「なんか最近、サクラって名の付く期間限定品増えましたねぇ」
アズキさんの店でメニューを眺めながら、オレは何とはなしに呟いた。
元々、サクラクラ大福という品目はあるけれど。数日前から『期間限定!』と強調されて、そのどれもにサクラと銘打った新商品がいくつか追加されていたりする。すると隣に座っていたアラタさんがこちらを向き、
「桜の季節ですもんね。カムラでも桜をモチーフにしたメニュー、いろいろありますよ」
ニッコリ笑って、そう言ってくれたのだが。オレはそんな彼に苦笑いを返しつつ、問い掛ける。
「あのー……そもそもサクラって、何なんです……?」
オレの言葉に、目をぱちくりさせるアラタさん。
「あ……そっか、そうですよね。こっちじゃあんまり馴染みがないかぁ……」
そんな呟きを漏らしつつ、少し考え込む素振りを見せてから──彼は再び口を開いた。
「ええと、今ぐらいの時期に、ピンク色の花をたくさん咲かせる木なんですけど……そういえば溶岩洞にも何本か桜の木ありましたよ! 見た事ないですか?」
「溶岩洞に……?」
言われてみれば、花の咲いている木を見かけたような気もする。
でも今まで意識してなかった分、その姿もボンヤリとしか思い出せなくて。ピンク色の花……と記憶の糸を手繰っていると、
「そうだ!」
アラタさんが急に表情を輝かせ、オレの方にずいっと身を寄せてきた。
「ジェイさん、お花見行きましょう!」
「……はい?」
これまた聞き慣れない単語に、疑問符を浮かべながらも。
オレはアラタさんの勢いに押され、首を縦に振ったのだった。
* * *
お花見とはその名の通り、咲いている花を鑑賞し、更にそこで飲み食いする事、らしい。
話の流れから、オレはてっきり溶岩洞へ出かけるものかと思っていたのだが──
アラタさんと共に訪れた先は、なんとカムラの里だった。
狩猟目的で大社跡まで足を運んだ事は何度かあっても、カムラの里をじっくり見て回るのは、実はこれが初めてで。ウツシ教官を始め、既に面識のある人達もいるけれど……やはり王都やエルガドとは雰囲気の全く異なる場所だし、オレとしてはよそ者感がハンパ無く、どうしても緊張してしまう。
まずは茶屋に向かいますね、というアラタさんに案内されて、里の中を二人で歩く。
道中、すれ違う人や、店先で仕事をしている人など、頻繁に声を掛けられるアラタさん。それこそ老若男女からの大人気っぷりだ。でもそれは彼が『猛き炎』……里の英雄だからじゃなくて、彼自身が元々好かれているんだろうな、と思えるような反応や会話内容だった。
小さい子からは兄のように、そして年上の人達からは弟のように、または息子の、孫のように。
たくさんの愛情を向けられて育ったからこそ、こんな純粋で真っ直ぐな子に育ったんだろうなあ……とオレは一人でしみじみ感じ入っていたのだが、
「あっ、ほらジェイさん、あそこが茶屋なんですけど……周りで咲いてるのが桜ですよ」
アラタさんの声にハッとして、彼が指差した方向に目をやると──
「あ、あれ全部、サクラなんですか……?」
「はい!」
「……すごいな」
茶屋と思しきスペースの周辺と、その先の道。
エルガドでアラタさんが語ってくれた通り、咲いているのは淡いピンク色の花。
オレが驚いたのは、その見事なまでの満開っぷりだった。
道の左右で何本も咲き誇っているサクラの木は、まるでピンク色の大きなトンネルのようになっていて。
……綺麗だな、って。
掛け値なしに、そう思ったんだ。
「ジェイさん、先に座っててください。俺、お団子頼んできますね」
アラタさんに促され、オレはサクラの真下にある椅子へと腰を下ろす。するとアラタさんはきびきびと動き回っている女の子に近寄って──あの子、前にエルガドで見た事あるな。確かチッチェ姫と仲良くなってた……ヨモギちゃん、だったっけ。
「あっ! アラタさん、おかえりー!」
「ただいま、ヨモギ。お茶とお団子二人分、お願いできるかな」
「お任せあれ! ……って、二人分?」
辺りに視線を巡らせるヨモギちゃんと、オレの目が合う。
ハッとしたような表情の後、笑顔で手を大きく振る彼女へオレも軽く会釈し、隣に腰掛けたアラタさんと一緒に待っていると、やがて注文した品が運ばれてきた。
ふんわりとサクラの香りが漂う中、団子を頬張りながら頭上を見上げる。
