【薫あん】/#あんず島ワンドロライ/「クリスマス」「冬」「羽風先輩‼︎」
「! あんずちゃん!」
お待たせしましたこちらです! そう言ってこちらへ手を振る彼女に大きく手を振り返しながら俺は駆け寄っていく。寒空の下勿論スーツ姿のあんずちゃんが足早に案内するのはロケ車でよく見るマイクロバスだ。
言うまでもなくクリスマスイブ、そしてクリスマスにかけてアイドルは書き入れ時だ。そんな中、当日起こる想定外のトラブルは大きいものから小さいものまで決して少なくはない。
クリスマスとはいえレギュラーで入っている個人の仕事は通常運転だ。それが終わり次第、俺はやや離れた現場から即クリスマスライブと銘打った生放送番組の会場へと向かわなければならない。……しかしながら、予定していた配車がトラブルから間に合わないというのだ。事務所に連絡はしたものの、トラブルがなくたって今日という日にてんやわんやのマネージャーは想像に難くない。そんな中、次に俺の携帯を鳴らしたのはなんとあんずちゃんだった。
――そして今現在。事務所から話を聞いた彼女が、どうにか機転を効かせて用意してくれたのがこのロケ車というわけだ。
サッとロケ車に飛び込んで手近な席に着くや否や、彼女は運転席へ「お願いします!」と声をかける。程なくして、あんずちゃんと俺だけを乗せたマイクロバスは走り出す。
何度も乗った気がするけれど、二人だけだとこんなに広いのか。そんな事を考えながら俺はコートもそのままに真ん中のシートに座っている。
「すみません。すぐに動かせて都合が良かったのがロケ車しかなくて……」
「いやいや、むしろ助けてもらったのはこっちだよ? ……俺一人でこの車使わせてもらうのもちょっと豪華だね?」
「もっと豪華なのに普段は乗ってるじゃないですか」
俺の返事に、通路を挟んで左向かいのシートに座ったあんずちゃんがふふっと表情を崩して笑った。発車したロケ車がスムーズに車線を流れていくのを見て、ようやく緊張感の強かった空気が少しだけ和らいだ気がする。これならギリギリかもしれないけれど間に合うことはできそうだ。
気がつけば今日もあっという間に短くなった陽が落ちた後で、車窓の外はそこかしこで楽しげな明かりが灯っているのが見える。
「クリスマス楽しそうだね。いいなあ……」
流れていく車窓外のイルミネーションの遠景に思わずそんな言葉が出てしまった。
「もう随分楽しむ側じゃなくなってしまいましたからね」
「ほんとほんと。サンタさんでもないのにね」
手持ち無沙汰でも無いだろうに、通路向かいのあんずちゃんは何とも付かない雑談に付き合ってくれているようだった。本当は一番後部の長い席で隣に座っては? と一瞬考えなくもなかったけれど、すぐ出入り出来そうなところに腰を下ろしてしまった手前、後の祭りだ。通路を挟んで隣同士とは、如実に俺と彼女の距離感を表しているような気がした。
――今年ももう終わりそうだけれど、あんずちゃんとは少しでも近づくことができたのかな。
こんな事を考えているのだから、我ながら意気地がない。女の子に強気な羽風薫は何処へやらだ。
「こんなに頑張ってるんだから、なんちゃってサンタさんにもご褒美欲しいよね」
イルミネーションも離れてしまえばただの街灯と同じに見える。少しだけ寂しさを感じながら滞りなく流れていく灯りを眺めていると、つい独り言が口からぽつりと落ちてしまった。こんなものは話し手の居ない車内の、誰ともない独り言だ。……その筈だった。
「……あの……先輩」
「ん? なになに?」
独り言から少し間を置いて彼女が俺を呼び掛ける。車窓の遠くに目的のホールも見えてきたし業務連絡だろうか。確かに到着後、時間との勝負は免れ無さそうだ。今聞く方が効率がいい。
「あの……まだ先輩の中では、この“ご褒美”有効ですか……?」
「えっ?」
思っても居なかった言葉に、間の抜けた声を上げてしまった。
通路からこちらを向いて座っているあんずちゃんは、俺に向けておずおずと両手を差し出している。その行動に思い当たる記憶が、俺にはあった。
