HOME SWEET HOME(3) そうして山の暮らしが始まった。
朝早くにイサミは花の仕入れのために車で山を降りる。確かに店からは遠くなったが、車で通えば大した違いではない。一方スミスはルルの保育園の時間に合わせて起き、慌ただしく朝の支度をしていた。
「ルル!もうすぐ出るぞ!」
「スミス、髪やって」
「え、今から!?」
子供というのは思う通りには動いてくれないものだ。スミスはその太い指からは想像出来ぬほど器用にルルの髪を結い上げ、後に青いリボンを結ぶ。ルルは最近この青いリボンがお気に入りなのだ。
「ええっと、水筒は入れたし着替えもOK、よしイサミは弁当持って行ったな!」
昨日のうちに作って冷蔵庫に置いておいたランチボックスがちゃんと消えているのを確かめて、スミスは今日も元気に車のエンジンを掛けた。庭では初夏の花が満開だった。
「ルルちゃん、おはよう〜!」
「せんせい、おはようございます!!!」
園に着くと保育士のミユが二人を迎えてくれた。既にたくさんの園児たちが登園している。その中に友達の姿を見つけ、ルルはすぐに駆け出して行った。
「あ、ルル!」
「いいですよぉ。登園バッグはこちらでお預かりしておきますね」
「すいません」
ルルの着替えや水筒の入ったバッグをミユに渡す。他の女の子はピンクや赤のリュックが多いが、ルルのお気に入りはスーパーヒーローがプリントされた青と紫のリュックだった。
「あいつ…もう友達出来たんですね」
「ええ。最初は言葉の違いに戸惑っていたみたいですけど、ボディランゲージっていうんですかね…ルルちゃんは外遊びですぐにみんなと仲間になって」
駆けっこやジャングルジムを登るのに言葉は必要無いらしい。もっともこの短い間にもルルはすごい早さで日本語を覚えている。スミスの方がルルに教えて貰うくらいだ。
「では、ルルちゃんのことはお任せ下さい!」
「あ、今日俺ちょっと仕事が遅くて…お迎えは代わりの人に頼んでますので」
「連絡帳にお名前書いてあります?あ、でしたら大丈夫です!いってらっしゃい!」
保育士のミユはいつでも元気で、子供たちだけでなく働きに出る大人も元気づけてくれる。彼女の声に送られてスミスは仕事へと向かった。
今日は地元の地主たち一人一人の元を回って説明をする。川田に限らずこの町で長く暮らす者たちは地域開発に消極的な者が多い。ましてやそれが海外に本社を置くリゾート会社とあっては尚更だ。スミスは彼らを頑固な古い人間だとは思っていなかった。むしろ地元に深い愛情を抱く人たちだ。手を取り合うことが出来ればきっと強力な味方になってくれる。スミスは彼らには分厚い資料を積むよりも直接の話し合いが有効だと直感していた。
「よぉし、頑張るぞ!」
スミスの赤いハイトワゴンはその気合いとは裏腹に、トコトコのんびりと山道を上がっていった。
町のスピーカーから夕焼け小焼けが流れる頃、ブレイブフラワー…イサミの営む生花店は今日も無事営業を終えた。店先に出していた椅子とテーブルを片付け、残った花の水を変える。開き切ってしまった花はもう明日には売り物にならないだろう。家にでも飾るかと茎に水を含ませたスポンジを巻き、簡単に包装した。
店を閉め、花束を荷台に乗せてイサミは年期の入ったバンを発車させた。この車も家を借りる時に一緒に川田に紹介されて中古で買ったものだ。不動屋なんだか中古車バイヤーなんだか分からない。田舎では職種に関わらず色々な人の世話を焼き、誰かに誰かを紹介することを生業にしているような人が少なからずいる。だからこそイサミもスミスを紹介したのだが。
