探り合い 食事とは、元来生きる限りは必要な行為だ。寝て、起きて、食べる。他の行動がどれほど違い、中身が異なれども誰しも等しく日々行うだろう。それを不便だと思う向きもあるが、福沢諭吉にとっては人生の楽しみの一つだった。都度豪勢なものを、と言わずとも美味しいものを食べたいと願うし、可能な限り好む人と喜びを分かち合いたいとも考えている。
要するに食事とは、”場”なのだった。美味しさは状況により大きく異なる。家族、友人、知人、見知らぬ人同士と共に、戦場で食べれば楽しむ暇などなく忙しなく、心置きなく寛げる宴であれば、粗末な食べ物でさえも極上の逸品に変わる。だが同時に――同席者を観察する格好の場であることを、これまで一度も意識したことがなかった。
「龍馬、こぼしているぞ」
諭吉の情人である隠し刀が、目前で隣の髭面男・坂本龍馬の頬から佃煮を取って相手の皿に置く。端に置いたのが自然であり、かつ優しい仕草だ。
「ん?そうかえ」
一方で、世話をされる側はなんの気負いもなくあるがままを受け入れている。坂本龍馬、恐るべし。流石は横浜で初めて隠し刀の友人となっただけはある、彼らだけに形成される気安いやり取りだ。諭吉が帰国して以来、職場と称して起居している勝海舟の邸では、近頃この二人が常連入りして食卓を賑わせていた。
「お前さん、どうしたら佃煮が散歩に出かけるんだよ」
諭吉と同じことを考えたのか、勝が龍馬の着物に飛んだ米粒を取って懐紙で拭った。速やかに懐紙を取り出すあたりが勝の粋な姿勢を示している。当の彼は隅から隅へと器用に箸を動かし、どの副菜も飯も均等に制覇していた。豪快に見えて、生真面目である彼らしい食べ方と言えよう。その点、龍馬は一度食べ始めればポロポロとどうしようもなく食べこぼす。食事中の会話は軽妙かつ幅が広く、好奇心の旺盛さから思わぬ角度からの質問を多く楽しいものの、食事自体に執着と集中力が向けられていないらしい。彼に取っては、きっと食事とは他人と交流する格好の場に過ぎないのだ。
龍馬の世話を自然と行う人々は、彼から滲み出るどうにも憎めない愛嬌を感じ取っているのだろう。自分だってそうだ、と諭吉は龍馬の袖が味噌汁に浸かりそうになるのを察知しすかさず汁椀を避けてやった。素直に感謝する彼に恨みつらみを抱くことはどうにも難しい。
では、情人はどうだろう。自分の食事にかまけるふりをして、諭吉はそうっと目の前の男を観察した。幾度となく食事を共にしておきながら、相手が食べる姿を客観的に見るなど初めてのことである。美味しそうに食べる、であるとか、気に入ったのだな(自分より揚げ餅を優先された衝撃は未だ健在だ)、とかを思うことはあれども、食べ方そのものは気にしない。つまるところ彼は実に目立たない所作で任務を遂行している。
主菜にかける時間をやや多めにするも、箸は勝に負けないほどに澱みなく、かつ綺麗に順番通りに皿を巡る。無骨で大きな手指をしている癖に、全くぶれのない繊細な動きだ。手の甲に這う血管が浮き出るのを目に止め、自然と間近で触れた時のことが思い起こされる。硬い皮膚の下で、ゆるりと生命の証が動く。いつだって沈着冷静であるようでいて、血は嘘をつかない。興奮し始めると、あの血管がびくびくと動くのだ。触れて相手の生命を確かめる行為は、諭吉のお気に入りの一つだった。
あらぬ方向に想像が傾きそうになるのを味噌汁で流し込み、上へ、食べ物が入ってゆく口へと向かう。大きな口だった。食べる度にぱかっと開く口は真っ赤で、短く分厚い舌がチラと覗く。その熱さを知るのは、きっと自分一人に違いない。豆腐田楽の大きな切れ端がなんの衒いもなく招かれ、含まれ、何度も噛まれる。頬の動きから、相手が満遍なく料理を巡らせていると推察された。あんな風に、自分ももてなされていたのだろうか。あれほど口が大きければなるほど納得がいく――食事中だというのに、破廉恥極まりない想像でいっかな集中できない。
「福沢様、お代わりはどうされますか」
「いただきます」
