きっと俺は、どうしようもない恋をしている きっと俺は、どうしようもない恋をしている。
きっかけは、今隣で眠っている憎き男――太宰治だった。彼奴に突然「大嫌い。だけど好き」だなんて妙な告白をされたものだから、俺は悶々とその言葉の意味を考えさせられる羽目になった。太宰に真意を聞こうとしたものの、俺が引き止める前に遠くに去っていたし、暫くは携帯端末で連絡も取れなかった。1ヶ月程経ってやっと、俺は太宰と会うことができたのだ。その時太宰は、また俺の部屋に忍び込んで秘蔵ワインを物色していた。
「おい」
「おかえり、中也。今日はどれ飲む?」
「何度もこのやり取りをしているが、ここは俺の家だ。手前なんかに決定権はねェぞ」
そう、この時既に、太宰は毎晩俺の部屋に忍び込み、ワインや食事をたかるようになっていたのだ。俺は奴が手に持っている銘柄をちらりと見た。楽しみに取っておいてある、高級ワインだった。
「これはまだ飲まねェ」
「じゃあ、これならいい?」
太宰がワインセラーの棚から出したのは、普段飲んでいるワインだった。値段も程々で、毎日楽しむ分にも飽きない。高級ワインの特別感を楽しむのも好きだが、これはこれで良い。仕方ない、これならいいか。
「それならいいぜ」
「今日のごはんは?」
「サーモンのクリームパスタだ」
「美味しそう。早く作ってよ」
太宰が家に襲来する頻度が高すぎて、もう追い出すのも面倒になっている今日この頃だ。下手に動けば秘蔵ワインが数本、知らぬ間に消える。経験済みだ。それなら彼奴と食事をする方がマシなんだと、俺は常に自分に言い聞かせている。
「作るから、テレビでも見て待っとけ」
「はーい」
俺は部屋着に着替えてエプロンをつけ、夕食を作り始めた。
「わーい、いただきます」
「つーか手前、俺の家ばっか来ないで自炊しろよな」
俺も手を合わせて夕食を食べ始める。自画自賛ではあるが、なかなかに美味いと思う。
「君の家に行った方が早いもの。料理は美味しいよね、中也」
ドレッシングまで手作りしたサラダを食べながら、太宰は云った。
「あっそ。毎日来るなら食費くらい払っていけ」
「い・や。中也、マフィア幹部なんだからお金いっぱいあるでしょ?」
「手前こそ、幹部時代にたんまり稼いだ金があるだろうが」
恐らく、太宰の方が俺より金を貰っていたと思う。首領直属の部下だったのだから。
「あのお金さぁ、確かに残っているんだけどね、私ってほら、モテるからさ」
太宰は知らぬ間にワインの栓を開けて飲み始めていた。ワイングラスを片手に持っているだけで何故か様になる。ムカツクほどに。
「これだから女の敵は」
つまり、あの時稼いだ金は心中するための女性を探し、念願を叶えるための金ってわけか。稼いだ金をどう使うかは自由だと思うが、相手を巻き込んで、しかもそれが死を誘うものだとするなら迷惑極まりないと思う。太宰と付き合う女は最初、心中する気がまったくないのが常だった。太宰といるうちに段々彼奴の色に染められていくのだ。知らないうちに心中する気になっており、何度俺が救助してやったことか。最初は罵倒されたり喚かれたり泣かれたりするが、冷静に客観的事実をつきつけてやると、一気に自分がしようとしていたことに気付く。青ざめてそれ以来太宰と連絡を取らなくなる女もいれば、恨みを抱いて太宰を襲いに来る女もいた。
「君が毎回止めに来るから、私は一向に死ねないじゃないか。いい感じに仕上がっているのに」
「手前に唆されて死ぬんじゃ、可哀想だろ」
「はぁ。だから君のことは大嫌いだけど好きなんじゃないか」
「は?」
そうだそれだ。俺は太宰が言ったこの言葉によって、心底モヤモヤしていたのだ。やっと太宰が俺の家に来たので、このことについて聞こうと思っていた。
「君は、私のこと嫌いなんだよね」
「大嫌いに決まってるだろ」
「うん、知ってる。私もそうだ。じゃあ、今からそれに、『好き』という感情を伴わせてあげよう」
一体何が始まるんだ。ただ、何となく嫌な予感はしていた。
「ギルドの化物と戦った時、君は何故汚濁を使ったのかな?」
俺が黙っていると、太宰は勝手に喋りだした。
「……手前が『汚濁しか手がない』と云うなら、本当にそれしか手がないからだ」
「君は私を疑わないのかい?」
「経験上、手前が立てた作戦は信用しているぜ。癪だけど」
「君は、私を疑うことを覚えた方がいいよ。過去に遡るけどギーヴルの時、私は君が拒むことも考えていたからね。その上で、君に選択肢を与えた」
「あの時俺が拒んでも、どうにかなったってことか」
