03 フェイス・ビームス「今回はオマエか」
「アハ、今日はよろしくね」
扉の開く音が響く。その音に反応したマリオンが扉の方へと視線を向けると、扉から入ってきた人物――フェイス・ビームスはひらりと手を振って応えた。
「『今日は』という程の時間じゃないだろ」
「相変わらずの態度だね。一緒にショコラを食べて紅茶を飲んだ仲でしょ」
「それとこれとは話が別だ」
人の良さそうな表情を浮かべるフェイスに、マリオンは顔を顰める。これが街にいる女性であれば、彼が浮かべる甘い表情に絆されてしまうのだろうが、生憎この場にいるのはフェイスの他にマリオンしかいなかった。しかし、そんなつれない態度をするマリオンは日常茶飯事なのだろう。フェイスは薄く笑みを浮かべたまま口を開く。
「マリオンはもっと素直になった方が良いよ」
「オマエも大概だろ」
「そうだったはず、なんだけどね」
かたり、と音を立ててマリオンの正面の席に座った彼が困ったように眉を下げた。
そのような表情とは裏腹に、言葉を発した彼の声音は明るい。
「『ヒーロー』になってから色々なことが起こって、考えて。そんな経験をしていく内に、いつの間にか変わっちゃったみたいなんだ。マリオンはそういう経験ってない?」
「それは……」
思い当たる節があるのか、マリオンが言いよどむ。しかし消え入ってしまった言葉の先は、いつまで経っても告げられることはなくて。
そんなマリオンを見て、フェイスが何かを迷うように視線を彷徨わせる。すぅっと息を吸う音が響いたかと思えば、彼は吐き出すように言葉を紡ぎ始めた。
「俺の目の前には、いつも『あいつ』がいた」
その言葉に、マリオンがぴくりと反応を示す。
彼の言う『あいつ』というのは、一人しかいない。
第13期『ヒーロー』のメンターリーダーにして、フェイスの兄。
――ブラッド・ビームス。
まさか彼の口からその名前が出るとは思っていなかったのか、マリオンは目を丸くさせながらフェイスに目線を合わせる。マリオンの反応を見たフェイスはくすりと笑うと、遠い過去を思い出すかように、目蓋を閉じた。
「過去の俺は、優秀な『あいつ』と散々比べられた結果色々と言われて、挙げ句の果てには本人からも突き放されて。正直、腐って捻くれてたっていう自覚はあるよ」
頬杖をついて、軽い溜め息を吐く。しかし、そう語った彼がほの暗い表情を浮かべることは一切なく、その過去に付随する感情は全て昇華出来ているという印象を受けた。
「でもこうして『ヒーロー』として【HELIOS】に来て、とても面倒なことにお節介の多いウエストセクターに入って。『あいつ』と接する機会が増えたり、過去の俺との対面を果たしちゃったりもして。
そしたら――俺と『あいつ』は違う人間なんだって、そう思えるようになったんだ」
閉じていた目蓋が開かれ、ぱちりと2人の視線が交差する。
フェイスはふっと柔らかな笑みを浮かべた。
「俺の名前は『ブラッドの弟』じゃなくて『フェイス・ビームス』だって。
『ブラッドの弟』っていうのは紛れもない事実だけど、それは関係性の名称であって俺の名前じゃない。――今更こんなこと言って、笑っちゃうんだけど」
くすくすと笑うフェイスに、自嘲の色は見られない。
「でも、そうやって少し素直になった瞬間、心がすごく軽くなって。その時に気づいたんだ。『あぁ、自分に足枷つけて腐らせてたのは――俺自身だったんだな』って」
「これも今更って感じなんだけど」と話すフェイスは、眉を下げて心底楽しそうに笑った。少し不格好な笑みは、常に周りの視線を気にして浮かべる彼の完璧なものではない。年相応で等身大の彼の表情だった。
あまり見ることのない彼の表情に、マリオンはつい凝視してしまう。その視線に気がついたらしいフェイスは、照れたようにその表情を引っ込めると、代わりに彼を揶揄うような笑みを浮かべた。
「だから、マリオンも少しくらい素直になった方が良いよ。先輩からのアドバイス」
「……誰が先輩だ」
「アハ、ようやく喋ったと思ったらそこに突っ込むんだ」
唸るように出たマリオンの声は、少し小さい。視線もふいと逸らされてしまい、フェイスは彼の感情を読み取る術が無かった。それでもフェイスはマリオンを見つめながら言葉を続けた。
「俺はそこまで気にならないし、首を突っ込む気はないんだけど、マリオンって相当特殊な環境の中で育っているんだなっていうのは分かるよ。俺なんかよりきっと色んな経験をしてるし、自分の中に溜め込んでいるってことも」
「……」
「それを全部曝け出して、なんて無茶なことは言わないけど。ほんの少し思っていることを話すくらいは許されると、俺は思うよ」
フェイスの声音はどこまでも優しい。言葉に込められた想いが決してその場しのぎのものではない、ということが誰にでも理解出来る程で。
「……本当に変わったな。オマエ。こんなにおしゃべりだったか」
「アハ、自分でいうのも何だけど、すごく素直になったでしょ。本当は今も恥ずかしいし、こんなことチームの皆にだって言うつもりはないけど。
それでも、マリオンにはきちんと言っておきたかったんだ。何でだろう? 同い年で、性格が似ているからかな?」
「ボクに訊くな」
本気で理由が分からないらしいフェイスが、首を僅かに傾げる。マリオンが呆れたように溜め息を吐くと、沈黙が流れた。
フェイスはその沈黙を受け入れて、ただマリオンをじっと見つめる。
それから、どれだけの時間が経過しただろうか。
「……オマエが言っていた件、善処する」
マリオンの薄い唇が開き、空気が振動する。
どこか気恥ずかしそうにしながらも、フェイスの瞳をしっかりと見つめ、マリオンは答えを出した。
「――そう」
マゼンタの瞳が嬉しそうに細められる。
「素直になれない者同士、頑張ろうね」