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    zeppei27

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    傭泥連載、鍵と錠六話目の中盤くらいまで書けてきたよ!パートナー代行としてそれらしいお仕事を始めたナワーブが、まさかの場所にあるパーティ会場に入ったが……

    鍵と錠#6 小難しい理論だと思われがちな話も、案外簡単に飲み込めることがある。例えばかの有名な相対性理論は、門外漢には到底理解できないと敬遠する人間は多い。しかし、『素敵な女性と並んで座って過ごす2時間は1分のように感じられるかもしれないが、熱いストーブの上に座った1分間は2時間過ごしたかのように感じられるだろう。それが相対性というものだ』と日常的な言葉で説明されたらば、やや気持ちは和らぐ可能性が高い。要するに、遠い出来事も身近になれば多少はわかった気になりうるのだ。

     クリーチャー・ピアソンは、ルカ・バルサーにこの説明で相対性理論を解説されてもまるで理解できなかった朴念仁である。なんでもアインシュタイン自身が語った言葉らしいが、アインシュタインが誰だと言うのだろう?自分の人生にはまるで関係あるまい――そう思っていたのだが、今となってはクリーチャーは誰よりも相対性なるものを深く理解していた。確かに、時間の重みとでも言うべきものは対象によって随分と変わる。

    「まだ8時か」

    腕に巻いた時計をチラリと見て確認すると、我知らずため息が出てしまう。もう三時間は経過しただろうと思っていたと言うのに、先ほど確認した時刻から30分経ったばかりである。あまりにも時間が経つ感覚が遅い。否、時間が溶けた飴のように勝手にだらしなく伸びているのだ。ならばせめて仕事が順調に捗っていればありがたいのだが、こちらも現実の時間同様にはかばかしくはなかった。

    「クリーチャー。そう何度も時間を確認したって、仕事は終わってくれないよ」
    「……そんなことはわかってる」

    焦って吃りそうになる気持ちを抑え、緩やかに言葉を紡ぎ出すと、クリーチャーは隣で古い錠前を外すトレイシー・レズニックを軽く睨んだ。少年のような愛嬌ある彼女の軽妙さは嫌いではないが、今の自分には少々煩わしい。よりにもよって今夜の仕事が彼女につきっきりとはついていなかった。コーヒーの入った水筒を渡すように目で示すと、阿吽の呼吸で暖かい感触が手元に滑り込む。十年余りの気心の知れた仲のなせる技だった。

    「ま、今回の仕事は無茶苦茶だって僕も思うけどさ。一日で屋敷中の錠前の付け替えをするって、正気の沙汰じゃないよ。それも夜にはパーティを開くから、付け替える順番まで指定があるし」
    「ジョゼフが頼んでくる仕事だからな。どうせ報酬も規格外なんだろうよ」

    トレイシーの嘆き通り、今夜の仕事は異例の代物だった。屋敷中の錠前を替えることは、家主が変わるなどでままある出来事である。大きさにもよるが、可能な限り短い期間で終えるように手配するのが通常だ。誰だって望まぬ侵入者はできるだけ御免いただきたい。引越しの際に鍵を取り替えるのはもっともである。

     だが、今夜はジョゼフが買い取ったばかりの放置された銀行本店だった巨大な建物が舞台であり、お披露目と同時に改装が進むというとんでもない手配がされていた。クリーチャーとトレイシーがせっせと薄暗い廊下で作業する背後の部屋では、パーティの喧騒に紛れて新たな客室制作の真っ最中である。前前から錠前の仕様と大きさ、数は伝えられていたので一ヶ月あまり準備期間は設けられていたものの、初めて訪れる現場での作業は想像以上に手間がかかりそうだった。

     ある意味、稀有な経験である。この規模の仕事をこなせたらば、もっと大きな仕事も転がり込んでくるだろう。すなわちクリーチャーにも輝かしい未来が待ち受けているのだ、悪くはない。以前のクリーチャーが両手をあげて賛成した道のりである。今はどうだ、と問われれば何分答えにくい。人は知らぬ前には戻れないのだ、とパーティ会場から響く笑い声に顔を歪めた。

    「バルクはしっかりしてるからね」
    「自慢そうに言うなよ、お前のおじさんのせいで苦労してるんだぞ」
    「へへ。でも良い上司でもあるでしょ」
    「……まあな」

