アラタさんを抱きかかえたままダッシュで自室に戻ると、彼をベッドの縁に座らせて、オレもその隣に腰を下ろした。
さて、続きを──と思ったものの、やはり一度流れをリセットされてるだけに、どこから始めたものかと思案する。
さっきはアラタさんのターンだったから、今度はオレから何か仕掛けたいな。そう思って隣のアラタさんをチラリと見れば、妙に表情が固い。身体も強張っていて、どうも緊張しているようだ。
外に比べ、雑音が少ないからだろうか。
少し身動ぎするだけで、ベッドの軋む音や衣擦れの音まで些細に聞こえる部屋の中。
オレの膝上に乗ってきた大胆さは一体どこへ……と何だか可笑しくなりながら、俯き気味なアラタさんの目尻に軽くキスをする。
「わ……!」
弾かれたようにこちらを向いたアラタさんに笑いかけ、
「そうだ、折角ですし……キスの勉強しましょうか」
べんきょう、とオウム返しに聞いてくる彼に、オレは頷いてみせる。
「ほっぺや唇にする以外にも、色々なやり方があるんです」
まあ、オレもアラタさんとお付き合いするようになってから、こういう事も調べ始めたんだけど。苦手意識のある普通の勉強とは違って、やはり気合の入り方が違うし、進んで取り組もうという意欲も湧いてくるものだ。ルーチカさんには絶対ナイショにしておかないとな……
アラタさんの両頬を手で挟み込んで、ちゅ、ちゅっと短いキスを何度か繰り返す。唇を啄むようなキスに、くすぐったい、と笑うアラタさん。そんな彼の唇を不意に一舐めすると、ビックリした顔でオレを見た。
「これもキスの一種なんですよ」
そう言って再び顔を寄せ、唇のラインをなぞるようにゆっくり舐めたり、上唇と下唇を一緒にぺろりと舐め上げたりしていると──
「あ、あの、ジェイさんっ」
「はい?」
「何だか今のジェイさん……じゃれてる時のガルクみたいです」
「がっ……」
確かにこのオレ、過去に『犬っぽい』って言われた事は何度かありますけども!?
こういう時にそのセリフはちょっと反則ですよお……
ふふふ、とアラタさんは楽しそうに笑って、オレの頭を両手で優しく撫で回す。まるっきりガルクに『よしよし』している時のそれである。
そんな様子も見ていて微笑ましいのだが……雰囲気がその、若干和やかな方面にシフトしてしまった気が……
こ、これはまずい。
少しムードを変えないと、イチャイチャするどころではない。
「アラタさん。舌、ちょっと出してもらっていいですか?」
オレの言葉を聞いた彼は小首を傾げながらも小さく口を開き、そこから舌先を覗かせる。素直に従ってくれる彼を愛おしく思いつつ、オレはアラタさんの片頬を軽く撫で、顔を近付けた。
差し出された彼の舌先に自分のそれを触れさせ、緩く絡める。するとアラタさんは僅かに目を見開き、ビクンと身体を震わせた。
軽く唇が触れるぐらいの距離で、互いの舌先を擦り合わせるように動かして。しばらくはこのままアラタさんの舌を舐めたり、優しく吸ったりしようと思っていたのだが──
アラタさんとの微妙な距離がもどかしくなり、我慢できなくなったオレはそのまま普通にキスしてしまった。アラタさんの身体に片腕を廻し、抱き寄せ、更に後頭部を押さえながら深い口付けを交わす。
「……!? ん、んぅ……!」
アラタさんが動揺しているのが伝わってきて、罪悪感がなかった訳じゃないけど──抗議の声でも上げようとしたのか、彼が少し口を開けた瞬間を逃さず、隙間から舌を差し入れた。
今まで普通のキスなら何度かした事があるけども、最中に舌を入れるのはこれが初めてだ。
唇を重ねる度に聞こえる水音と、合間に彼が漏らす声に煽られて。角度を変えて何度もキスしながら、アラタさんと舌を絡め、吸い上げる。
やがて、恐る恐るといった感じではあるが──アラタさんの方からも舌を絡め返してきてくれて、その事にもひどく興奮した。もう夢中になって、アラタさんを強く抱き締めながら、貪るようにキスしてしまう。
「……っ、ん……」
しかし性急かつ荒々しい動きに息苦しくなってきたのか、腕の中でアラタさんが身動ぎした。控えめではあるが、ほんの少し抵抗を示しているようなその動きでオレもようやく我に返り、名残惜しさを感じつつも一旦唇を離すと、アラタさんと視線がぶつかる。
蕩けた瞳と、上気した頬。薄く開いたままの唇から漏れる、熱い吐息。
多分彼から見たオレも、似たような表情をしているのではないだろうか。
外から微かに聞こえてくる、船着場の作業音や船乗り達の声。オレ達は無言のまましばらく見つめ合っていたが、
「ジェイ、さん……」
オレの名を呼ぶアラタさんの声音は、何だか先を促しているようにも聞こえた。
でも──……
「……と、とりあえず、これぐらいにしておきましょうか!」
続きはまた今度、と笑いながら、戯けた口調で言う。この辺りで止めておかなきゃ、理性やら何やらがいろいろヤバい事になりそうだ。しかしオレの思いとは裏腹に、
「だいじょうぶ、です。だから」
首筋にギュッと抱き付いてきたアラタさんが、耳元で囁いた。
もっと、いろいろ教えてください。
その言葉を聞いた瞬間、オレの中で何かが壊れた音──例えるならそう、切れ味ゲージが派手に吹き飛んだ時のような音がした。
つ、つまりそれは。
続きをしても良い、という事だろうか……?
