歌姫=宿命×呪縛“姫”って言葉に人はどんな意味を感じるのだろうか。プリンセスみたいなキラキラした感じ?
それとも周りに男をはべからせている女を想像する?まぁ、特別性を感じるのは間違いないだろう。
二十世紀にそれが自分の名前になるとしたら、ハズレくじもいいところだ。
そのくじを引いたのが私、庵歌姫。歌姫それが私の名前。
幸いに名前で虐められることはしなかったが、名乗るたび誰もが私の顔をジロリと見た。
好奇心に向けられる視線がほとんどだが、蔑視されることもよくある。
幼少期の頃は、名前で笑われ揶揄われる日々に耐えかねて、母親に何でこんな名前にしたのか喚き、八つ当たりした。
そんな私を母は抱きしめてくれた。背中を撫でてゆっくりと話し始めた。
「歌姫って名前にはちゃんと意味があるのよ。姫の名をつく女は、身分が高いとともに大切な責務がある。それは、男にはできないことなの」
だから、他人の言うことなんか気にしないの。
そう言って、激しく上下した肩を軽く叩き、あやす。
「今となっては姫という名は昔のものとなってしまったから、ちゃんと意味を理解していない人が多いのよ。ちゃんと貴方の名前には素敵な責務があるから、前を向きなさい」
責務とは何だ、姫とつく名前にどんな意味があるのか理解できなかった。
散々と喚いたその後、泣き疲れ母親の体温に身を委ね寝てしまった。
それからもう名前の事で母に聞かなくなった。これ以上なにも話してくれないと理解したのもあるが、それよりも母が私に注いでいる本物の愛を感じたからだ。そう、この時は…たしかに幸せだった。
庵家に代々伝わる術式を使えるようになってから、私は自分の名の意味を真に理解した。
この術式は誰かの為に使うものだ。
自分の身を守る為に授かったものではない。まるで何かの儀式に使うような術式。自分を捧げ、自分じゃない誰かを得にさせるような…。
そして、ふと昔に母が言っていたことがフラッシュバックした。
「姫って名前にはちゃんと意味があるんだよ」
そうだ、歴史で習ったではないか。姫の名を持つ者達は政治に利用される為の道具だった。同盟先の結婚、後継の為の道具、ある時は人柱へ。
男の政治の道具であり、生贄として生きる。それが責務であり、使命だった。
愕然としたというより、意味がわからず受け入れることができなかった。
名の由来を知ってそう経たないうちに父から、五条家の許嫁になったと聞かされた時にようやく自分の立ち位置を真に理解できた。
利用される為に私は生まれてきたのか?生贄となるのが運命なのか。そんなの到底受け入れられる現実ではない。未来の光景が思い浮かばない。まさに絶望。
それからというもの稽古を無断で反故し、家には帰らなず親戚に泊まったり、とにかく反抗した。けれど、彼等は歌姫を何処に行こうともそこから引きずりだしてきた。抗えば、軽い暗示をかけられて、抵抗する威力を失わせた。
「準備をしなさい」そう言われて、巫女服を手渡された。
「役割をしっかり身に染み込ませないといけないな」
数ヶ月後には生き人形に成り花嫁修行という拷問を耐える日々。
なんせ許嫁様は賞金首であり、生死問わず命を狙われている身であった。
妻は夫を補助し、有益であり、夫の為ならば喜んで命を差し出せと言われている。
つまり、歌姫は許嫁とは名ばかりの単なる身代わりでしかない。
「歌姫。今日は生理ではないわよね。なら今晩、“注ぐ“から部屋にきなさい」
注ぐとは、毒薬を飲むという意味だ。許嫁の為に先に毒見をするのも妻の役目になるからと、ずっと毒を摂取している。服用してから数時間経っても、体調が元に戻らず二週間休む日はざらにある。
毒を飲まされる前に何度も声に出し助けを乞う。しかし差し伸ばされる手は、毒に侵され暴れる四肢を押さえ込むものだった。
痛みから目が覚めれば、体を鎖で縛られており、舌を噛まないように猿轡を噛まされている状態だった。
“なんでこんな事させるの”と一人で涙を流して長夜を過ごした。
毒は確実に歌姫の体を蝕み、少しずつ馴染んでいった。
初めて毒を体内に入れてから何年経ったのか。未だ嘔吐し、胃が酸に溶かされていくような激痛に耐えながら思う。
私が望んでなったわけじゃないのに。勝手に決められた事なのに、なんで、なんで、なんで。頭の中はいつだって逃げることを考えていたが、行動には移せなかった。こういうの学習性無力感っていうんだっけ…。逃げる努力もしなくなるっていうの。
あの日、素足で逃げる勇気があれば何か変わっていたのかな。監視もなくまだ自由があったあの日に何もかも投げ出して逃げていれば変わったか。
その選択をできなかった私では、分からない。
元々は庵家の長女は巫女の役目もあり、嫁ぐことは許されない。しかし、五条悟の許嫁候補を選ぶ時にたまたま指した写真に私がいた。そして彼は私を指した。それが運の尽き。
