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    dentyuyade

    @dentyuyade

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    dentyuyade

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    折角の夏なので、昔planetに載せたやつの再掲をします。ついでなので四季分全部投稿しときます。

    正しい世界の見つめ方 夏死にたい、と。そう漏らされた声は、自分に向けられたものではなく。ましてや、誰に向けたわけでもないそれに背を向けながら、自分はただ歯噛みすることしかできないのだ。


    セミの鳴き声というのは、いくら夏の風物詩といえども暑い中聞けばただ苛立ちを助長させる舞台装置にしかならない、ということを誰しもが思っているのではないだろうか。少なくとも私は思っている。いや、私が思っているからといって皆も同じことを考えているという傲慢極まりないことをいうつもりはないけれども。でも炎天下とセミの声の相性がそれはもう最悪であることは、私がいうまでもなく事実な訳だし、多少傲慢になっても許されてしかるべきではないだろうか。そんなことを考えながら、私は町中にあるアパートの一室、その扉の横に備え付けられたインターホンを押す。その間抜けな音の後に返事はなく、しばらくの静寂のあとにがちゃり、と解錠の音だけが響いた。
    「おじゃましますよ、片瀬さん」
    「どーぞおじゃまして。平山介山さん」
    フルネームで呼ばないでっていってるじゃないですか、とこちらが嫌そうな顔をすると片瀬さんはヘラヘラ笑ってだっておもしろいんだもん、と返す。いや確かに面白いのはわかりますけれど。つくづく中里介山好きの父を恨むばかりである。大体自分の名字に山が入っているのを見越した上でこの名前をつけようとするその感性が理解できない。
    「介山、いい名前だと思うけどね」
    「そんなおざなりなフォローはいらないんですよ。それより、また掃除したんですか?物が減ってる」
    いつも通り、クッションの横に鞄を下ろしてから足を休める。もう幾度となく繰り返されたルーティーン、前回と変わったのは物の減ったテレビ回りだけ。
    「そうそう、なんか、要らんもの増えたなあって思って」
    あ、でもお前とやりかけのゲームとかはちゃんと残してあるよ。そういって彼は嬉しそうに笑う。どうせクリアしたらそれも捨てるか売るかするんでしょ、そんな言葉を飲み込んで、感謝の言葉だけを吐き出した。面倒な言葉をかけて、距離を感じるのはごめんだった。
    「どうする?今からやる?」
    「あー……や、今日はいいです」
    それより、今日は片瀬さんに相談があって。そう切り出す声は、いつもとそう大差ないはずだ。勘のいい彼には、少しの違和感でもばれてしまうから。ん、なになに、と片肘をついてこちらを向く彼に私は何でもないように告げる。
    「あの、私、死にたいと思ってて」
    しにたい、そう彼の唇が動くのにわずかに胸を痛める。言い出したのは自分の癖に、だ。
    「えっと……死にたいっていうのはその。介山が、お死にあそばせたい、ってこと?」
    「そうそう、私がお死にあそばせたいの」
    「えー……それは困るなあ」
    人の死を困る困らないで判断するな。と思う反面、困るのか、とも思ってしまった。それはなぜ?と問うと彼は少し考え込んでから口を開く。
    「だって介山がいなくなったら、俺の弔辞を読む人がいなくなっちゃう」
    「自分の弔辞を読ませるために自殺を止められる気持ちって、こんなんなんですね」
    「うけた?」
    「うけねえよ」
    仮にも友人の自殺願望を告白されたのになお、この反応。他にも弔辞読んでくれる人くらいいるでしょう、と思っていたのにすっかり納得させられてしまう。私も人のこと言えた義理ではないけれども。お互いくらいしか弔辞を読める人間がいないって致命的な交友関係じゃないだろうか。全くうけない。
    「まあ私を引き留める理由が自分の弔辞なのは……複雑だけど、よしとしましょう」
    「創世記に出てくる神ばりに心広いね、介山」
    旧約聖書の話を無視して私は続ける。
    「とにかく、私が生きたいと思うようになんかしてくださいよ。私に弔辞読んでほしいなら」
    「え、なに。おまえ、俺に引き留めてほしいの?」
    「そりゃあそうですよ。生きてたくないだけで死にたいわけじゃないし」
    くそ矛盾してんじゃん、と片瀬さんは笑う。笑っているけれど、これはちゃんと考えてくれている顔だ。私たちは、お互いの適当な発言に深く突っ込まない。面白く話が進みさえすればそれでいいのだ。うまく話に引き込めたのを確認して、私はひとつ提案をする。自分で相談をしておきながら。
    「なんか、ここまでは死ねないな、っていう目標を作るのとかどうですか」
    「あー、いいじゃん。何にしよっかなー」
    じゃあ、明日。そう口火を切った片瀬さんに私は静かに頷き返す。クーラーの効いた部屋のなか聞くセミの声は大変風流で。ああ、夏が始まった、私は呆然とそう思った。


