もう一度「お兄様、聞いて聞いて!」
「……オリヴィエ、何度も言っているが、『お兄様』と堅苦しく呼ぶことはないぞ。呼び捨てでいい」
私は机で勉強に向けて座っていた椅子をくるりと回し、弟、オリヴィエの方へ顔を移した。
「う~ん……だけどやっぱり、お兄様って呼びたくて」
「ふむ……」
昔からそうだが、何故かオリヴィエは私のことを『お兄様』と呼ぶ。過去に理由を尋ねると「僕のせいではなかったとしても……お兄様とちゃんと、話をしてみたかったから」と、不思議な返事が返ってきたことを覚えている。その言葉を呟いたオリヴィエの顔がどこか寂しそうだったのでそれ以上は何も言えなかったが。
「それで、私に何か用か?」
「あ、そうそう! お兄様! お兄様は明日、きっと良いことが起こるよ!」
「え……?」
良い事? それはいったいなんだろう? 私が首を傾げるとオリヴィエはくすくすと微笑む。
「もしかしてまたあれか……? 『前世』がどう……というものか?」
「うん。そうだよ。お兄様」
そう。オリヴィエは、何故か不思議なことに『前世』の記憶を持っているらしい。最初に聞いたときはまさかと思ったが、新しい学校に転校することになったとき、「お兄様、あの金髪の方とお友達になれるよ」と言った。そうしたら本当に金髪の方……ジョシュアと友達になることが出来たのだ。
「お兄様、良かったね。今度こそ、幸せになってね……」
そう言ってオリヴィエは「おやすみ。お兄様」と言って部屋を出ていった。……何なのだろう。明日私に何が起こるのだろう……。
◇◆◇◆
「それでは、転校生を紹介する。入ってきなさい」
そう言ってクライヴ先生は教室の外で待機していた転校生を呼んだ。ガラリ、と扉が開く。
お兄様、良かったね。今度こそ、幸せになってね……。
「……!」
昨日の夜の、オリヴィエの言葉が頭の中で思い出す。転校生が教室の中へ入ってくる。その姿を見て、心臓がどきんと跳ねた。何故だろう。はじめて会うはずなのに。彼は……彼は……!
「それでは、自己紹介してくれ」
「はい」
彼は教室の壇上の上で、礼儀正しく一礼し、口を開いた。
「はじめまして。テランスと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
その端正な顔立ち、細いが鍛え上げられた綺麗な身体、そして見る者の心を和ます優しい眼差し……。
「席は……そうだな、ディオンの隣が空いているな。あそこに座ってくれ」
「わかりました」
どきり、とまた心臓が早鐘を打つ。彼が……近くに来る……。
こつこつ……と足音が教室中に響く。女子たちがうっとりとした表情で目線で彼の後を追う。しかし私はそれどころではなかった。
私の、心が叫んでいる。もう今度こそ、絶対に手を離してはいけないと。絶対に幸せになるのだと。何なのだろう。この気持ちは。オリヴィエ、これが……これが『前世』の記憶というものなのか……? オリヴィエ……! オリヴィエ教えてくれ……!
「ディオン……」
「あ……」
時が、止まった。隣の席に来た彼に声を掛けられて、私はかたまってしまう。どうすればいいのか、わからない。私はただ転校生の瞳をじっと見つめることしか出来ない。その瞳は何故か、私でもわかるくらいに、激情を孕んでいて……。
「ディオン……結婚しよう……今度こそ、一緒に幸せになろう……」
「え……」
そう言って彼は私に近づいてくる。いや、近づくなんて距離じゃない。顔が……もう、目の前まで……。
女子たちの黄色い悲鳴が聞こえる。男子たちの驚きの声が聞こえる。クライヴ先生が顔を真っ赤にしてこちらを見て仰天している。
唇が、熱い。彼の、閉じられた瞳の睫毛が綺麗だ。彼の吐息が唇に感じられる……。……キス……された?
「え、な、な……!?」
私は驚き、慌てて彼の肩を掴んだ。か、彼は何故私にキスを……!?
「……ディオンは、まだ思い出せていないんだね」
彼は子犬みたいにしゅんとした顔をする。しかしすぐに彼はぱっと顔を輝かせた。
「これからはディオンに過去にあげられなかった分、今回はいっぱい愛を捧げるから、覚悟していてね」
そう私に宣言すると、彼は私をぎゅっと抱きしめてきた。私は自分の感情と、彼の行動と言葉にわけがわからなくなる。私は助けを求めようと同じクラスのジョシュアに視線を向ける。しかしジョシュアは笑って手をひらひら振って「頑張って~」と言ってくる。ああ……私はどうしたら。
「さあディオン、まずは僕と恋人になってね。そして結婚して、家族になろうね」
……オリヴィエ、不思議だ。私は今わけがわからないことが起きているのに、心はこんなにも喜びでいっぱいになっている。もう私は彼と一緒にいる未来しか考えられない。
「……ま、まだ何が何やらよくわからないが……」
私はおずおずと彼をきゅっと抱きしめ返す。
「お、お前と……付き合いたい……愛を……育みたい……」
彼……テランスはにこりと目を細め、また顔を近づけてくる。今度は私も目を閉じた。
「い、いったい何が起こっているんだ……??」
私はクライヴ先生の動揺した声を面白く感じて聞きながら、テランスの甘い口づけを受けた。