海から喚ばれた海賊は、仲良く過ごしています むかしむかし、あるところにとても立派な髭を持つ最強の海賊がいました。大きな船で海を駆け、沢山の宝物を得て、呑み、遊び、戦い、最強の名を欲しいままにしました。
しかし、その海賊にも最期の時が来ます。壮絶な戦いののち討たれてしまった海賊の身体は、奪われた自分の首を求めて三日三晩、海を泳いでいたと言われます。
ところが、それは本当で嘘なのです。三日三晩どころか、その身体は何年も海を泳いでいました。首は無くなっても、景色は見えるし潮の匂いも分かるし、音も聞こえる。彼は海の中を泳ぎ回りました。更に月日が経って身体は無くなっても、彼の魂がコートとズボンを着たまま、人知れず海の中を泳いでいたのです。
ある日のこと。魚達と戯れ、うたた寝をしていたところ、突然の嵐により海賊だけが流されてしまいました。気がつくと別の海流に乗ったのか、見たことのない場所にいました。
『ん?何だここは……あっ』
海底を眺めながら泳いでいた海賊の背中に何かが当たり、その重さで砂に叩きつけられました。
『いってぇ……つか重いってんだよ』
何とか、落ちてきた何かの下から這い出した海賊は、透明な目を丸くします。魂になってからは、首から上の感覚も戻っていたからです。
『何だ、コイツは……』
海賊の上に落ちてきたものは、派手な服装の男でした。眠っているように目を閉じた彼は、重りなのか箱を体にくくりつけていました。
『海賊、か……船長だろうが、フツーじゃねーよな、このナリと……傷じゃ』
派手な服装の男。腰にはカトラスを、ゆらめくコートの間から懐の銃を見つけた海賊は、彼が自分と同じ海に生きた者だと思いました。三角帽もお気に入りだったのか、被った姿になるよう紐で結ばれていました。そして首に開いた真新しい傷からは、血が流れ出ていました。
『……随分、愛されてたんじゃねーの』
部下にも神様とやらにも。首にかかった煌びやかな金色の十字架を透明な指で突ついて、海賊はポツリと呟きます。
『コイツも結構、稼いだんかな……』
箱は気になりますが、開く術はありません。身につけているものは、かなり良いものなので、相当、暴れ回っていたのでしょう。
『なーんか、キザったらしそうなヤツ』
整った顔立ちと、服装から勝手に想像しながらも、海賊は彼から離れません。
『なんか話さねーのかな』
討たれたその日のうちに泳ぎ出した海賊は、目を閉じたままの男の顔を眺めます。海賊が海に落ちてから暫くして魚達と話せるようになり、それなりに楽しい日々を送っていました。人間が落ちてくることもありますが、生きている者は驚いて海面へ逃げ、死していても、同じように話せる者に会ったことがありません。久しぶりの人間、それも同業者と思しき男を見て、海賊は話をしてみたくなりました。
『首が無かった俺が話せるんだ。風穴開いたくれぇなら、お前も話せんだろ』
まだ張りのある頬を突つきます。半開きの唇にも、触れてみました。そのとき、十字架がコツリと海賊の胸元に当たりました。海賊は男を守るように揺れる十字架へ、『何もしねーよ』とだけ言いました。
まだ血の流れる傷口にも、そっと塞ぐように触れてみました。手を離すと、一度止まったように思えた血が再び溢れ出します。それを見ていると、ふと大きな影が過りました。見上げると、血の臭いを嗅ぎつけたサメが近づいて来ます。
『来んじゃねぇよ今はまだ俺の獲物だ後で喰え』
上に向かって叫ぶ海賊の剣幕に驚いたのか、暫く回遊した後、サメはゆっくりとその場を離れて行きました。別の海域で会ったことのあるサメだったのかもしれません。
『……目くらい開けねぇかな』
どんな色の瞳か気になり、閉じた瞼に触れます。そのまま、指で押し上げてしまうことも出来ますが、何となく男が自分で開くのを待ちたくなりました。
『……何か楽しみだな』
自然と笑みが浮かびます。海賊は、男の目が開き、話し始めるのを待ちました。海賊が傍にいるため魚は近寄らず、海底の水温は男の姿をそのまま留めていました。
そして数日が経った、ある朝。
『お、おお』