    そっけなく認めれば、トレイシーはでれっと頬を緩めた。相棒の呑気さには呆れるが、救われもする。一人で作業するハメになっていたらば、自分の惨めな胸の内とパーティの浮かれた様子の落差とに打ちのめされていたに違いない。チラリと垣間見た会場では、改修中の部屋とはまるで異なる豪奢な眩い照明と華美な家具(全てこの日に設置されたものだ)、積み上げられたシャンパンタワーにパリッとしたシャツの似合う給仕たちに気取ったオーケストラ、そしてこれでもかと着飾った人々が踊ったり飲み食いしたりと忙しそうだった。クリーチャーの人生にはすれ違いもしなかったひと時である。

     ナワーブ・サベダーは仕事柄、こうした場所にも多く訪れていると想像された。何より彼は、招待客たちが身につけているような服もよく似合う。否、一度たりとも彼はクリーチャーの前では派手に着飾らなかった。魅力を引き出した所で、自分が出向く先などたかが知れている。彼は身の丈に合った魅力の引き出し方を心得たプロなのだ。

     ただ、パートナー代行と聞いてクリーチャーがパッと思い浮かべる姿は、パーティやレストランでの付き添いである。何しろ、金を払ってでもパートナーを連れて行くのだ、並大抵の事情ではあるまい。自分もまたその一人であったことを棚にあげると、クリーチャーは手元に神経を集中させながら、取り付けたばかりの錠前に鍵がぴたりと嵌まるのを確かめた。ぐ、と力を入れずとも奥まで入り込み滑らかに回転する。扉の開閉を確認したらば次、そしてまたその次。巨大な建物はまるで監獄のように鍵だらけで終わりが見えそうにもない。

     かつて栄華を誇った銀行は、十年ほど前の金融危機を前にして無惨にも崩れ去った。敢えて以前の姿を残すことに決めた、建物に入ってすぐにずらりと並んだ窓口の多さからも在りし日は容易に想像される。建物ばかりが豪奢で始末に終えず、街の真ん中にありながら居心地の悪い廃墟に近い状態だった場所をジョゼフが買い取ったのは、街にとっても幸運と言えた。商売上手な彼は観光都市として再度テコ入れが始まった街に相応しいホテルへと変身させるつもりであるらしい。

    なぜクリーチャーが知っているかと言えば、ジョゼフが注文する場に現場責任者として臨席したからに他らならない。依頼主が広げた青写真は、守銭奴のバルクをもうなずかせるものだった。しっかり者の上司は、今回の仕事で大幅値引きをする代わりに、所有権を一部確保するよう取引したのである。要するに、ここは今日のパーティなど目ではないほどに賑やかになる予定なのだ。

     洒落たホテルが出来上がった暁に、自分が大切な人を連れて歩く姿を想像してみたが、まるで酔っ払いが見た夢のようにぐにゃぐにゃとして形にならない。どんなにめかし込んでも、自分とは不釣り合いな場であるような気がしたし、何より大切な人を楽しませる姿をうまく思い描けなかった。ナワーブの指導に従った先に広がる無数の可能性の中には一つくらいありそうな、ありがちなロマンスの情景はどこまでも澱んでいる。

     ナワーブならば、理想的なロマンスの話をいくらでもそらで言えるだろう。経験もあれば、見聞きしたものもクリーチャーよりもずっと多いはずだ。昨日訪ねた彼の部屋には、ひと家族分はあるかと思うほどに衣装が詰まっていて、どれもが彼のために作られたかのようにしっくりとして似合っていた。それほど多くの服を着るべき場所に彼が出かけたのは、純粋に仕事のためだけだったろうか。

    「半分は趣味だよ。誰か、俺じゃない他の人になる瞬間が好きなんだ」

    昨夜のレッスン後、大量の服を前に絶句したクリーチャーに、ナワーブは苦笑を交えながら語らって見せた。着道楽には違いないが、何よりも職業病だと。この洒落た青年が、パートナー代行を担う理由を考えさえしなかった自分にとって、彼の告白は青天の霹靂だった。クリーチャーの目に映る『ナワーブ・サベダー』は十二分に魅力的である。トレーナーという立場のためかはわからないが、彼本来の自然体であるように思われた。だが、その印象さえもナワーブの手のひらで踊っていただけに過ぎない可能性がある。

     ならば本当の『ナワーブ・サベダー』とは何者なのだろう。時折見せる柔らかさや、未来への仄めかし、親しさ、せめて友人にでもなれやしないかと期待させる全てが歪んでゆく。全てが、パートナー代行としての完璧な職人技だったらば?彼は他人になることが好きだと言う、きっとそれは本当のことなのだろう。だったら今の彼は何者なのか。

