「あんずちゃん」
「――あ、先輩」
背後から投げかけられた声の主は、本日の主役・羽風先輩そのひとだった。会釈をしながらどうかしましたか?と訊いてみれば「ううん、片付けのお手伝いしようと思って」なんて先輩はさらりと口にした。なるほど確かに、先輩の小脇には飾り付けを入れたダンボールが抱えられている。
「ありがとうございます……でも先輩は片付けなんてしないで帰っても良いんですよ?」
「いやいや。二日間もパーティーしてたんだからさ。手伝わせてよ。ねっ?」
バースデーイベントの後、ES社屋でも誕生日パーティーが開かれていた。誕生日パーティーと言っても学院の時分とは違い、それぞれの仕事の空き時間に合わせて少しでも立ち寄れるようにと、レスティングルームに会場をセッティングしている。それはここ二日間、連日の誕生日ラッシュも変わらない。学院の頃に引けをとらない程度にはどのアイドルにもきらびやかで賑やかに飾り付けるのも通例だった。
「先輩、今日は楽しかったですか?」
「うん、楽しかったよ。パンケーキ用意してくれたの嬉しかったな」
「流石に温かいパンケーキってケーキ屋さんにも頼めなくてどうしようかと思ってたんです。そうしたら椎名さんが快諾してくれて……」
「相当の種類あったよね? どんどん運ばれてくるからさ、俺びっくりしちゃった」
参っちゃうよといわんばかりに苦笑いしながらも、先輩の声音は優しく聞こえた。私は壁飾りの留め具を結ぶ手を止めず、先輩の話に耳を傾ける。
「もう皆ってば、もうお開きにしたのに今の今までずるずる残っちゃっててさ」
「ふふ、そうでしたね。名残惜しいのかもですね」
「そっか。……俺もちょっと終わっちゃうの寂しいな」
帰ってきた先輩の声に、私は顔を上げてしまった。先輩はこちらを見ずにモール飾りをくるくると巻き取っている。すらりと長い指が器用に折りたたまれる度、キラキラと反射するモールは先輩の横顔にきらりと光を掠めていく。その綺麗な横顔は、何の含みもない、素直で穏やかな顔に見えた。
(――先輩ってこんな顔、する人だったかな)
思えば、今現在の先輩は学院の頃からはあまり想像が付かない。
口を開けば女の子。利己主義で勝手気儘。お誕生日の時だって第一声は男ばっかりとわざとらしく顔を顰めていたのもよく覚えている。……けれども本心からでもないのも、なんとなく分かっていた。なぜかわざと不興を買って場を丸く収めたがる。そのくせ「嫌われるのはつらい」なんて言うのだから、当時の私は先輩が余計に分からなかった気がする。“苦手な先輩”のはずが、いつの間にやら“何故か気になる先輩”に変わっていったがそこまでだ。
先輩が学院を出てからの一年、さよならと先輩は言ったけれどそんな間もなく顔を合わせる日々は続いた。そんな中でだんだんと私の目からしても先輩は変わり始めていた。社会に順応する為と言ってしまえばそれまでかもしれない。けれどその言葉では片付けられない変化がこの一年には詰まっていた。
「……あんずちゃん?」
覗き込むような調子で先輩に声をかけられてハッとする。気がつくと、私の手は止まってしまっていた。
「もしかして疲れちゃった?」
「!いえ、そうじゃないんです……あの、寂しいって話で……」
思わず口籠もる私に、先輩は首を傾げて言葉の続きを待っている。
「――、もうすこし、楽しみましょう?」
えっと、お家に帰るまでがパーティーですし! 無理矢理に付け加えた一言は、なんだか不格好になってしまった。
それもそうだ。春から夏頃までおそらく避けていた――本人は違うし、嫌いになってもいないと言っているけれど――私にこんなことを言われて、先輩は嬉しくないかもしれない。その不安から私の声は掠れかけてしまった。どうして、あんなことを言ってしまったんだろう。どうにも落ち着かない気持ちでおそるおそる先輩を見上げるてみる。……が、私の心配を外れて先輩は声を上げて笑いだしてしまった。
「……えっ?」
「あははっ、いや~ごめんごめん。あんずちゃんって欲張りさんだね?」
二日もパーティーしたのにね。寂しがり張本人の先輩からそう言われてしまうと、思わず気恥ずかしいような不服なような気持ちがこみ上げて、むうと口を尖らせてしまう。
しかしながら、先輩に欲張りと言われてハッとしたのも事実だった。“もうすこし”なんて引き留めてしまったのは、もしかしたら先輩の為ではなくて、自分の為に言ったのかもしれない。
(――引き留めたかったのは、私なのかな。)
うつむき黙り込んだ私に気がついたらしい先輩は、再度からかってごめんね?と向き直る。私はからかわれた事よりも、心に浮かぶ落ち着かない気持ちをどうにかモール飾りと一緒にしまい込むのに必死だ。一拍置いた後になんとか顔を上げて「いいえ」と努めて普段通りの声を絞り出した。
「ふふ、じゃあ二人で残りのパーティして帰ろうか」
「……そこもプレゼントですからね」
それは嬉しいプレゼントだなぁ。楽し気な先輩の声と私の笑い声は、人もまばらなレスティングルームに小さな波を立てたのだった。