Happy…「ウォルターさんにも誕生日はあるんですか?」
「ありますよ」
奈美がふと気になって発した疑問は、当たり前ですが?と言うような語気を含んで即答された。
だが、手元の端末と向き合う彼女には意外に思える返答だったらしく、顔を上げて目を丸くする。
「えぇ、あるんですか…。ウォルターさんの幼少期とか想像できないなぁ…」
「はい?」
「え?」
ウォルターが首を傾げる。つられて奈美もキョトンとする。
時間差で(今のは誕生日がいつか聞く流れであって幼少期に思いを馳せるタイミングではなかった)などととんちんかんなことを頭の中でグルグルと考える。
「……あぁ、なるほど」
そんな彼女を差し置いて彼はひとりでに納得し、彼女の思い描くウォルター像との相違部分を簡潔に伝える。
「私に親はいませんし、幼少期もありません。生まれた時からこの姿です」
「え?え?」
彼女の頭の中の渦が2倍の密度になる。唐突な暴露は彼女の常識の範囲外で、その内容についていけなかったのだ。
親はいない、幼少期も無い、だが誕生日はあって今ここに人の形を得て生きている。
彼の誕生時がどのようなものだったか、その推測材料をこねくり回すが上手くまとまらずどうにも要領を得ない。そもそも彼がどういった存在なのかも奈美にはよく分かっていない。せいぜいが『特別な力を持った人ではない存在』という認識だ。
「…わかります?」
フリーズした彼女にニコりとウォルターは声をかける。
「わかりません…」
プスプスと音を立てて煙を出しそうな彼女はしょんぼりと答えた。
逡巡。ほんの少し目を泳がせた彼は一呼吸間をおいて語り始める。
「…周囲に人がいない静かな海辺で私は意識を得ました」
奈美は再び目を丸くする。あまり昔話をしたがらない彼が自分から語り始めたからだ。「珍しい」などと茶化す言葉を飲み込んでポツポツと明かす語り部に耳を傾ける。
「記憶の連続性が無い、過去が一部除いて真っさらという観点では記憶喪失等も疑うべきなのでしょうが、『自分はくじら座である』という強い認識や僅かに持っている遥か昔の他人事の記憶、同じ境遇の同類の存在などからその日に生まれたのだと判断しました」
「一部だけ記憶があるのに記憶喪失じゃないと判断したんですか?」
「ええ」
肯定する彼は徐々に影を落とす。彼女が「なんで」と深堀するよりも前に、先程まで穏やかだった彼の雰囲気が近寄り難いものに変わっていった。
「ーー…。」
僅かに開きかけた彼の口が固く結ばれる。無表情になったのも僅かな間、瞬間彼はニコりと笑って
「以上です」
とだけ言った。
…残る謎は多かれど、彼女はそれ以上踏み込むことはしなかった。ウォルターが纏った微かな苛立ちは、踏み込んだ際にどれほどの広がりを持つのか、奈美には見当もつかない。ただ、向き合うべきは今では無いように感じた。
「…誕生日っていつなんですか?」
聞きづらくなった雰囲気の中、彼女が控えめに問う。
「それを知って、どうするんですか?」
手元の本から顔を上げればニコニコと笑って彼が言う。どうにもまだ機嫌が悪いらしい。
「誕生日、祝いたいなと思って…」
萎縮しながらも自身の考えを告げれば、彼は目を細めて薄ら笑う。
「祝う?その日が何か特別なことですか?おめでたいことですか?人間ならば、ええ、そうでしょうね。喜ばしいことかもしれませんね?ですが、私は1度も_」
怒気を含み勢いづいていた言葉がピタリと止まった。一瞬にして静寂に包まれた部屋で彼の舌打ちが小さく響く。
「…出かけてきます」
縮こまる奈美を一瞥し、いつもの調子を演じて彼は姿を消した。去り際に一言、
「9月23日。数え間違えてなければその日です」
と添えて。