ホワイトデー 太宰は中也と一緒に、自宅に帰ってきた。慣れた手つきで解錠し、ドアを開け、部屋の中に中也を招いた。
「ここが、今の私の部屋だよ。奥が居室になってる」
「邪魔するぜ」
ふたりは奥の部屋に向かう。小ぢんまりとした玄関を通り過ぎてすぐ右にはキッチン、左にはトイレと浴室がある。キッチンと和室を区切る、昔ながらのガラス戸を開けると、6畳程のスペースと押入れが現れた。
「社員寮って、和室なんだな」
「そうだね。ポートマフィアと違って、探偵社員寮は和室だからね。荷物は適当に置いていいよ」
室内には電気カーペットが敷いてあり、その上に円卓と座布団がある。3月と云ってもまだ冬を感じる時期なので、しっかり暖房もついていた。中也は荷物を部屋の隅に置くと、早速座布団に座った。久しぶりの感覚だ。
「相変わらず殺風景だな。テレビも無いのかよ」
「ノートパソコンはあるから別に要らないんだよね。あんまりニュースに興味はないし。いや、でも、コンテナの時よりは随分マシでしょ?」
「まぁな。で、これどうする? 温めるか」
中也は円卓の上に、チェーン店で買ったフライドチキンが入った袋を乗せた。
「折角だしトースターで少し焼いてみようか。時間経っちゃったしさ」
太宰がキッチンに行こうとすると、中也も「手伝うぜ」と云って太宰について行った。
♡♡♡
「これ、新品か?」
中也はトースターを一目見て云った。使った形跡が、まるでないのだ。
「うん。今日が使うの初めてなんだよね」
「今日のために買ったのか?」
「まァ、そんなとこ」
「わざわざ……、ありがとな」
「気にしないでよ、そんなこと。中也が私の部屋に来たいって云ってくれたからさ、もう少し整えておこうと思ったまでだよ」
今日はホワイトデーだ。太宰は中也に、バレンタインデーのお返しに何が欲しいのかを聞いていた。中也の好みは趣味が合わずとも分かるので、サプライズで何か贈っても良かったかもしれない。しかし、今の中也はポートマフィアの幹部で、ある程度高額なモノでも購入できる。物質的な何かを贈って、喜んでもらえるのか分からなかった。それで、直接聞いてみることにしたのだ。中也は「太宰の部屋に行きたい」と云った。最終的に「フライドチキンでも買って食事をしよう」と云うことになり、今日を迎えた。
「油すごそうだし、クッキングシート使おう」
「これも新品だな」
フライドチキンを食べることは決まっていたので、これも太宰が今日のために購入していたモノだった。
「そりゃそうでしょ。基本的に自炊はしないからね、私」
ふたりでクッキングシートの上にチキンを乗せ、トースターで焼き始める。
「なぁ、棚の中見てもいいか?」
わざわざトースターを購入しなければなない程、太宰の部屋は中也の家程設備が整っていない。それを察した中也は、太宰の生活環境が気になってきたのだ。
「いいよ」
太宰はトースターの中にあるチキンの焼き加減を見ながら返事をした。
「おい、スッカスカじゃねぇか」
中也の予想通り、棚の中には殆ど中身が入っていなかった。あるのは必要最低限の食器とラップだけだ。
「自炊してないんだから仕方ないじゃない」
「冷蔵庫は?」
太宰の返事を待たず、中也は冷蔵庫を開けた。やはり、中身は殆ど空だった。飲料水とビールしか入っていない。
「調味料すらないのかよ」
「外食するかコンビニかスーパーで買うかしかしてないんだからこうなるよ」
「お前なぁ……」
呆れた様子の中也を余所に、太宰は突如提案した。
「じゃあ、中也が作ってよ」
「俺が?」
「君のことだから、どうせ栄養バランスが良くないって心配してくれているんでしょ?」
「そうだけどよ。……考えとく」
「うん、そうしなよ。チキン、いい感じに焼けたよ」
「お。美味そう」
「ポテトも焼いてみよう」
こうしてふたりはフライドポテトも焼き始めた。
♡♡♡
「「いただきます」」
香ばしい肉のにおいが部屋を満たしている。フライドポテトもカリッと仕上がった。早速ふたりは晩ごはんを食べ始める。
「そうだ、ビール持ってくる。飲むでしょ?」
太宰がフライドポテトを一本つまんだ所で酒がないことに気付いた。何となく、中也がいつも好んで飲んでいるワインでも太宰が好きな日本酒でもなく、ビールの気分だった。幸いビールならば冷蔵庫にある。