    「野郎二人で川遊び。ロマンもへったくれもないですね」
    「川遊びって言い方がよくないだけでしょ。ザリガニ釣りなら虚しさも減るって」
    シャンシャンシャンシャンと鳴く声をバックに、額から汗が流れ落ちる。ああ、今この川の塩分濃度がわずかに上がった、何てアホなことを考えてしまったから、私はずいぶん暑さで頭がやられているのかもしれない。アイスでも持ってくればよかった。
    「今時、野郎二人だろうと絶対ザリガニ釣りしないでしょ……」
    「いやするする!ほら、あっちにもいるじゃん」
    「あれは野郎じゃなくて子供!」
    けたけた笑いながら片瀬さんが蛸糸の先に裂きイカをくくりつける。不器用な私は横で見ていることしかできない。「蛸」糸に裂き「イカ」なんてなんだか滑稽だと思った。片瀬さんに何気なく漏らすと「座布団二枚くらいかなあ」とおざなりな返事が来る。別に座布団がほしかった訳じゃない。
    「本当にイカごときでつれるんですか?こいつらイカのいるとこに生息してないでしょ」
    「俺らだってイカがいないとこに生息してるじゃん」
    「確かに……」
    そういいながら川縁に糸を垂らす。インターネットで見つけたザリガニスポットは、底の見えない濁った水場だった。科学的な意味で汚いわけではないのだろうけれど、お世辞にも足はつけたくない。しゃがみこんでぼうっと水面を見ているのにも飽きてきて、片瀬さんの横顔を眺める。割りと嬉しそうに糸の先を見つめていて、これ、たぶん自分が来たかったからここを選んだんだな、と気づいた。まあいいですけど。
    「あ!」
    なんか引かれた!そういって突如立ち上がる彼に、私は急いで虫かごに水を入れる。本当につれるとは思っても見なかった。紐を適当に手繰り寄せて、いよいよさきいかについたなにかがその姿を見せる。
    「……カニ?」
    「……カニ、ですね」
    蛸糸についた裂きイカで、ザリガニじゃなくて、カニがつれた。
    「いやーめちゃめちゃ大量じゃん!しばらく食に困んないね、介山」
    「いや、私の食生活、そこまで切羽詰まってないですから」
    えー、といいながら二人でザリガニを川へ返してく。キャッチアンドリリース、飼えない以上大事なことである。若干の寂寥感もあるが、仕方がない。
    「このカニも返す?」
    「そりゃ返しますよ。持って帰ってどうするんですか」
    「いや食うかなって」
    さっきから私への食い物推しはなんなんだ。そう思いながら、気持ちは嬉しいですけど遠慮しときます、と返しておく。別に気持ちも嬉しくない。しかし、ザリガニ釣りにおいてカニがウルトラレアなのも事実なので、写真を残しておくことにした。携帯電話を構える私に、彼はここぞとばかりににっこり笑ってピースをする。
    「どうどう?上手く撮れた?」
    「自分で判断してください、ほら」
    「うわ!めっちゃ画質いーじゃん。遺影にしよ」
    なんであなたはそう自分の葬式のことばかりなのか。その若干の不安が瞳に映ったのか、片瀬さんは優しい声を出して話題を変える。
    「どお?楽しかった?生きてたくなった?」
    「間違いなく今日は生きててよかったって思いましたけど、でも明日から何を糧に生きていいかわからないですね」
    「それはもしかしてまたなんかしろっていう婉曲的表現?」
    「直接的にいうと、そうなります」
    わがままだね、おまえは。そう言いながら明日をどうするか考える彼に安堵を覚える。まだ、大丈夫。日が暮れ始め、辺りが真っ赤に染まっていく。ザリガニの毒々しい色とは違うそれを、あと何度貴方と見れるのか。そんな疑問に明確な答えが出せてしまうほど、人生は単純でなければいい。


    夜の公園というのは、どうしてこうもワクワクするのだろう。日中遊んでいたときとは様子の違うそれは、例え高校生になっても新鮮で。静まり返った空間とは逆に、気分はどんどん上がっていく。あと涼しいのも好ましい。肌を滑り落ちる汗に不快感を覚えることが無いというのは、それだけで価値のあるものだ。
    「すげえ!見てみて介山!セミが脱皮してる!」
    「セミは脱皮というより羽化では……?でも綺麗ですよね、羽とか」
    普段はやかましくて憎しみしか覚えない彼らも、暗闇の中、それも地上に上がりたてとなればかなりかわいく見える。透明ではなくうす緑に色づいている羽は、まるで妖精のもののようだ。ふるふるとわずかに震えながら必死にその羽いっぱいに生を湛えて羽ばたかんとする彼らを、じっと二人して見つめた。
    「こんだけ必死に羽伸ばして乾かしてても、七日しか使わないんだよね」
    「あれ、俗説らしいですよ。十日から二週間くらいだったかな」
    「介山、セミ博士じゃん」
    「適当ぶっこいてる可能性もあるんであんま信用しないでください。諸説あります」
    そうこうしている間に、羽の色は徐々に抜けていく。私たちもずっとこうして眺めているわけにはいかないのでベンチに荷物をおいて、中身を広げることにした。がさがさとなるビニール袋の音を背に、私はバケツに水を汲みにいく。水が貯まっていくのをひたすらぼうっと眺めていると、蚊に噛まれるぜ、と後ろからスプレーをかけられた。冷たい。
    「虫除けスプレーまで持ってきてるんです?用意周到ですね」
    「俺が用意周到なんじゃなくて、おまえがなにも考えてないんでしょ、もー」
    ほら逆向いて、と言われるがままにされていると、ふとこの人が年上なことを思い出す。あんまり年齢を意識した付き合いをしていないから、つい忘れがちだ。でも、甘やかされている自覚は自分にもある。自分も彼になにかしてあげたいと思うのに、彼は大体のことはなんとかしてしまうから、結果的に私だけがその蜜を享受することになるのだ。
    「私も片瀬さんの世話とか焼けたらいいんですけど」
    「えーいいよ。おまえはそこにいてくれたらいーの」
    で、最後に泣きながら弔辞読んでくれたらそれで満足。そうおちゃらける片瀬さんに私は呆れる。言われなくても、多分泣きながら弔辞は読む。口が裂けてもそんなこと言ってはやらないが。ぐるぐると彼の弔辞を必要もないのに想像したりしているうちに、とっくにバケツから水が決壊していて、少し焦った。まあ公園の水だから別にいいのだけれど。

     
    「やばい、これ思ってたよりテンション上がりますね」
    「火を見てテンション上がるのは人間だけって、死ぬほどもったいないじゃんね」
    パチパチという音を立てながら、手にしている細い棒から金色の炎が絶え間なく流れる。流星のような私のものとは違い、片瀬さんの握っているのは菊の花がそのまま火の粉になったような形をしていた。もっとも、その綺麗な形状も、彼が振り回しているから台無しだ。
    「デラックスパックなんてどうするつもりなんだと思いましたけど、全然いけますね。楽しい」
    「でしょ。あ、俺、次この色変わるやつやろ」
    燃え尽きた後のゴミとなったそれを水につける瞬間すら楽しいのだから、大したものだと思う。ジュッという音を立てて終わるそれを面白いと思える気持ちは、根性焼きをする人間に通ずるものがあるのだろうか。自分はそんなことをしたことはないからわからないけれど。バケツに増えていく燃殻を尻目に見ながら、自分も次に手に取る花火を考えた。
    「このミニ打ち上げ花火みたいなやつ、どうするんです?」
    「あ、やっぱりそれ気になる?」
    よーし、俺が手に持ってる花火で火をつけてやろう。そう言って片瀬さんは少し距離をとりつつ導火線に火をつける。こんなにドキドキしたのはいつぶりだろうか。固唾を飲んで、その紐が燃えていくのを見つめる。ドンと大きな音がして、目の前が、ぱっと明るく弾けた。暗がりの公園を一気に照らすそれは、初めの音に続くようにしてぱちぱちとその体を散らして消えていく。火の粉が砂へ飛び込んで沈んでいく姿は、ここでしか見られないのだろう。
    「……おお」
    我ながら有り体な反応だな、と思った。けれどもとっさの反応なんて、みんなそんなものだろう。それほど高くはない位置に、記憶の中にある打ち上げ花火が、ミニマムなサイズで再現されている。けれども、全然劣っていない。むしろ、手の中に掴めそうなだけに、ひどく好ましいと思った。
    「気に入った?めちゃめちゃ見とれてんじゃん」
    「……ええ、すごく」
    「それは何より」
    そう言って上機嫌に笑う彼は、この花火を気に入ったのだろうか。ちゃんと、美しいと思ってくれただろうか。彼の美醜の感覚を知らない私は、そっとその横顔を盗み見る。花火の美しさよりも、私が気に入ったことに機嫌がよくなっているのだとしたら。いやまあ、それはそれで悪くないけれど。それでも、あなた自身が好むものも、共に見てみたい。そう思うことは、わがままなのだろうか。もっと彼のことを知りたいのに、彼はそこだけは私を甘やかしてはくれない。
    「介山、ほい。これやったら終わり」
    片瀬さんは私にまた棒状の花火を投げる。終わり、その言葉がなんだかひどく疎ましかった。ふと、そこで違和感に気付く。
    「あれ、これ、線香花火ついてませんでしたっけ」
    「んーいやさ、線香花火は、今日はやめとこうかなって」
    「線香花火嫌いなんですか?」
    そういうわけじゃないけど、と口元に手をやる。珍しく歯切れが悪い。何か嫌な思い出でもあるのだろうか。そう勘ぐってフォローの言葉をかけようと口を開くも、片瀬さんに先を越された。
    「ほら、線香花火すると、夏の終わりって感じするじゃん?それはまだ早いかなあって」
    その子供みたいな態度に、私は少し笑ってしまった。じゃあまた今度やりましょう。そういえば、彼は夏の終わりまで笑っていてくれるのかもしれない。でもとりあえず今は明日のことを。そう思った私は、片瀬さんに数時間後にやってくる次の日の話を振った。