イサミはこの町の出身だが小学校の高学年から大人になるまでは別な町で暮らしていた。だから大人同士の付き合いや、古いしきたりなどに触れる機会が少なかったのだ。外国人観光客が街に溢れ、オリンピックが開催された町でも心から外国の文化を受け入れたわけではないということを、今回のことでイサミは嫌というほどに知った。川田はイサミが子供の頃からの知り合いだし、リターンするにあたって世話にもなっている。本当なら揉め事など起こさずにいたいのだが。
イサミのバンは山とは逆の方向に走ると、保育園の前に停まった。迎えの時間とはいえ日が長いこの時期はまだ山の端にも夕日は沈まず、昼間と同じように明るい。親の迎えを待つ子供たちがたくさん園庭で遊んでいた。
「イサミィィィ!」
園に入ってきたイサミを見つけて、ルルが走り寄って来た。朝とは違うスモックに着替えていたが、それも既に泥だらけだ。
「今日はスミスは遅くなるから俺と一緒に帰るぞ。いいか?」
「うん!ルル、イサミと一緒に帰る!」
まるで本当の親子のようにイサミに懐いたルルはすぐにぎゅっとイサミの分厚い手のひらを握った。
「ルルちゃん、帰っちゃうの?」
「まだ決着ついてないよ!」
園庭で遊んでいた園児たちがルルを取り囲む。
「うん!今日はイサミが来たから帰る!また明日!ガーガピ!」
「ガーガピ」
園児たちは謎の挨拶をして手を振って別れた。
「ルル、ガガピってなんだ?」
「新しい言葉!ルルが考えた」
どうやらルルが思いついた奇妙な言語が保育園では流行っているらしい。海外の子だからと仲間外れにされてるのではと心配していたイサミはほっとした。子供同士の方がよほど分かり合えるらしい。
「イーサーミーさんっ!」
「え…ミユ!?」
「お久しぶりですぅ〜!」
ミユはイサミとヒビキの一学年下の幼馴染だった。家業を手伝っているヒビキとは違い、保育士の免状を取って地元に戻って来たのだと言った。会うのは小学校の時以来だった。
「ルルちゃんってスミスさんちのお子さんですよね?なんでイサミさんが?」
「ああ、今日は帰りが遅くなるから代わりに…」
「代わりにお迎え?まるで夫婦みたいですね…っ!スミスさんとはどういったご関係で!?」
久しぶりに会ったミユはなぜかやたらとスミスとの関係を聞きたがったが、それはイサミにも説明が難しかった。仕事の同僚というわけでも、格別親しかったわけでもない。成り行き上一つ屋根の下で暮らすことになっただけだ。
「ええと…。ルームシェアしているというか…同居人?」
「同居人!!!!!」
確かにただの同居人が子供の送り迎えまでしているなんておかしな話だ。最近は小さな子供に悪さをする大人も多いというから、保育士も用心しているのかもしれない。
「確か、朝登園する時に迎えは別な人間が来るとスミスが伝えたはずなんだが…聞いてなかったか?身分証明書とか必要なら、免許証が……」
「いえいえ、大丈夫です!聞いてます!」
ミユはなぜか鼻血を拭いながら朝、スミスが手渡して行った連絡帳を渡してくれた。その時園の入口から聞いたことのある声がした。
「先生!うちの孫、こっちにいるかね?」
「ああ、川田さん!お庭の方で遊んでますよ!呼んできましょうか?」
孫のお迎えに来た川田だった。川田はイサミに気付くと驚いたように身じろいだ。
「なんだ、子育てまで押し付けられたのか?」
「押し付けられたわけじゃない。俺が好きでやってるだけです」
「結婚する前にパパになるとはな。碧さんに申し訳が立たん」
「親は関係ない」
イサミと川田の間に不穏な空気が流れる。ルルはイサミと繋いだ手をぎゅっと握った。
「あ、ああ。大丈夫だ、ルル。もう帰ろうか」
