェルが解除薬を作ってはいるものの、対人間とは異なる効果および想定より長い持続時間を発現する成分の特定に難航し、未だに完成の目途は経っていなかったりする。
     そんな訳で、生徒同士の揉め事が多いNRCでは稀によくある騒動の上位版のようなアクシデントによって、泣く子も黙る気分屋ウツボは、ターコイズブルーの毛並みが美しいキュートな獣になってしまったのだった。
     とはいえ、想定外ウェルカムな面白いこと大好き人魚が、これぐらいのことで動じる筈もなく。もともと体躯が大きいからか。一般的な猫より大きめの毛玉となったフロイドは自由気ままに学園内を駆け巡り、そこそこの器物損壊と騒ぎを巻き起こして速攻で御用となった。
     そうして、教師陣に言い含められた兄弟によって強制連行されたオクタヴィネル寮内を爆走し、ついでにモストロラウンジもしっちゃかめっちゃかにした猫フロイドは、騒動を知らず部屋でネトゲーに勤しんでいた恋人――イデア・シュラウドのもとに預けられることになったのだ。
     猫化したとはいえ、フロイドとしての自意識がなくなった訳では無かったので。ネコ科の動物言語は当然マスター済みのイデアにとって、猫フロイドとの意思疎通は当初まったく問題がなかった。
     なので、数日で効果が切れると思っていた最初のうちは頭を地面に擦り付ける勢いで頼み込み、猫化した恋人を思いっきりもふもふするという天国のような体験を満喫していたのだが。三日を過ぎても姿が戻らず、それどころか次第に眠る時間が増え、言語的要素のない鳴き声ばかりあげるようになれば、流石に不安にならざるを得ない。
     一週間が過ぎても優雅に伸びをし毛繕いをする恋人の姿に、このまま猫になってしまうのでは……? という焦りすら出て来た。
     とはいえ、効果が永続する魔法はもはや魔法ではない。それは祝福や呪いと呼ばれる類のものであり、錬金用の鍋で錬成できる魔法薬が持てるような効果ではない。焦って問い詰めたクルーウェルに諭されるまでもなく、己が身に呪いを宿すイデアには、そんなことは分かりきっていた。
     だが、人魚であるフロイドに対して、魔法薬は既に想定外の効能を示しているのだ。次第に猫っぷりに磨きがかかる恋人を見つめる琥珀の瞳の持ち主が、手放しで安心できる筈もない。
     そんなこんなで、もっと人魚の体質について調べておけば良かった、いや今からでも遅くないのでは⁉ とアズールに人体実験的なことを要請したり(本人およびクルーウェルに速やかに却下された)、オルトと集めたデータを基に錬成した魔法薬で短毛の猫フロイドを一時的に長毛種にしてしまったり(効果は数時間ほどで切れた)、圧倒的に猫派の多いイグニハイド寮生をメロメロにさせつつ寮内を駆け回った恋人が壊しまくった機器類の修理に奔走するうちに、あっという間に時間は過ぎていった。
     フロイドが猫になってから、十日目の夜。
     すっかり定位置になったベッド上のクッションに身を預けて丸まり、小さな寝息を立てるターコイズブルーの毛並みを撫でながら、イデアは小さく息を漏らす。
     フロイドがこのまま猫になるとは、流石に思っていない。
     被ってしまった魔法薬の効果が長期に持続しても、そのうちクルーウェルもしくは業を煮やしたアズールが解除薬を用意するだろうと、頭では冷静に判断している。ならばいっそ割り切って、一生に一度の大チャンスのようなもふもふタイムを思う存分に満喫すれば良いのかもしれない。
     けれど、夢のようなもふもふ体験の代償―—自分を見つけて輝く色違いの瞳や屈託のない笑顔、臆面もなく耳元で好きだと囁く声や肋骨の浮いた身体を抱きしめる力強い腕など―—に慣らされてしまったイデアは、その唐突かつ復活時期未定な喪失から目を逸らすことが出来なかった。