    ガガガガガガと歪な音を立ててその機械が揺れる。正直うるさいなあと思わなくもないが、これも醍醐味だろう。そう、皿の上へ積もっていく小規模な雪を眺めながら考えた。隣では片瀬さんが機械と同じく歪なうめき声をあげながら、必死に腕を回している。ご苦労様です、めちゃめちゃうるさいけど。
    「ちょっと介山!交代交代!」
    「ええー……まあいいですけど」
    よっこらせと膝を立てて、先ほどまで回されていたハンドルを握る。このタイプのかき氷機、今では逆に珍しいんじゃないですか。そう茶々を入れると、うっさい!と怒号が返ってきた。まあそう頻繁に買い換えるものでもないから、当然と言えば当然なのかもしれない。そんな年季の入ったハンドルに力を入れて、回す。回そうと、した。
    「……あれ」
    ガッガッ、と力を入れても一定の高さから上へ行かない。何度トライしてもダメなものはダメで、仕方がないので片瀬さんにヘルプの視線を送った。こんな状態だから私はいつまでたっても甘やかされっぱなしなのだという自覚はある。
    「なになに、おまえ、またなんか壊したの?」
    「まるで前科があるみたいな言い方しないでくださいよ……ハンドルが、回らなくって」
    「……この前俺んちのドライヤーぶっ壊したの忘れてないからな。で、なに。ハンドル?」
    そう言いながら彼が手に力を込めるのを眺める。あ、意外と力こぶある、なんでだろう。そんな風にぼうっと彼の腕に意識を向けていると、それは随分あっさりと回った。二人して唖然とする。
    「普通に回んじゃん」
    「あれ、さっきは全然ダメだったんですけど……」
    交代してもらって改めて腕を動かしても、やっぱり一周できない。認めたくない現実が目の前に見えて、それに抵抗するべく必死に体重をかけた。俺、代わろうか。その生暖かい声援も無視することにする。ここまでくるともう、単純にプライドの問題だった。
    「さ、さすがにかき氷機くらい回せないはずが……あ!ほら、いけましたよ!見てましたか!」
    「はいはい見てた見てた。だからもう交代ね。お前がやってたら氷が溶けるどころか日が暮れるんだから」
    「ぐ、ぐうの音も出ない……」
    小皿の上に作られた雪原は、若干春の兆しを見せていた。