「おう。頼む」
「じゃ、持ってくるね」
太宰はキッチンに行くと、箱からマグカップを取り出した。初めて使うので台所用洗剤で洗い、すぐにキッチンペーパーで拭く。そして、ビールと共に居室へ運ぶ。
「お待たせ〜」
「サンキュ……っておい、これは」
盆に乗せられたビールと共に中也の目に飛び込んだのはマグカップだ。しかも、先月自分が買ってしまったハートのマグカップと全く同じモノだった。
「いやぁ、家でご飯食べるだけって云うのも味気ない気がしてさ。買ってみた」
太宰は中也の反応を気にせず、マグカップにビールを注ぐ。
「これで飲むのかよ!」
「だって、そんなにカップ要らないしさ。飲めればいいでしょ。あ、心配しなくて大丈夫だよ。これは中也と一緒の時しか使わないから」
「お、おう」
「あと、忘れないうちに渡しておくよ。これ鍵ね」
「はぁ?」
「つまりね、中也は私の部屋にいつでも来ていいってこと。ふふっ、乾杯♡」
「……か、乾杯」
太宰がハートのマグカップを持ち上げると、中也もそうせざるを得ない。驚きを隠しきれなかったが、ひとまずカップ同士を合わせて乾杯した。
「私の部屋にモノが足りないと思うなら、買ってくれてもいいよ?」
「見た感じだと、買うモンは山ほどありそうだな。でも」
中也はここで言葉を区切り、フライドチキンを飲み込んでから太宰の瞳を真っ直ぐ見て云った。
「こんなんでも、マフィアの時の家なんかよりずっといいから良かった」
「それを確認したくて『家に行きたい』だなんて云ったんだよね。心配症だなぁ」
「半分正解」
「もう半分は?」
「太宰の部屋で、いちゃいちゃしたくて」
太宰には分かっていたが、中也に云って欲しくて敢えて聞いたのだ。中也もそれに気付いている。少し恥ずかしそうに云う姿が、太宰にとってはたまらなかった。
「うんうん、そうだよね。お泊りセット持って来てるし、お酒も飲んじゃったもんね。キスしよっか」
油でテカテカしている唇が、やけに艶めいて見えたのだ。お互い座布団から移動し、体を乗り出して口付けをひとつ。
「残りは楽しみに取っておく?」
「……折角温めたし、先に食べようぜ」
「あっ、分かった! 横に並んで食べよう」
太宰が中也の横に座布団を移動させて座った。中也も元の位置に戻り、肉にかぶりつく。すっかり嬉しくなった太宰が中也の肩を抱き寄せようとすると、「油がついた手で触るな」と拒否されてしまった。
「中也のケチ!」
「いや、誰だって嫌だと思うぞ。……ビスケットは朝食べるか」
「本当に朝も居てくれるんだ?!」
「なんだよ、疑ってたのか」
「だってさ、君、ヤッたら翌朝悶死してそうだもの」
中也は太宰と一晩共にした後のことを思い浮かべた。男性との性交渉の経験はない。恐らく自分が女性側になる。相手が太宰だからこそ、「これでもいい」と思える自分自身が居た。太宰のことだから、とんでもなく恥ずかしい体勢をさせたり云わせたりしてくるに違いない。そして恐らく、どんなに足掻こうと自分はそれに最終的に従うことになる。太宰とはそういう男だ。それでも好きなのだから、仕方ないではないか。
「まァそれは……、善処する」
「勝手に帰ったら駄目だからね!」
「じゃあ、昼過ぎたら買い物に行こうぜ。早速この部屋のために買い出しだ」
「言質取ったよ、約束ね」
「あぁ」
ふたりはこれから訪れる甘い時間に思いを馳せながら、食事をした。
♡♡♡
「中也、おはよう」
「おは、よう」
翌朝、布団の中で中也は腰の痛みに顔をしかめた。
「やっぱりやりすぎちゃったみたいだね、ごめんね」
昨晩は大層盛り上がった。初めてとは思えないくらいに。
「……ヨかったから許してやる」
「すごい気持ちよさそうだったもんね。可愛かったなァ。ね、外套のポケットから飴が出てきたから食べよう?」
太宰は枕元に置いてあった飴の包装紙を剥がし、飴を口に含んだ。
「大好きだよ、中也」
口移しで中也の口内にコロンと飴が入ってきた。爽やかなレモン味だ。ホワイトデーの続きなのだろう。
お互いの口内を行ったり来たりして、飴は少しずつ溶けていった。