    「ねえ、早く戻ってよ」

     日増しに募る寂寥感は、かつて弟を失った時とはまったく違う。あの時のような絶望も悲壮もそこにはない。ただ日常として過ぎてゆく時間がどこか物足りなくて、よれよれになったトレーナーの首周りがスースーするみたいに寂しい。

    「猫たんなフロイド氏をもふもふするのも最高だけど、そろそろ君が拙者を抱きしめるターンだと思うんだよね」

     こんな陰キャ引きヲタに、三次元対象の恋愛脳を植え付けた罪は重いのだ。だから早く人間の姿に戻って、もふもふの対極みたいなガリヒョロ人間を抱きしめてほしい。
     付き合い始めて数か月。フロイド氏に抱きしめられるのは嫌いじゃないかも、ぐらいの感覚でいたというのに。こんな自分を包み込んでくれるぬくもりへの欲求を今更ながらに認識したイエローアンバーが、拗ねたような光を湛える。

    「早くいつもの君に戻って」

     時おりぴるぴると揺れる三角の耳にそっと口づけて、すぅっと息を吸う。最近はオルトの監視のもとで外にも出かけているからか。土とか草とか陽の光とかを感じさせる獣の匂いは、猫吸いを愛するイデアにとってご褒美に他ならない。
     それでもやっぱり、今の自分には少し物足りないかもしれない、なんて思いながら。自慢のガジェット類が立てる電子音に包まれた場所で、小さな毛玉と化した恋人をイデアはただぼんやりと眺めていた。 



     ◆ ◆ ◆


    「だ、抱きしめてもよろしいでしょうか……?」

     特定の状況下において、自分の恋人が頻繁に口にする言葉。フロイドは、この言葉を耳にするのが嫌いだった。
     デレデレと緩み切った声と紅潮した頬を向ける先が、自分であれば文句はない。しかし、ツナ缶を恭しく差し出す番の視線の先にいるのは、決まってフロイドがアザラシちゃんというあだ名で呼ぶ毛むくじゃらの獣だった。
     高級ツナ缶という、本人にとっては痛くも痒くもない対価を払って、嫌な顔をされながらも嬉しそうにグリムを抱き上げる恋人―—イデア・シュラウドは、蕩けきった瞳で白い頬に満面の笑みを浮かべている。自分以外に向けられる番のそんな表情を見るのが、ウツボの人魚は大嫌いだった。
     あんなに嫌がられてるんだし、あの魔獣より恋人の自分を相手にすればいい、と主張したことも一度や二度ではない。だがその度に、「でも君はもふもふじゃないし」と一刀両断された。
     だから、授業をサボってしていた昼寝中に変な液体を浴びせられて猫化し、ブチギレるままに爪と牙でイキった雑魚をボコボコにした後でまず思ったのは、「オレって今もふもふじゃん」だったりする。
     予想していた通り、猫になった自分に対するイデアの反応は上々だった。
     もちろん最初のうちは状況に困惑し、次に薬の効果や持続時間を懸念して心配してくれたのだが。心身を蝕むような有害性はないこと、効果は数日だろうという錬金術教師の予測を確認してからは、これはむしろチャンスだと認識したらしい。
     結果。