一面に広がるピンク色の花と、隙間から覗く空の色。その見事なコントラストをボーッと眺めていたら、時折ひらりと舞い落ちてくる花びらも視界を楽しませてくれて。オレは感嘆の息と共に呟いた。
「綺麗ですねえ……」
……いや、もうちょっと何かあるだろう。
ありきたりな褒め言葉すぎる、と自分にツッコミを入れざるを得ない。
くそー、もっと詩的で知的な表現ができれば、アラタさんにもいいところを見せられたのに。己の語彙の少なさと共に、こんなところでも勉強の必要性を感じてしまい、遅まきながら後悔していたが、
「ね。毎年、咲くの楽しみにしてるんです」
隣のアラタさんに目をやれば、何だか嬉しそうにニコニコと笑っている。
パーフェクトコミュニケーション……とまではいかずとも、グッドぐらいにはなったのだろうか。オレは少し安心して言葉を続け、
「正直言うと、わざわざ花を見に出かける事の意味がよく分からなかったんですよね。だけどこれは……お花見って文化が生まれるのも納得だなあ」
素敵な花ですね、サクラって。
最後にそう付け加えると、アラタさんは──
「俺も桜好きなんです。だから、ジェイさんにそう言ってもらえて……うれしいな」
僅かに目を細め、それこそ花が綻ぶように、ふわりと微笑んだ。
そしてオレが追加のお団子をのんびり頂いている間に、アラタさんが宿の手配まで済ませてくれて。この日はオレもカムラに泊まる事になったんだ。
と、なると……アラタさんは単独で家に戻るのだろうか?
まあ流石に『アラタさん家に泊めてください!』ってオレから言うのも図々しいし、仕方ないよな……などと自分を納得させていたのだが、そんなオレにアラタさんはこっそり耳打ちする。
「二人部屋、とっておきましたから」
なん……だと……?
思わずぎょっとして、彼の顔を見やる。
二人部屋?
それは、つまり──アラタさんと同衾できるって……コト……?
恋人同士、密室、お泊まり。何も起きないはずがなく……
「俺の家だと、つくり的にちょっと寛ぎにくいと思うので……それに宿の食事っておいしいんですけど、食べる機会があんまりないんですよね。だから俺も便乗して泊まっちゃおうかな、なんて……」
ひたすら妄想に走るオレの眼前で、てへへ、と照れたように笑うアラタさん。
……そうでした。
まだまだ色気よりも食い気な彼。オレの思惑とは全く異なり、宿で出される食事に思いを馳せているようだった。
ちょっぴり落胆はしたものの、同じ部屋で過ごせるなら……まあ、いいか。イチャイチャできる可能性がゼロとは限らないし。うんうん。
「それと……ですね」
オレが自分を納得させていると、アラタさんがぽつりと呟いて、
「せっかくジェイさんと一緒なんだし、離れて寝るのも……寂しいなって……」
モジモジしながらそんな事を口にする彼を前に、固まってしまうオレ。
か、かわいい。
他の人からは見えないよう注意しながら、椅子の上にあった彼の手に自分の手を重ね、軽く指を絡める。
びくり、とアラタさんが微かに身を強張らせたのが分かったが、オレはあえて彼と目を合わせず、
「……オレも、アラタさんと一緒がいいです」
小声でそう伝えると、緊張を誤魔化すように残りの団子を一気に平らげたのだった。
今夜は泊まりが確定したし、慌ててエルガドに帰る必要も無い。
なので夕方にはアラタさんの案内で里の近くにあるという温泉に出向き、ゆっくり浸かって疲れを癒した。
アラタさんとの裸に付き合いに全くドキドキしなかったと言えばウソになるが、まだ夕方だし何より外だし。アラタさんに手を出してる最中、他の客が入ってきたら目も当てられないしな。我慢だ我慢。
温泉を出て、再び里に戻った頃にはちょうど夕飯の時刻になっていて、オレとアラタさんは宿が用意してくれた服──浴衣、っていうらしい。アラタさんに着方を教わりながらそれに着替え、部屋で食事をとったんだけど……ここでもアラタさんの気配りが発揮され、オレ用にカトラリーを別途頼んでおいてくれたのもありがたかった。最近は里外からの観光客も増えてるせいか、そういった客向けにスプーンだのフォークの類も用意するようになったんだとか。なるほどなー。
夕飯に出されたものは魚料理がメインだったが、エルガドとは料理の仕方がほとんど違う。煮たり揚げたりって手法は同じなんだろうけど、食べてみると味付けや食感が普段食い慣れてるそれとは全くの別物で──とはいえ、美味い事には変わりないので、時々アラタさんにメニューの説明をしてもらいつつ、舌鼓を打ちながら完食した。