女中の問いに救われた心地で返すも、はたと見ればもうおかずが残っていなかった。汁物の方は多少残れども心許なく、いくら注意力が散漫であったとはいえ情けない体たらくである。かと言って、お新香の追加を強請るのは図々しいような気がした。仮にも自分は下宿人なのだ。米だけでも潤沢に食べられるだけ幸せと、茶でもかけて食べるが吉だろう。
「諭吉、少し手伝ってくれないか」
「おや」
とん、と向かい側から差し出されたのはしらすと昆布の佃煮で、醤油の照りが美しく輝いていた。通常、佃煮とは塩煮が主なのだが、この龍馬が浅草で仕入れてきたという佃煮は一手間加えており唸らせる。なんでも、店主が龍馬と同じ北辰一刀流を学んだ弟弟子であるらしい。縁とは奇妙なものだ。ご飯の美味しさが膨らむ美味さは無論貴重であり、隠し刀にとってもご馳走だろう。それを譲ってくれる優しさが嬉しくも申し訳なく、どう手を出そうかあぐねていると、横から龍馬の箸が伸びようとしてきた。
「佐吉の佃煮なら、わしが手伝おうかえ」
「結構です。いただきますね」
ささっと行儀の悪い箸を避けると、佃煮をご飯の上に招いて確保する。がっついたように見えるだろうか、という懸念は、滲むような情人の笑顔によって解けられた。隠し刀の食べ方が、少し調子を崩しながらも続けられるのに合わせ、もらったご飯をありがたく頂戴する。じん、と痺れて唾液が溢れるような味わいは格別で、先ほどまでの不埒な妄想を全て取っ払って行った。
格好つけている。柄にもない友人の姿に、龍馬は目を細めていた。勝、隠し刀、その情人である諭吉という図は何も今日が初めてではないが、龍馬は大概話すか食べこぼしの始末をするかで忙しいので、彼らの様子を冷静に観察することなぞついぞなかったのである。勝は江戸っ子らしい、小気味良いがややせっかちな食べ方で、諭吉はあっさりとして品が良い。どうして彼らは食べこぼしがないのか実に不可解である。何もしなくても――龍馬は自分の膝を見て米粒を摘んだ――自分は食べこぼしの方がついてくるというのに。
三人の中で最も食事を共にする機会が多かった隠し刀は、と言えば、初めて出会った時から不気味な食べ方をする男だった。まず、静かで会話らしい会話がない。ついで、勝よりも早く、さながら飲み込んでいるのではないかと思えるほどに早々と平らげてしまう。味の良し悪しを気にせず好き嫌いもなく、文字通り食べなくてはいけないので食べるという義務感すら漂わせていた。彼にとって、食事は無駄な動作なのだろう。さぞや忙しなく、食事らしい食事をする機会のない人生を送ってきたのだろうと憐憫の情を持って想像を巡らせたことさえあった。
龍馬にしてみれば、食事は幼い頃から大家族で和気藹々としながら楽しむ団欒のひと時である。味の良し悪しも大事だが、何より人と共にする娯楽の一つとして好きだった。食べる所作よりもそちらの方にばかり頭がいくためか、行儀作法に難点があるのは致し方あるまい。思えば隠し刀は、割合に早い段階で自分の世話を細々としてくれるようになった。お返しと言ってはなんだが、龍馬は隠し刀が食事の合間に話をするよう水を向け、味の良し悪しを自分の感覚として体験するようさりげなく誘導してきたのである。人間らしい食事をする隠し刀を見るのは、自分がこのひとでなしを人にする一助となったようで心地良い。
「食べ方を教えて欲しいんだが、良い師範がいないものか」
そんな男が、よりにもよって食べ方の教えを請うてきたのは青天の霹靂だった。思えばあれは、福沢諭吉という出来人と懇意にならんとする布石の一つだったのだろう。隠し刀の賢い点は、当然ながら単に食べることだけを考えて食べる姿は美しさからは程遠い事実を自覚していたことに尽きる。そして、本来手本にするべき龍馬や、やはり最初期からつるんでいる権蔵では参考にならないことは歴然としていた。岡田以蔵は野生児のように放浪する割に生真面目であり、親の躾が厳しかったために所作が美しいのだが(字も綺麗だ)、如何せん捕まえにくい。