    「フ、フロイド氏。えっとその、だ、抱きしめてもよいでしょうか……?」

     もふもふを前にすると挙動不審になる、と自ら申告していた通り。もじもじと両手を胸の前で合わせて頬を紅潮させた恋人が、ようやく自分に向けたお伺いに対して、フロイドはにゃおんと上機嫌で返事をしたのだった。
     大好きな人に毛並みを撫でられるのは気持ちが良いし、抱きしめられるのも大いに嬉しい。本能的にペロペロと毛繕いをするうちに、番の言うもふもふへの理解も多少は深まった気がする。とはいえ、肉体が変化すると感覚にも影響があるのは当然なので。こちらが気乗りしない時に執拗に構われるのは単純に鬱陶しかったし、腹に顔をくっつけてふごふごと吸われるのは数十秒が限界だった。
     猫になって初めてグリムのあの嫌そうな顔やイデアから逃げ出す猫たちの気持ちを心から理解したフロイドの、いつも以上に気まぐれな態度を、それでもイデアはデレデレの態度で許容した。
     ゲームや作業中にすり寄っても、そちらを中断して相手をしてくれる。頭を撫でたり優しく抱きしめたり、人間だった時には自分からする一方だったスキンシップが、当たり前のように与えられる。しかも、恋人はこれ以上ないぐらい幸せそうな笑みを浮かべているのだ。
     なら、このまま猫でいる方がいーのかも。
     番の膝の上で丸まりながら、小さくなった脳みそでそんな風に思ってしまったからなのか。フロイドの猫化は、クルーウェルが想定した効果の持続日数が過ぎても解けることはなかった。
     慌てる人間たちを横目に、フロイドは事態をすんなりと受け入れた。猫としてイデアに構われる心地よさを知った身としては、むしろ歓迎したと言っても良い。だが、フロイドの思惑とは裏腹に、彼の番は状況に困惑し心配し焦っているようだった。
     次第に濃くなってゆく目の下のクマに、こんな姿が見たいんじゃないんだけど、と猫化したフロイドは思う。だから、またデレデレとした笑みを見せてくれるんじゃないかと期待して、にょおんと毛に覆われた体を擦り付けてみる。けれど、毛玉を撫でる冷たい指先は相変わらず優しいのに、揺らめく青を纏う人の表情が晴れることはなかった。
     そのことに苛立ちともどかしさを感じながらも、猫と化した肉体を支配する微睡みへの欲求には勝てず。イデアがどこかから引っ張り出してきたクッションの上で、一日の大半を寝て過ごすようになっていたある日の夜。
     フロイドは唐突に、やけにすっきりとした気分で目を覚ました。
     猫になった影響なのか、それとも単純に薬の影響なのか。
     ここ数日、やたらふわふわとしていた思考がクリアになり、常に体を覆っていた眠気が消え去っているのを感じる。
     寝落ちすることの多い兄を思ってオルトが設計したプログラムにより、部屋の主の状態に合わせ自動で光度を落とした照明の下。呪いの証だという青い炎の髪が、ゆらゆらと揺らめいている。猫には非常に魅惑的なその動きにも、今はそれほど心を揺さぶられなかった。
     猫となった自分を眺めているうちに、眠ってしまったのだろうか。不自然な格好で寝息を立てる恋人の顔には、疲労の色が濃かった。
     自分を元に戻すため、勤勉の精神を冠するイグニハイド寮長が極限まで睡眠を削り試行錯誤しているのは、フロイドも知っている。猫のままでも良いかと思う気持ちは別にして、番の心遣いは素直に嬉しい。
     だが、自分と付き合いはじめ、主に食事と睡眠面における健康チェックを受けるようになってからは多少マシになっていた目の下のクマがすっかり復活しているのは、正直かなり不満だった。