「はー、美味しかった……」
温泉は気持ち良かったし、美味いメシを食べて満腹だし。
こんな時ぐらい、日課のトレーニングは休んじゃってもいいか……
まるっきり怠惰の極みではあるが、床で大の字になりゴロゴロしてたら、アラタさんがお茶を淹れてくれた。身を起こし、礼を言ってそれを頂く。
「今日はいきなりだったし、俺とジェイさんの二人ですけど……カムラやエルガドのみんなでお花見するのも楽しそうですよね」
「そうですねえ。アルロー教官とか、お酒が飲めると知ったら喜んで来そうですよ」
アルロー教官の、そんな姿を想像したのか。
オレと顔を見合わせたアラタさんが、小さく笑った。
おだやかに、ゆるやかに過ぎていく、夕食後の時間。
アラタさんとお茶を飲みつつ話をしていたら、次第に夜も更けてきて。時刻を確認したオレは、あ、と声を漏らす。
……そろそろアラタさんの寝る時間かなあ。
食事と睡眠は狩りの基本でもあり、大切な事だ。一人のハンターとしてそれを忠実に守ろうとするアラタさんは、寝るのも少し早い時間を心掛けている。でもアラタさんとお付き合いするようになって、そして身体を重ねるようになってから、彼にはオレのワガママに付き合ってもらう事が少しだけ増えたんだ。ぶっちゃけると、その……セックスした日は、日付が変わった後もまだ寝かせなかったり、とか……
だからこそ何にもない日は、彼の希望や体調を優先し、眠りたい時間にベッドに入ってもらっていたのだけど──
「ジェイさん」
タイミング良く、オレの名を呼ぶアラタさん。
てっきり『そろそろ寝ましょうか』って言われるかと思ったが、
「あの、ちょっと付き合ってほしい場所があるんです」
全く予想していなかったセリフが、彼の口から発せられた。
……なんだろう、こんな時間に。
だが彼からの誘いを断る理由もないし、オレは二つ返事で頷く。
するとアラタさんは浴衣用の上着をオレに羽織らせ、彼自身もそれを着用すると、オレの手を引き宿の外へと出たのだった。
* * *
オレが拠点としているエルガドに比べ、カムラの里は明かりが落ちるのも早い。エルガドならまだ酒場などが賑わっている時間ではあるが、里の中はだいぶ暗くて、昼間に比べ静かなものだった。
「足元、気を付けてくださいね」
「は、はい」
アラタさんが手を繋いで先導してくれているけど、転んだりでもしたらカッコ悪いし。言われた通りオレは足元に注視しながら歩く。そのままアラタさんに連れられて向かった先は──里の集会所だった。集会所も本日の業務を終えたようで中は薄暗く、人の姿もオレ達以外見当たらなかった。
「こっちです」
オレの手を握ったまま、アラタさんが階段へと向かう。
おとなしく彼に着いていき、二階へ足を踏み入れると──
灯された明かりに照らし出されて、大量のピンク色の花が視界に飛び込んできた。
これは……サクラだ。
手摺りの外、一面に広がるサクラの花。そして集会所の建物を貫通するかのように、通路に生えている大きなサクラの木。
「夜桜も綺麗でしょう?」
オレの方を振り向いたアラタさんは、一瞬だけ悪戯っぽく微笑むと、
「夜の間だけ貸してもらったんです。オテマエさんにお願いして、ちょっとしたおつまみと、お酒も」
俺は飲めないので、いつものお茶とお団子ですけど……と苦笑を浮かべ、奥の部屋へと案内してくれた。
注いでもらった酒に口を付け、風に吹かれて微かに揺れるサクラの花を、彼と二人、静かに眺める。
カムラのお酒も、普段エルガドで飲んでいるものと比べてやっぱり味わいは違ったけれど、口当たりが良く飲みやすかった。アルロー教官に買っていったら喜ぶかな……
「昼間、明るい場所で見たサクラも綺麗だったけど……夜のサクラって、昼間と雰囲気が全然違いますね。ちょっと幻想的というか……これはこれで良いなあ」
そんなオレの呟きに、隣のアラタさんがふと小声を漏らした。
「そういえば──」
妙に硬いアラタさんの声。
違和感を覚えたオレは、思わず彼の顔を見やる。
「桜って、綺麗なだけじゃないんですよ。少し怖い逸話もあって」
「え」
ど、どうしたんですかアラタさん。顔に影なんか落としちゃって。
そのボソボソした喋り方も、いつも元気なアラタさんらしくないですよ!?
