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    mukibutu_09

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    奈美がウォルターに「したい」と言う話

    #黎明の瞬き

    お誘いと降りかかる悩みと「怖いんです」
    ポツリと彼女が呟く。見下ろす彼の目にはツヤのある漆黒の髪と髪先の鮮やかな青が映る。うつむき、彼の服の袖を掴んで離さない彼女の顔は見えない。ただ髪先の青だけが彼には印象深く映った。
    「ウォルターさんが死んじゃうんじゃないかって」
    彼女の脳裏を鮮血の記憶がよぎる。血みどろで地を這うウォルターの姿が。
    「私が先に死ぬと思ってたのに、貴方の死は意外と近くにあって」
    消毒液の香りを思い出す。
    「そしたら、急に何もかもわからなくなっちゃって」
    「なるべく隠しておきたかったのに、抑えられなくて」
    「たくさん楽しい思い出とかあったはずなのに」
    「全部抜け落ちて空っぽになっちゃって」
    淡い色のフローリングが溢れた雫を弾き、重苦しい空気の中LEDの白だけが煌々と輝く。嗚咽混じりに紡がれる言葉は溢れて、
    「貴方が欲しい、貴方を受け入れたいっていう思いだけが大きくなっていくんです」
    シンとした部屋でスンと鼻を鳴らす。彼はまじまじと彼女を見下ろす。小さな小さな彼女が身に余る勇気を振り絞って発したであろう言葉が静寂に溶けた。
    「死なないで、置いてかないで、それができないなら」
    一呼吸。
    「…思い出をください」
    何の話をしているのか伝わりきらないものがこの言葉を皮切りに輪郭を帯びる。
    「一生の傷を、忘れられないほどの傷をください。」
    鮮やかに、色を得る。
    「ウォルターさんがいることを刻みつけて。」
    しまい込んでいたドロドロとしたものが、歪な形を得る。
    「一度だけでいいんです。私を抱い…」
    うつむく彼女と視線を合わせるために彼はしゃがむ。下から覗き込む彼と目が合えば、彼女は嗚咽混じりの震え声を止めてじっと見つめる。
    ふと彼から伸ばされた手が、彼女の熱を持つ頬に添えられる。ヒヤリとしたそれが頬の腫れぼったさを収めていく。
    「貴方が私の前からいなくならないと約束しなさい」
    霞む彼が微笑んでいる。
    「…なんで」
    「貴方に約束を守らせることはできますが、私が約束を守ることはできませんから」
    ここまで来ても自分のことばかり。そんな彼が見せた彼なりの彼女の思いを汲む言動。
    自分が約束を守れないならナミが『いなくならない』という誓いを立てて、それを守ればいい。自分はそれを取り立てるように守らせればいいから、結果的に自分はナミの前からいなくならないということを言いたいのだ。
    彼の言葉を頭で反芻する。遠回しな言葉を噛み砕いて、整理して、理解する。
    添えられた手はゆるりと動き彼女の頬を撫でる。二人の体温が混ざり合って大分温くなったそれは、彼女の涙を軽く拭って離れていく。
    「理解できました?」
    ニコニコとしている彼が首をかしげて問う。
    彼女は首を縦に振って肯定の意を示す。ああ、これで彼が自分の前からいなくなることは無いんだと安心して体の力を抜いたのも束の間。
    「それで?私は貴方を抱けばいいんですか?」
    続いた言葉に石になったかのように彼女の動きが止まる。
    「…ん?」
    思わず漏れ出た素っ頓狂な疑問符は彼女のものだ。『自分の前からいなくならないで欲しい。それが約束できないなら抱いて欲しい』と言ったつもりだったのだが。
    「はい?」
    彼女の疑問符に釣られて彼も疑問符を浮かべる。
    「………あ、…あー。」
    思考を巡らせ終わり静寂を先に破ったのは彼だ。途切れ途切れに紡がれた彼女の言葉を同じフィールドに立って理解していったのが認識の齟齬を生んだようで。
    「貴方の言葉が『どうしても抱いてほしい』という覚悟の文言に聞こえたので。違いました?」
    途端に彼女の顔が紅潮していく。泣き腫らした顔でさえわかる赤さ、まるでリンゴだ。
    彼の言葉は間違ってない。むしろ大正解だからこそ張った見栄を見透かされて彼女は恥ずかしくなっているわけで。どちらかを叶えてもらえたらそれでいいという『慎ましく謙虚な自分』は彼の前では成り立たなかった。
    「あう…」と弱々しく呻くことしかできない彼女は上下左右と視線を揺らしたのち、いたたまれなくてフッとウォルターに背を向ける。
    「ナミ?」
    彼の伸ばす手が彼女の腕を掴む。人間の心への十分とは言えない理解が彼の言葉の端に僅かな不安として滲む。その不安が何に由来するものかは今の彼にはまだわからない。不安を認識すらできていないかもしれない。
