あなたの所有物になりたい私雨彦は可憐な女学生の手に握られているソレを二度見した。玄武の女らしいほっそりとした手には似つかわしくない厳つい黒い革のベルトが握られている。そしてそれを握っている玄武は恥ずかしそうに、でもどこか期待を込めて雨彦を見ている。
「雨彦アニさんの手でこれを着けて欲しいんだ…」
その言葉につられて雨彦は彼女の首に、その首輪が着いているところを想像した。そして、そこから伸びるリードの先を自分が握っていることも。
「ちょいと考えさせてくれないか?」
自分の本能がざわめいた気がして慌てて、想像をやめて雨彦は彼女に待ってほしいと頼んでしまった。それをしたら何かよろしくない一線を超えてしまいそうな気がして…
雨彦と玄武はDom/Subの男女のカップルだ。歳の差はかなりあるがそれでも、玄武は雨彦を想い続けたし雨彦もいけないと彼女の前では大人であろうとしたが、雨彦も水面下では彼女が愛しかったから「折れる形で」という言い訳を自分にして付き合い始めた。いや、雨彦が保護したという形が正しいのかもしれない。
付き合い始めてすぐに雨彦は交際を初めて良かったと思った。何故なら、玄武はまだ学生ということもあって特定のDomのパートナーを持ったことがなかった。それなのに、勉強熱心な彼女はすでに自分達の、Dom/Subについて書かれた本を読み漁っていて彼女なりの憧れの関係を形成させてしまっていた。
それが可愛らしいものであれば良かったのだが、彼女のSubとしての体質のせいなのか「主従関係といっても差支えのないDom/Sub」という旧態的、マイルドに言い換えると伝統的な関係性に強い憧れを持っていた。SubはDomの召使いの様に全権を委ね、決められた服を着て家事などのタスクをこなして陰日向に支える。Domは主人の様に威厳高くSubの何から何まで自分の色で染めて、命令で導き絶対服従を強いる。もちろんSubがタスクを達成出来なかったらキツい罰を与える。
そんなのが憧れだというだ。
雨彦のDomとしての特性とは両極的なDom像に頭を抱えた。
自分はSubを甘やかせたい穏やかなDomなのだ。事務所に来ると「雨彦アニさん」と呼んで、子犬の様に駆け寄って慕ってくれる可愛らしいSubにお仕置きなんてできやしない。
できやしないのだが、玄武の理想を叶えられないと交際を断れば、悪い大人のDomが従順な彼女に目をつけて手篭めにしようと群がってくるに違いない。そうじゃなくとも他の男に指一本たりとも玄武に触れさせたくない。
さて、どうしたものかと考えて、雨彦はとりあえず「こういうのはまだ早い。もっと関係性を深めてから」と大人として説得することにした。ソファーに座るとその後をついて玄武もやってくる。
「黒野、少し話をしたいからお前さんも立ってないで座ると良い」
すると玄武はぱっと目を輝かせて、なんとその場に、床の上に正座をするようにして脚の間に尻を下ろす、いわゆるぺたん座りをしてしまった。
どうやら玄武は雨彦の「座ると良い」を緩やかなCommandだと捉えてしまったようだ。いつもの聡明さはどこに行ってしまったのかと驚くも、玄武は滅多にCommandをしてくれない雨彦がしてくれたと疑っておらず、褒められたそうにそわそわしている。
この健気さが雨彦の庇護欲を強く刺激し、ついつい猫可愛がりしたくなってしまう。現に「黒野そうじゃない」という言葉が引っ込み、玄武の頭を撫でている。
「ちゃんとお座りできたな。良い子だ」
褒めてもらえて嬉しいのだろう。玄武はぽっと頬を赤らめながらもされるがままだ。いつまでも床に座らせて置くのは可哀想だと雨彦は玄武の手を取る。
「今度は床じゃなくて椅子に座ってみよう」
またCommandが来たと玄武は嬉しそうに頷き雨彦の手の誘導通り、雨彦の座っている2人がけソファーの空いている方に腰を下ろした。
「よしよし。今度は俺がソファーとか椅子に座って、座れのCommandをしたときはちゃんとお前さんも椅子に座るんだ」
良いな?そう聞くと、玄武は嬉しそうに分かったと頷いた。可愛い、やはり俺がしっかりと守ってやるべき、と当初の目的も忘れそうになる雨彦だったが、玄武がしっかりとあの首輪を持っていたことで一気に現実に戻ってきた。
「黒野。それは俺が一旦預かるよ」
「着けてくれないのか?」
そんな急速にしょんぼりしないで欲しい。甘やかしたいという欲望が「今着けてやるからな」と口を滑らせようとしてくる。これでうっかり着けてしまったら、雨彦は「葛之葉雨彦(30)同事務所の未成年女子アイドルに鬼畜行為」というヘッドラインで芸能ニュースのトップを飾るだろう。それだけは2人の未来のためにも何としてでも避けたい。
「さあ、ソレを俺に渡してくれるか?」
少しだけハッキリと発音して伝えれば、玄武は思惑通りこれをCommandだと理解して雨彦の手の上に首輪をのせた。
「ありがとう、良い子だ」
そう言ってCommandされた幸福感に酔っている玄武を撫でると彼女はSubspaceに入れたのか雨彦の手に頭を擦り寄せて甘えてきた。
「褒美に抱っこでもしようか。おいで」
そう言って膝を叩いて呼び込むとすんなりと膝の上に乗ってきた。痩せているが男には無い柔らかさと甘い香りのする体を抱き寄せて、雨彦は玄武を撫でる。Subを溺愛したい雨彦のDomとしての欲望も満たされているのを感じている。
「首輪はもう少し関係を深めてからにしような」
雨彦に抱きかかえられて安心しているのか膝を抱えて小さくなっている玄武の頭を撫でながら首輪について説得すると、素直にこくんと頷いた。これは雨彦の読みだが、いきなり首輪を持ってきたのも一般的なDomよりもCommandを言うことがない雨彦に玄武は無意識下に不安を覚えていたからだろう。だから二人の関係性を明らかにする首輪というアイテムを着けてもらい、自分は雨彦のSubで、雨彦は自分のDomだとしっかりと目に見える形で自覚したかったのだろう。首輪を渡したとて乱暴なDomには豹変しないだろうという危なっかしい盲信も含まれているからこそ出来る行為だ。
「その代わりお前さんが身に付けられそうな何か良いものを見繕ってくるよ。それじゃダメかい?」
雨彦の言葉に玄武はパァッと目を輝かせた。余りの輝きで雨彦は少し仰け反ってしまいそうになる。
「ほ、本当か⁉︎」
「ああ。だが、俺の選ぶものだからあまり過剰な期待はしない方が」
「何でも嬉しいに決まってるだろ!アニさんが俺のために選んでくれるんだ。隋珠和壁、絶対に大切にするぜ」
まだ肝心の物も買っていないと言うのに、もらったかの様に喜ぶ玄武を見て、愛しいと思うと同時にこの年頃の少女が喜ぶ物なんて皆目見当がついていない自分に苦笑した。