2人ははじめて文化祭も終わって聞こえてきた定期テストの足音にクラスメイトが怯える少し前、玄武は雨彦と初めてのデートの日を迎えた。普段降りたこともない駅に降りて、時間を確認する。予定通り待ち合わせの5分前。
ふと店外のディスプレイのガラスに反射した自分を見て、おかしいところは無いか確認する。
この日のために新調した少しだけ肩の出るトップスとスカート、大きい公園に行くので歩きやすいけど可愛さもあるサンダル。いつもおろしてる髪はポニーテールにしてきた。
今日はこの駅を最寄駅としている大きい自然公園でピクニックをすることになっている。何故なら文化祭が終わり後片付けをしている際にデートに行きたいと玄武が言ってみたところ、雨彦は「黒野の弁当が食べたい」と答えたからだ。
昨日の晩から雨彦のためにおかずを仕込んだし、今日の朝も早くから起きてお弁当を作った。雨彦はあの細身でもたくさん食べることを知っていたからおにぎりといなり寿司を作ってきた。
そろそろ時間だと思ったそのとき、そっと肩を抱かれた。
「わっ、雨彦」
「黒野、待たせたな」
いきなり肩を抱かれたので驚いていると、雨彦はどこかに鋭く視線を向けた。
「どうしたのか?」
雨彦は自分達には見えない何かが見える体質らしく、時折何も無いところを見つめたり、平坦な道で「危ないから」と言って手をとってくれる。今回もそうなのかもしれないと思う玄武は当然、雨彦が睨んだ先にいる自分に声をかけようとした軽率な男2人に最後まで気付くことはなかった。
「何でもない。行こう。荷物持つ」
教える必要もないだろうと雨彦は彼らのことを玄武に伝えることなく、話題を変えた。彼女の肩にかけてあるポシェットとは別のトートバッグに手を伸ばすと、バッグではなく手が出てきた。
「荷物は自分で持つから、手を握ってくれないか?」
そう言って恥ずかしそうに頬を染める彼女は、私服も相まってとても可愛い。雨彦はぽっと頬を染めるといつもより優しく指を絡めて握った。
好きな女の子に触れるとき、自然と優しい触り方になるだなんてこと玄武と付き合うまで知らなかった。
これで良いかと視線を向けて確認すると、玄武も顔を赤らめて握り返した。
自然公園は休日ということもあり、同じように遊びにきた家族連れやカップルでそれなりに混んでいた。
日差しが強くなく静かなところを好む雨彦のために少しだけ人混みから離れた大樹の影を見つけ、その芝生の上に雨彦が持ってきたレジャーシートを広げた。風がよく吹いて気持ち良いがレジャーシートが飛ばされたり捲り上がるのは困るので、脱いだ靴をそれぞれ四隅に置いた。
お腹が空いているのかそわそわしている雨彦のために持ってきたタッパーの蓋をあけて、紙皿と箸を渡す。
「雨彦、お弁当に油揚げ入ってるとすぐに食べてるから好きなのかなと思って、いなり寿司作ってみたんだけど、好き?」
「あぁ。小さい頃から好物だ」
そう言ってひょいといなり寿司を取って、そのまま大口を開けて半分ほど口に入れた。咀嚼し飲み込む。感想を言わず残りも食べてしまった。
それも飲み込んでようやく、雨彦は玄武の方を見た。
「美味しい。もっと良いか」
「もちろん」
そう返すと雨彦は嬉しそうにもう一つのいなり寿司を取り、タッパーの端に入れられた小松菜と油揚げの炒め物を見つけると、それもせっせと自分の紙皿の上にのせた。よほど好きらしい。
前々から氏名のせいか、その涼やかな瞳のせいか、狐っぽさを感じていたが、こうなるといよいよ彼の頭の上に狐の三角耳を想像してしまう。
もし彼が本当に狐であろうとなんだろうと構わない。とにかく喜んでくれて良かったと玄武は胸を撫で下ろすと、自分も食べようと箸を割った。
食事を終えた雨彦は満足気だ。少し多めに作ってきたので食べきれるか心配だったが、そんなものは杞憂だった。雨彦は弁当をぺろりと平らげカットフルーツも美味しいと言って食べていた。
しばらく二人でお茶を飲みながら風に吹かれていたが、雨彦がするすると距離を縮めて来た。
「雨彦?」
何だろうかと彼の名前を呼ぶと、ぽすんと玄武な膝に頭をのせた。
「5分だけでいいから、膝を貸してくれるかい?」
貸して欲しいも何もすでに頭がのっているのを、今更ダメとは言えない。もちろん、断るつもりもないが。
「良いぞ」
「良かった」
雨彦はそう言って目を閉じた。しばらくして、くぅくぅと本当に寝息が聞こえてきた。
眠る雨彦の顔を見て、つい最近これと同じようなものを見たことがあると玄武は考え込んだ。
あれでもない、これでもないと記憶を探り、ポシェットの中を無意味に覗き、あ、と思った。
折り畳まれたこの公園の案内図に挟まれたチラシがあった。チラシには「キツネの赤ちゃんが産まれました」という大きな字と共に可愛らしい子狐の写真が載っている。
玄武はその写真と雨彦を見比べた。
「似てる…」
起きた雨彦を子狐を見に行こうと、引っ張って園の一角にある狐園に行くと、狐たちが思い思いに過ごしていた。