イサミはルルを抱き上げると、安心させるようにその背中をポンポンと叩いた。川田も子供の前で大人げなかったかと少し反省した。元々は人好きのする親切な男なのだ。
「そういえばお前、今年の例大祭はどうするんだ」
「ああ……」
そうか、もうそんな時期か。今年は引っ越しがあったりバタバタしていてすっかり忘れていた。
「もちろん出ますよ。消防団は全員出る決まりなんで」
「まぁ、断ったらあいつが怖いからなぁ」
「別に。会長が怖いから出るわけじゃありません。腕試しです」
「はは、まぁ何でもいいが出てくれた方が助かる。若いモンは最近じゃ少ないからな。これ、練習表だ」
そう言って川田は一枚のプリントをくれた。その時イサミの頭にある考えが浮かんだ。
「川田さん、これ誰が参加してもいいんですよね?」
「まあ、そうだが……」
「分かりました。また連絡します」
イサミはルルを連れて、今度こそ保育園を後にした。
家に帰る途中で夕日は山の端に沈み、道も薄暗くなって来たのでイサミは車のライトを点けた。
「それでね、同じ組のたっちゃんがね!」
ルルはご機嫌で最近ハマっているというヒーローごっこの話をしている。どうやらルルはお人形遊びやおままごとより、かけっこやヒーローごっこの方が好きみたいだ。きっとスミスが子供の頃と似ているんだろうな、とイサミは微笑んだ。
「そういえばルルはすっかり日本語が上手になったな」
「日本語?」
ルルの中では自分が二か国語を話しているという自覚が無いらしい。園やイサミとは日本語、スミスとは英語で話している。イサミも少しは英語が分かるから家の中では英語が多めだ。だがルルにとってはどちらも同じことだった。すごい、これは天才か!
「いやいや…俺が親バカになってどうする……」
川田に結婚よりも先にパパになったと言われたのを思い出す。あながち間違いではないのかもしれない。
昔から子供好きだったわけでは無い。けれどスミス親子と共に生活するようになって、子供というのがいかに変化に富んでいて面白いものかと知ることになったのだ。ルルの賑やかな声も今までのイサミの暮らしには無いものだった。それは決して不快なものでは無かった。
「そういえば何でルルはスミスのこと、パパとかダディって呼ばないんだ?」
「???スミスはスミスだもん」
ルルの独特な感性は時折イサミを驚かせる。けれど、そういったことの一つ一つがルルにとっては当たり前のことなのだった。
「じゃあ、俺は?」
「イサミはイサミ」
「そりゃ、そうだ」
「そしてルルはルル。特効警察スパルガイザーーーッ!とぅっっっ!」
「わぁぁ!ルル!車の中では大人しくしててくれ!」
そんな話をしていたら家に着いた。自動で点灯する玄関と庭のライトが灯り、イサミの車を迎え入れた。ライトに照らされた庭には、腐りかけたベンチの代わりに真っ白な新しいベンチが設えられてある。スミスが休みの日にDIYで作ったものだ。ルルが遊べるようにと、木にはハシゴを掛け太い枝にはブランコを付けた。
「ルル、お庭で遊ぶ〜ーー!」
「もう暗いからダメだぞ、ルル。それより、この花を飾るの、手伝ってくれないか?」
イサミが荷台から開き切ったオリエンタルリリーとダリアの花束を下ろすと、ルルはすぐに飛んできた。
「わぁ!おっきいお花!ルルが持つ!」
「ああ、そのままバスルームに運んでくれ」
子供の上半身ほどもある大きな花束を抱えて、ルルは家の中に入って行った。
ルルと一緒に花束の水上げをしてリビングに飾るとイサミは夕食を作り始めた。最初の日に飯の面倒でもみてくれと言ったもんだから、スミスは張り切って毎食用意してくれるのだが、アメリカ人らしい豪快な料理…大量のコールスローとかフライドチキンとか何だか分からない豆を煮込んだやつとか…にはそろそろ飽きて来た。
