極ソハさにプロトタイプ多分私はどうすれば良いのかわからないのだ。
執務室の机の上、持っていたボールペンを置く。目の前の書類の進みは悪い。審神者の生まれた年代に合わせて用意される事務用品に使いにくさはない。つまり業務が片付かないのはひとえに自分の責任であった。
「主、少しいいかな」
「不動くん」
どうぞ、と返答をすると障子が開く。礼儀正しく二動作で開いた先に正座の不動行光がいた。
「あまり根を詰めても進みは変わらないし、一度休憩にしない?」
「不動くん〜」
泣きそうな審神者の声に不動は困ったように笑ってお盆にのったおやつを差し出してくる。
お茶と小さな花の形の干菓子が数個。夕飯に支障が出ない程度の糖分補給にちょうどいい量であった。
机の上を少し片付けて小さな盆が乗る程度の場所を空ける。
「あれ?不動くんの分は?」
「今日は近侍とお茶、なんてゆったりした時間は取れないと思ったから」
「……おっしゃる通りですね」
この本丸では通常、おやつタイムは近侍と仲良く喋りながらとるものである。ただ、話好きの私がたくさん話してしまってついついおやつタイムが伸びて業務に支障が出てしまうことも多々。極になってから近侍をやることが多くなった不動は抜け目なく、審神者の弱点を見抜いて行動するのだ。
それでも、一緒にお菓子食べたかったなぁ。少しだけ恨みがましく不動をじいっと見つめると彼はまた苦笑して、明日はゆっくりできるように今日も頑張ろう、と励ますのだ。
糖分を口に入れて、不動の言葉に押されて再びペンを握った。
「終わったぁ……」
齧り付いていた書類から目を離して、ぐっと腕を伸ばす。だいぶ集中していたらしく体のいたるところが固まっている感覚だ。
茶と干菓子の置かれた盆はいつのまにか下げられている。確か不動が退室すると一声あった気がするからその時だろう。集中してて生返事をしてしまった。申し訳なかったなぁ、あとで一言お礼言っとかないと。そんなことを考えながら机の上の散らかった書類を整理していく。置き時計は夕飯前。どうにか必要書類は提出できたし、今日の業務はひと段落ついた。もう少ししたら不動が夕飯に呼びに来るだろう。業務も片付いたことだし、と審神者は戸を全開にする。夏の夜風が室内に入ってきて気持ちが良かった。
執務室の戸は基本解放しておくのが常であった。いちいち仰々しく来訪にお伺いを立てられるのが性に合わず、刀剣男士には気軽に来訪してもらいたかったからだ。その分、審神者が戸を閉めているときは近侍以外の来訪を禁ずる暗黙のルールがあった。それは業務が多忙であったり、どうしても刀と顔が合わせられないときであったり。
この本丸の刀剣男士たちは実にうまく審神者と適切な距離で接していた。
まだ近侍は来ない。ならばと審神者はがさがさと書類を整理していく中で、政府からのダイレクトメールの封筒を見つけた。正直あまり目を通さなくても良い月ごとの会報のようなものである。端末に電子化されて送られてこないあたり、冊子として個人的に趣味で作りたい政府のものがいるのではないかと言うのが審神者の間でのもっぱらの噂がたつぐらいどうでも良いものだ。いつもは封も開けずに処分するのだが、なんとなく、珍しく封を開けてみた。
今月の優良本丸リスト、悪質な刀盗難詐欺について、審神者のお悩み相談コーナー、もしもの時の本丸緊急脱出のための備品紹介、そして今月の極の刀剣男士の特集であった。
「ソハヤノツルキ……」
「おう、呼んだか?」
「っ!?え、っ!?」
独り言のつもりであった。特集記事の刀剣男士を読み上げただけ。それに返事が返ってきたものだから審神者は大層驚いたのだ。
「び、っくりしたぁ!おかえりなさい。ソハヤノツルキ」
「ああ。今帰った」
別に戸は空いているのだから入室しても構わないのにソハヤは律儀に戸に背中を預けて待っていた。
審神者が入室を許可してやっと入ってくる。
「遠征お疲れ様でした。何か問題はあった?」
「いいや。滞りなく。」
今日の遠征の成果の書かれた調書を受け取る。サッと目を通す限り特に問題は無さそうだ。手元の書類に影がさす。顔を上げると、ソハヤがいた。
とても近くに。
「本陣の、守りも問題なかったようだな」
「え、ええ」
