「お前、選択音楽じゃねェんか」
「ええ、授業とはいえ聞きたくもない曲聞かされたくないんで」
「もうちょい穏当な言い方できねーの?」
藤堂君とそんな話をしたのは3か月ほど前。野球部入部を決めた後すぐだった。同じく芸術で書道を選択した藤堂君と並んで書道室へと移動して、そのまま流れ隣同士の席に座って、藤堂君から質問されたのだ。野球部に入ってすぐの頃はだいたいそうだった。藤堂君が話しかけてきて、俺が性格の悪い対応をして、藤堂君がいらっとする。でもまた話しかけてくる。部員は友達! 仲間! 仲良し! というタイプなのか、あほだなあと思っていたけど、別にそうでもないような、あるような。藤堂君は仲良しこよしを押し付けてくるタイプではない。デリカシーがあり、イップスともう一度向き合う覚悟があり、仲間想いで、チャンスをものにできる男だ。しかも家族想いでもある。絶対本人には言わないけれど、いいひとだ。
だからってほいほい好きになるなよ、とセルフツッコミももう慣れてしまった。
あー、ばかばか俺の馬鹿! 隣同士で同じくらい野球上手で邪険にしても構ってくれて笑いのツボが一緒で、いいひとだからって惚れるのは単純すぎる! 小学生か!
「千早ァ、何してんだ、移動だろ」
ほら、別に先に行けばいいのに、こうやって待っててわざわざ声を掛けてくれる。優しい。少しでも俺と一緒にいたいのかな、なんて期待してもいい? いいわけないだろ、俺のあほ。くそ、碌に読んだこともないけど少女漫画のキャラだってこんなに厚かましくはないだろ。そんな葛藤はおくびにも出さず、分かってますよと可愛くない返事を藤堂君にして、鞄から黒のTシャツを取り出す。書道は制服のまま行われるので、生徒はそれぞれ黒い服やいらないエプロンなどを自主的に身に着けていることが多い。藤堂も同じく黒のTシャツを手にしている。と。
「あっ、やべ!」
慌てたクラスメートの声がして、その声がした方に顔を向けると、紙パックジュースが飛んできた。ので、咄嗟に手を顔の前に翳し、直撃を避けた……いやそもそも体ごと避ければよかったな。後の祭りだけど。
手にしていたTシャツはジュースで汚れてしまった。
「千早大丈夫か! おい、危ねえだろ!」
すでに廊下に出ていたはずの藤堂君が俺の隣に来ていた。心配してくれる、優しい、俺なら写真撮りまくってるのに。教室中がこっちに注目するなか、残り少ないとはいえ500mlパックジュースを投げたクラスメートはマジでごめん! 間違えた! と謝ってきた。左手にはノート。ノートを友人に投げ渡そうとして間違えてしまったらしい。河原で石と間違えてスマホを川に投げいれるタイプの人間だな。人がたくさんいる教室でモノを投げて寄越すな。と思っていたら藤堂君が同じことを言っていた。とはいえ起きてしまったことは仕方がない。洗って返すと言うクラスメートだが、洗濯なんてあまり他人に任せたくない。洗濯は断り、明日コンビニ限定のコーヒーを買ってくるように言った。紙パックは床に落ちて机も他の荷物も汚れていないし、それで手打ち。
問題はこれからの授業である。他人が飲んでたジュースがついたTシャツを着るなんてありえない。部活用にTシャツは持ってきたけれど、黒ではない。制服に少しも墨が撥ねもないように書道をできるだろうか。さて。
「え~大変だったね、瞬ちゃん!」
急いで助けてくれそうな山田君のところへ行く。要君も話に入ってきた。残念ながら山田君も要君も芸術は音楽選択で、部活用のシャツは墨が付くと目立つ色だった。
「俺は黒だ」
「瞬ちゃん、葉流ちゃんに借りチャイナ!」
ぱちん! と無駄に指を鳴らして要君が提案する。
「えっと、じゃあ、お借りしてもいいですか? あ、でも墨が付くかもしれないんですけど」
「構わない」
ずいと差し出されるTシャツに礼を言って受け取ると、始業まで時間がなかった。早よ行こうぜと急かす藤堂君。だから、先に行けばいいのに。
ギリギリで間に合って席に着く。少し汗をかいてしまったので、汗が引くのを待ってから清峰君のTシャツを着る。部活で清峰君が着る時は素肌に着用するだろうから、なるべく汚さないようにしなければ清峰君に申し訳ない。書道室が冷房の利く部屋で良かった。夏服の半袖ブラウスの上から着ているのにゆとりがあってムカつく。そういえば。
「藤堂君って清峰君と服のサイズ同じでしたっけ」
「あ? ああ、そーだけど」
思わず隣に座る藤堂君に確かめてしまった。これ実質彼シャツだ! 違うけど! 何も実質じゃないけど! さすがに気持ち悪い! 頭をぶんぶん振る。と。鼻をくすぐる何か。
「何してんのお前!?」
藤堂君のドン引きみたいな声がした。Tシャツの袖をくんくんと嗅ぐ、俺。清峰君のシャツを嗅ぐ、俺。……変態では!?
「違います! なんかいい香りがして!」
ほら! と藤堂君の鼻にTシャツの袖を近づける。お、おお、と引き気味に藤堂君が嗅いでいる。
「た、確かになんか花の匂いが……」
「そうでしょう! いい匂いだったんでどこの洗剤使ってるのか気になっただけです!」
「そーかよ」
いくら何でも片思いの相手から変態に思われるのは嫌だ。打ち明けるつもりはないにしても。
それからまた2か月くらいが経って、書道の日。いつものように移動しようとすると、同じく書道選択のクラスメートがシャツ忘れた! と騒いでいた。
「俺の貸してやるよ」
と、藤堂君が差し出す。予備持ってきてっから気にすんな、とのこと。
「藤堂君にしては準備がいいですね」
「……なんかあったら俺が貸せるようにしてるだけ。つーか『俺にしては』は余計だろうが。なんでいつも一言多いの?」
「褒めてるのに些細なことで怒るのよくないですよ」
「お前のせいなんだけど!?」
アハハと笑いながら藤堂君と並んで書道室へと向かう。俺が忘れても藤堂君は黒Tシャツを貸してくれるんだろうな。実質彼シャツ……だから彼じゃないんだって。ていうか人に貸すようにわざわざ荷物増やしてるの、なんなんだ。無駄にみんなに優しい、また惚れ直させるような真似しやがって!