男の瞼が震えたような気がして見ていると、ゆっくりと開きました。瞬きの間に見える色は、光の加減か青く思えます。海賊が男から離れて様子を見ようとしたとき、金色の光に包まれていることに気づきました。
『何だよお前、んアレ』
顔を向けた男が口を開いてパクパクと動かしましたが、海賊には聞こえません。光に包まれていたのは海賊の方で、男の声は届くことはなく、その姿は消えてしまいました。
『……何だったんだ。今のは……』
一人、海底に残された男が、ポツリと呟きました。その瞳は、晴れた日の海面のような色をしていましたが、眩い光に包まれていた海賊は、よく見られないまま旅立っていったのでした。
※※※
「んそれで終わりか」
「んん〜海賊はどこかへ行ってしまいましたので、ソイツがどうなったかは知りませーん」
戯ける黒髭に、バーソロミューが笑う。
シミュレーションルームで手合わせをした後、バーソロミューの部屋で少し遅いお茶の時間を楽しんでいた。
「その服から出来た御伽話ですし。拙者、乙って即、座にご招待されたっぽいので、海中生活の記憶ないし〜。あ、奴の船の周り泳いだってのは、覚えてねーけど三周ぐれぇはやったかもねー」
「もしそうなら、執念の成せる技だな。さぞ、彼らの肝を冷やしただろうね」
バーソロミューが、紅茶を一口飲む。
その服装は、通常の霊衣でも私服でもなかった。赤い宮廷ズボン、コート、赤い飾りの付いた三角帽子……ではあるが、帽子やコートの裾にある、十字架の装飾が無い。色柄もやや違っていた。
「……まさか命日に、生前の服が再現されるとはね。死亡時のものではないところも、また……」
「ほーんと、何度見ても派手だわ。元々そんなんだったのねー」
「似合うだろう」
脚を組み、首を傾げて微笑むバーソロミューに、黒髭が一瞬見惚れる。
「……へいへい、よくお似合いですよー」
今日、三度目のやり取り。
最初は朝。日付が変わったと同時に首に現れた傷跡以外に異変がないか、確認も兼ねて霊衣を纏った際、二人で一頻り騒いだ後。次は、異変の報告も念の為の検査も済んだ昼過ぎ。シミュレーションルームにて、船を出して黒髭と〝手合わせ〟をしたときの甲板で。
今度は黒髭の返答に一瞬だけ間があったものの気づかなかったのか、バーソロミューは『ふふ』と笑ってティーカップをテーブルに戻す。
「お前のも、見てみたいな。服だけではなく、髪も髭も、当時のままで」
うっとりと微笑み、バーソロミューの唇が頬に触れた。〝手合わせ〟の名残で、一度、再臨をして身なりを整えたものの、互いに硝煙の匂いを纏っている。
「いやん。素敵過ぎて、バーソロ何も言えなくなりますぞ」
「そうだな……驚きのあまり原点に立ち返って、お前を撃ってしまうかもしれない」
バーソロミューの指先が、黒髭の胸に触れて心臓の位置をトントンとタップする。うっとりとしていた目には、手合わせをしていたときの鋭さが現れている。
「そしたらまた、ギッタンギッタンにしてやるよ」
「ほう。それは楽しみだ」
ニヤリと笑ったバーソロミューの顎を黒髭の手がとらえて、唇を重ねる。バーソロミューの腕が黒髭の首へ周り、舌を絡ませあう。興奮が高まり、黒髭の指が服にかかったところで、動きが止まった。
「……どうした」
「んー……何か、今の服のお前に手ェ出すの、よく分かんねーけど、何となく気が引けるっつーか……」
身体を離した黒髭の言葉に、バーソロミューが目を丸くする。この服になってから、何となく触れ合うことが少なく思えたのは、気のせいではなかったようだ。
「……何かさー、海賊で混沌悪なバーソロミューだけど、俺のバーソロミューとはちょっと違う、みたいな……あっ、あれだ本物ノッブに何かするのヤベェって感じかも。キスしといてナンだけど」
指輪はあるんだけどな、と黒髭が手袋のない左手を取り、薬指に触れる。『本物信長』の話は、バーソロミューも記録で知ってはいるが、そのような感覚を黒髭が自分に持つとは思わなかった。黒髭の中でも色々と複雑な思いが巡っているためか、バーソロミューが彼の言葉に色々と驚いていることには、気づいていないようだ。
「……そういうところだぞ、お前……」
「あ何が」