    かき氷のシロップがどれも同じ味、というのはよく言われる話であるけれども。それはそれとして、こちらが感じる味覚としては違いが存在しているわけで、どれでもいい、どれでも一緒とはならないものである。万物の尺度は云々、これは少し違うか。
    「やっぱりこれだけ種類あると迷いますね……、片瀬さん、どれにするんです?三十字以内で答えてください」
    「俺はブルーハワイ。舌に付着して一番意外性のある色だから」
    「そういう点では緑も捨て難くないですか?」
    「まあ別におかわりくらい用意できるでしょ」
    確かに、それもそうか。そう思った私は黙って無色透明の液体が入ったボトルを取る。一番面白みのない色じゃんと飛んできた非難の声は気にしない。だいたい、一見ただの氷のものに、味が付いているのだって面白いだろうが。そう反論してやれば、なおも不服そうに片瀬さんは眉を寄せる。
    「俺、お互い変な色のついたベロの見せ合いしたかったのに」
    「そういうのはお付き合いしてる人とやったらどうです?いないの知ってますけど」
    「知ってるなら言わないの、普通は!」
    大体恋人なんて別にいなくてもいいんですー、と舌を尖らせて拗ねる彼は子供のようだ。いつも子供扱いされているだけに、若干優越感を感じる。はいはい片瀬さんは一人でも寂しくないからいいんですよね、と適当にあしらってみせると、ぐう、とカエルのつぶれたような声がした。ぐうの音がでてる。
    「いや、別に一人でも寂しくないわけじゃ……っていうか、介山はどうなんだよ!おまえだってどうせいないんじゃん!」
    「私は今が幸せだから別にいいんですよ」
    「死にたいっていってたのに?」
    「死にたい度と幸せ度は別ベクトルですよ」
    なんと無茶苦茶な、そう聞こえてきそうな顔をしておきながら彼は何も言わない。これ以上深掘りしても何も出てこないと察したからだろう。そういえば、と私も話を変える。沈黙はあまり、好ましくない。
    「あなた、私が死にたい理由聞きませんよね」
    「えー、いや、聞いてほしいなら聞くけど」
    「別にいいです、大丈夫」
    「でしょ?」
    スプーンで色のない氷を大きくすくう。口に含んでから頭が痛くなると確信したが、すでに遅かった。キーンと音がしそうな痛みが脳を襲って、私の思考を拒絶する。手で頭部を叩いたり抑えたりしてやわらげようにも、なかなか去ってはくれない。そんな私を見かねたのか、片瀬さんがおもむろに氷がまだ入った皿を私の頭に押し当てた。冷たい、とぼやく私に冷やしたら治るから、と窘める様子は、兄が居ればこんな感じなのだろうかと夢想させるには十分すぎる。皿を慎重に下ろさせて額を拭く私に、彼は溜息をついて「さっきの話の続きだけど」と呟いた。
    「大体、死にたいのに絶対理由があるわけでもないでしょ。生きたい意味もよくわかんないのに」
    「おお、めちゃめちゃ哲学っぽいこと言いますね」
    「え、まじ?モテそう?」
    「哲学ができてモテる時代は古代ギリシャまでです」
    えー、とたいして落ち込んでもいなさそうな声で不満を露にしたあと、彼は青い色水を飲み干す。若干体に悪そうだと思わないでもなかったが、まあそれをいうのは野暮というものだろう。私も、いつまでもべちゃべちゃになった氷を掬っているわけにはいかない。そう思った私は、意を決してスプーンを置く。冷たい容器越しに流れ込んでくる、氷の浮いた透明な水は、それでいてひどく糖度を孕んでいるのだから恐ろしいものだ。これで飽和してないのだから意味が分からない。
    「うわあ、甘い……」
    「まあ砂糖水みたいなもんだしねー。それより、ねえ、どう?青い?」
    「きもちわ……いや、すごい、深海魚みたいな色ですよ」
    そう言いながら私は思わず目をそらす。大体、舌の色に限らず人の口の中って、なんだか見ていられない。人体を無理やり意識させられるというか、人間の仕組みを理解せんとさせられるのが、どうにも苦手だった。禁忌に触れているような気分になる。私の形容に不平を漏らす片瀬さんを意識の外に追いやって、私は窓の向こうを眺めた。腹立たしいほどの快晴だ。外はきっと暑いだろう。帰る時間が憂鬱になる。
    「あ、セミが止まってる」
    網戸の下の方の黒い小さな影に目が留まる。鳴いていないから、メスなのだろうか。そう思ってぼんやり観察していると、いきなり、耳をつんざくようなコールが始まった。シャンシャンシャンシャン、とその小さな体から出るには明らかに分不相応な音量に二人して顔をそむけて悲鳴を上げる。
    「うわっ、うるさっ!」
    「普通にオスだった……」
    二人して示し合わせたわけでもなく窓のそばへと寄っていく。黒い腹が、声に合わせて揺れている。全身を震わせて声を出す、というのはどんな気持ちなのだろうか。人間にはきっとセミのことは微塵も理解できないようにできているのだろう。羽もなければ、体のつくりも大きさも、食べ物も違う。むしろ共通点を探すほうが難しそうな域だ。
    「そういやこいつらってなんで鳴いてんの?」
    「セミの鳴く理由は……たしか求愛行動だったかな。要はメス探しです。彼らが地上に上がってくる理由と同じですね」
    私の実感のない知識へ打ち込まれる、へー、という声からはまるで感情が読み取れない。いつも楽しそうで明るい彼だから、余計にそれが際立って聞こえた。何か気に障ることでもあっただろうか。そう顔色を伺おうとすると、その薄い唇が、ゆっくりと開く。
    「生きる意味も死ぬ時期もはっきりしてるって、いいじゃんね」
    その声はひどく平坦で、私はそれが薄気味悪いことのように思えた。明日も、会いに来ていいですか。場をごまかすためと、そう問うた声は、震えていなかっただろうか。
     

    「こんなに人生でいっぺんに黄色見ることあります?」
    「レモン目の中に入れたときくらいじゃんね」
    「中世の拷問とかにありそうですね」
    夏の風物詩のひとつ、太陽を向く花。その背丈はとても高く、決して背が低いわけではない男子高校生二人の身長も優に越している。そんなのが見渡す限り一面にあるのだから、美しいだとか通り越してむしろ恐怖の域であると言ってもいい。あと何本か下向きになっているのも怖い。こっちを見るな。時期が時期だから仕方ないのだろうけど。
    「こんなまじまじと見るのって、冗談抜きで小学生以来かも」
    「まあ町中に住んでたら学校以外で見る機会ないですよね。私も祖母の家以外では見た記憶ないです」
    祖母の家はかなりの山奥の方にあった。隣の家にいくのにも、散歩になるような閑散とした場所だ。それでも空気はきれいだし、川は近いしで居心地がよく、今でも長期休みの度にかかさず帰省している。いつ訪れても変わらない、安心感と不気味さがある不思議な土地だ。
    「介山のおばあちゃんって想像つかない。どんな人なの?」
    「どんな人……めちゃめちゃ変な人ですよ。毎年家を訪れる度に、設置された罠が増えてます」
    「めちゃめちゃやばいじゃん……」
    「ヒマワリの種を数えると、その分だけおこづかいをくれるおばあちゃんです」
    なんか、まさしくおまえのおばあちゃんって感じの人だね、と笑う。正直、若干心外ではあるのだけれど、同時に祖母の怒った顔が思い浮かんだので口にはしなかった。彼女の小突きかたは、全然小さくない。想像上の痛みにわずかに委縮してしまったのが悔しく、同じ目に遭ってほしくて彼に「一緒に行きましょうよ」と口走った。
    「何もないですけどいいとこなんで、今度泊まりに来てください」
    「えー、どうしよっかな」
    「そこは嘘でも行きたいっていってくださいよ」
    「だって俺、嘘つけないもーん」
    「嘘を否定する嘘、パラドックスじみてるな……」
    ケタケタ笑って、ほらそれよりあっち、と彼は道路の向こう岸を指差す。背丈の高く、壁のようになっていた黄色たちからは一転、くるぶしより多少上くらいに花弁が来る、小さな向日葵が整列していた。一気に見晴らしがよくなる。まるで世界が開けたみたいだ。もっともそれで、やんわりと拒絶されたショックが簡単に失せてしまうわけではないけれど。反芻される心痛から逃げるようにして、目の前の花々に意識をやった。
    「ミニヒマワリ、ですかね?かわいい」
    「ね。これなら俺でも勝てそう」
    「これだけ数いたら、いくら小さくても我々が不利ですよ」
    二人して路傍にしゃがみこんで、その花を近くで眺める。小さいけれど、なかなかに見ごたえがあるのは、やっぱり茎一本に花も一つというストイックな姿勢からだろうか。片瀬さんの指がちょんと花弁を撫でる。向日葵の体が、悶えるように揺れた。
    「やっぱり造花と違うね。つやつや」
    「向日葵って、なんか生きてるって感じ強いですよね。夏の花だからかな」
    「やっぱ花がでかいからじゃない?あと種も一杯とれるし」
    「生物の理に忠実……たしかにセミも生きてるって感じ強いですね」
    そう考えると、夏というのはやはりというか生命力に溢れた季節なのかもしれない。草木も生い茂り、虫も活性化して子孫を残す。そんな季節に憂鬱になるのは、理性をもってしまった人間だけ。そこまで思い当たって、汗をぬぐう。暑いことに不満をもっているのは、人間以外にあと、何がいるのだろう。
    「うわ、すっげえ。見て介山、スプリンクラーでてきた」
    「本当だ。いいな、私たちにも水やりしてほしい」
    「いや、この角度だとわりと俺らにも飛び火するんじゃ……」
    プシュッっと軽快な音がして、ミスト状の水が散布される。あたりが薄く白く色づき、花よりよっぽど派手な太陽の輝きが緩和される。涼しくていいですね、これ。そう口にしようとして片瀬さんの方を向いた。熱で水蒸気に戻ったそれが、辺りを包む。
    「……」
    揺れている、そう思った。暑さで見えたその光景は、ひどく不安定で。彼がどこかに、いってしまうような。思わず彼の腕をつかむ。世界が、もとに戻る。
    「うわあ!なになに、どしたの」
    「あ、いえ……すいません。暑さで頭がバカになりました」
    なにそれ。そういって片瀬さんは笑う。なんでもないように。どうかしてるのは、私の頭なのだろうか。暑さでなにか異常をきたしてしまったのだろうか。それでも、私はよく知っている。彼はきっと、あの一瞬。
    「どっかで涼もっか。ほら、あっちにお土産屋あるし」
    消えてしまいたいと、願っていた。