    「うう……」

     夢の中でも頭を悩ませているのか。うんうんと唸るカサついた唇の端を、血色の悪い白い頬を、青い睫毛が影を落とす目元をざらつく小さな舌でサリサリと舐める。くすぐったそうに身じろぎした恋人の、眉間に寄ったシワがゆるゆると解れてゆく。
     夢の中にも毛玉が現れたのか。少しばかり緩んだ頬に浮かんだ笑みは、それでもどこか寂しそうに見える。
     こういう時はオレがぎゅーって抱きしめて、温めてやんないと。
     ごく自然にそう思ったところで、今の自分には不可能だという当たり前の事実にフロイドは気がついた。薄闇においてもキラリと輝く小さなオッドアイで、どう頑張っても目の前の身体を抱きしめることは出来ないだろう、毛むくじゃらな前足をまじまじと見つめる。
     そうして、改めて己の現状を振り返った。
     他人の意思による強制的な変化だったことには最高にムカついたが、猫になったことについてフロイドはこれまで特に不満がなかった。人魚とも人間とも違う小さな体で感じる世界は面白かったし、気乗りのしない授業に出る必要もモストロで働く必要もない生活は、毎日がスクールホリデーのようなものだ。なにより、グリムやルチウスを筆頭とした毛むくじゃらにイデアが向ける甘ったるい声やデレデレとした表情が、自分に向けられるのはとても気分が良かった。
     二人が付き合い始めて、三か月と少し。
     人魚は確かにもふもふしていないが、それでも飼ってもいない毛玉より恋人の魚類を積極的に構うべきだと言うフロイドの主張は、今のところあまり効果が上がっていない。
     とはいえ、別に蔑ろにされている訳でもない。
     こちらから言い寄り強引に始まった交際だが、自分が望めば大抵の行為を―—それこそオス同士の生殖行為すら年上の恋人は受け入れてくれる。ならば、それで満足するべきなのかもしれない、あまりしつこくすると嫌われるかもしれないと、ウツボ特有の臆病さをこっそり発揮したフロイドが状況に甘んじていただけだ。
     それでも、キスもハグも自分からする一方だという事実に、多少の不満と寂しさを感じていたのも確かなので。だからこそ、イデアから積極的に構ってもらえる理由――猫化の解消を、特に望んではいなかったのだが。
     ここにきて、早く人間形態に戻りたい、と強く願う事態に直面することになってしまった。
     愛玩の対象としてでも、恋人に撫でられ抱きしめられるのは嬉しい。猫の身には心地よい、ふわふわとした微睡みの狭間で思う存分に愛でられる時間を、自ら手放したいとも思わない。
     けれど、自分のために疲労の色を濃くした恋人を抱きしめられない現実がその代償であるのなら、この変化はもはや不要だった。
     自分だって恋人に、番に抱きしめられたいと思う。それでも、抱きしめるか抱きしめられるかのどちらかを選ぶなら、フロイドは抱きしめる方でいたいと思う。ひょろりと心もとない身体を腕の中に閉じ込めて、甘やかして可愛がって少しだけイジメたりしたいのだ。
     だというのに、思ってもそれを実行に移せない今の自分が、そんな状況に置かれていることが、フロイドは唐突に腹立たしくなった。
     苛立ちに任せて暴れたくもなったが、疲れて眠る番を起こしてしまう可能性を考え、辛うじて衝動を抑え込む。外に行くことも一瞬考えたが、再びうなされ出したイデアを放っておく気にはなれなかった。
     なので、代案としてフロイドはうつ伏せ気味に寝るイデアの腰のあたりにどかりと座り込んだ。そうして、重苦しさに寝返りを打った隙を見計らい、厚みのない胸元にするりと潜り込む。

    「ふあふあ……」

     睡眠下でも、腕の中の存在に気づいたのか。細い腕にぎゅむっと遠慮なく抱きしめられて、反射的にぶわりと膨らんだ尻尾をなんとか落ち着かせる。すりすりと寄せられた頬を舐める度に、小難しそうなしかめ面が少しずつ和らいでいった。
     夢を見ているのか、もし見ていたとしてもその内容までは分からないが、今のイデアは少しだけ幸せそうだ。だがもし猫のままの自分を目にすれば、再び表情を曇らせてしまうだろう。
     なので、万が一にも起こさないよう細心の注意を払いながら、フロイドは小さい舌ともふもふの毛並みでイデアを労う。
     自分が苦しくない程度になんとか調整した、ふわりとした抱擁の中。青い唇に笑みを浮かべる番に安心したターコイズブルーの毛玉が、くわりとあくびをする。そうして長い尻尾で痩せた身体を撫でるうち、いつしかフロイドも眠りの世界に落ちていった。



     ◇ ◇ ◇


     イデアは夢を見ていた。
     自分が小さくなったのか、それとも世の猫たちが巨大化してしまったのか。大きなもふもふたちに囲まれ、良い匂いのする毛玉に身体ごと埋まりもふもふを全身全霊で堪能する。自他ともに認める猫好きの天才は、そんな夢の中にいた。
     だが、もふもふパラダイス最高でござる! と叫びたくなるような、天国の疑似体験のような夢は、残念ながら長くは続かなかった。

