愛情と子供「ううむ……この場合どうすれば良いのだ?」
「大丈夫ですか……? ディオン」
ディオンとテランスは悪戦苦闘していた。ほぎゃあほぎゃあと泣く、ディオンの腕の中にいる、この小さな赤ん坊に。
話は数日前にさかのぼる。同じアイドル仲間のジョシュアとその結婚相手、クライヴが育児による過労で二人とも倒れてしまったとの連絡が入った。ディオンとジョシュアは同じ歌手グループとしてデビューし、クライヴはジョシュアのマネージャー、テランスはディオンのマネージャーとして忙しい日々を過ごしていた。
そんなある日ジョシュアがクライヴと結婚し、満たされた人生を歩み、そんな日々が続き、そしてクライヴがジョシュアとの子供を産んだのだ。
はじめはジョシュアもクライヴも産まれてきた赤子にたくさんの愛情をそそいできた。しかし数か月経った後に育児の辛さは徐々に二人の身体を消耗させ、二人とも同じタイミングで具合を悪くしてしまったということだ。幸いすぐ体調が回復するとのことだったが、それまでの間赤子の世話を誰かに頼まなくてはならない。そしてディオンはすぐに「私が二人の子を預かる!」と言ったのだ。
「本当にごめん! それじゃあよろしくね、ディオン、テランス」
「本当にすまない。何かあれば、すぐに連絡をしてほしい」
顔色が悪いジョシュアとクライヴが、ディオンとテランスに名残惜しそうに赤子をそっと手渡した。ディオンは気を付けながら眠る赤子を抱きかかえる。重い。ディオンは想像よりも重い赤子の体重に一瞬不安を覚えた。大切な友が具合を悪くしているのだから助けなければ、それにその間赤子も寂しかろうとすぐにジョシュア達の赤子を預かろうと決心したのだが、果たしてうまくやれるのだろうか……。
もし自分のせいでこの大切な二人の赤子になにかあったら……。
そのときポン、ディオンの肩に手が置かれた。テランスの温かな手のひらだった。
「安心してください。お二人の体調が治るまで、必ずこの子を安全に、きちんと育てますから」
テランスのその言葉にジョシュアとクライヴも、……そしてディオンもほっとした。一人だけでは大変かもしれないが、テランスも一緒であればなんとかなるかもしれない。
ジョシュアとクライヴは名残惜しそうに帰り、ディオンとテランスは家へと戻った。
二人は悪戦苦闘していた。あらかじめ乳児についての知識をネットや本等で調べてはいたがこんなにも大変だったなんて。
まず何故泣いているのかわからない。ミルクか、おむつを替えるのか、両方試したが泣き止まない。ベッドに寝かせるが、泣き止んだかと思えばまた泣いてしまい、抱っこをしたら泣き止む。これを何度も繰り返すと腕が重さで痛くなる。
「テランス……これは……」
「ええ……。すごく、大変ですね……」
こんな生活をジョシュア達は仕事をしながら数か月も過ごしていたと思うと尊敬すると同時に心身共に疲労がたまるだろうと容易に想像が出来た。テランスもそれを感じたのかディオンに抱っこされている赤子を見つめていた。
「ディオン、次は私が……」
ディオンは赤子をそっとテランスの腕の中へ移動させる。泣きつかれたのかすぅすぅと赤子が眠っている。眠る前はあんなに大騒ぎだったのに、今ではしんと静かだ。
「…………」
「…………」
二人は黙って赤子を見ていた。大変だった。たった数時間しか過ごしていないというのにくたくただった。
なのになぜだろう。赤子を見ると不思議と温かい気持ちが芽生えてくる。
「…………私は」
ディオンがぽつりとつぶやいた。
「私は親から子へそそぐ愛情というものが……どういうものか、わからない」
テランスは、はっとした。ディオンとは昔からの幼馴染だったが、ディオンの家庭が崩壊しているのをテランスは知っている。親……、特に父に認められたかったディオンだったが、その願いもむなしくディオンの父は数年前に他界してしまった。
「ジョシュアが大変だと知ったとき、すぐに行動に移していた。……だが今更になってひどく恐ろしい……。軽々と赤子の世話を引き受けてしまって本当によかったのか、この赤子をさらに不安にさせてしまうのではないかと。万が一怪我でもさせてしまったらと思うと……!」