内心狼狽えていると、アラタさんはゾッとするような事を告げた。
「桜の樹の下には屍体が埋まっている」
「はっ!?」
「桜がこんなに美しく咲くのは──その屍体の養分を、血を吸っているからだ」
「…………」
ごくり、と喉が大きく鳴ってしまったが、アラタさんに気付かれただろうか。
けれど彼はそこで表情を一転させ、普段通りに明るく笑ってみせると、
「……なーんて、桜が綺麗すぎるから言われるようになったみたいですけどね」
「あ、あははははは。びっくりしたじゃないですか、アラタさんてばお茶目なんですからもう~」
オレの方も笑って誤魔化したけど、ほんの少し頬が引き攣っていた。
実のところ、オレは──
怖い話の類が、ちょっとだけニガテなのである。
これもやはり姉のせいで、小さい頃に散々怖い話を聞かされたり、シーツを被ってオバケに扮した姉に脅かされたりで、ロクな思い出が無いからだ。でもこんな事がアラタさんにバレたら、情けないって思われちゃうかも知れないし……何とか隠し通さないと。
動揺を誤魔化すように酒をどんどん呷っていると、
「あと他にも『桜に攫われる』なんて言われる事もあるんですよね」
「さらわれ……?」
またしても気になる話題を口にするアラタさん。
こっちはホラー要素は少ないけれど……攫われるってどういう事だろう。まさかサクラが動き出すとでも……?
まるで人の腕のように枝を伸ばしたサクラの木に背後から捕らえられ、ジタバタしながら『ジェイさん~』とオレに助けを求めるアラタさんの姿が、唐突に脳裏に浮かんだ。
「そっ……んな事、ぜえったいにさせませんよ! だってアラタさんはオレが──」
こぶしを握り締め、勢い余って立ち上がろうとした、その時。
ぐらり、と身体が傾き、ついでに足の力も抜け、倒れ込みそうになる。
「ジェイさん!?」
慌ててオレを支えてくれるアラタさん。
「す、すみません、酔いが回ったみたいで……ちょっと水飲んできます……」
心配顔のアラタさんを制しつつ今度こそ立ち上がり、フラつく足に気合を入れると、オレは一階へ向かった。
慎重に階段を下りて、茶屋の厨房で水を頂き、夜風に当たりながらそれを飲む。川沿いの少しひんやりした風が、火照った顔には気持ち良い。だがあんまり長居してもアラタさんを一人で待たせてしまうので、適度なところで二階に戻る事にした。
きしり、と僅かに階段の軋む音を聞きながら、一段ずつ登っていると──
……ん?
今、何か聞こえたような……
足を止め、階段の途中で耳を澄ませてみる。すぐにその正体は分かった。
これは、歌だ。
聞き覚えのないメロディーで、知らない歌だけど……歌ってるのはアラタさんだよな、きっと。
それほど声量が大きくないため、歌詞で分かったのは耳慣れた『カムラ』という単語だけだった。この里に伝わる歌だったりするのだろうか。
そっと二階の様子を伺ってみると、奥の方で手摺りにもたれ掛かりながら、サクラを眺めているアラタさんの姿が目に入った。ほんの少し笑顔を湛えて、どこか嬉しそうに歌を口ずさんでいる。
そんな彼を思わず見つめてしまっていたのだが、やがてオレの視線に気付いたのか、アラタさんがこちらを向き──
「……!?」
露骨に狼狽え、表情を強ばらせる。
「き、聞いてました? 今の……」
彼の動揺っぷりに苦笑して、すみません、と一言謝罪すると、
「歌、すごくお上手じゃないですか。オレ、もっと聞きたいですよ!」
それはお世辞どころかまるっきりの本音だったのだが、アラタさんは顔を赤くし、
「勘弁してください……」
消え入りそうな小声で呟き、俯いてしまった。
「……ジェイさんとこうやってお花見できるの、なんだかうれしくて。ちょっと浮かれてました」
目を伏せたまま、少し照れ臭そうに笑うアラタさんの側を、ひらりひらりと落ちていくサクラの花びら。それを何となく目で追いながら、オレはアラタさんの言葉を聞いていたが、
「それに、エルガドじゃジェイさんにいろいろ教えてもらう事が多かったけど、今日は俺が教え……うわっ!?」
彼のセリフを遮るかのように、びゅう、と一陣の風が吹いた。
強い風に煽られてサクラの枝が大きくしなり、同時に何枚もの花びらが宙を舞う。
その花びらが、オレとアラタさんの間を遮った瞬間。
──他にも『桜に攫われる』なんて──
少し前のアラタさんの声が、急に蘇って。