    「う、うう……?」

     頬を押し付けていたもふもふが、次第に弾力と硬度を増してゆく。厚みのあるゴムのような感触は、ここ最近になって触れる機会が増えた人間の筋肉のようだ。などと思った途端、ふわふわだった毛玉たちが急速にムキムキになってゆく。恐ろし過ぎる光景に、動悸が一気に激しくなった。
     あ、暑苦しいムキムキは嫌でござる! 拙者のもふもふ天国を返してくだされ……!
     そう夢の中で絶叫したところで、イデアは目を覚ました。
     電子音で満たされた空間に、はぁはぁと荒い呼吸音が響く。自室のベッドにいることは、感覚的にすぐに分かった。ついで、夢が悪夢に変化したその理由も知る。
     己を包み込む、筋肉質なぬくもり。抱きこまれているため顔は確認できないが、寝ている自分をこんな風に抱きしめる人物はひとりしかいない。
     なんだ、フロイド氏か。
     未だに慣れたとは言い難いが、確かに馴染みつつある朝のワンシーンに安堵したイデアは再び目を閉じる。

    「………」

     そうして、その数秒後。

    「えっ、フロイド氏⁉ ふぐっ」

     事の重大性に気づいた異端の天才は、勢い良く起き上がろうとして見事に失敗してしまった。失敗の原因は、背中から腰にかけてがっしりと回された、屈強な二本の腕だ。

    「おはよ〜、ホタルイカ先輩」

     ここ数日、焦がれ続けていた甘い声が降ってくる。聞き間違えようのない声音に、落ち着いていた鼓動が再び速くなった。
     自分の頭に顎を乗せているらしい人魚を己の目で確かめようと、イデアはなけなしの筋力を総動員する。だが当然、ガリヒョロもやしが抗える相手ではない。強すぎる抱擁が解かれたのは結局、もがもがと足掻く番の姿にウツボが満足してからだった。

    「いつ戻ったの?」

     ようやく解放されたイデアは、十日ぶりに人型に戻った恋人へと手を伸ばす。寝起きの指先で触れたぬくもりは、猫だった時よりもわずかに低い。それでも、白い手のひらに寄せられた唇とその隙間から覗く舌は、思わず目を逸らすぐらいには熱かった。

    「オレもよくわかんねーけど、寝てる間に戻ったみたい」
    「なら、やっと薬の効果が切れたってことかな」
    「そうなんじゃねーの?」

     とにかく現状を把握しようと、イデアはその後も頭に浮かんだ疑問をとつとつとぶつけてゆく。対するフロイドは、もはや猫化のことなどどうでもいい、といった様子だ。
     ふああ~と大きなあくびをした人魚の口腔に、見慣れたギザ歯がぎらりと光る。イエローアンバーで捉えたそんな光景に、本当に戻ったんだという安堵がぶわりと湧いてきた。

    「まだ不明瞭な点も多いけど、無事に効果が切れて良かったよ。大丈夫だろうとは思ってたけど、もし戻らなかったらどうしようって、多少は心配もしてたから」
    「多少って、目の下にそんなクマが出来るぐらい?」
    「……そうだよ、こんなクマが出来るぐらいだよ。仕方ないでしょ、レシピのわからない魔法薬なんて下手な毒薬より厄介だし、君は変身薬で人間化した人魚だし。流石に予測不能な要素が多すぎましたわ」
    「全面的にオレのせいじゃねーけど、心配かけたのはゴメン。でも、オレ的にはちょうど良いタイミングで戻ったかも」
    「? と、言いますと?」
    「オレが猫になってから、ホタルイカ先輩めちゃくちゃ撫でたり抱きしめたりしてくれたじゃん? しかも、スゲー嬉しそうな顔で。だから、しばらくこのままでもいっかな~、って感じだったんだけど。やっぱこのままじゃオレが先輩を抱きしめらんないって昨日気づいて、早く戻りてーって思いながら寝たら戻ったから、ナイスタイミングじゃん~! って」
    「……つまり、昨日までは戻りたいって思ってなかったってこと?」
    「そーいうこと。つっても、別に戻りたくないって思ってたワケじゃねぇけど。猫でいんのも結構楽しいし、先輩に構われるのもデレデレしてる先輩見んのも嬉しかったから、特に戻りたいって思わなかっただけ」

