七夕 七夕の夜、中也は仕事を終わらせて自宅に帰ってきた。玄関には、見慣れた靴が一足。普段、中也が履いている靴より大きい革靴だ。恋人の太宰の靴で間違いなかった。「今日は来たのか」と思いつつ、突然の来訪に嬉しく思っていた。太宰はいつも気分に任せて行動するので、絶対外せない用事以外でいつ会えるかどうかは太宰次第だった。探偵社とポートマフィアは一応協力関係にあるので、適当に理由をでっち上げて仕事中に会えなくもない。ただ、この方法を使うのは中也の仕事に対するポリシーに反している。幸い、太宰の方から週に2、3回は中也の家にやって来るので、逢えなくて寂しいと思ったことはなかった。
「中也、おかえり〜」
「ただいま」
リビングには、すっかり部屋の景色に馴染んでいる太宰が、革張りのソファーで寛いでいた。
「早く着替えてきて。シャンパン買ってきたから飲もうよ」
ワインでも日本酒でもなくシャンパンということに中也は疑問を抱いたが、取り敢えず着替えることにした。ハーフパンツにTシャツという、普段からは想像できないラフな格好に着替えて中也はリビングに戻り、太宰の隣に座った。
「なんでシャンパンなんだ?」
「うーん。今日が七夕だから、かな」
「シュワシュワしてるのが、何となく『ぽい』なと思って。ねぇ、おつまみ食べたいから作って!」
太宰は中也の片手を恋人繋ぎをして強請った。基本的に中也は世話好きなタイプで、頼られたら断ることができない。普段料理をしない太宰に「何か作って」と云われるのは、正直な所嬉しいのだ。態度では中々表せないが、太宰であれば中也の性格のことも理解しているので問題は何もなかった。
「仕方ねぇな」
「仕方なくてもいいさ。クラッカーとアンチョビは買ってきてみたんだけど」
「クラッカーだけどブルスケッタにしてみるか。クリームチーズも塗るか?」
「うん。そうする」
すっかりご機嫌の太宰と一緒に、中也はキッチンへ向かった。中也は手を洗い、調理し始めた。太宰は見守っているだけだ。手際よくトマトを切り、ボールに入れ、刻んだニンニクとオリーブオイルを加えて混ぜる。アンチョビは単体でも美味しいが、ブルスケッタにも混ぜてみた。簡単なツマミではあるが、これでも充分に酒は楽しめる。作っているうちに中也も気分が良くなっていた。
♡♡♡
「かんぱーい」
「乾杯」
琥珀色に輝くシャンパンをグラスに注いで、チンとグラスを合わせた。シュワシュワと弾ける炭酸が、星屑みたいだ。
「ブルスケッタ、美味しい」
太宰はクラッカーにブルスケッタのトマトを乗せて、早速ツマミを食べながら云った。
「パンほどオリーブオイルが染み込まないけどな」
「美味しいからそんなことは気にしなくてもいいのさ」
「まぁな。つーか、トマト切って混ぜるだけなんだから手前にもできるだろ」
「中也が料理してるのを見るのが好きなんだよね、私」
突然思いもよらぬ言葉を云われて中也は驚いた。顔が一気に赤くなるのが分かった。
「なっ、なんで……だよ」
「キッチンはある意味戦場なんだよ。テキパキと動く姿が、マフィアで任務していた頃と重なるんだ。今となっては君が戦う姿を直接見れないからねぇ。あ、勿論作ってくれた料理はすごく美味しいよ」
太宰はにこにこ微笑んだ。中也が敵を倒していく姿は、何故だかうつくしく見えていた。無駄のない動きは勿論だが、圧倒的強さを持っていながら正々堂々と、正面から戦う姿をうつくしいと思ったのかもしれない。
「暑いから外出てくるっ……!」
「外の方が暑いのに?」
「うるせぇ」
太宰が放った言葉が想像以上に刺さったらしい。真っ赤になって照れているのを隠しきれないと悟った中也は、ベランダに出ていった。少しの間ひとりで酒とツマミを楽しんだ太宰は、頃合いを見計らって中也を追いかけた。
♡♡♡
「ねぇ、そんなに照れちゃったの?」
「馬鹿野郎。そんなこと思ってるなんて知らなかったから……」
「顔見せてよ」
外は少し風が吹いていて、思ったよりも暑くなかった。暗いから顔もあまりよく見えないだろうと、中也は心を落ち着かせながら隣に居る太宰の顔を見た。
「可愛い」
「可愛くなんか、ねぇ」
「そういう所が、だよ」
太宰は中也の額に口付けをひとつ落とした。
「そういえば、今年も笹取りに行ったの?」
「勿論。いいじゃねぇか、たまには願掛けしても」
「ふぅん。じゃあ、中也は何かお願い事したんだ」
「ポートマフィアの繁栄と、ヨコハマの平和と、仲間の幸せ、と云った所だ」
その言葉を聞くと、太宰は不満そうな顔になった。
「想像通りすぎてつまらなぁい。恋人の私に対しては何もないわけ?」
「ある」
「あるんだ」
「手前とはなぁ、縁が切れずに、ずっと苦楽を共にできたら良いなって」
照れもせず、中也は自分が思ったことを自然と話していた。
「幸せだけは願ってくれないんだ?」
「そりゃそうだろ。地獄も人生の一部だからな。ほら、七夕は何気に曇りが多いから、織姫と彦星は中々逢えないだろ。待ってる間が地獄でも、いつかは逢えると信じ続けてるからまた逢えるんだよ。太宰とは多分、縁が切れねぇと思う」
「成程、だから4年も待っていてくれたってことね。私も今更中也を離す気はないよ。もし次に離れることがあっても、地獄の期間は一緒だね。……織姫と彦星、今年は逢えそうだ」
「また逢えて何よりだぜ、祝ってやらないとな。なぁ、太宰なら、短冊に何を書くんだ?」
太宰は顎に手を当てて考えると、シンプルにこう答えた。
「中原中也が中原中也で居ること、かな」
「……お前、今でも嫌いとか云ってくる時あるけど相当だよな」
「中也こそ」
お互い歩み寄って中也が太宰の首に腕を回すと、唇の距離がすぐにゼロになった。存在を確かめるように、4年逢えなかった分を埋めるように、口付けは深くなっていった。