花は買わない「グラース、手入れ終わったぞ。」
その声を聞いて顔を上げる、マスターがグラース銃を綺麗に磨いてクロスの轢かれたテーブルの上にそっと置いた。
銃の手入れの腕はそこそこ認めている、あの喧しい番犬が懐くだけあって、僕と同じくらい磨くのが上手いし手際も良い。
読みかけの本をベッドに置いて、立ち上がり磨かれた銃を見下ろす。磨き残しはない、木が艶を持って窓から入り込んだ光を浴びてキラリと光っている。
「ふん、まぁ、上出来だな。」
「お...素直に褒めたな、珍しい。」
「はぁ?この僕が認めてやったんだからもっと喜べ。」
コツ、と軽くマスターが座っている椅子の脚を蹴る。
困った様な素振りを見せてマスターは壁際のチェストに目を向けた。
「...黄色のガーベラ。」
「あ?」
「来る度、あの花瓶に活けてある花が変わってるけど、タバティエールが持ってきたのか?」
木製のチェストにちょこんとある白い花瓶。
花があるだけで部屋が明るくなるから、と言ってタバティエールが度々持ってくる。
萎れて色が変わった頃合に、新しい花を持ってくるから、あいつも相当暇なんだろうなと思う。
「そうだけど?僕は要らねぇって言ってるのに。」
「4日前に来た時はカトレアだったけど...お前、ちゃんと世話してるのか?」
「する訳ないだろ、この僕が。」
「やっぱり...花が可哀想だ。水をこまめに入れ替えたりするだけでも結構長持ちするんだぞ。」
呆れた様にため息をつくマスターが妙に頭にきて、向かいの椅子に乱暴に腰掛けた。...くるりと背を向けて。
「はっ、水を変えた所でいずれは萎れて捨てられるのが関の山じゃねぇか、アホらしい!僕は暇じゃねぇんだ、そんな無駄な事したくないね。」
「...。」
「生憎、花を愛でるなんて女々しい趣味を持ち合わせてる訳でもねぇしな。タバティエールが飽きるまで置かせてやってるだけだ。」
苛立ちのままに捲し立てる。その間もマスターはじっと、黄色い花に目を向けていた、こちらからその表情は見えない。
言葉が途切れて沈黙が訪れる。自分勝手な物言いに呆れられたかもしれない、と一瞬頭をよぎった。
「おい、マスター?」
返事はない。
「聞いてんのかよ。」
「確かに、」
「うおっ、」
「切り取られた後は、萎れて枯れるだけだな。どれだけ世話をされて、愛してもらっても...。」
いつの間にかマスターはその花瓶の側まで移動していた。
すくい上げるように花の首を持ち上げる。力を入れ過ぎて壊してしまわないように、そっと触れられて花弁が揺れた。
表情は見えない...けれど、酷く残念そうな声色から察する事はできる。
「おい、」
大股でマスターの側まで近寄った。
花に触れている手首を強く掴んで、こちらに引き寄せる。
驚いてこちらを向いた顔に、頬に、手を添えてそのまま...
「グラ、んむ...!」
口にしようとした僕の名前ごと、唇を塞いだ。
きっと、マスターは目を見開いて、その瞳には僕の美しい顔しか映っていないだろう。そう考えると胸がすっと空くようだった。
空いてる方の手で肩を叩かれてやっと唇を離してやった。
こちらを見てゼェゼェと息をしているマスターを見て、気分が良くなった。
「なんでお前はそんな突然なんだ!」
「んだよ、今からキスするぞって言って欲しいのか?」
「そういう事じゃなくてだな...。」
べー、と舌を出してやると、もうシケたツラはしていなかった。まぁ、最初からしてなかったのかもしれないが。
「お前には、僕がいるだろ。」
「...え?」
「簡単には枯れたりしない、だから...。」
続く言葉は言えなかった。
花を愛でるんじゃくて、僕を見て愛して欲しいと。
マスターはじっと、僕の顔を見つめたあと、ふっと微笑んだ。
「グラース、」
「ん。」
優しく甘い声で名前を呼ばれる。
反射的に目を閉じると、そっと触れるだけの口付けをされた。さっき、あの花にしたような、大切な物に触れるような、そんなキスだった。
「タバティエールに、もう花は良いって言っておくよ。それで、今度は鉢植えでも買ってきてもらおう。」
「はぁ?」
「切り花よりも世話のやりがいあると思うんだ。ちゃんと丁寧に育ててやれば綺麗に花が咲くよ。少し時間はかかるかもしれないけど、」
「おい!勝手に話を進めんな!」
「ははっ、楽しみだな。グラースがどんな花を咲かせるのか。」
「嫌だね!僕は花の世話なんてぜっっったいにしないからな!!」
後日、マスターが鉢植えを気にして手入れ以外でもグラースの部屋に出入りするようになって二人の仲はさらに良くなるのでした。めでたしめでたし。