彼女のいる、最初で最後のスタフェスの時の話だった。当時の俺は過渡期とはいえ、まだ彼女に対して都合のいい存在を求めていたと思う。なんであんな言い方をしたのかは自分の事ながら腹が立つばかりだけれど、そんな俺に対しあんずちゃんはその小さな手を差し出して言ったのだ。『アイドルが望むなら、自分を差し出していい』と。
正直、苦い記憶だった。結局自分に都合が良くなった彼女を見てようやく、彼女と自分の間違いに気付いてしまった。
あんずちゃんにそんな事をさせたいわけじゃなかった。
そんな事を嬉々として受け取りたいわけじゃなかった。
もう何年も経ったはずなのに、あの時よりも大人になったはずなのに、当時の気持ちを思い起こしているのは変かもしれない。……もしかして、彼女はまた自分を削ろうとしてるんだろうか。そんな心配で途端に胸が詰まる。俺はあんずちゃんの白い手のひらを前に、苦い顔になってしまった。
「――あの、あんずちゃ……」
「あ、あの頃とは違いますから……」
え? と彼女の手の平から視線を上げる。俯き気味のあんずちゃんの顔は残念ながら見えない。
「……その、スタフェスの頃とは違うんです。……今は、先輩にそうしてあげられたらいいなって、私が思いました」
尻窄まりになってゆく彼女の言葉に、目を見張る。
あんずちゃんも、あのスタフェスについて覚えていてくれたのか。その上で“今は違う”と伝えてくれるのは、どういう事だろうか。性懲りも無く俺は都合良く受け取りそうになってしまうのだけれど……。
顔の見えない彼女の髪から剥き出しになった耳は真っ赤になってしまっている。それに気付くと、なんだか自分まで顔が熱い。あんずちゃんの一生懸命といった様子の“あの日の答え”に、面映い気持ちでいっぱいになってしまいそうだ。
「……う、うん。有効だよ……?」
「じゃ、じゃあ、失礼します……」
彼女に倣って、横に座り直す俺も両手を通路に差し出す。すると、おずおずと伸ばされたあんずちゃんの両手が俺の両手をふんわり握りこんだ。勿論彼女の小さい手に俺の手は収まらないので、ほんのり体温が移るたびに細い指や狭い平が俺の手をちょっとずつ移動していく。にぎにぎと手指を包む柔らかい感触は、温かいけどこそばゆい様な、緊張するほどドキドキしてしまう様な、嬉しくて涙が出る様な、とにかく俺の心の中は大騒ぎの有様だ。なんとか大騒ぎが心の外に出ないよう、俺は必死になっている。だというのに、あんずちゃんの指や手の感触を一つも逃さないとでも言わんばかりに、手指の感覚だけはいやに鋭い。
――これなんだろう。嬉しいけど、どうしよう。手汗かきそう。チュウでも何でもないのにこんなに緊張してて俺格好悪過ぎないかな――?
そんな嬉しい悲鳴で脳裏まで一杯の時間は長くは続かない。ロケ車は目的地であるホールの関係者駐車スペースへと滑り込んでゆく。その景色にハッとなった彼女は飛び上がる様に俺の手をパッと離れてしまった。
「つ、着きましたね⁉︎ 時間間に合いましたね!」
「う、うん‼︎ ありがとうね⁉︎」
どこか落ち着かない気持ちのまま停車後すぐに立ち上がると「お疲れ様ですこちらです!」と到着を迎えてくれたスタッフからの声が掛かる。名残惜しい気持ちは心に隠して急ぎ足で車を後にしようとした。そのほんの一瞬だった。ほんの一瞬だけ、後ろ髪を引かれた。
「あんずちゃん!」ともう一度だけ振り返った先の彼女は、キョトンと俺を見て目を丸くしている。
「クリスマスプレゼントすっごく嬉しかったよ! 行ってきます!」
もしかしたら顔が赤いままの格好悪さだったかもしれない。
早く行ってください! って怒られちゃうかもしれない。
――でも、これぐらいは“ご褒美”で許してほしいな。
そうこっそりクリスマス生まれの神様にお祈りしながら、俺は関係者口に滑り込んで行った。
*
「お疲れ様で〜す……あんずさん顔真っ赤になっちゃってますよ? そんなに外寒かったんですか?」
「いえっ⁉︎ ……だ、大丈夫ですっ!」