さて困ったと二人してない頭を絞っていた折に出会ったのが、かの小笠原清務である。礼法に置いて右に出る者のいない、目指すべき北極星だ。先方は隠し刀の流鏑馬の腕前に関心を持ったために、互いの利益は見事合致した。尚、龍馬も数回は共にしたが、清務の志は立派なものだと感心することはできても実践することはどうしてもできずに逃げ出してしまった。見事皆伝まで果たしたという隠し刀の血の滲むような努力は尊敬に値する。
今や、隠し刀は食事をする相手に合わせた食べ方ができるようになっていた。職人の前であればかきこむように、攘夷志士の前では酒の合間にさりげなく、そして慣れ親しんだ穏やかな時間には行儀良く、ゆっくりと箸が動く。魚の小骨を取る美しさは元より一級品だったが、今日の出来栄えは芸術的でさえあった。
龍馬がチラリと諭吉に目をやれば、まだ佃煮を奪われるとでも思ったのか箸を動かす速度が上がる。彼はきっと何も知らないだろう。諭吉を魅了する情人が、水がかけられた植物よりも無意味に食事をしていたことや、食事を摂る時間を無駄に感じていたことも。そう、龍馬の目から見ても隠し刀の食べ方は満点で、どう見積もっても諭吉はそれに魅了されていた。格好つけ冥利に尽きるはずである。
「龍馬。袖が茶を飲んでいるぞ」
「なんじゃと!」
しばし感慨に耽っていたうちに、食い意地の張った着物は勝手に動いてくれたらしい。隠し刀の指摘に驚き袖を引き上げれば、茶を吸ってぼってりと重たくなっていた。勝が畳に溢すなと叱責を飛ばす。慌てて摘んで縁側に出て、ぎゅうと絞った水気を庭に撒く。黒い着物でなければ凹んでいたところだ。苦笑から、じゃれ合うような会話が背中越しに聞こえる。
「えいもんじゃ」
食事はこうでなくてはいけない。橋桁に捕まり警邏の目に止まらぬよう身を縮こませ、たくあんを半切れずつ分け合うような、侘しい食事はもう懲り懲りだ。友人や仲間と蟠りなく食卓を囲む時間のなんと良いことか。
太平の世は、きっとこの先に続いている。良い兆しを胸に抱いて、龍馬は団欒に舞い戻った。
誰かにじっと見られるというのは、なかなかどうして落ち着かないものだ。隠し刀は、綺麗に食べ終えたかを確認してから箸を置いた。任務の最中、敵から熱視線を受けることはそよ風ほどにも気にならないが、こと情人からとなれば話は違う。おかずを分けたことを差し出がましいと思ったのか、自分の食べ方におかしなところがあったのか、あるいは単に自分を見たかっただけなのか。
最後の一つであれば嬉しいな、と女中が持ってきた熱い茶を受け取りずっと一口啜る。濃い。体を巡る瑞々しい甘さは、それが新茶であることを告げていた。徳川幕府の始まりは駿河、彼の地は茶畑が稲田の如く広がるという。勝海舟ほどの人物であれば、少々拝領しても不思議はあるまい。続けて差し出された茶請けが花豆を炊いたもので、甘すぎず、だが口直しにはちょうど良い。ホロホロとした舌触りが心地よくて、口の中でいつまでも転がしているうちに消えてなくなってしまう。
「ふふ」
囁くような笑い声に我に帰ると、諭吉が依然としてこちらを観ていた。まつ毛が優しく揺れている。慈しまれているのだ、と気づいて隠し刀は嬉しさに顔が上気するのを感じた。先ほどの願望は、どうやら都合の良い夢ではなかったらしい。残念さを伝えるべく、もう何も入っていない口をかぱりと開いて見せると、何故だか諭吉はそっぽを向いた。
「足りないってか?いいぜ、取っておきだ。花りんとう、持ってきておくんな」
「承知しました」
面白いことに、隠し刀の気持ちを正確に読み取ったのは勝だった。こちらを観ていると気づかせずに意図を見抜くとは慧眼である。龍馬もでかした、と褒めてくれるというのに、諭吉はといえば黙りこくって唇をむぐむぐと動かすばかりだった。理性の人は、言いたいことがあっても口幅たい時、あるいは照れた時には眉と唇に感情が現れる節がある。二人きりであれば突いてやれるのに、と思うと実に口惜しい。
「龍馬、かけらが飛んでいるぞ」
「ほうか?すまんの」
