欲しがりな鯨/私の死喉が渇く。腹が減る。暗くドロドロとした底無しの欲が彼女の身体が欲しいと呻く。
細身の四肢と、小柄ながら整った体つきが、食欲を煽る。白く滑らかな肌に噛み付けば、深紅の血肉が覗くことだろう。嗅ぎなれた香りが私の身を満たし、腹に溜まる重みがきっと幸福を感じさせる。
渇きは癒えない。彼女の心が欲しい。渇きを潤す形の無い中身が欲しい。
一回りも二回りも小さな彼女を胸に閉じ込めれば、温度がじわりと染み込む。小さなロウソクのごとく明るく温かなそれが、冷えたヒビ割れと空洞に染み込み、胸を満たす。
閉じ込めた彼女の顔を撫でれば、彼女もまた緩く微笑んで私の手を撫で返す。そのやり取りで胸が苦しいほどに熱くなる。だが、不思議と嫌な気はしない。
それでもまだ、欲しい。何が欲しいのか分からないが欲しいのだ。
ふとした瞬間逸れた彼女の気を、私へと引き戻したい。私だけを見ていればいいのに。私だけの物になって欲しい。私の奥へ、奥底へ、閉じ込めたい。小さく柔らかく温かな彼女を私の奥底から感じたい。どこにも行かないで欲しい、どこにも逃げないで欲しい、例え死んでも私の傍に、それこそ、魂までも私の物になって欲しい。
欲しい、好きだから、欲しい。
胸を掻きむしれど衝動は収まらず、ふとした時に彼女へと手が伸びる。いっその事食べてしまおうかという欲を纏った醜い手すら、知ってか知らずか、彼女は握り返す。
それで私は酷く安心するのだ、
『あぁ、良かった』と。
私は一度殺されました、大きくて、寂しがり屋な鯨に。
知らない世界を渡り歩いてきた黒くて大きな得体の知れない怪物は、私を捕まえて、壊しました。
それはもう、元の形には直せないほどぐちゃぐちゃに、叩きつけて、かき混ぜて、踏み荒らして行きました。
見えない檻と、ちゃちな首輪と、小さな怪物を見張りにつけて、壊れた私をニコニコと見ていました。
でも、いざ私の命が潰えようとすると僅かばかりの動揺とともに私を助けようとするのです。
そこで私は一度死にました。弱った所に差し伸べられた救いの手が、どうしようもなく優しくて、温くて。冷たく痛い孤独に押し潰されそうになっていた私には、撫でてくれる大きな手に縋るしかなかった。それが例え、この状況に陥れた張本人のものでも。そこで、真っ当でいたかった私は殺されました。
認めたくなかった甘く切ない気持ちは日毎に輪郭を帯び、ついにはハッキリとした形で突きつけられました。
「貴方が好きです」
寸前で飲み込んだ言葉が喉を焼きます。
「貴方の事を知りたい」
払われた手に胸が締め付けられます。
「貴方の選択は尊重する…けど…」
…貴方の目には、迷いが見える。
本当に?本当にそれでいいの?貴方はそれで…後悔しない…?誰よりも、ウォルターさん自身が納得してなきゃ、私、嫌だよ。
食べられる覚悟はいつだってできてますが、一度貴方に殺されたから、貴方の物になることに躊躇いなんてありませんが、わがままを言うなら、それは紛れもない貴方の選択であって欲しい。
誰より強くて、誰より寂しがりな貴方に、後悔なんてして欲しくないから。
最期の日には、「楽しかった」って笑顔でお別れを言いたいから。
だから私は、私たちが納得できる終わりが迎えられるように、貴方の隣で一秒一秒を精一杯生きるんです。