いつもより少し低い声。なぜだかその言い方がとても怖くて審神者は少し言い淀んでしまった。ソハヤが見下ろすようにこちらを見てくる。少しだけ見えた赤い目がどういう感情なのかわからなくて見つめ返せず、もう一度調書に目を通すふりをして誤魔化した。
彼との身長差は一般女性でしかない審神者では身長差がありすぎる。だから、驚いてしまったのだ。
審神者は落ち着かせるように自分に言い聞かせる。
「そうか!よかった!!」
先程の言い方とは打って変わって、いつもよく聞く明るい声でソハヤが笑った。なんだったのだろうか。思い違いであったのだろうか。
「じゃあ湯浴みしてから夕餉に行きたいからそろそろ下がってもいいか?」
「あ、うん!ごめんなさい、引き留めてしまって」
「いいや全然。ただそろそろ兄弟が遅いって不貞腐れてそうだから、脱衣所で!」
「なぁにそれ!じゃあ早く行ってあげなきゃ!また夕飯でね!!」
お〜!と返事が遠くなりながらも聞こえてくる。それがちょっと面白くて審神者は執務室でクスッと笑った。
遠征部隊も帰ってきてるみたいだし、そろそろ不動だって来てくれる。でもダメかも。
審神者は一度開けていた戸を閉めた。
そのままずるずると脱力したように座ってしまう。
どきどきした。心臓がバクバクした。でもこれは恋とか愛とかそんな可愛いものじゃない。
中堅の審神者はこれまでそれなりに極修行に何振りも送り出してきた。刀によって乗り越えるものは多少違うが一概に主の、私の刀になる決心をして帰ってきてくれる。ある審神者はそれを擦り上げてくれると言っていた。なるほど、確かに審神者に、私に合わせて帰ってきてくれる。
色々なら刀があれど自分の本丸で思うのは極の刀は主の刀になったことでやたらと距離が違い。心の距離とでもいうのだろうか。先輩の審神者はそれを彼氏ヅラしてくるのよ、なんて笑っていた。確かにそういうふうに見えるほど距離を縮めてくる刀も多いとも思う。こちらでの四日が彼らの修行中は四日ではないと聞く。思う年月が違うと自然と変わるものなのだろうか。ちょっと刀からの愛が重いわよね、とその先輩はくすぐったそうに、でも楽しそうに笑っていた。
刀が私に合わせて擦り上げて帰ってきてくれた。でもソハヤノツルキは違う気がする。
なんだろう、なんで言えばいいのだろう。
でも恋でも愛でもない。たぶんあっちにもそんな慎まかしい感情はない。主として大切に思ってはいてくれると思うのだけれど………。
——心配せんでも、この場の安寧は保たれているよ。
「この場のあんねい……?「主、すとっぷ」」
気付けば不動が不動が背後から審神者の口元を左手で押さえていた。戸は閉まっていたし、入室の許可もしていない。それでも不動行光が焦っているような口ぶりに審神者はそこを咎めはしなかった。
背後から不動に抱きつかれ口を塞がれて、彼の口元が右耳に近づく。
「外堀から埋める気だよ。決して彼に、彼の兄弟もか。気取られてはダメ。主が人間のまま終わりたいならね」
内緒話のように不動は小さく言った。それだけで充分だった。他の極とは違うソハヤノツルキへの恐怖。それは他の極と違って彼が主のために擦り上げられて帰ってきたわけではなく、彼のために主が神として祀りあげられるための力をつける修行だったのだ。
思い返せば極た後から何かにつけた本丸の守りを気にするようになった。守刀としての主の守りというより、この場の守るというように。場をまるで彼の居る久能山のような聖域化するように。
そして審神者は、一回だけ極の彼を折りかけた時がある。もちろんお守りは持っていたが。その時の彼の今際の譫言はなぜか恐ろしく一言一句覚えている。
——案ずるなって……。俺の魂は、久能山からいつでも見守っているから……さ
つまり彼は本霊に吸収されて本霊からもこの本丸が久能山の分社のような扱いで聖域化されるということ、になるのだろうか。
「こっわ……」
極後のソハヤについてようやく言語化できてしまった審神者は率直な恐怖を口にする。
不動に助けを求めても、彼はまた困ったように笑うだけだろうか。どうしよう、と視線を送ると彼は予想を裏切ってしっかりと審神者の手を握る。動揺するなと言っているようだった。
「夕食の時間だってさ。行こうか」
こくり、と審神者はうなづいて、平静を装って不動と手を繋ぎながら食堂に向かっていった。