花りんとうが届いて早々に跳ね飛ばす龍馬をすかさず援護する。長い付き合いの中で、龍馬がどの頃合いで食べこぼすかが正確に読み取れるようになっていた。良くも悪くも海のように広い心を持つ男にとって、自分の体は窮屈なのだろう。茶を啜り、自分も花りんとうをポリリと噛む。うどん状のものをからりとごま油で揚げているのか、香ばしくもじんわり甘さを感じ取れる逸品だ。龍馬が上物を進呈したことで、勝の心がくすぐられたのかもしれない。
「諭吉も食べてみろ。美味しいぞ」
「む」
今度は眉根まで寄せている諭吉の唇に、隠し刀は花りんとうをそっと押し当てた。開かぬ唇の間をゆるりとなぞり、少しの隙間を見つけて押し込む。じわりと溢れた唾液が唇を湿らせたが、花りんとうと共に中へと引っ込んでいってしまった。むぐむぐと動く唇が、咀嚼のために運動する。隠し刀は思わず見えぬ先を想像した。諭吉の舌は器用で、自分のそれよりもやや長く、広い。静かながらも声が通る秘訣は、喉の開きだ。がっしりとした歯にすりつぶされた花りんとうは、その開放感に身を委ねている頃だろう。
自分が体験する際には、当然ながら客観的に体の状態を観察することは叶わない。今度実践する際には、気持ちよくなるほど整然と動くその箸捌きを見せてくれた手指と共に、とっくりと眺めて記憶に刻みつけるとしよう。自然と食事が別の儀式と重なりゆき、隠し刀は今更のようにこの場にそぐわぬ想像であることに気づいた。おまけにここは他人の家である。今はせめて想像をもう少し続けよう、と花りんとうを摘み、何か言わんとする口に突っ込む。ふ、と頬が緩めばあちらも同じで、釣られるようにして龍馬まで肩をゆらせて笑った。
世の中は、まだまだどうにか目を開けたままでいられそうである。卓を囲む人々がてんでばらばらに考えを巡らせているのを、勝は痛快とさえ感じていた。美味い食事は美味い取り合わせで成立する。信頼を置いている諭吉はともかく、龍馬と隠し刀は目下使い物になるかを観察中だった。顔が広く、身元の保証がある龍馬はまだ良い。が、諭吉の情人である以外は不穏な事情しか聞かぬ隠し刀は、一体どんな人物なのだろう?
山がちな黒洲藩出の男は、食べ方は妙に静かでおとなしかった。おやつ時を共にしたことはあれども、きちんとした昼食を共にするのはこれが初めてである。食事時とは、どうしても手が埋まり口が埋まり無防備になる。その緩んだ隙に正体を見極めるのは、勝にとって仕事でもあり趣味でもあった。隠し刀とどう一席を持とうか散々考えていたところに、龍馬が佃煮を持ってきたのでこれ幸いとばかりに昼食にしたのである。
では隠し刀はと言えば、存外人間らしい振る舞いを見せてくれた。隣で盛大に食べこぼしをしている龍馬をそつなく気遣い、だが自分の調子を崩さずに食事を続けるのは至難の業だ。おまけに食べる速さは対面の諭吉に合わせている風である。諭吉の方は龍馬と相席するのが初めてなのか、彼の豪快さに珍しくも箸が乱れたようだった。
じっ、と諭吉が眼差しを隠し刀に注ぐ意味を、果たして受け止める当人はわかっているのかが掴めない。頭でっかちな男には珍しく、諭吉が全身から滲ませているのは愛情で、勝は健全なものとして肯定していた。自分が想い人からこんな目を向けられたら、くすぐったさに余計な口を叩いてしまいそうだが、隠し刀の冷静さは揺るぎない。しかも、諭吉がうっかり膳をお代わりしてまごついたのを鮮やかに救ったのだ!
観ていないようで、よく観ている。そして返した心が優しさであれば、抜け目なくも人間らしくて十分だと勝は判じた。諭吉が惚れた人物は真っ当だ。口寂しいのか、食べ終わった口をぱかりと開けた男に、勝は自分も同じく優しさを与えようと手を打った。
「足りないってか?いいぜ、取っておきだ。花りんとう、持ってきておくんな」
「承知しました」
今食べたらば、きっともっと美味しいだろうと思う。恐らく龍馬は食べこぼし、隠し刀は淡々と味わい、ついで諭吉にちょっかいをかけるだろう。諭吉はどうやら拗ねているようだから――さて、自分の読みは当たるだろうか。
腹の探り合いも、たまにはこんなくだらぬ些事であっても良いだろう。花りんとうについたざらめを舌の上で溶かし、勝はニヤリと笑った。
〆.