     フロイドの率直な言葉に、なるほど、とイデアは思う。
     魔法薬の効果の程度が、服用者の魔力や意思によって変化するのは往々にしてあることだ。同じ治療薬でも魔力の強い者が服用すれば治癒効果は高くなるし、毒性を付与された魔法薬を投与されても魔力抵抗により効き目は薄くなる。逆に、もし自ら望んで毒性の魔法薬を服用すれば、彼自身の魔力によって毒の効果は高められることになる。
     魔力とは、イマジネーションを具現化するためのエネルギーだ。ならば、服用者の意思が魔法薬の効果に影響を与えるのは当然とも言える。
     この前提は、魔法薬の一種である変身薬でも変わらない。そして、自らの意図に反して摂取した得体の知れない魔法薬や変身薬に対しては、効力に抵抗し発現効果の早期終了を望むのが一般的な反応だ。
     なので今回も、クルーウェルやイデアは当然のようにフロイドが不慮の猫化の解消を望んでいるという前提で動いていたのだが。当の本人が猫化を全面的かつ好意的に受け入れていたとなれば、話は違ってくる。
     効果が切れると推測されたタイミングから逆に猫化が進んだように思えたのも、状況を好ましく感じていたフロイドが無意識に効果の継続を試み、魔力を消費していたと考えれば納得できなくもない。  
     もちろん、一介の魔法士見習いには難しい芸当だ。しかし、生物学上の分類が魔法生物であり魔力による肉体変化への適応の高い人魚であれば、あり得ない話でもなかった。
     多くの可能性を考慮しながら質問を重ね、フロイドから得た答えを繋ぎ合わせてひとつの推論を導き出したイデアは、ようやく思考をひと段落させる。そうして、こちらを邪魔することなく素直に問いに答えながら、自分の頭やら背中やらを撫でていた恋人に再び意識を向けた。

    「ホタルイカ先輩、考えごとは終わった?」
    「う、うん、大体は」
    「大体って? まだなんかあんの?」
    「最後にちょっと、フロイド氏に確認したいことがあるっていうか」
    「ふーん、なぁに?」

     猫だった時とはまったく違う、強い感情の揺らめきを乗せたオッドアイに見つめられ、イデアは頬に熱が集中するのが分かった。
     先ほどまでの質問は、魔法薬の効能や効果解除の要因について推測するためのものだったけれど。淀みなく返って来た答えから見えた恋人の望みをただ聞き流して終わりにするのは、今のイデアには出来そうもない。

    「その、違ってたらはっきり否定してほしいんだけど。君が長期的に猫でいてもいいと思ったのは、拙者に撫でられたり抱きしめられたりするのが嬉しかったからなの?」
    「そーだよ。ホタルイカ先輩、いっつもアザラシちゃんとかそこら辺の毛玉にばっか構ってデレデレして、オレのことは撫でたりぎゅってしたりしねぇんだもん。だけど猫のオレにはめちゃくちゃ構うし、先輩も幸せそうだし、だったらこのままでいっかな〜ってなるじゃん?」
    「そ、そうなんだ……」

