娘と父親「「授業参観?」」
ディオンとテランスの声が重なった。
「そう……。授業参観」
ディオンがキエルから手渡された一枚のプリントに書かれている内容を確認する。それはキエルが通う学校からの『授業参観日について』というものだった。
「この日に作文の発表をするの。だから……」
ディオンは授業参観日実施の日にちをカレンダーで確認する。その日は仕事があり、授業参観日は平日。だが大事な娘の晴れ舞台だ。ディオンは仕事を休んででも行きたいと思った。それはテランスも同じ考えだろう。幸い今仕事を休んでも特に忙しい時期では無いため一日に二人とも休んでも問題ないだろうと判断した。
「キエル……、わかった。必ず二人で行く」
ディオンはプリントに記載されている内容をざっと読み、顔をあげてキエルに言った。
「うん……」
キエルはこくん、と頷いた。
「キエル。もう夜遅い時間になってきた。明日も学校だし、寝た方がいい」
テランスはキエルの肩に手を添えて、ディオンと一緒にキエルの部屋へと連れていく。キエルがベッドへ寝転がるの見届けると、布団をキエルの肩にまでふわりと掛けていく。
「おやすみ。キエル」
「うん……、二人とも、おやすみなさい……」
ディオンとテランスは、キエルの頬にお休みのキスを落とした。
どうりで最近キエルは眉間に皺を寄せて、机に向かって何か書いていると思ったら授業参観に向けて作文の準備をしていたのか、とディオンは振り返っていた。何を書いている? と尋ねても何でもないと言われてしまい、そのままだったのだがそういうことだったのか。
それにしても授業参観か。学校で何かを自分で発表するなんて、子供には大変だったろうと思うが、もうそれをしてもいい年齢になったということだ。時が流れるのは早い。
キエルには両親や兄弟がいない。唯一の家族だった祖母も亡くなってしまい、兄弟とも離ればなれになって、身寄りのない子供がいる施設に預けられていた。ディオンとテランスは結婚した後、子供が欲しいと考え、相談所へと二人で行ってきた。そこで出会ったのがキエルである。まだ小さかったキエルを精一杯二人で大事に育てていこうと誓った頃を思い出す。
はじめは手探りだった。キエルも知らない男二人が突然家族になったことで子供ながらに戸惑い、今でもその状態が続いていてディオンのことを『ディオンさん』、テランスのことを『テランスさん』と呼んでいる。ディオンもテランスも無理やり父と呼べと強制はしなかった。いきなり言われてもキエルの負担になるだけだろう。それにキエルには過去に本当の両親がいた。だからこのまま『ディオンさん』『テランスさん』でもかまわなかった。
ディオンもテランスもキエルのために様々なことをした。ちょっとした旅行、誕生日お祝い、愛情をこめておやすみのキスも欠かさずした。キエルに「この家に来てくれて、ありがとう。愛してるよ」と何度も言った。
そんなある日、キエルが涙を流した日があった。どうしたのかと尋ねると「おばあちゃんが死んだ日なんです」とキエルは言った。「おばあちゃんに会いたい。兄弟に会いたい」とキエルはわぁわぁと泣きじゃくった。胸がぎゅっと痛み、ディオンとテランスは二人で、泣くキエルを力いっぱい抱きしめた。確かにキエルを家族として引き取った。けれどキエルの『本当』の家族の代わりにはなれない。ディオンとテランスは歯がゆさを感じ、キエルと共に、みんなでその日は泣いた。キエルはその後も寂しさに泣いてしまう日々が続いた。
「キエル、寝たな……」
「そうだね、ディオン」
キエルが寝息を立てはじめたことを確認し、二人はキエルの部屋を後にした。
ディオンはもう一度授業参観について確認しようと、プリントを置いたテーブルの傍にあるソファに座った。隣にテランスも座る。
「授業参観か……、すこし緊張するな」
「キエルより緊張しちゃうかも、僕……」
テランスのその様子にディオンは、「ははっ……」と微笑んだ。テランスもくすりと目を細める。そしてお互い見つめあうと、二人で軽くキスをした。