    土産屋の店内は黄色と白を基調とした可愛らしい内装でまとめられていて、どちらかといえば若い女性をターゲットにしていそうな雰囲気だった。さらにいえば、販売されている商品も向日葵をモチーフとしたアクセサリーや小物が中心になっている。まあ、端的に言うと男子高校生二人には少々居心地が悪い。
    「向日葵柄の箱ティッシュ……?」
    「下手したらスーパーで安売りされてそうなチープなデザインですね。他の花柄と五箱セットのやつ」
    脳内でこれがスーパーに陳列されてされているところを想像してみると、思いの外しっくりきて笑ってしまった。これで一般的なティッシュより随分と強気な値段設定なのだから、場所や思い出料が随分と加算されているのかもしれない。そんなことを考えていると「うわあ」と片瀬さんの情けない声が辺りに響く。いったいどうしたんですか、と彼の手元を覗き込むと、件のその箱を握りしめながら、絶句していた。
    「介山……これ……」
    ティッシュ一枚ずつに、キャラクターがプリントしてある。そう若干震えながら試供品の一枚をこちらに広げてくる。橙に近い黄色で描かれたそのキャラクターは、なんというか、普通にかわいくない。目に入れられたキラキラも不気味さを誇張させているし、これでもかというくらい大きく開かれた笑顔の口は、今にもこちらに襲いかかってきそうというか、彼、いやそれの化け物性を激しく表現してくれている。誰もこのデザインを渡された時、異議を唱えなかったのだろうか。それとも、ここの運営者の子供が描いたデザインをごり押しされたりしたのだろうか。いかんせん、製作者側の労働環境を心配するばかりである。
    「……買います?」
    「ちょっとほしいけど、こんなの家に置いてたらさらに寝れなくなりそう」
    試供品から拝借した一枚を、丁寧に折りたたんで捨てる。どうか、化けて出ないでください、そう祈りながら。しかし、ゴミ箱の蓋を開けた時に見えた大量の黄色いプリントは、しばらく頭から離れてくれそうになかった。忘れよう忘れよう。そう心に念じて次のブースへと足早に移る。
    「わ、さっきのミニヒマワリじゃないですか」
    「お、ほんとだ。植木鉢に植わってるとなおのことかわいーね」
    商品棚には黄色いプランターに根を張ったミニヒマワリが綺麗に並んでこちらを見ている。ただ無地の黄色というわけではなく、ハート型に形取られているのが小憎たらしい。そういうあざとさは、購買意欲をくすぐられてしまう。
    「花のある生活っていいっていうよね。介山、買ってみたら?」
    「えー……多分私、枯らせちゃうしな。片瀬さんは?」
    「んー……。こいつって、寿命どんくらいなんだろ」
    そう彼が言うので、私は手元のスマートフォンの上で指を動かす。花が咲いてからは十日くらい。素人感丸出しのブログサイトが教えてくれる、思っていたよりも儚いその命の長さに、なんだか哀愁を感じた。目の前でニコニコと目も口もないままに笑みを浮かべているひまわりたちも、あと十日もすればその姿を変えてしまうのだ。
    「十日かー……で、そのあと種を落とすのね」
    「みたいですね。片瀬さんが育てるなら、私、種の数数えますよ」
    「いや、俺も育てられなさそうだしやめとく。こういうのはたまに見るくらいでいいわ」
    それよりさ、そう彼は壁の方を指差す。そこにあるのは一枚のポスター。向日葵が有名なこの町の夜空に咲く、大輪の火花。それが、これでもかというくらいでかでかと映されている。
    「明日はさ、これいこーよ」
    この前、花火やったじゃないですか。そういった声は、瞬時に消える。別にあなたとなら、何度同じことを繰り返したって構わない。