人に慣れきっているようで、わざわざ人の近くまで来て見に来るような物好きはいないようだ。チラシの子狐はどの子かと聞けば、飼育員曰くすっかり大人と変わらないほどに成長したらしい。しかし、呼べばなんとやら、トトト…と少しだけ小さめの狐が2匹、玄武の前にやってきた。
「お前たちなのか?」
少しだけ屈んで彼らに聞いてみたが、玄武を無視して足元で2匹は戯れ始めてしまった。ころころと2匹の毛玉が転がるように遊ぶのを微笑ましく眺めていると、2匹は途端に遊ぶのをやめて隣にきた雨彦の足元に駆け寄った。
「これがあのチラシの子狐か?もう随分と大人だな」
「動物だからな。きっと成長が早いんだ。雨彦と遊びたいみたいだ」
2匹はスンスンと鼻を鳴らしながら雨彦のズボンの裾やスニーカーのニオイを確かめている。やがて片方がスニーカーの靴紐の存在に気付き、丸い手と鼻先でつついて遊び始めてしまった。
「こら、紐で遊ぶな」
雨彦に声をかけられ、こうすれば構ってもらえると思ったのか、遊んでいた方がもう片方にも遊びに誘い、とうとう2匹揃って遊び始めてしまった。
チョロチョロと動き回るので、迂闊に歩き出す事などできない。
「黒野、すまん」
「気にしないでくれ。お前たち、雨彦と遊んでもらえて良かったな」
玄武が再び声をかけるも、とことん玄武には興味が引かれないのか無視して雨彦の靴紐に夢中だ。その生意気な様子が可愛らしいと思う玄武とは違い、雨彦は早くも根を上げた。
「お前さん達、俺はデートの最中なんだ。そろそろ解放してくれないか?」
狐達に言葉の意味が通じたのか、揶揄うように雨彦の周りを一周すると、2匹は走って茂みの奥に消えてしまった。
「全く…。あ、こら、俺の彼女だ。ナンパするな」
2匹からやっと解放されたと思った雨彦が隣にいるはずの玄武を見ると、大人の狐が玄武に言い寄るように見つめていたので、慌ててそれを咎める。やはり狐はそのつもりだったらしく、雨彦という雄を一瞥すると悔しそうに去っていった。
「黒野、出よう。ここにいるとお互い変なのに絡まれる」
「そうみたいだな」
手をグイッと引きながら強引に玄武を園の外に連れ出そうとする雨彦の後ろ姿に、玄武は嬉しくも面白くてクスクスと笑いながら、歩調を合わせた。
それから二人は隣の植物園に行き、珍しい草花を見て周り、その後は休憩がてら売店へ行った。
「雨彦、アイス食べる?」
暑い日の下校中に雨彦はよくコンビニに寄りアイスを買っているのをアイスの自販機を見て思い出したので、尋ねてみると雨彦は別のところを見ていて気が付いてないようだった。
「雨彦、アイスいる?」
もう一度声をかけてみると、すぐにこちらを向きなおって頷いた。
「レモンシャーベットが良い。黒野は?」
「迷ってる」
「そうか。じゃあ、買うの頼んでも良いか?」
「ああ」
雨彦は財布からアイス分の小銭を渡すと、ふらりとどこかへ行ってしまった。大方お手洗いか飲み物を買いに行ったのだろうと、玄武は特に気にせず自販機の色とりどりのアイスの写真に向き直った。
丁度二人分のアイスを買った時に、雨彦は戻ってきた。
「何アイスにした?」
「ラムネが入ってるアイスがあったからそれにした」
二人で他愛もない会話をしながら、日影にあるベンチを見つけそこに腰かけた。紙の包みをとって現れた水色のアイスを口に入れる。甘いけどスッキリとしている。
「黒野」
名前を呼ばれ、隣を見ると同じ様にアイスを持った雨彦がこちらを見ていた。
「手、出してくれ」
言われた通り、アイスを持っていない方の右の手を差し出すと、雨彦は何かをポケットから取り出した。何故か緊張した面持ちの雨彦はアイスを咥えて、両手を空けると玄武の手を柔らかく握り、何かを持っている方の手を指先に近づけたり離したりする。
何をしているのけ?と問いかけようとするより先に、薬指に何かが触れた感触がした。
雨彦の手が離れたので、何だろうかとその指を見て、玄武は、あ、と思った。
玄武の右手の薬指にはキラリと光る水色のプラスチック製の石がはまった指輪がはめられていた。
「この指輪…。どうして?」
「さっき、アイス買ったときに近くにあったガチャガチャの景品。今日の弁当のお礼…にしては安すぎるよな」
「そんなことない。歓天喜地。すごく嬉しいに決まってるだろ。大切にする」
日の光に当てて輝かせると、本物の宝石のように光って見える。いや、今の玄武にとってそれは本物の宝石以上に美しく見えた。大切そうにぎゅっと右手を握る玄武を見て、雨彦は自分はこの子が好きなんだと再度自覚した。
「黒野…」
ぽつりと名前を呼ばれ、玄武は雨彦の方に顔を向けると、すぐ傍に雨彦の整った顔があった。驚きのあまり声が出かけたが、この後の展開を望んで玄武は声を飲み込んで、ぎゅぅっと目を閉じた。
大丈夫。嫌がってない。黒野だって、キスして欲しそうだ。雨彦は自分を励ましながらぐっと顔を近づけた。あと少しでグロスのついた柔らかい唇に触れられる…!