ごくりと生唾を飲み込むオレの脳裏に、ベッドに横たわって恥ずかしそうな表情でこちらを見上げるアラタさんの姿が、一瞬過る。
アラタさんもこう言ってる事だし、いいじゃないですか! このまま最後までヤっちゃいましょう!
そう耳元で唆してくる悪魔のオレを、アルロー教官直伝のコークスクリューで殴り倒して黙らせた。そして一度大きく深呼吸をしてから、アラタさんの身体をやんわり引き離し、
「……無理してませんか?」
「え……?」
驚いたような顔でオレを見つめるアラタさんに、苦笑を返す。
そりゃ正直に言ってしまえば、オレだってアラタさんとあんな事やそんな事をしたいという願望はある。
けど、だけど、少し震えながら言ってるような子の言動を、鵜呑みにする訳にはいかないじゃないか。それが大事な恋人なら尚更だ。だからオレの股間よ、鎮まりたまえ。
「無理したり、焦って進もうとしなくていいんですよ。アラタさんに怖い思いをさせるのは、オレだって不本意ですから」
それは掛け値無しの本音だったのだが、アラタさんは何故か表情を暗くして項垂れ、ぽつりと呟く。
「でも俺、知らない事ばっかりで。せっかくジェイさんと恋人同士になれたのに、こんなんじゃ……一緒にいてもつまらなくて、飽きられちゃうかなって……」
アラタさんの口から飛び出した予想外のセリフに、オレは言葉を失った。
……飽きる?
オレが、アラタさんに!?
飽きるどころか、むしろ連日ときめく回数を更新し続けてるのに?
確かにピュアな子だなあとは思ってたけど、そこがかえって良かったりする訳で……
「いいんですよ! アラタさんはそのままで!」
思わずアラタさんの両肩を掴み、顔を上げた彼の瞳を正面から見据える。
「そういうところも含めて好きになった訳ですし、オレの方だって経験豊富とは言えないので大丈夫です! 安心してください!」
アラタさんを励ましたい一心で、気付けばとても情けない事を口走ってしまっていた。一体何を安心しろと言うんだ。
肝心のアラタさんは、オレの勢いに押されてか、ぽかんとした表情を浮かべていたけれど。やがて小さく噴き出し、
「あの、こう言っていいのか分からないけど……うれしい、です。ありがとうございます、ジェイさん」
俺、ジェイさんのそういうところ、だいすきです。
そう言って、へへ、と照れ笑いを浮かべるアラタさん。オレは堪らなくなって、彼の身体を再び抱き締める。ほんと、こんないい子に不満なんてある訳がない。
……オレも、あなたのそんな可愛らしいところが大好きですよ……!
腕の中のアラタさんに伝えると、彼は何度か目を瞬かせて。
次の瞬間、ぱっ、と花が咲いたように笑い、オレの身体に抱き付いてきたのだった。
* * *
フライパンの中で火に掛けられているのは、キャベツとベーコンの入ったクリームソース。オレはその中に茹でたパスタを投入し、ソースとしっかり混ぜ合わせてから、それぞれの器に盛った。オリーブオイルと粗挽き黒コショウを少々振りかけて、完成だ。後は野菜を適当に切って、くたくたに煮込んだ簡単なコンソメスープを、鍋からカップに注ぐ。
あり合わせの材料で作ったから簡単なメニューになってしまったが、その代わり夜はどこかの店でガッツリ食べるのもいいだろう。
「アラタさーん、そろそろ昼飯に……おっと」
隣の部屋にいるアラタさんを呼ぼうとしたオレは、彼の姿を見て途中で口を噤む。
あの後──アラタさんといろいろ話をしているうちに、気付けば時刻は昼近くになっていて。今あるもので良ければオレが昼飯作りますよ、と提案してみたら彼が嬉しそうに首を縦に振ったので、完成するまで寛いでいてもらったのだが……待っている間に寝てしまったようだ。ソファの背もたれに身体を預け、すぅすぅと寝息を立てている。
体格の割に食欲旺盛なアラタさんだけど、寝落ち率も結構高いんだよな。普段あれだけ活躍してる人だし、オレ達が思ってる以上に体力を消費していたり、人知れぬ疲労とかがあるのかもなあ。今度、マッサージでもしてあげようかな。実家にいた頃、姉に度々強要されていたので、腕前には少々自信がある。まさかこんな所で役立つとは、人生何があるか分からないな。
近くで寝顔を見ていると、中断したのはやっぱり勿体なかったかも……という思いが少し蘇ってくるが、アラタさんに言った『焦らない』という言葉は、そのままオレ自身にも言える事だ。好きな子を怖がらせたり、泣かせたりするような真似は、なるべくしたくない。
それに、ほら。男同士でする場合は、いろいろと慣らしていく必要もあるみたいだし……いきなりっていうのは、アラタさんの身体に相当負担を掛ける事になるだろう。だから、あれで良かったんだ、きっと。
オレ達のペースで、ゆっくり進んで行きましょうね。
閉じられているアラタさんの瞼に、そっとキスしてから。
オレは再び彼の名を呼んで、肩を優しく叩いた。