    いくら夜だからと言えど、やはり夏。まとわりつくような熱気は収まるどころか、人々が密集することによってより一層増幅されている。こんな状態でよく浴衣なんて着ていられるものだ。いや、案外浴衣の方が涼しいのかもしれない。まあ、そこまで浮かれるような性分でもないので多分一生着ることはないが。手に持っているキュウリの一本漬けを一口含む。美味しい。色気より食い気……これはまた違う話か。
    「介山のそれ、キュウリに何塗ってんの?」
    「え、あー。梅のソースですよ。多分梅肉をペースト状にしたやつ」
    「へー、うまい?」
    「ん」
    興味ありげにこちらを覗きこむ片瀬さんの口にキュウリを突っ込んでやる。がりっと音がすると接続が切れ、同時にバリボリといい咀嚼音が聞こえてきた。ご丁寧に手で口許を隠している。結構持っていかれたな、とその断面を眺めていると喜びの声が聞こえてきて、すべてが些細な雑音へと変わってしまった。
    「ん!うまい!」
    「そいつはよかった。お代はそのたこ焼き一個分で勘弁してあげます」
    返事も聞かずに余りのつまようじが刺さっているたこ焼きを掠めとる。勢いに任せて口にいれると、途端にすごい熱が暴れ始めた。美味しいけど熱い。多分舌を火傷してしまった。あとタコが気づかない間に消えている。
    「あーほら、介山さっき買ったお茶のみな。火傷しちゃう」
    「多分もう遅いですけど……あー、死ぬかと思った」
    はい、と咄嗟に片瀬さんが私の鞄の中からペットボトルを抜いて渡してくれたので事なきを得た。いや、火傷は恐らくすでにもう負っているのだけれど。キャップを閉め直して、緑色のペットボトルを鞄に戻す。ありがとうございます、助かりました。そう告げると彼はどーいたしまして、と笑った。
    「それにしても、なんでたこ焼きって丸いんだろうね。わざわざ丸くするのってめちゃめちゃ手間じゃない?」
    「たこ焼きって、もとは立方体だったんですよ。でも、江戸時代後期にたまたま四角の型をきらしていた主婦が、球体にして作ってみたところ評判がよくて、今の形が広まったんです」
    「え、そうなの!?」
    「という嘘を今思い付きました」
    見事に騙されましたね、と勝ち誇った顔で片瀬さんを見ると、かなりオーバーアクションで「騙された!」と頭を抱えている。そこまで派手にリアクションされるとこちらもなかなか気分がいいものだ。火傷の分は取り返せたと言ってもいいだろう。そこまで真面目に取り合われてしまうと、また何か軽くジャブを入れてやりたくなってしまうものだ。彼の他人を惹きつける所以は、こういうところにあるのかもしれない、とぼんやり思った。ふてくされている彼の肩を叩いて前を向かせてやる。少し気分がいい。
    「ほらほら、いつまでも敗北の味を噛み締めてないで。そろそろ花火の見える河川敷ですよ」
    「うっわすごい人。さすがにこの辺ではいちばんでかいだけあるね」
    「むしろ他のがショボすぎてみんな、お祭りというお祭りに飢えてる感じありますね」
    夜の川は、いつだって黒くて見ているだけで飲まれそうになる。それは、いくらライトアップされていたとて同じで。提灯の光をその水面に揺らしながら、こちらを誘っているような、そんな気さえするのだ。なんだか不安になって、片瀬さんの方を向く。つまらなそうな横顔。いつもの姿からは、想像がつかないような。
    「あ!」
    誰かの歓声と共にぱっとあたりが明るくなって、爆音が響く。川も、彼の顔も薄く色づいた。その色に意識を奪われた私には、もう、花火の光が目に入らない。息と生唾を飲み込む。また、あのときと同じような、消え入りそうな、その表情。
    「すっげー……星空みたい」
    「え、ああ……そう、ですね」
    そこはロマンチストですねってつっこんでよ。そういって彼の瞳がこちらを映す。花火を灯していたその目は、今はただ暗く、遠い。あっという間に消えてしまうそれに、あなたを重ねてしまう私の方が、きっと、よっぽどロマンチストなのだろう。
    「介山、楽しくない?」
    「……え」
    どうしてそんなことを。そういう間もなく、彼は私の顔を指差す。人を指差すのはマナー違反ですよ。そんな言葉は喉につかえて、消えた。
    「顔、なんか不安そうだよ」
    にんまり笑う。瞳に光の一つも映さないままで。まるでいつもの片瀬さんとは別人のような目の前の男を、私は直視することができない。ひゅー、とまた花火が上がる音が、嫌にはっきり聞こえた。
    「ねえ、介山」
    おまえ、ほんとは死にたいだなんて微塵も思ってないでしょ。そう真実を追求する声が聞こえる。
    「だって、死にたいと思ってるのは」
    ぱん、とまた、辺りに爆音が響く。聞こえなかったそれを、わからないふりで誤魔化すことは、私にはできない。
    「死にたいのは、俺だもんね」
    私は一度、その言葉を聞いている。


    太宰治の『葉』という作品に、こんな一節がある。正月に薄手の着物……今で言う浴衣を贈られた、という流れでの一文だ。
    「夏まで生きていようと思った」
    人からの貰い物、それを着ずして死ぬことはできないという太宰の性根の真面目さか、はたまたただ単純にその浴衣を気に入り、一度くらい袖を通してみたいと思ったのかは、今を生きる私にとっては知る由もない話だけれども。まあとにかく、人を生かそうとする上で、未来にある何かというのは存外大切ということだ。私は、片瀬さんのその「何か」になりたかった。
    「死にたい」
    その悲鳴を初めて聞いたのは、そう最近のことではない。それこそ、夏が始まってセミがなく前からずっと、私はそれを知っていた。戯れに私に向けて漏らされる声を、当時は本気で拾うことはできなかったけれど。けれども、つい少し前。いよいよ私にすら向けられることのなくなった呟きをドア越しに聞いて、怖くなった。事態は緊迫しているのだと、そう強く感じた。頭がおかしくなりそうだった。
    「介山」
    そう呼ぶ声はいつだって穏やかで優しい。けれども、一度意識してしまえばそれにすら死の香りを感じる。名前を呼ばれる度に、彼に生きていてほしいと思った。片瀬さんは自分の本当を見せたがらない。だから、私がいくら尋ねたって、思い詰めている理由を話してはくれない。私だから、ではなく誰にでも。私を含めた誰にも、彼の心の薄暗い部分を取り除くことはできない。だから。
    「あの、私、死にたいと思ってて」
    だから私は、彼にそう告げた。彼が心から生きていたいと思えるようなことなんて、私には想像がつかなかったし、それで外したらやり直しはきかない。それなら、律儀な片瀬さんが、絶対にすっぽかさない私との、私のための約束のほうが効き目があると思ったのだ。


    「どうしたら死なないでくれます?」
    「おー、直球だね」
    「作戦が失敗したので、半分やけくそなのは否定しません」
    夏祭りの次の日、私は特に気まずさも感じずに片瀬さんの家を訪問した。家に帰り風呂に入るまでは頭を抱えていたものの、よくよく考えたらこちらの思惑を指摘されたところで別に痛くも痒くもないと気づいたからである。やましいことをしているわけでもない。死んでほしくないだけだし。嘘をついていたことに関してはいつものことなので流してほしい。
    「どうしたって死にたいんですか?」
    「どうしたって死にたいね」
    「それは、どうして?」
    「逆に、死ぬのに理由なんて必要なの?」
    かの芥川龍之介だって、ぼんやりとした不安ってやつで死んだじゃない。そういわれてしまえば、私は何も言えなくなる。私はただの一度だって死にたいだなんて思ったことがないから、そうといわれればそうなのだ、と考えることしかできない。想像で理解しようとする、それはもう妄想と変わらない。
    「じゃあ死ぬことのデメリット考えましょうよ。まず、あなたが今死ねば、まちがいなく地獄行きです」
    「えー、そんなのわかんないでしょ。そんな不確定なデメリット出されてもなあ」
    「くっ……小賢しいな……」
    そう悪態をつきながら、私は目の前のコップをあおる。けれど、中にはもうわずかな量の飲み物しかなく、それは私の喉を潤すのには些か足りない。もう少し継ぎ足そうと辺りを見渡すと、空になった大型のペットボトルが目にはいった。そういや、飲み物きらしてたわ。そんな声が、片瀬さんの唇から漏れる。
    「ねえ介山。じゃんけんで負けた方がコンビニ行って飲み物買ってくることにしない?」
    「私は客人であることを訴えたい気持ちは山々ですが、かなりここに居ついているのも事実なので乗ってあげましょう」
    「おっしゃ!」
    勢いよく掛け声と共に拳を出す。クーラーの効いた部屋から炎天下の中に出て、肌を焦がしたくはない。私は神妙な面持ちで、握っていた拳を開いた。