「何でもないシャワーを浴びてくるお前も……後に浴びろ」
「お、おう……」
カウチから立ったバーソロミューの勢いに、黒髭がやや目を丸くして頷く。バーソロミューは、足早にシャワールームへ向かった。
「……ちょっと、お片付けしときますかね」
ポリポリと頬を掻いて呟き、黒髭が二人分のカップを持って、簡易キッチンへ向かう。
「……いやいやハジメテじゃないんだし、何なのこのドキドキ。服脱いだら、元のバーソロじゃない。爽やかイケメンしてるけど中身ドロドロで、混沌悪な海賊で……」
カップを洗いながら、バーソロミューを見送った際に、彼の耳が赤くなっていたことを思い出す。
シミュレーションルームで〝手合わせ〟をしたときの彼は、心なしかいつもより生き生きとして見えた。戦い方も、荒々しさが増していたように思える。それは彼の部下たちもそうだった。生前、海を駆けていた頃の感覚になっていたのだろう。自然と黒髭も高揚し、力が入った。甲板で、血に塗れた姿でのバーソロミューの『似合うだろう』という言葉に、黒髭は『おうよ』と目をギラつかせて即答し、同じ目をした彼と拳の応酬になった。
そして、先程のバーソロミューとのキス。剣呑さを纏った表情に、衝動的に唇を重ねたが、生前の彼を蹂躙するようで何となく気が引けた。もしバーソロミューと同じように、黒髭の霊衣だけが生前の服になり、その姿で彼を抱こうとしたら……。
「……いやん♡」
黒髭の小さな、少し楽しそうな呟きが、水音と混じる。
(危なかった……一緒に入ったら、私は……)
シャワーの水音の中、バーソロミューが顔を覆う。お前も来いと言いかけて、危うく止めた。もし戸惑ったままでも黒髭が一緒に来ていたら、キスで高まった興奮も相俟って、とんでもない誘いをかけてしまいそうだった。
(俺のって、俺の……って)
生前の服を着た自分に対する黒髭の感覚と、それを説明する際に言われた言葉が、バーソロミューの顔を胸を熱くした。
バーソロミューが召喚されてから、三度目の彼の命日。霊衣のみに起きた異変は、なぜか初々しい自分達を思い起こすことになった。
※※※
海賊が光とともに消えてから、どのくらいの時間が経ったのでしょう。もしかしたら、あの海底では、何日も経っていなかったのかもしれません。
『貴殿が黒髭……エドワード・ティーチか』
旅立った先の世界で海賊——黒髭が仲間達と酒を飲んでいたとき、男の声が響きました。
『あんだよ、お前』
『私は、バーソロミュー・ロバーツ。貴殿のおかげで、海賊は……』
銃を構えたバーソロミューの姿に、黒髭は笑みを浮かべ、ゆったりと立ち上がりました。
そのあとは、乱闘です。瞬く間に距離を詰めた黒髭に、バーソロミューは蹴り飛ばされました。立ち上がるところへ、今度は首を掴み建物の外へ投げます。体勢を整えぬままバーソロミューが放った弾丸は、黒髭の頬を掠めて一筋の傷を作り、彼はカトラスを抜いて切り掛かります。カトラスと鉤爪のぶつかり合う音が響き、殴る蹴るの応酬が続きました。周囲の者は、祭りだとばかりに囃し立てます。
(あれ、コイツ……もしかして)
騒乱の中、間近でバーソロミューの顔を見るうち、黒髭は気付きました。
「お前、俺の上にお」
「あぁ何だと」
落ちてきたと言う前に、別の意味に取ったバーソロミューの拳が頬へめり込みました。反射的に殴り返します。二人は、抑止力が呼び出した者が止めるまで、殴り合いました。
「へ、俺の命を……何だって」
「いずれ……奪ってやる……覚悟しろ」
引き離される際、ボロボロの状態で目の光を失わないバーソロミューを、同じような姿の黒髭がニヤリと笑って見送りました。
「ッ……楽しく、なりそうじゃねーか」
〝祭り〟が終わって。黒髭は、痛む頬のまま酒を一口呑み、血のついた唇をニィと吊り上げました。
「……なーんてね」
傍で眠るバーソロミューの髪を撫で、黒髭が笑う。その動きと声で、バーソロミューの瞼が僅かに震えた。
「……ん、なに……」
「ん大丈夫よ。おやすー」
「うん……おやすみ……」
再び目を閉じたバーソロミューの額へ、黒髭が口付ける。
最後の大海賊の命日。夜は、静かに更けていった。