     なんというか、心情的にこれは完全に寝耳に水だった。
     最初、別に猫から戻らなくても良いと思っていたとフロイドから聞いた時は、こっちは心配していたのに! と憤慨したりもしたのだが。そう思った経緯を知ってしまったら、それどころでは無くなってしまった。
     つまりこの完全陽キャのつよつよ人魚は、陰キャ引きオタ代表みたいな自分の関心がグリムや猫たちに向くのが気に食わない程度には、彼らと同じように構われたい―—つまり撫でたり抱きしめられたりしたいという意味で―—、と思っているらしい。
     思い返せば、確かにフロイドは恋人である自分に構うべきだと主張していた気がする。だがそれは、単純にもっと彼に時間を割くようにしろ、という意味だと思っていたのだ。なので、日々ソシャゲやネトゲ、様々な研究開発に忙しいイデアにしてはかなり譲歩して、いわゆる恋人の時間というものを取っていたつもりだったのだが。
     まさか、時間配分の比較対象として挙げているのだと思っていたグリムや猫たちに自分がしていた行為――もふもふを堪能するため撫でたり抱きしめたりしたうえ、でれっでれの表情を見せつけるというある種の蛮行――をフロイドが望んでいたとは、夢にも思っていなかった。
     なにがツボに入ってしまったのか。
     深海特有の謎センスでこちらを気に入ったらしいウツボに目を付けられ、流されるように番にされてから早数か月。好き放題にこちらを翻弄する気まぐれ人魚の予想外な一面に、イデアは心臓のあたりがもそもそと擽られるような感覚がした。

    「フロイド氏はそういう……自分が撫でられたり抱きしめられたりするのは、好きじゃないと思ってた」
    「えっ、なんで⁉」
    「だ、だって、いつも絞めるだのなんだの言ってて締められるのは嫌いそうだし、世話を焼くジェイド氏に稚魚扱いすんなってキレ気味に言ってるのも何度か聞いたことあるし」
    「は⁉ なにそれマジで言ってんの⁉ 絞めると抱きしめるじゃ全然意味ちげーし、番に抱きしめられるのがイヤなワケねぇし、恋人に甘やかされんのとジェイドが面白がってする稚魚扱いも完っ全に別モンじゃん!」
    「……そ、そういうもんなの?」
    「そーいうもんなの! だから、これからはもっとちゃんとオレのこと可愛がってよ」

     狭いベッドの上。
     フロイドが実は全裸なことに気づいてから―—猫から戻ったばかりなので当然といえば当然だが―—じりじりと離していた距離をズイッと詰められ、イデアは視線を泳がせる。
     猫化していた際に、散々もふり倒して愛でてしまった影響もあるのか。甘えるように言い募る恋人に今さらノーを突きつけるのは、ひどく困難なように感じられた。
     アクシデントによる恋人の猫化から、なんでこんなことになっているのだろうか、と思わないではないものの。人間体のフロイドを自分から抱きしめるという、今までしたことのない行為に己がなにを感じるのか、若干の興味が湧いてきてしまったのも事実なので。

    「えーっと、じゃあ、抱きしめてもいいでしょうか……?」

     おずおずとした問いに返って来た満面の笑みを了承と捉え、イデアは上半身をよいしょと起こして手を伸ばす。そうして、やっぱり猫だった時にやってたみたいな感じがいいのだろうかと、モデルみたいに小さな頭を抱えるように抱きしめた。
     腕の中に抱き込んださらさらのターコイズブルーからは、毛玉だった時とは違う匂いがする。あちらの猫っぽい匂いも大好きだったが、こっちはこっちでなんだか落ち着くかもしれない。そんなことを考えながらよしよしと頭を撫でていたら、ふいに視界が反転した。
     ゴロンと転がされたベッドから、いつもよりふわふわした表情でこちらを見下ろすイケメンをイデアは見上げる。
     先ほど慌てて巻きつけたブランケットがはだけかけているのは、状況的に大変よろしくないものの。幼さすら感じる、どこか照れたような笑顔には、兄心的なものがきゅうっと締め付けられるような気がした。

    「やっぱオレ、抱きしめられるのも抱きしめるのも、どっちもすごく好きみたい」

     そう言って覆いかぶさって来た恋人の、人間化の方の変身薬効果が切れ始めるまでの数十分間。もう遠慮はしなくていいかと思ったらしい恋人に、彼が望む番の甘やかし方を実践で教え込まれたイグニハイド寮長が新たな扉を開いてしまったのは、また別のお話である。


    Tap to full screen .Repost is prohibited
    ❤❤❤❤❤❤❤😭👏❤💗💗💯💗💗💗💗💗💘👏😭❤❤
    Let's send reactions!
    Replies from the creator