    セミの鳴き声がうるさい。アスファルトの熱気に関してはもう、地獄で受ける何かの罰のようだ。沸騰しそうな血液を循環させ、茹だる脳みそを必死に動かしてコンビニから片瀬さんの家へと足を進める。フライパンで炒められているウインナーはいつもこんな気分だったのだろうか。次からは優しくしてやろうと心に決めた。
    「おまえ、8割くらいの確率でパー出すんだもん」
    そう言って笑う片瀬さんの顔を思い出す。そんなに出していない、と言い切れないのが辛い。実際私は彼にじゃんけんで勝てた記憶がない。彼は私に勝てると半ば確信した上でこの勝負を持ちかけてきたのだろうか。だとしたら私は間抜けもいいところだ。まあ、いつも家に入れてもらっているからいいけれど。彼は、このジュースを喜んでくれるだろうか。……彼は。
    (ほんとうに、死んでしまうんだろうか)
    彼に自身の思惑を見抜かれたあと、彼は自分の死への願望を隠すことがなくなった。あまりにも明け透けに、平坦に、平然と語られるそれは自然すぎて。一人で考え、思いつめていた時よりもずっと、彼の死が遠のいていったように感じてしまう。まあ、本当に遠のいているのならいいのだけれど。ぜえぜえいいながら、流れる汗を拭って階段を登りきる。彼の部屋はアパートの中でもそこそこ高い位置にあるだけきつかった。何かの拍子に預かりっぱなしになっている合鍵を使う。巨大なペットボトルが入った袋がわずらわしかった。
    「もどりましたー。なんかよくわかんなかったんですけど、これでよかったですか?」
    そう言って、私はずかずかと中に入っていく。冷房の風が心地よい。
    「あれ?片瀬さん?」
    返事もなければ、姿も見えない。私を外に行かせておきながら、結局自分もどこかに行ったのだろうか。そう思い、携帯電話を取り出しても、メッセージの一つも来ていない。嫌な予感は、知らないふりをして蓋をする。とりあえず、ぬるくなってしまう前に、ジュースを冷やしてしまおう。そう、冷蔵庫の取っ手をつかむ。
    「……え」
    そこには、何本かの炭酸飲料が入っていた。中にはご丁寧にメッセージが添えられているものもある。平山くんと飲んでね、そう踊っている丸文字に、腹の底が冷えていく。どうして彼はあるものをないと言ったのだろう。まだストックがあることを忘れていた? こんなにたくさんあるのにか。しかもあのマメな片瀬さんに限って、そんなことがあるだろうか。もしかして、私を外に行かせるための方便だったのではないか。でも、あの時じゃんけんをした。彼が買いに行く可能性だってあったはずだ。
    「……」
    いいや、違う。彼は私が負けることをわかっていた。私にパーを出す癖があるのを知っていた。私本人が気付いていない癖を、彼は見抜いていた。だから、彼は確実に私だけを部屋から追いやることができた。
    「片瀬さん!」
    沸騰していた血液が一気に冷えていくのを感じる。彼の部屋のドアノブをなんど回しても開かない。ガチャガチャガチャガチャ、空回る音だけ辺りに響いていく。吐きそうなほど、心臓が早鐘を打っていた。
    「片瀬さん! 開けて! 開けてください!」
    扉に拳を必死に叩きつける。こんなに必死に拳を握ったことがあっただろうか。何度打ちつけても、扉の向こうのその人は返事をしてくれない。最悪の事態を想像して、足が震えた。そんなことはない、そんなことはあってはいけない。その妄言を必死にふるい落とそうと、腕の動きを止めて目を瞑る。そして、そのまま崩れ落ちた。
    「……お願いです、出てこなくても、二度と会えなくてもいいから、生きてるってだけ、それだけいってください」
    そうこぼした言葉に、扉の向こうで息を飲む声がする。
    「ごめん」
    私が聞きたかったのはそんな言葉じゃない、とか、いるならもっと早くに声をあげて欲しかった、だとか。言いたいことは諸々、数え切れないほどに出てくる。それでも、今はただ「よかった」とだけ。それだけしか口にできる言葉がないみたいに、私はただ繰り返す。言葉と一緒に涙も出てきて、もうぐちゃぐちゃだった。メガネで矯正された視界が、涙で歪んでいく。
    「俺、かなり早い段階でお前の考えに気づいてたよ。だから、そこそこ楽しんでから言い当ててやって、びびらしてもう来ないようにしてやろうと思ってた」
    「……私って、そんな信用なかったんですか」
    「……ごめん」
    謝ってばっかり。そんな、別れかけのカップルみたいな言葉が浮かぶ。欲しいのは謝罪じゃなくて理由なんです、そう心の中でだけ悪態付いた。今の私には、そこまで斬りこむ勇気はない。
    「昨日、お前と別れた後、明日には死のって思ったの。真面目な介山は、きっと早めに……それこそ明後日にでも謝りに来るだろうから、それまでに死ななきゃって。……でも、お前、来ちゃうんだもん」
    普通あんなことなったら気まずくて会いにくいもんでしょ。そう言って彼は形だけ笑う。扉越しに、彼がもたれかかってきたのを感じた。熱のない、木の板一枚。それだけで彼の鼓動は聞こえなくなる。
    「俺、ダメなんだよ。おかしくなっちゃった。お前と会うたび、楽しいの。苦痛を感じない、息ができてしまう。……生きてたいなって、思っちゃう」
    「……それじゃ、ダメなんですか。生きてちゃ、ダメなんですか」
    「それじゃ、ダメ。俺はきっと耐えられない」
    この広い世界に、俺は適応できやしないんだよ。そう、彼は声を震わせる。
    「今は、お前がいてくれる。お前が俺の存在を認めてくれる、喜んでくれる。無償の愛とかじゃなくて、俺に価値を感じてくれるから、側にいてくれてる。でも、お前がいなくなったら、俺の周りに誰もいなくなったらどうしたらいい?」
    際限なく与えられる情なんていらない。側にいることの意味が、理由付けが、価値が欲しい。その嘆きは、わからないわけじゃない。わからないわけがない。誰だってそうだろう。無償の愛がいくら美化されたところで、人間の承認欲求は消滅するわけじゃない。むしろその裏でみるみるうちに肥大化していく。認められたい、自分がいてよかったといって欲しい。原初から存在するであろう、地獄のような感情。それを否定することは、私にはできない。
    「……恋は3年が限界なんだって。それ以上はドーパミンが分泌されなくなる。相手に飽きるんだよ」
    じゃあ友情は? その先の言葉を、彼は言わない。言ってしまうのが怖いから。本当は否定して欲しくて、この後に続く言葉に一番望みをかけているのもまた、彼自身で。そんな彼に、私は、何が言えるのだろう。
    「そんなに、私のことが信用できませんか」
    「……へ?」
    いや確かに私、まあまあくそポンコツであるのは否定しませんけど。嗚咽の合間に口にするには随分とスムーズに声が出たと思った。いつもよりもずっと、きれいに言葉になっているような気がする。気づけば頬を流れる涙は冷え切っていて、もうお役御免と言わんばかりに滑り落ちていっていた。涙に溺れて思いを告げられなくなっている場合ではないから。
    「私、そこまで飽き性ではないですから。見くびらないでください」
    なんでもないような声で、ドアに向かってじゃなくドア越しの彼へと呼びかける。私は、何も知らない。彼がなぜ、そこまで承認欲求をこじらせてしまったのかも、その自己評価の低さの所以も。そんな私は、彼に大層な指南などできない。だいたい、恋人も友情も語れるほどその多くを経験していないし。だから。
    「来年の夏になったら、海に行きましょう。そして再来年は……受験期か? まあいいや。どうせ勉強なんてろくにしないんだから山に行きましょう。そして、大学生になったらもっと遠くに旅行に行きましょう。外国なんてのもいいですね」
    「え、ちょ、え?」
    私には、私の話しかできない。私と、そして彼の話。私と彼の、未来の話。私は彼を離してはやらない。ドーパミンなんてくそくらえ。3年で別れる恋人なんていう、人生のうちのほんの一ページしか飾らないような相手、きっと元からまやかしにあっていただけに決まっている。
    「そしてもっと年をとって、子供……はお互いいるか怪しいですけど。とにかくそれだけ年数を重ねても、セミを呪って、ひまわりを見て……夏の終わりには線香花火をしましょう」
    うなずいてくれないと、私、今度こそ死んじゃうかも。そうおどけて笑うと「それは困る」という声が聞こえた。ひどい鼻声のそれは、揺れていてどうにも心もとない。でも、今はそれだけで十分だと思った。