    予期しないスキンシップに体をこわばらせる奈美は、ひきつる表情をぎこちなく戻す。未だ下から彼女を眺める彼と目が合う。言葉が続くのか否か、何か怒らせてしまったのか、その問いかけの意図は心配か支配か求心か、他の何かか。彼の目を見つめても答えは出ない。
    ああ、わからない。いつもそうだ。彼が何を思っているのかがわからない。微笑む彼は貼り付けた笑みでなんだってする。手助けも意地悪も暴力も人殺しも、優しく私を撫でるときだって、全部笑顔だ。暴きたい、知りたい。笑顔で覆い隠した感情が何なのか。何故隠すのか。時折ちらりと見え隠れする猛り狂う貴方の心は何なのか。怒りか嘆きか哀悼か、自身へのものか他人へのものか。教えて欲しい。私だけ暴かれるなんて不公平じゃないか。知りたい。
    そう思えば彼女の腕は自然と目の前の彼の顔に伸ばされて。
    向き直って空いてる手で彼の左頬を、なんとも無い方の頬に触れようとするが、伸ばされる手を彼がもう片方の手で軽く払ったため触れることはできなかった。
    彼がニコリと笑う。半透明に揺らめきもう少しで見えそうだった彼の底が濁って見えなくなる。
    苛立ち。ほんのまたたきの間、ヒリつく空気を纏った彼は掴んでいた彼女の腕を離し、スッと立ちあがる。ここでようやく、先程までは怒っていなかったことが彼女に伝わる。
    打って変わって上から見下ろされ、重圧を感じる。彼は変わらずニコニコと楽しそうに笑っているが細められた目は彼女を怯ませる。
    「後ほど返事をどうぞ。貴方との情事は私も興味がありますから」
    彼女が萎縮してることを気にもとめず彼女の柔らかな顎下を一撫でする。
    燕尾をハタと翻せば、彼の影がゾワっと立ち上がり、彼自身に波のように降りかかる。星空のように煌めく影が落ちきれば、いつもの奈美の部屋からウォルターの姿だけが消えていた。
    早鐘を打つ心臓と共にその様子を眺めていた彼女は、やがて一度大きく息を吐いてその場に座り込む。フローリングの冷たさが暑い身体に染み込む。
    …そう、返事、あの言葉はきっと前向きに考えてくれているということ。
    彼の機嫌を損ねたことによる緊張は終わった。止まりかけていた思考がゆっくりと回り始め、彼の言葉を思い返す。
    ウォルターが言う「興味がある」は「前向きに検討する」とほぼ同義だ。また、返事を求められたということは現時点で決定権は奈美にあるということ。奈美がウォルターに求め望んだ事の決定権が再び彼女に戻ってきてると言うのはまあなんともおかしな話だが、彼は普段からそういったことをよく行う。
    そんなことより、彼女はもう一度彼に情事のお誘いをするか否かの重大な選択を迫られているわけで、頭はそれでいっぱいいっぱいである。いや、お誘いをする訳ではない。彼の言葉を正確に汲み取るなら『事をするのかしないのかを彼に伝えなければならない』ということで頭がいっぱいなのだ。
    するにせよしないにせよ返事を求められてる以上もう一度あの話題を口に出さなければいけない。そして奈美はそういった話題は苦手な方の部類だ。ましてや伝えるべき相手には抱いて欲しいという気持ちが見透かされているのだ。どんな顔をして彼に伝えればいいのか、彼女には分からなかった。
    まあ、普通に考えるなら真面目な顔で抱いて欲しいの一言を言えば終わるのだろう。だが、それができるなら彼女はここまで悶々と考え込まない。フローリングに座り込んだまま呆然と思考に耽る様はどこか具合が悪いのだろうかと心配になるものだが、彼女は今は家に1人のため心置き無く思考に浸れる。
    あちらこちらへ飛んでいく滅裂な思考をギュッと押しとどめて再度自分が悩んでいることを彼女は確認する。
    『どのように先程の返事を彼に行うか』
    自分が事をしたいのは確か。話さえ切り出せれば意思を伝えることはできるだろう。その切り出し方が分からない。
    ゆっくりと考えをまとめていく。そも、話の切り出し方に迷う理由は何か。そう、恥ずかしいからだ。なぜ恥ずかしいのか。…欲しがりのはしたない女だと思われるかもしれなくて、それが嫌だからか。
    では彼は、そんなことを思う人だろうか。……気にしない人だろう。
    もちろんいじれるネタだと判断されれば「欲しがりですね」の一言を言ってくる可能性は十二分にあるが、それは奈美が言われたくない言葉を見透かした上で意地悪で言ってくるだけであり、ウォルター本人がそう思った訳では無いだろう。
    そう自分に言い聞かせていけば、「どうしよう」とにっちもさっちも行かなかった心はほぐれていき、引き換えに決意が固まっていく。
    結論、『何を言ってもあの人はいじってくる可能性があるので細かいことを気にするだけ無駄』
    以上が事の顛末で、奈美が直球ストレートで返事をするに至る過程だ。
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