左寂ドライブ「……先生、なに食いてえよ?」
「う〜〜ん、どうしようかなぁ」
頬に指を当てるお得意のポーズをしながら青棺左馬刻の運転する車の助手席で神宮寺寂雷はゆったりと微笑んだ。二人は久々の逢瀬で、これから食事に行くことになっている。とても多忙な二人は店を予約することはだいぶ以前からしなくなっていて、今日も時間と互いの腹具合を見つつ移動しがてら店を決めるつもりだった。付き合いたての頃は互いにそれなりに気を張ってあちこち予約したものだがことごとく予定が潰れたり変更になってしまったりするので二人とも謝ったり謝られたりについには可笑しくなってしまって、自然と予約はしなくなった。時間が二人にそういうものを課さなくなったのかもしれない。いい感じにこなれた二人はとても良好にお付き合いを続けている。医者とヤクザという肩書きはもはや、そういう設定だよね、と寂雷が左馬刻の柔らかく白く美しい鼻先をかぷりと噛んで寝しなに笑ってじゃれるくらい甘やかなものになってしまった。左馬刻はまだ時に笑えないが、寂雷があまりに艶っぽく相反して無邪気に笑うのでうやむやになってしまっている。掴まれてるなあと思う。
「左馬刻くん、また車変えたの?」
寂雷が、シートの薄皮の一枚上を指紋のつかない触り方で撫でた。
「あ?あぁ、これか。俺様も乗るの今日が初めて」
左馬刻が愛車として使っていた組の車が今日お釈迦になったので新しい車を調達させた。国産車のこのブランドは気に入りだったが、昔の角張ったデザインが好きだったとも左馬刻は思う。
「新車くせぇか?お気に召さねぇ?」
「いや、大丈夫。気にならない」
「あ、そ」
「うん。」
「てか、何食うよ?あんた、ちょっと痩せたか?ちゃんと食ってるか?」
左馬刻は、いつも思う。この神宮寺寂雷という男は久々に会うといつも細くなっている気がする。以前そう告げると、「周期じゃない?君はいつも、三日月前後の私に会ってるんじゃない?」と笑い、左馬刻は煙に巻かれたと思った。が、しかし実際抱いてみるといつも大体変わらない質量でホッとすると同時に、この人は本当に月みたいなもんなんだなと思う。月は、1ミリも痩せたり太ったりしない。ただそこにあるだけ。地球からの見え方が違うだけで。
「よく食べてるよ。今日も納豆巻きを三本、食べました」
「少ねえよ、野菜も食えよ」
「食べているよ」
君こそ野菜、食べなさいね、と言いながら寂雷は納豆巻き三本の他にコンビニのサンドイッチとサラダチキンと豚汁と親指くらいのサイズの長方体の栗羊羹を四つ食べたことは伝えなかった。左馬刻に甘やかされるのが単純に心地よいからだ。そして彼が、他人に本当は優しく尽くしたい人間だというのを知っているから。
「肉?魚?中華は飽きたか?和食?」
「そうだねぇ……」
「なぁ、言ってくれよ。わかんねーから。腹はすいてるんだよな?」
左馬刻の声に少し焦りと苛立ちが混ざるのを寂雷はうっとり聞いた。子犬のワルツみたい。この先インターの分岐点があるので、目的の店を何系かだけかでも絞りたいんだろう。
「……そうだねぇ」
「焦らすなや、センセ。」
「じゃあ、私の家。」
「は?」
「私の家に来て、左馬刻くん。」
「えっ、なんで、メシは……?」
「前見て運転に集中しなさい、危ないよ」
チッ、と舌打ちが聞こえる。スタッカート、軽やかに。
「……きみ、今ご飯なんて落ち着いて食べられないでしょう」
「はぁあ?!?」
「お仕事、お疲れ様だったね。私に会う為に、急いでくれた?無理はよくないよ」
「……あんた、何、なんで……。」
左馬刻は一瞬動揺したが、すぐ立て直した。神宮寺寂雷と付き合うということは、つまりこういうことなのだ。
「……ハハッ、新車より血の匂いがヤベーか?」
手の甲を嗅ぐサービスポーズをとる。寂雷はにこりと笑った。
「そうだね。」
「かなわねぇなぁ」
「負けを認めるの?」
「タチが悪りぃよ、センセ」
死ぬほど洗ってきてんのによぉ、と、時速118キロのランプが灯る中、左馬刻は寂雷の下唇に狙いを定めて噛み付くみたいにキスをした。なぞって舌を入れて秒で引っこ抜く。
「……ふふ、口の中はさすがに血のにおいがしないね」
「たりめーだ、顔殴らせるようなダセェ仕事、してねーよ」
「そうだね、きみが大人になってよかった」
きみの顔、大好きだから。傷つくと困る。
「面喰い。」
「きみは、違うの」
笑いながら路面に吸い付くように車は走る。左馬刻は寂雷の身体から発せられる余裕綽々の分厚い生き様の皮を暴きたくなって削ぎたくなって困る、全部ひん剥いて今日こそは勝ちたい。けれど。
「でもよ、先生」
「なぁに」
寂雷はもう言いたいことを伝え終えたみたいにシートに身を預けて、乱暴なスピードで丁寧に運転され走る左馬刻にもう手懐けられつつある車中でくつろいでいる。
「やっぱダメだ、メシ。先に腹にいれねーと」
「どうして」
「あんたのこと、無茶苦茶にしちまう」
「いいよ」
「よくねぇ」
「あのね。」
たっぷりの心地良い間。左馬刻に『待て』の芸をさせることが出来るのは、この男だけだ。
「きみのことはわかるよ、電話を受けた時から、声で、わかったよ。だから、私も準備、しているのでね。気にしなくていい。」
好きにしていいよ。
「……ッ、あ〜〜〜!!もう!!」
クソが!!
左馬刻はハンドルを叩く。
「汚い言葉、よしなさいね」
「最悪、あんた、タチ悪すぎ」
「褒め言葉かな?」
舌打ちを一つして、左馬刻は車線変更をする。寂雷の自宅へ向かう為に。
「いい子だねぇ」
「どうなっても知らねぇからな」
「言ったでしょう、好きにしていいよ。」
新車が血に欲のにおいを足して汚れる。左馬刻は、この人もまた、大きな仕事を終えたのだろうなと察する。残念ながらまだ、断定できる域にまで達していない。けれどじきに抜くと若者の真っ直ぐなパワーの愛の強さで思っている。二人は静かに、互いの腹のうちの欲を宥めた。もう少しで、美味しいご飯ですよ。
腹をすかせた二匹の獣が高速を駆ける。早く速く、はやく。ちゃんと獣に戻してあげたくて後押しするみたいに、バックミラーに満月間近の月がぼんやり写っていた。