俺はあの時、死ぬほど自分の正体を知りたかった。それができなくなると、太宰は教えてくれた。そのことを教えない方が、作戦の成功率は上がっただろうに。あの作戦の意味を理解できていなかった俺を犠牲にして、そのまま何も説明せずに作戦を実行することは可能だったはずだ。あの時の太宰の判断に、選ばせてくれたことに、俺は感謝している。だからこそ俺はあれ以来、太宰の作戦を信用することにしているのだ。
「その通り。確率としては掛けの部分が多くなるけれど。でも、最終的にどうにかなる作戦を私は別で考えていた」
「ギルドの時もそうだって云いてェんだな?」
「うん。まァ、作戦の成功確率が高い方を優先するから汚濁を使うって案を私は提示しただけだよ」
「それで?」
俺は太宰を促した。いまいち何を云いたいのか、まだ見えてこない。
「君が汚濁で掛けるのは命だ。いくら任務とはいえ、君は命を簡単に捨てようとしすぎじゃあないかい?」
「手前が云えることではねェだろ。死にたがりのくせに」
「だからね、君が抱いているのは私に対しての好意なのだよ」
「何だって?」
「それほど私を信じてくれているから、君は命を掛けようって思える。違うかい?」
「俺が信用しているのは、手前の『作戦』だ。手前自身じゃねェ」
「でも、それを作るのは他ならぬ私だよ。私が作戦の中で君を殺そうと思えば、いつだってできたんだ。君とはとても考えや感性が合わない。確信しているよ、一生合わないって。大嫌いだ。君の行動は、いちいち私を苛立たせる。……そんな私が作戦で君を殺そうとしなかったのは、君に好意を抱いているからなのさ」
「なんだ、それ」
なんだそれと云っておきながら、俺は太宰が云ったことを理解しつつあった。
「私の方が聞きたいよ。嫌いだけど好きだなんて。気持ち悪いにも程がある。まだ納得しきれてなさそうだから、もう少しお話してあげよう」
太宰はすっかり空になったグラスにワインを注ぎ、一口飲んだ。
「今度はもう少しフランクな話をしよう。君はさ、私の侵入をずっと許しているよね。これは、私のことが好きだからではないのかい?」
「んなわけ……ねェだろ」
ここは即答すべき所だったが、詰まってしまった。即答できないということは、太宰が云う通り太宰に対して好意も抱いていることになる。
「ふふ、分かってきたみたいだね? なんだかんだ云っても、君はいつもご飯を作ってくれるし晩酌も付き合ってくれる」
太宰と食事を共にするのは、嫌いではなかった。1人で作った食事も悪くはないが、自分が作った料理を美味しそうに食べている姿を見るのが……好きなのだ。
「冷蔵庫の食材や食器も、ちゃっかり2人分あるしね。なんなら私が好きな日本酒も買ってある」
あまりに太宰が毎日来るものだから、2人分準備してあるのだ。
「準備しているのは確実に私の分だ。君はマフィアの同僚と飲む時は家に呼ばないで店に行くだろう? 君は自分の部屋に、同僚を呼んだりはしない」
俺の反論を読んで、太宰が先に云った。反論なんて、できそうにない。何故なら俺も、「大嫌いだけど好き」という妙な感情の正体がわかってしまったから。そして、太宰がその感情を理解させようとしたのは、間違いなく嫌がらせだ。
「……ったく。とんでもねェ嫌がらせだな」
「私だけがモヤモヤするのも嫌だったからねぇ」
「で、どうすればいいんだ?」
「とりあえず、ふたりで寝てみる?」
「ハァ? 手前とヤるのか? 本気か手前」
「いやいや中也、思考が飛躍しすぎ。そんなに私のことが好きなの?」
自分では全く気付いていなかったが、こう云われてみると、思考が飛躍する程度には太宰のことが好きで、そして、やっぱり嫌いなのかもしれない。
「やっぱ手前、死なす!」
「あははっ、やっぱり君はそうでなくっちゃ。でもね、この気持ちに気付いてから、なんだか怒った顔も可愛いって思うようになっちゃったんだよねぇ」
「キモい」
「うん、分かってる。自分でもヤバいと思ってる」
「俺は、手前と心中なんてしねェからな」
ぼんやり太宰の女のことを思い出して、俺は云った。
「大丈夫、私も君と心中なんかしたくないから」
「……それ、逆にヤバくね?」
太宰と付き合っていた女は、俺が別れさせていた。その役目が居ないということは、俺は太宰と、もしかしたら死ぬまで一緒なのかもしれない。
「あぁ、成程。まぁ、ぼちぼち行こうよ。中也、このモヤモヤとした『恋』に乾杯」
「……乾杯」
どこか投げやりな気持ちと、腹を括りたい気持ちと、今はとても複雑な気分だ。
――俺たちはきっと、どうしようもない恋をしている。