そう思った、その時、足元にとんと何かがあたった。
「すいませーん!ボール取ってください!」
後ろから小さな子供の声がし、二人は反射的に体を離してしまう。
「ぼ、ボール?あ、雨彦の足元に…」
初めてのキスが失敗したショックで呆然としている雨彦の足元にある青いボールを見つけた玄武はそれを拾い上げ、声をかけてきた小学生のグループに投げて返した。
キスこそ失敗したがその後も二人でボートに乗ったりと楽しいデートの時間を過ごし、公園を出た時には空はすっかり夕焼けになっていた。指を絡め合ってしっかりと手を繋いだ二人は駅で解散する予定だったが、雨彦は首を横に振った。
「黒野を家まで見送る」
そうハッキリというので、雨彦にとっては遠回りになってしまうが、見送ってもらうことにした。それでも30分もすれば、あっという間に家の前まで来てしまった。
「雨彦、今日はありがとう。指輪ももらったし、すごく嬉しかった」
改めて礼を言って、また明後日学校で、と別れの言葉に続けようとしたが、ぐいっと腕を引かれ、気付くと雨彦の腕の中にいた。
「雨彦?」
驚いて顔をあげると、雨彦の手がするりと耳に触れた。
「黒野、さっきは失敗したけど、今度はちゃんとするから、キス、していいか?」
「え?」
思わず聞き返したのを拒否かと早とちりした雨彦は、玄武に心の内を明かしてしまう。
「俺も男だ。好きな女の子が隣にいるのにキスできないのは辛い」
一息でそう伝えた後にさらに強く抱きしめられて、玄武はきゅっと胸が甘く締め付けられるのを感じた。雨彦がこんなにも自分を求めてくれているだなんて知らなかった。嬉しい。玄武はそっと背中に手を回し抱きしめ返した。雨彦が緊張したのか体が一瞬ピクリと跳ねた。
「俺も、雨彦のこと好き。だから、キス、しよ?」
玄武も心の内を明かすと、雨彦はごくりと喉を鳴らした。
息がかかるほど二人の顔が近づき、玄武はそっと目を閉じた。
ちゅっと重なり合った音が僅かに二人の耳に届いた。
「は、あ、黒野、もう一度したい」
「ん…」
真っ赤な顔で玄武も同じ気持ちだと後押ししてくれて、雨彦はすぐに2回目のキスをした。
柔らかくて甘い、気がする。
本当はもっとキスしたいが、がっついている男は嫌われるだろうし、これ以上したら止まらなくなる。雨彦はなんとか2回でとどめて、体を離そうとした。
しかし、玄武はぎゅっと体を逆に密着させてきた。
「く、黒野…?」
戸惑いながら名前を呼ぶと、玄武は真っ赤な顔で泣きそうになっていた。
本当はキスが嫌だったのだろうか。それとも自分が下手すぎて怒っているのか。一瞬にして様々な憶測が飛び交う中、玄武はぽつりと呟いた。
「雨彦とまだ一緒にいたい…。離れたくなくなっちゃった…」
意識的なのか無意識的なのか、雨彦の体に玄武の柔らかい胸が押し当てられるのを感じて、さっきより鮮明に玄武から発せられる「香り」を感じた。
玄武の全てが雨彦の理性をドロドロに溶かしてくる。
「お、俺も…黒野ともう少し、一緒にいたい。家に、あがってもいいか?」
緊張と興奮でいつもより上擦った声で尋ねると、玄武はこくんと小さく首を縦に振った。