    そんなことなど知らなくて良いではないか、とクリーチャーは寝る前に自嘲したものである。来週以降のナワーブなど、自分の人生には無関係だ。二人の間には期限付きの交わりがあるに過ぎず、彼のセリフの真偽など考えるまでもない。他人になることを好む彼が、むき出しの自分自身など曝け出すなどあるまい。

     もし、彼がただの友人の紹介で出会っていたら、今のような関係を築けただろうか。なんの気兼ねもなく、ナワーブの誘いに乗って彼の実家に遊びに行く日もあったかも知れない。あるいは、魅力的なナワーブのことだ、クリーチャーのような厄介な人間はうまくあしらってそれきりになることも考えられる。幾つもの出会いの可能性が走馬灯のようにぐるぐると脳裏を渦巻き、結果どれも成立しないと冷酷な判断を下した。二人は、クリーチャーのしでかした間違いなしには出会えないし、友人めいた距離感で接することもないのである。

     今日のパーティに参加する人間たちだってそうだ。多くの人間はクリーチャーの人生とは無関係で、それで全く困らない。だが一度交わったような気がしたナワーブに繋がる線は、どこかで本物であって欲しいと願わずにはいられなかった。何しろ彼の側は居心地が良いのだ。自分が日々確かなものを積み上げてきている支えの一つは、紛れもなくナワーブの存在である。

    そして自分は、彼がいない未来で努力を続けねばならない。もちろん自分のために行うものだから、ナワーブの存在有無など関係あるまい。想像するだけで億劫な気持ちが起こるのは、単純にものぐさな性分が首を持ち上げたためだろう。元々、クリーチャーは自分自身に対してさして注意を払ってこなかったのだ。確かに姿勢は良くはなく、話す際には相手の様子などお構いなしで、ついでに服はいつ買ったのかもわからない状態だった。

     自分の欠点など百も承知しているとしても、直さずに生きてきたのは半ば諦めて受け入れた自分の運命故だ。いくら鍵の歪みを直そうと努力したところで、一度使い物にならなくなった鍵のことなど誰も目もくれやしない。ずっと、ずっとそうだった、努力なんてするだけ無駄だ。この鍵はもう不正解なのだから、いっそ捨て去り錆びていくままにすれば良い。幾分斜に構えた見方かもしれないが、クリーチャーなりの精一杯の処世術だった。楽をして生きたい、誰だってそう思うだろう?

    『また明日ね。明日はもっと素敵になったあんたを見せてよ』

    初めて出会った日にナワーブが放った別れの挨拶は、未だにありありと思い出せる。あの瞬間に全てが覆った。けれども、もしかしたら。冗談のような提案に乗って、背中を押され、褒められ伸ばされるうちに段々と目の前が明るくなっていった。嬉しかったのだ、と薄暗い廊下にいても胸の内のほの明るさで眩しさを覚える。もっと叶えたいという欲を生まれて初めて持ち、向かって行っても良いではないかと自信の萌芽を見た。ナワーブが言うには、何よりも自己肯定感が必要なのだという。それも奢るのではなく、客観的に自身の能力を把握した上で認めるべきだと。

    『あんたは努力してるし、ちょっとずつだけど結果も出てきてる。思った通りになるにはまだ先かもしれないけれど、ずっと走っていって良いんだ。今できなくても、この先には伸び代しかないんだよ。信じてくれるかわからないけど、俺が保証する』

    だから挫けないで、とナワーブはくたびれきったクリーチャーを慰撫したものである。――ナワーブがいたから、ここまで来れた。彼がいたから、この先も行けるだろう。彼がいるならば、確実に進むだろうし、結果だって自分の納得のいくものをノートン・キャンベルやアンドルー・クレスに披露できる気がする。すっかり忘れつつあったが、当初の目的はこの悪戯な友人たちに目にモノを見せてやることだった。クリーチャーが投じたその場凌ぎの嘘を、未来につながる現実にすり替えたのはナワーブである。

     溢れかえる切望に苦笑し、クリーチャーはすぐさま絶望した。ナワーブは演技達者だ、どこまで本気であったかは定かではない。金の切れ目が縁の切れ目と、再び出会ったところで同じ『ナワーブ・サベダー』であるとは限らないのだ。要するに、過去の自分をも否定する出来事となる。やっぱり全ては無駄で――むしゃくしゃする気持ちのままに鍵を仕上げると、クリーチャーは工具を箱に戻して立ち上がった。