鰹節で出汁をとり、近所の農家で分けて貰ったカブを煮る。研いだ米に鶏肉とゴボウと油揚げを混ぜて炊飯器にセットした。サツマイモをふかして粗めに潰し、和風ポテトサラダにする。炊飯器から音が鳴る頃スミスが帰ってきた。そうだ、味噌汁も忘れてはいけない。
「sorry、遅くなってしまって!今から晩御飯を……!」
「夕飯ならもう出来てるぜ?」
「え?」
テーブルに並んだ見事なディナーにスミスは呆気に取られた。
「君…料理出来ないんじゃ…」
「作れないとは言ってない。一人だと面倒なだけだ」
「そんな…ルルの世話も料理も全部君に任せてしまうなんて…イサミ、そんな……」
「手が空いた方がやればいいだけの話だろ。さ、手を洗って来いよ。一緒に食おうぜ」
スミスはまだ何か言いたげだったが、テーブルについてじっと待っているルルを見て慌てて洗面所に向かった。
イサミの手料理は二人にとても好評だった。スミスもルルも何度も鶏飯をお代わりした。
ルルが寝た後、交代で風呂を使い一日が終わる。イサミが風呂から上がるとちょうどキッチンでスミスが洗い物を終えたところだった。
「スミス、お先に。風呂空いたぜ?」
「ああ。その前にちょっとだけ飲まないか?」
「うーん、明日も早いからなぁ…」
「そっか…そうだよな……」
分かりやすくしょんぼりしてしまったスミスの姿は叱られた大型犬のようでイサミは思わず笑ってしまった。
「一杯だけだぞ?」
イサミは髪を拭きながら大輪のユリの花束が飾ってあるダイニングテーブルに座った。二人は時々こうして夜中に二人だけの飲み会をする。
スミスがお気に入りのハワイのビールをグラスに半分こして、カチンとグラスの縁を合わせる。日本人は飲み始める時に「お疲れ」と言って一日の労を労うのだと聞いて、スミスはいつでも『オツカレ!』と不思議なイントネーションで乾杯した。
「イサミ…君は完璧過ぎる!」
くぅーっと一息でビールを飲み干したスミスはテーブルにグラスを置くなりそう言った。
「何だよ突然」
「仕事が出来て、見知らぬ外国の親子にも親切に出来て、その上料理も出来るなんて…!」
「なんだよそれ、そのくらい普通だろ?」
確かに世の中の共働き家庭はどこでもそんな感じだ。だが、イサミにとってルルは実の娘では無い。スミスだって数ヶ月前に知り合ったばかりだというのに。
「誰にでも親切なわけじゃないぜ……」
「え?今なんて?」
「何でもねぇ。で、どうなんだ?仕事の方は?」
「そうだ、聞いてくれよ!今日は随分と手応えがあったんだ…!」
それから二人は昼間の仕事のこと、預けている間のルルのこと、庭に新しい玩具を作ろうか、いやそれよりもバスルームのリメイクの方が先だ、とたくさんの話をした。
「ふわぁ…もうこんな時間か。俺、もう寝るな」
「あ、ああ。カップは俺が洗うから置いていって」
「ありがとう」
一杯だけのつもりがスミスとの話が楽しくてつい飲み過ぎてしまった。といってもまだ時計の針は天辺を回ってはいないから睡眠時間が足りないというほどでは無いだろう。
以前のイサミの生活は、仕事終わりには一人で飯を食って、軽く筋トレをして寝るだけだった。朝早い仕事をしてるのだからそれが当たり前だと割り切ってもいたし他にしたいことがあるでもない。でも今は就寝前にこうしてちょっとだけ酒を飲み、語り合う時間が楽しい。
「おやすみ。スミス」
パタンとドアが閉まる。一人取り残されたスミスには吹き抜けのリビングはやけに広く感じられた。
「おやすみ…イサミ。良い夢を」
スミスはテーブルの上に残されたグラスに視線を落とし、オレンジ色の照明がガラスに煌めくのをぼんやりと見つめていた。