いつか行けたら「ディオン様、少し休憩しませんか」
そう言ってテランスは私の瞳を見つめて提案をした。
私たちはオリジンでの闘いの後、ここ『隠れ家』で過ごしている。テランスは私と別れ、キエルを保護した後、なんとかここ、『隠れ家』に辿りつき、私の身体のリハビリの文字通り支えとなってくれていた。私はまだ身体が思うように動かすことが出来ず、日々『隠れ家』の遺跡の中を一周して歩く練習をしている毎日だった。初めは階段を上がる事さえできなかったが、今では『隠れ家』のなかをゆっくりと、しかし確実に歩きまわれるようになった。これは大きな進歩だった。今日も医務室からアトリウムへと進み、そして大広間からデッキの方へ向かおうとしたら、突然昇降機の前でテランスが言葉を発したのだ。
「休憩?」
「ええ……ディオン様、風に……少し当たりませんか」
テランスの提案はこうだった。舟に乗り、ベンヌ湖から見える景色を二人で見ないか、と。私はその提案に賛成し、昇降機を降りて、桟橋で暇そうにしていたオボルスから舟を借りた。
櫂を使い、テランスはゆっくりと『隠れ家』から離れないように舟を漕いでいく。私はその姿についうっとりと見惚れてしまった。テランスのしなやかな筋肉がよく動いているのが鎧を着ていてもわかる。普段見ない舟を漕ぐテランスの姿は新鮮で、私の心がときめいていくのを感じた。その様子を悟ったのだろう、テランスはにこりと微笑んで首を振った。
「ディオン様、どこを見ていらっしゃるのですか。見るのはあの綺麗な山々ですよ」
「ふふ……すまない。そなたがあまりにも美しくてな」
「ディオン様……そんな可愛い事をおっしゃって……あとでお仕置きですからね」
お仕置きとは何をされるのだろう。私は『隠れ家』に帰ったあとのテランスとの甘いひとときのことを考え、照れくさくなり、身体が熱くなるのを感じた。
「……本当に、世界は美しくなりました」
テランスのその言葉に、私は空を見上げる。もう、あの不気味な色をした空ではない。きらりと太陽の輝きを持った日差しが、私たちに暖かく降りそそぐ。……いや、暖かいどころか最近は暑く感じるようになってきた。
「……夏、ですね」
「ああ……」
私はベンヌ湖を見た。テランスが舟を漕ぐたびに、波が舟に当たり、水音が耳に届く。その音は聴くだけで涼し気でとても爽やかだった。視線を湖から山へと移せば頂上付近は冠雪していて、美しい白の光を放っていた。大変かもしれないが、身体が治ったらテランスと山登りをしてみるのもいいかもしれない。しかし山登りは準備をしなければいけないことがたくさんあると聞く。ベンヌ湖を囲む山々はどれも一筋縄ではいかない高さだ。私がバハムートに顕現出来たならすぐにテランスと共に頂上に行けるのかもしれないが、力を失った今はそれはもう叶わない。けれど、それでも良かった。人として、テランスと共に、雄大な自然に生身で挑む。それがとても尊く思い、そしてまたテランスと思い出が増えると思うと胸が温かくなった。
世界は変わった。これからも大変な日々は続くだろう。しかし、私は生かされた意味が知りたい。人生は季節のようだ。過ごしやすい日々もあれば、厳しい日々もある。私は今後厳しい日々が待っているのだろう。しかし私は逃げない。そのためにはまず、この身体を一日でも早く治さなければ。
「ディオン様」
ふとテランスから声を掛けられる。私は視線を移し、テランスの顔を見た。
「……何があっても、必ず、ディオン様を支えます。これからも、ずっと」
「テランス……」
さぁ……とベンヌ湖から風が吹いた。ふわりと髪が舞う。
「ずっと、です。ディオン様……」
そうしてテランスは『隠れ家』へと向きを変えて、舟を漕ぐ。見ると桟橋のところにキエルが大きく手を振っているのが見えた。私も手を振り返す。
「……なあ、テランス」
「はい?」
「今度、『隠れ家』のなかで、山登りに詳しい人物に話を聞いてみないか? 出来れば初心者向けで、キエルにも登れそうな山を」
テランスは一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐに顔をほころばせて頷いてくれた。
「そうですね。一緒に探しましょうか」
私は嬉しくなって、つい舟の上で立ち上がり、テランスにキスをした。「うわぁっ」とテランスが照れて声を上げて、舟が揺れ、私たちは湖に落っこちてしまいそうになった。その様子を見たのだろう。キエルが笑う声が風に乗って運ばれてきた。