    「トレイシー、少し休憩しよう。手洗いに行ってくる」
    「りょーかい。僕は西側に移動してるね」
    「頼んだ」

    両翼を広げた形の旧銀行は、東と西とで大きく直角に曲がっている。中央の吹き抜けはパーティ会場にうってつけで、重役たちが葉巻を燻らせた大会議室がボールルームとしてフル稼働していた。その裏側を通って、目下客室の錠前をつけて回っている最中なのである。東側の最後の一つを終えたので、次は速やかに西側に移動せなばならない。本当は手洗いに行く気分でもないのだか、もやもやとした気持ちを落ち着ける時間が欲しかった。きっと夜の冷たさは胸の奥深くまで潜り込み、すっと押し流してくれるに違いない。

     くすんだ絨毯が庭園を思わせる緑を広げ、壁には花が咲き誇る。テーマは都会の荘園だそうで、異国の貴族との噂もあるジョゼフらしい趣味だった。多少はバルクの意見も取り込まれているのか、廊下には時折重厚な作りのからくり時計が飾られていた。時刻はまだ8時半、シンデレラが踊り始める頃合いである。宴はまだまだ終わらない。

    すん、と息を吸えば新しいペンキや家具やら何やらの匂いが一斉に肺へとなだれ込んできた。建物に入ったばかりの時は、埃っぽい乾いた空気で墓場のように生気が欠けていたとは信じられない変わりようである。まさに新天地で、自分が作り出した鍵と錠が並んでぶら下がることにじわじわと喜びが熱を帯びた。自分の仕事の中でクリーチャーは何よりも、新しい鍵が新しい錠前にぴたりとはまる瞬間が好きだった。彼らは唯一に出会い、これ以上ないほどに似合っている。人間では、そんな相手を見つけることは至難の業だろう。鍵と錠にとって、クリーチャーはちょっとした神様なのだ。

     ナワーブは、出会うのだろうか。彼の錠に、あるいは鍵に。彼ならきっと綺麗な形をした片割れなのだろうな、と知らず描いて苦笑すると、クリーチャーはパーティを冷やかすべく会場へと続く従業員用の扉を開けた。




     華やかさだけで中身などない。上部ばかりの社交に駆り出される時、ナワーブはいつだってあくびが出そうになる。この街で行われる、主要なパーティに出尽くしたと言うのも理由の一つだろう。おかげでこの手のパーティでは、ナワーブは優秀なコンパニオン――過去の利用客たちとの『顔つなぎ』として利用されるのだ。空いた時間に捻り込まれてもすぐに対応できる上、時間潰しにはちょうど良いのだがなにぶん暇である。パーティで繰り広げられる物語には、なんらドラマ性はない。判で押したようにいつも同じ流れだ。

    「……行かなくてはだめ?」
    「アニー様」

    目的地のホテルに着いたと言うのに躊躇する同伴者を、ナワーブは微笑んでたしなめた。彼女こそはアニー・レスター、高名な異国の玩具メーカー社長の一人娘である。挨拶回りに連れていって欲しい、と頼まれた理由はてっきり語学的な問題だろうと踏んでいたが、どうやらより根本的な問題を抱えているらしかった。怯える様はさながら捕らえられたうさぎのようで、憐れみを誘う。細かな刺繍が愛らしいドレスも、華奢な体も何もかもがパーティにはおあつらえ向きだと言うのに、本人が乗り気でないならば宝の持ち腐れだ。苦笑しながら腕を差し出すと、ナワーブは表情を和らげた。

    「大丈夫です。僕がついていますよ」
    「私、あまりたくさんは話せないわ」
    「承知しています。アニー様の紹介は僕がしましょう」

    むう、とアニーの唇が曲がる。ここに来るまでの間、送迎車の中で大人しくしていたかと思えば対策を考えていたようだ。ナワーブが子供のような駄々を速やかに封じると、アニーは焦ったように通りの向かいを指差し始める。

    「今、お腹が空いてるからあちらのレストランに先に行きたい。良いでしょ?」
    「会場にはご馳走がいっぱい待っていますよ。主催のジョゼフ様は美食家で有名です。きっと一流の料理をたくさん食べることができますよ」