「っ……て、らんす」
「ディオン……」
ちゅ……、くちゅ……、とお互いに舌を絡めあう音が室内に小さく響く。もっと熱いキスが欲しくなり、ディオンはテランスの首に腕をまわそうとした。
「あっ……、くっ!」
「ディオン!?」
そのとき、ディオンの右腕がぎしりと痛んだ。あまりの痛みに歯を食いしばり、右腕を思わず掴む。テランスは慌ててディオンの右腕を包む服の袖をまくった。そこにあるのは石のように固くなった灰色の腕だった。
ディオンは身体が徐々に石化していく難病を抱えていた。今も多くの医学界が治療法がないか奮闘しているところだった。しかし今のところ良いニュースは聞かない。テランスが泣きそうになりながらディオンの右腕を慎重にさする。
「問題ない。いつもの痛みだ……」
「ディオン……」
「すまない……テランス。いつも迷惑をかけて」
「迷惑だなんて……、もっと頼ってほしいよ。ディオン……」
痛みのせいで先ほどまでの身体の火照りがお互いに冷めてしまい、ディオンはテランスの肩に頭を置き、身を寄せた。テランスも同じように身を寄せ、ディオンの手を握りしめる。
そのときふと、カタ……、と背後から物音がしたような気がした。
「?」
ディオンは後ろを振り返る。しかしそこには扉が閉じられているキエルの部屋があるだけだった。
「ディオン? どうしたの?」
「……、いや、なんでもない」
気のせいか? と思い、ディオンは気にしないことにした。
キエルが通う学校の授業参観日当日。ディオンとテランスはキエルのいる教室に入った。もうすでに周りには他の生徒の親が、生徒たちが座っている席の後ろの方に窓から出入り口の扉まで横位置列に順に並んでいた。ディオンはキエルはどこだろうと教室を見回す。そして見つけた。キエルは教室の丁度真ん中の席に座っていた。キエルが気配を感じたのか、後ろを振り向いた。ディオンとテランスはキエルに手を振るが、キエルは黒板がある正面に視線を戻した。そのキエルの仕草に一抹の寂しさを覚えるが、仕方がない。
そして数分後、教室にキエルのクラスの担任の先生が入ってきた。先生は生徒達の親にまず挨拶をし、それから生徒達に話しかけ始めた。
「さあ今日は皆に『幸せな時間』という題名で作文を発表してもらいます。皆、作文は出来ていますか?」
「は~い!」
生徒達は大声で元気良く教壇にいる先生に返事をする。周りの生徒は元気が良いが、キエルは下を向いたままだった。ディオンとテランスはその様子に不安を覚えた。
「それでは作文を読む順番は出席番号順にします。準備はいいですか? 今日はお父さん、お母さんが来ているから緊張すると思うけど、精一杯頑張りましょう。御父母の方々はどうか、生徒が作文を読み終えたら盛大な拍手をお願いいたします」
先生がそう言うと後ろで説明を聞いていた親達が頷いた。ディオンとテランスも静かに頷いたが、下を向いたまま動かないキエルのことが心配だった。
「……なので、僕は弟と召喚獣合戦ごっこをするのが『幸せな時間」です!」
生徒の中の一人の男の子が読み終えると、拍手が鳴り響いた。ディオンとテランスも元気よく読み終えたその生徒に拍手をする。
「はい。弟と遊ぶのが『幸せな時間』なのですね。ありがとうございました。席についてください。さて次は……キエルさんの番ですね」
ドキリと後ろで発表を聞いていたテランスが身体を緊張させた。ディオンはとうとうキエルの番が来たと、テランスの腕を思わず握りしめる。キエルは何を発表するのだろう。
キエルが椅子の音を鳴らして立ち上がる。
「それではキエルさん。発表をお願いします」
「はい……」
しかし、キエルは作文を持ったまま動かず、沈黙してしまう。そのまま数秒経ち事態のおかしさに親や生徒達が「どうしたんだろう」といった様子でキエルを見つめはじめる。
「キエルさん?」