    「おっしゃ俺の勝ち!」
    「な、なんでこんな百パー運の勝敗で悔しい思いをせにゃならんのだ……」
    パチパチと彼の手元で火花を散らす火玉を眺める。線香花火って何かの花に似ているような気がする。そうなんとなく口にすると「俺、花全然わかんないから知らない」というおざなりな返事が飛んできた。よほど指先の輝きに気を取られているのだろう。なんとなく面白くなくて、手のひらで風を送る仕草をしてみせる。
    「あ! ちょっと! 介山のせいで落ちたじゃん!」
    「敗者はそのレッテルとともに何をしてもいいという権限を手に入れるんですよ」
    「めちゃめちゃ嫌な言葉だ……」
    あーあ、と肩を落として片瀬さんはバケツにその紐のような紙を突っ込む。じゅっといい音がして、その熱は一瞬にして失われた。これで最後の一本だ。先ほどまでほのかな灯火と二人分の騒ぎ声が響いていた夜の公園に、静寂が広まる。
    「……終わっちゃった」
    「まあそりゃあいつかは終わりますよ。でも次があります」
    「そっか」
    ねえ、介山。そう言って彼はバケツを持ったままこちらに背をむける。なんですか、片瀬さん。そう尋ねてやると、彼の背中が少しだけ嬉しそうに震えた。
    「来年はさ、もっとおっきい花火のセット買おう。やりきれないぐらい、いっぱい」
    「……ええ」
    あなたがそれを、望んでくれるなら。私にはあなたとの未来の約束以上に、胸が高鳴るものはない。
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    dentyuyade

    DONE性癖交換会で書いたやつ短編のやつです。割とお気に入り。
    星になる、海に還る輝く人工色、眠らない町。人々はただただそこで足音を鳴らす。唾液を飛ばす。下品に笑う。息を、止める。その中で自分はただ、誰かの呼吸を殺して、己の時間が止まるのを待っている。勝手なものだと、誰かが笑ったような気がした。腹の底がむかむかとして、思わず担いでいたそれの腕を、ずるりと落としてしまう。ごめん、と小さく呟いていた。醜いネオンの届かない路地裏の影を、誰かが一等濃くする。月の光を浴びたその瞳が、美しく光る。猫みたいでもあり蛇みたいでもあるその虹彩の中で、自分がただ一人つまらなさそうな顔をしていた。
    「まーた死体処理か趣味悪いな」
    「あー……ないけど、趣味では」
    「いや流石にわかっとるわ」
    「あ、そう?」
    歪む。彼の光の中にいる自分の顔が、強く歪んでいる。不気味だと思った。いつだって彼の中にいる自分はあんまりにも人間なのだ。普通の顔をしているのは、気色が悪い。おかしくあるべきなのだと思う。そうでなければ他人を屠って生きている理屈が通らない。小さく息をついて、目の前のその死体を担ぎなおす。手伝ってやろうか、と何でもないように語る彼に、おねがい、と頼む声は、どうしようもなく甘い。
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    dentyuyade

    DONE息抜きの短編。百合のつもりで書いたNL風味の何か。こういう関係が好きです。
    観覧車「観覧車、乗りませんか」
    「……なんで?」
    一つ下の後輩はさも当然のようにそんなことを提案した。園芸部として水やりに勤しんでいる最中のことだ。さっぱりとした小綺麗な顔を以てして、一瞬尤もらしく聞こえるのだから恐ろしいと思う。そこそこの付き合いがある自分ですらそうなのだから、他の人間ならもっとあっさり流されてしまうのかもしれない。問い返されたことが不服なのか、若干眉をひそめる仕草をしている。理由が必要なの、と尋ねられても、そうだろうとしか言えない。
    「っていうか、俺なのもおかしいやん。友達誘えや」
    「嫌なんですか」
    「いや別にそうでもないけど」
    「じゃあいいでしょう」
    やれやれと言わんばかりにため息をつかれる。それはこちらがすべき態度であってお前がするものではない、と言ってやりたかった。燦燦と日光が照っているのを黒々とした制服が吸収していくのを感じる。ついでに沈黙も集めているらしかった。静まり返った校庭に、鳥のさえずりと、人工的に降り注ぐ雨の音が響き渡る。のどかだ、と他人事みたく思った。少女は話が終わったと言わんばかりに、すでにこちらに興味をなくしてしゃがみこんでは花弁に触れている。春が来て咲いた菜の花は、触れられてくすぐったそうにその身をよじっていた。自分のものよりもずっと小づくりな掌が、黄色の中で白く映えている。
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