「ディオン……」
ディオンは俯いた。
テランスは抱きかかえている赤子に気を付けながらディオンの手のひらを掴み、赤子の方へと近づける。
「テランス……? 何を?」
「ディオン……大丈夫。大丈夫ですよ」
ディオンがわけがわからなさそうに赤子へと近づけられた自分の指と、テランスの顔を交互に見る。
「あ…………」
すると赤子が、ディオンの指を、小さな手のひら全てでそっと握ったのだ。
「…………っ」
小さい。だが……なんて温かくて、そして力強いのだろう。
呆然と指を握られたまま固まってしまったディオンに、テランスは顔を上げて言う。
「私がいます」
「え…………」
ディオンがテランスに顔を向ける。
「私がずっと……、ディオンの傍にいます」
テランスはディオンにキスをした。ちゅっと軽く音をたてて、そしてディオンをじっと見つめる。
「私があなたへ愛を与えます。ずっと傍にいます。どんなに辛い時でも、必ずお傍を離れたりしません。……共にこの子に愛情というものを教えてあげましょう」
「テランス……」
ディオンは俯いた。はぁ……と息を吐き、しかしその目尻にはきらりと光る涙が浮かんでいた。
「ああ……、そうだな。そなたとなら、出来るな」
ディオンはテランスへ、先ほどの返しとばかりに、テランスへ口づけた。今度は深く、舌を絡ませあいながらのキスを。
「…………ん」
「は……、ぁ…………」
キスに夢中になっていた二人だったが、その時かすかに抱いていた赤子から声がした。
「え?」
二人同時に顔を向けると、赤子が二人を見つめてキャッキャッと笑っていたのだ。
「笑っている……」
「もしかしたらジョシュア様達もこのようにして子育てをしているのかもしれませんね」
ディオンはその言葉にカァっと頬を赤らめ、恥ずかしそうにテランスの肩に頭を預けた。その僅かな衝撃に、テランスは笑い、もう一度、赤子を抱きしめなおした。
「二人とも……! 本当にありがとう!」
「この恩は忘れない。今度もし二人に何かあったらすぐに助けを求めてくれ。全力で支える」
数週間後、ジョシュアとクライヴは体調がなんとか回復し、ディオンとテランスは赤子を車に乗せ、ジョシュア達の家へ一緒に連れていった。今か今かと愛する我が子を待ちわびている二人を見つけ車を降り、玄関口で二人を待っていたジョシュアとクライヴはディオン達へお礼を言った。
「さあ、パパ達のところへ戻るのだぞ」
二人の赤子を抱きかかえていたディオンは、ジョシュアへそっと渡そうとした。
「……?」
「あれ……??」
すると赤子はディオンの服を握ったまますやすやと寝ている。その様子にディオンはくすりと微笑み、そっとその掴んだ指をひとつずつ外していった。
「ほら、お前のパパ達のところへお帰り」
ディオンは今度こそ赤子をジョシュアに渡した。先ほどまで胸の中にあったミルクの匂いがした温かな重みが消えていく。ディオンはそれを少し寂しいと感じた。
「可愛かったですね」
「ああ……」
ディオンとテランスはジョシュア達の家を去り、テランスがハンドルを握る車の中で話をしていた。
赤子の世話は大変で、あっという間に時が流れた。でもなぜだろう。赤子との日々を思い返すと、優しくて温かな気持ちになれるのは。ディオンはその意味を考えていた。
「…………なあテランス…………」
ディオンが車の窓の外を見ながら、テランスを見ないようにつぶやいた。
「はい?」
渋滞で動かない道路を見ながら、テランスはディオンへ顔を向ける。見るとディオンの耳が赤くなっていることに気づく。ディオンは緊張しているのか口を開けては、また閉じ……、を繰り返し、そして決意を固めたかのようにテランスへ顔を向けた。
「……私も……子供が……、欲しい」
「…………」
テランスは座っているシートから身を乗り出し、ディオンへ口づけた。
その後アイドルのディオンがジョシュア達に続き、妊娠したとの情報が世間を駆けめぐることになる。