先生も異変を感じ取ったのか、キエルにもう一度呼びかける。そこでキエルは、はっとした顔をして、ゆっくりと作文を読みはじめた。
「私は……、私は父と三人で住んでいます……」
発表が始まり、教室中が安堵の雰囲気に包まれた。しかし次の言葉で場が静かになった。
「父は、思うように動かない右腕を持っています。その病気は難病で、今でも治療法が見つかっていません」
ディオンはギクリとした。まさかこの場で自分の病気のことを発表されるとは思わなかったからだ。それまで明るい話題の発表が続いたため、キエルの重たい内容の作文に教室がさらに静かになる。ディオンとテランスもキエルが次に何を言うのか、静かに見守った。
「……私たちは本当の家族じゃありません。でも父たちは……、いつもこんな……、泣いてばかりの私に優しくしてくれて……」
キエルがくしゃりと音がするほど作文の紙を握りしめる。
「だから……、だから……っ」
キエルが後ろをバッと勢いよく振り返る。
「ディオンさん! おばあちゃんみたいにいなくならないで!」
「キエル……!?」
突然のキエルの悲しみの叫びにディオンとテランスは驚く。そして涙をいっぱいに溜めたキエルがさらに言葉を続ける。
「私、頑張るから! ディオンさんの右腕が治るお薬用意出来るようにお勉強頑張るから! だからお願い! 死なないで! 私をまたひとりぼっちにしないで!」
キエルがわっと泣き出した。ディオンとテランスは周りにかまわず、思わずキエルの席まで駆けだす。ディオンは混乱した。知っていたのか? 自分の右腕が石化していることを。キエルに話したことなど一度も無いのに。
「キエル!」
ディオンとテランスは思い切りキエルを抱きしめた。キエルも二人にぎゅっと抱きしめ返す。
「私、知っちゃったの……。ディオンさん、石化の病気だって。私、知らなくて……。苦しかったはずなのに、それなのに、いつも二人とも私のことを気にかけてくれて……っ」
「そんなこと……っ、家族なんだから当たり前だろう!」
「そうだよキエル……っ。」
ディオンはキエルをさらに力強く抱きしめる。テランスも抱きしめながらキエルの頭を撫でる。二人に包まれながら顔をあげ、キエルは唇を開いた。
「ディオンさん……、ディオンさんのこと『パパ』って呼んでもいい?」
キエルのその言葉にディオンは涙が急速に盛り上がってくるのを感じた。
「ああ、もちろん……もちろん……っ!」
キエルが今度はテランスの顔を見上げる。
「テランスさん……、テランスさんのこと『お父さん』って呼んでもいい?」
「キエル……」
テランスは深く頷いた。それによりテランスの目から涙がこぼれ落ちていく。
しばらく三人で涙を流しあった。周りの人々はその様子をしん、とした沈黙の中優しく見守ってくれた。少しずつ嗚咽が収まりつつあったキエルは涙を拭いて、二人に抱きしめられながら顔を前へと向いて、作文を読み直した。
「だから、私は……、パパとお父さんと私、家族と過ごす時間が『幸せの時間』です」
最初は教室中が静かだった。しばらくしてパチ…パチ…と微かに音が聞こえ、大きな盛大な拍手の音が鳴り響いた。それはディオンとテランスとキエルが、初めて本当の『家族』になれた瞬間だった。
「キエル……、もっと私のことを『パパ』と呼んでくれないか?」
「うん! パパ!」
「キエル、僕も……『お父さん』ともう一度呼んでほしいな」
「もちろん! お父さん!」
ディオンとテランスはキエルからの『パパ』、『お父さん』という言葉に心から感動し、喜びを噛みしめていた。
「愛しているぞキエル。これからも家族三人で幸せに暮らそうな」
「うん! パパ」
「じゃあ、今日の記念にどこか美味しいレストランでご飯でも食べに行こうか」
「嬉しい! パパ、お父さん、大好き!」
キエルがディオンとテランスの頬にキスをする。そのお返しにキエルの右頬をディオンが、左頬にテランスが優しくキスをした。
その後キエルが大人になり、石化を治す薬を発見するのはまた別の話……。