中学生日記窓から西日が差し込むこの席で、雨彦は一番後ろなのをいいことに、机から出てきた何週間前かのプリントを正方形にして折り紙を折っていた。
「起立ー」
ああ、ここを折って開けば完成なのに。
完成間近でホームルーム終了の号令がされたことに煩わしさを感じながら、クラスで一番背の高い自分が立たないと簡単にバレるので仕方なく折り紙を机の下にしまって立ち上がった。
「礼」
皆と同じように浅く頭を下げ、雨彦は机横にかけた鞄を手に取ってするするとクラスメイト達の間を縫うように移動する。
授業が終わったらすぐに家に帰りたくなる性分だ。
「葛之葉ー、今日ゲーセン行かん?」
数人の男女のグループから声をかけられたが、雨彦は顔色ひとつ変えない。
「行かん」
そう答えて教室を出て行った。
「葛之葉って何考えてるのか分かんねー」「何が好きなのかな?」「ゲームとかアイドルとか興味全然無さそー」と本人に聞かれてないと思っているのか好き勝手自分について話すクラスメイトを若干疎ましく思った。
雨彦はクラスでは浮いた存在だと自覚している。かと言って馴染むつもりもあまりない。勉強も運動もやれば優秀なのだが、興味がないからそこそこしかやらない。三者面談でも毎年「葛之葉はやる気を出してくれれば言うことないんだけどなぁ」と教師が苦笑するだけだ。
浮いているがなんでもできて、特殊な家柄なのと本人からの反応が薄いから、クラスでいじめられることもなく問題行動もない「特になにも無い生徒」としてクラスメイトからも教師ならも取り立てて注目されない。
そんな雨彦だが密かに好きなものがある。
可愛いと思ってる女子もいる。
せかせかと帰ってきた雨彦は自室のドアを開ける。
部屋の中は、今話題のヤンキー女子高生アイドル神速一魂の黒野玄武のポスターとファングッズでびっしりだ。
彼女こそが雨彦の何にも夢中にならない心を射止めた唯一の存在だ。
黒くて艶々の長い髪、並の男子よりも高い背丈、華奢な体、綺麗に伸びた長い脚、そして、射抜くような灰色の瞳。
部屋でしょっちゅう見ているポスターでも改めて見つめるとキュンキュンする。
性格も好きだ。
相棒の朱雀を大切にしていて、冷静で頭も良い。ときおり抜けているのも可愛らしい。
雨彦は鞄を床に放り、制服のままベッドに寝転んで下校中に買ったばかりの雑誌を開く。
今月号は神速一魂が表紙で二人のロングインタビューとグラビアが載っているのだ。買わないわけがない。
どこかの海で撮ったのか季節に合わせて二人はすっかりワンピースや麦わら帽子といった夏の格好をしている。
足だけ海に入れてこちらに向かって微笑む玄武は文句無しに可愛い。
こんな彼女がいたら良いなぁ、と年頃の男子らしい有り得ない望みを持ってしまいそうになる。ロングインタビューもじっくりと読んで、何気無しに次のページをめくった時だった。
「っ…!」
思わず声に出てしまった。
めくった先に水着の姿の黒野玄武がいたことに驚き、元のページに戻ってきた。
今更女の水着姿で騒ぐほどガキではない。なんだったらこっそり無修正のアダルトサイトだってみたことある。ようはこれ以上過激なものだって見たことあるのだが、黒野玄武のビキニ姿は雨彦にとってそれらをはるかに凌ぐ刺激だった。
見たいけど見てはいけない気がする。
でも、男子だ。
見たい!!!
雨彦は再度そっとページをめくる。
ぽよんってした…!!!!
見つめたのは数秒だったが、雨彦はそこに印刷された黒野玄武が目の前にいるかのように緊張しつつ、抜かりなく手入れされたつま先から頭の先の、ぴょんと立ち上がっている兎の耳のような髪の先まで見つめた。
そして、男の性というべきか、好きゆえか、視線はその表情と、その胸元に行き、そこでハッとして再び元のページに帰ってきた。
玄武のそこは「爆」と表現されるほどのボリューム感のある朱雀と比べると、物足りない印象を受けがちだが、ちゃんとしっかりとあった。
ぽよんってしてた。
やわらかそうだった。
雨彦はその丸みや想像の質感を思い返して、わーっと叫びそうになる。
自分は玄武の身体が好きでファンになったんじゃない!彼女の熱いパフォーマンスが好きでファンになったんだ!
自分にそう言い聞かせて雨彦は理性を保とうとする。
理性は保つが、もう一回見よう。
今度はちゃんと。
何がちゃんとなのか何一つ分からないまま、雨彦ははらりと再びページをめくった。その時。
「兄様、お夕飯ですよ」
階段の下から妹の声がして、階段が軋む音がしたものだから、雨彦は誰も見たことがないほど驚き狼狽しそれでいて素早く雑誌を枕の下にしまった。
「すぐ行く」
若干もたつきながらも起き上がり、ドアの隙間から顔だけを出して妹にこれ以上上がってこないように牽制の意味も込めて返事をしたが、すでに妹はいなかった。
してやられた。
妹本人はまさか兄が部屋の中で女子アイドルのグラビアに夢を馳せていたとは思ってないだろうが、雨彦としてはしてやられただ。
枕の下の雑誌を取り出しきちんと本棚に収める。
明日、もう一冊買っておこう。
そう思いつつ雨彦は軽い足取りで階段を降りた。
〜蛇足〜
夏休み、偶然にも大阪で握手会があると知った雨彦は親に頼み込んで、握手会に行けることに。
初めて見た生の玄武ちゃん(しかも雨彦が一番好きな衣装)に一瞬意識を失う。
何か言わなきゃと思いつつ何も思い浮かばない彦。そんな雨彦にニッコリと微笑んで「いつも応援してくれてありがとう」と言って、手をギュッ♡って握ってくれる玄武ちゃん。
やっと「頑張ってくださ…い」って言えた雨彦に、もう一度手をギュッ♡してくれる。
雨彦「手洗えない…」