私を選ばなければ、こんな思いはしなかった。しかも選んだ理由が写真から見ても呪力が綺麗だからとか、意味もわからない理由でうんざりする。
けれど、そんな許嫁も自分よりも窮屈で過酷な環境で生きる為に頑張っているのかと考えれば熱で飛ばされる意識も舌の痺れさえ和らいだ気がした。同じ苦しみを共有できる唯一無二の存在だと勝手に思っていた。
もう少し耐えれば、痛みも苦しみも彼と分かち合える。それが明日への希望となった。
拷問のような時間、暗澹の未来。その日々を乗り越えられたのは、おかしなことに自分を地獄に突き落とした許嫁の五条悟の存在があったから。
こんな感情は洗脳の助長のようなものかもしれない。苦痛の日々そう思う日が無いわけではない。
それでも会いたいと願った。
会ったら、一つだけ彼に言いたいことが生まれたから。
『これ以上一人で苦しむ必要がない』と彼に言って安心させてあげたかった。私は同じ苦しみを持つ彼に救われたのだから、彼にそれを教えてあげたかった。
でも、それは叶うことはなかった。
許嫁である五条悟が高専に入る直前に当主になった。それと同時に五条家の規約を改正し、許嫁も自然に解消された。
「本当に嫌になる今までの苦労は一体何だったのよ…」誰もいない校舎裏で一人、泣いた。
許嫁が解消されてからは親の比較的に呪縛から解放され、高専に入ってからは完全に自由の身になれた。
四年になってからは親に一切、私に関して何も触れてこない。五条家を嫁がない娘など興味がないらしい。
全くもって身勝手な親達だ。だが、そのおかげで自由がある。
ふと突然、顔に影が落ちる。
顔を上げれば、なんの気配もせずにすぐそばまで男が歌姫を見下ろしていた。
「やぁ、歌姫」
ニヤリと不敵な笑みを作り、こちらをどうやって揶揄ってやろうかなんて考えているのだろう。歌姫と会うたび、この男のは楽しそうにする。
「なんで、アンタがここにいんのよ」
「先輩とあろうものが、任務のことを把握してないと駄目じゃん。明日は俺の引率だろ」
「それくらい知ってる。まったく、本当に悪運尽きるわ」
「えっ?なにピリピリしてんの?もしかして、心の準備できてなかった?そんなに僕と会うのキンチョーしちゃう?」
血管が切れたら、コイツは責任をとってくれるだろうか。
頼むから、午前だけでも平穏でいさせて欲しい。
些細なことで歌姫の揚げ足を取ったり、揶揄うことに熱心な五条だが、実は姫ということで歌姫を揶揄ったことは一度もない。
ふと、聞いてみたくなった。
「あのさ、変なこと聞くけど」
「歌姫が変なこと聞くなんて今更自覚したの?いっつも俺に変なこと言ってるくせに」
交通事故にでもあって一回頭を開いてくれないかなぁ。それで少しは常識を詰め込んでまともな人間に生まれ変わってくれないかなぁ。目の前にいるクソ生意気な後輩を見ながら、頭の中で記憶を失い、礼儀正しくなった美青年を思い描く。
「駄目ね。想像しても現実とは程遠すぎて、鳥肌と吐き気がする」
「何一人で盛り上がってんの?」
歌姫は仕切り直す為に咳をし、五条と向かい直るり
「ねぇ、五条は何で私の名前については揶揄ないの?」
「え、何突然。僕は歌姫のおっさんみたいな趣味とか、弱い部分の中身に対してしか言わないよ」
「うっせぇわ!!…確かにアンタは人の外見については何も言わないけどさぁ…。真っ先に揶揄えるじゃない。ヒメだなんて」
「何?自分の名前好きじゃないの」
「自分の名前に好きも嫌いもないでしょ。気になったのよ。揶揄うネタなのに、アンタは触れてこないから」
「歌に関する術式と捧げられる為につけられた名でも、今は違うでしょ」
まずいと思ったところで、手遅れだった。男の手が目を覆った瞬間に、歌姫の体は自由を失った。
五条の手の体温が心地よかったからではない。歌姫の体に刻まれた習慣とも言える、強制的な何かが従わせる。
走馬灯のようにあの忌まわしい光景が破片が脳裏を走る。
いい付けを破った時に連れていかれた場所。
やめてと叫びながら力強い手に引かれて、薄暗い下り階段を一つずつ降りていく。降りた先には鉄の臭いが充満していて、錆びた赤い鉄格子が出迎えた。
異様の光景に思わず足がくすみ、掴まれた手に縋り付く。
「助けて、お願いっ…」
「だめだ」
必死の懇願にも相手にされず、私は結局長いことそこに閉じ込められた。
反省しなきゃ、過ちを認めないと、謝らないと。
考える。何故そこに閉じ込められたのか。反省しなきゃ、理由を探してここから出るために。考えて考え抜いて、出した答えはなんだっけ……?
「自覚持てた?歌姫」
泥沼のように意識が沈む。突然の眠気がくる。
「歌姫って本当にいい名前だよな」
俺の所有物である証だ。
すぐ答えを決めて前に進む自身とは違って、答えに辿りついていても、何かにもがいている。そんな君がとても誇らしい。