    嘘ではない。ジョゼフは面倒な依頼主としてたびたびナワーブを苦しめるが、彼と関わった仕事で胃袋が悲しむ様なことは一度としてなかった。いつぞや誰かが、ジョゼフには悪魔的な魅力があると言っていたが、彼が提供する舞台やら食事やら何やらに触れればすんなりと受け入れられる。多分、異国から来たアニーも満足できるだろう。揺るがない同伴者の態度にアニーは肩を落とすと、仕方がないとでも言うようにナワーブに腕を絡めた。

    「わかった。それじゃ、挨拶が終わったら早く帰っても良い?」

    少しばかり気分を持ち上げた少女は、なかなか図々しい要求を織り交ぜてくる。残念ながら、ナワーブの雇い主は彼女ではない。

    「お父上は一時間後に到着されます」

    つまり、一人抜け出そうとするなど無駄だと言うわけだ。ナワーブはそれまで彼女を連れ回して紹介すると同時に、監視する役目をも担っているのだった。完璧に不貞腐れた彼女を、やんわりと追い立てると、受付を速やかに済ませて中へと入る。受付をしていたガンジ・グプタがニヤリと笑って見せた。ナワーブはあちらこちらのパーティに顔を出しているため、受付を渡り歩くような人間ともすっかり顔馴染みである。

    「わあ」

    アニーの歓声に被る様にして出迎えてくれたのは1920年代を謳歌するようなジャズの嵐で、蜂蜜色の明かりの下で、少しばかり古い様式の衣装を身につけた人間たちが歓談していた。今夜は禁酒法時代のスピークイージー(密造酒酒場)がテーマだそうで、元銀行の本店だというホテルの構造にもピッタリだろう。何よりも秘密を固く守る場所ならば、密造酒などどうと言うこともあるまい。

     パーティ会場は両腕で抱き込む様な形をした大階段を登った先にある。ずらりと並んだ銀行の受付窓口で上着を預けると、ナワーブはアニーを会場へと誘った。移動しながらも、めぼしい相手に抜かりなく挨拶してゆく。流作業のような進行は、萎縮したアニーにちょうど良いだろう。階段を上がりきり、秘密めかした赤紫の絨毯に誘われ廊下を歩く。ウェイターからジュースを受け取った頃には、少女の顔からは憂いがすっかり晴れていた。

    「いらっしゃいませ、レスター様。会場はこちらです」
    「ありがとう」

    ナワーブの存在などなかったように扱うウェイターは、どこかのパーティでも見かけたような風貌だった。パートナー代行の人間を蔑む風潮でもあるのかもしれない。今となっては慣れたものだが、付属品を軽んじられて雇い主は面白くないだろうとは想像される。要するに、自分が舐められるような存在であることが問題なのだ。これといった身分もなければ才能もない。せいぜいツテが有る程度の無力さを噛み締めて、心底代行という立場を呪わしく思う。

     代行でなければ、何もないナワーブ・サベダーが剥き出しになるだけだ。どちらに転んでも、自分にとって楽しい結末にはなるまい。物語には色々な終わり方がある――例えばクリーチャーと過ごす時間のような。思えば彼との物語の行く末は見えないままだ。今頃彼はどんな仕事をしているだろう。合間に自分のことを思い返してくれていたらば、と願うのはあまりにも女々しい。生まれてこの方一度も抱かなかった願望は、あまりにも拙くあさましかった。
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    zeppei27

    DONE傭泥で、謎のスパダリ(?)ナワーブに悩まされるピアソンさんのお話です。果たしてナワーブの真意はどこにあるのか、一緒に迷いながら楽しんでいただければ幸いです〜続きます!
    ご親切にどうもありがとう/1 他人に配慮することは、相手に目に見えぬ『貸し』を作ることである。塵も積もればなんとやらで、あからさまでなしにさりげなく、しかし何とはなしに伝えねばならない。当たり前だと思われてはこちらの損だからだ。返せる程度の親切を相手に『させた』時点で関係は極限に達する。お互いとても楽しい経験で、これからも続けたいと思わせたならば大成功だ。
     そう、クリーチャー・ピアソンにとって『親切』はあくまでもビジネスであり駆け引きだ。慈善家の看板を掲げているのは、何もない状態で親切心を表現しようものならば疑惑を抱かせてしまう自分の見目故である。生い立ちからすれば見てくれの良さは必ずしも良いものではなかったと言うならば、曳かれ者の小唄になってしまうだろう。せめてもう少し好感触を抱かせる容貌をしていたらば楽ができたはずだからだ。クリーチャーはドブの臭いのように自分の人生を引きずっていた――故にそれを逆手に取っている。
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