苦くて甘い「ねぇねぇ ヤギヤマも俺にバレンタインチョコくれたりする」
──勤務終わりに突然、まあまあの大きさの紙袋をこちらに寄越そうとしながらカズサが聞いてきた。
制服を脱ぎ、本部の敷地も出た、からには、僕も本音で答えていいだろう。
「その考えはなかったし、これから用意するつもりもない」
日付を超えた今は二月の十四日。やりようによっては間に合わせるのも充分可能であろうが、僕にチョコレートを調達する予定はない。
差し出された紙袋を受け取らず歩き出しながら正直に伝えると、カズサは
「だよねー!」
と笑った。
その笑みの中に──
ほんの少しばかりの陰りが、見えて、しまったものだから。
「……珈琲は、用意してある」
と、ついつい、溜息を交えながら話して、しまった。
「チョコレートに合うように焙煎した、と書いてあるやつを見つけたんだ、チョコレートはお前が用意するだろうなと思っていたから」
一声毎に白くなる吐息の向こう、少しばかりの距離を置いたカズサの、僕に向ける瞳が、その後ろにある月と同じようにまんまるくなる。
……どうせうちに来るのだろう、こういった行事事の日はいつもそうだから、と、着くまで珈琲の件は言わずにおくつもりだったけれど、カズサがここでチョコレートを出してきたものだから思惑が外れた。そのせいで多少の不機嫌顔であるのも、口調が荒くなってしまっているのも自覚している。
分かっている、思い通りにことが進まなかったからといってその不満を態度に出すのは正しくないと。
だが今はもう勤務外、隊長と部下ではなく気の置けない友人──とは、もう言い難くあるのも事実ではあるが、それはともかく──として、形式張った態度など取らずともいいだろう。
「何ぼーっとしてんだ、行くぞ、それ、うちで一緒に食うんだろ?」
いまだきょとんとしていたカズサは、僕の呼びかけでようやく追いついてきた。
「ええ〜? いいのぉ? 俺ヤギヤマの為に用意したのに♪」
「そんなでかい袋の中身、ひとりで食うのにどれだけかかると思ってるんだよ」
呆れながら見上げたカズサの、撓んだ両瞼の中にある瞳、そこに先の陰りはもう、ない。
ならばこれで良かったんだろう、僕はきっと、上手くやれた、充分だ。
そう、思いつつも。
「僕はカズサと飲む為に、珈琲を用意した」
そんな追い打ちをかけたのは、そう、この顔を見る為だ。
いつも自信に満ち溢れていて、何者にも左右されず、揺るがず、ともすれば傍若無人にも捉えられがちなカズサの、この──
「……っ、ふ、っははは!」
「っ、なに なんで笑ってんのヤギヤマぁ」
耳の先まで真っ赤になった慌て顔、それは普段のカズサからは掛け離れたもので、僕はそれが堪えきれないほどに可笑しくて、それでいて──愛おしい。
だけどそれは言わずにおこう、この歪な関係には、まだ、そのくらいがきっと丁度いい。
何でもない、と、おさまりきらない笑いを漏らす僕に、カズサは赤い顔のまま唇を尖らせている。
時に甘ったるく、時に苦く、それで──いや、それがきっと、僕らには丁度いい関係なんだと僕は思っているけれど。
俺は始終甘ったるい方がいい、と、カズサなら言いそうだなぁ、と、予想できてしまう程度には長い付き合いになった僕らは、いつまで一緒にいられるんだろうか。