オレは反射的にアラタさんの近くへ駆け寄ると、彼の身体を抱き寄せていた。
「……ジェイさん?」
びっくりしたような顔で、オレを見上げるアラタさん。彼が腕の中にいる事に安堵はしたが、それでも彼を強く抱き締め、耳元で囁く。
「オレも、アラタさんと一緒にお花見できて、すげー嬉しいです」
嬉しいのは本当だ。
今日一日すごく楽しかったし、来て良かったって思ってる。
でも、それと同時に──言いようのない不安が少しずつ膨らみ始めたのも確かだった。
アラタさんの故郷、カムラの里。
皆いい人ばかりだし、ご両親のいないアラタさんの暮らしを実は心配もしていたのだが、彼がとても大切にされている事も分かって、それについてはオレも安心していたけれど。
里の人達との会話や、彼の生き生きとした表情を見ていると、やっぱりアラタさんの居場所は、ここなんじゃないかって。オレなんかがこの子を連れ出してもいいのだろうかって、そう思ってしまったんだ。
オレはアラタさんと別れる気なんて全くない。これっぽっちもない。
だけどオレ達の今後には、不安な点がいくつもあった。
まだ先の話だし、と。なるべく考えないようにしていた懸念。
提督も言っていたけれど、エルガドはあくまでも調査拠点だ。だからいつまで存続しているか分からない。
オレだってそうだ。王都に戻る命令が急に下るかも知れないし、もしくは別の土地に転任を言い渡される可能性もゼロじゃない。
その時はアラタさん、一緒に来てください!
……なんて、はたしてオレが言っていいものだろうか。
オレがカムラに移住するって手もあるけど、そうしたらオレの夢は──提督の右腕になるという夢は、多分叶えられなくなってしまう。けどオレにとって一番大切なのはアラタさんで、その為には他の事なんて投げ捨てるべきだって思ってる反面、今まで目指してきたものをそんな簡単に諦めてもいいのかという葛藤が生まれ、なかなか踏ん切りが付かなかった。
さっき、サクラに攫われるって話を聞いた時、オレがアラタさんに言い掛けた言葉。
だってアラタさんはオレが──絶対に離しませんから。
そう思ってはいるのに、アラタさんを優先できない自分が、優柔不断な自分が情けなかった。
だから、こんなオレのせいで、アラタさんの方からいつか離れていってしまうんじゃないかって──……
「ジェイさん」
アラタさんの声にハッとして、我に返る。
彼は少し困ったような顔でオレを見つめていたけれど。
オレの背中に両手を回し、そのまま抱き締めてくれたかと思えば、
「来年も再来年も、その次の年も、こうやって一緒にお花見しましょうね」
「……え……?」
思わず小声を漏らしたオレに、アラタさんは静かに微笑んでから、
「それから……俺、ジェイさんと王都に行くのも楽しみにしてるんです。その時はまた王都のこと、いろいろ教えてくださいね!」
パッと輝くような笑顔を浮かべてみせた。
アラタさんがオレの不安を感じ取って、気持ちを察して、そう言ってくれたのかは分からない。でも──
来年も再来年も、その次も、一緒に。
彼の語った、未来への約束。
それはアラタさんが、オレの側に居続けようと思ってくれている事に他ならなかった。
嬉しくて嬉しくて、同時にホッとして。危うく涙が零れそうになったけど。
「……はい。オレのお気に入りスポット、いっぱい紹介しますから! 期待しておいてください!」
オレもアラタさんに負けじと、精一杯の笑顔を返す。
腕の中からこちらを見上げ、楽しみにしてますって笑ってるこの子が愛おしかった。幸せだなって、心の底から思えた。
だけど、彼に甘えるばかりじゃダメだ。アラタさんの隣に堂々と並び立てるよう、彼が安心して一緒に過ごせるよう、オレももっと強くなって、王国騎士の中でも上り詰めていかないと……!
「あ、ジェイさん。頭に花びら乗ってますよ」
こっそり気合を入れまくるオレを余所に、背伸びをして、オレの頭上に腕を伸ばすアラタさん。
そんな彼の右腕を軽く掴み、オレの方から顔を寄せ、唇を重ねた。
ちゅ、と一瞬触れるだけの短いキスだったけれど、唇を離すと目の前のアラタさんは頬を赤く染めていて。
「アラタさんっ! オレ、頑張りますからね!」
「え!? は、はいっ!」
力強く宣言したオレは、赤い顔のままコクコク頷いている彼の額に、もう一度キスをしたのだった。