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    dentyuyade

    @dentyuyade

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    dentyuyade

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    性癖交換会のやつ。お気に入りです。山奥の神社で、不思議な男と知り合う話。

    花火に見惚れる「くっそ杉浦のやつまた適当言ったな……」
    山奥にやばめの神社があるっていうから探しに来たのに。そうぼやきながら成宮は山道に足を取られながらも進む。空には重く灰色が厚塗りされ、今にも降り出さんと言わんばかりだ。早めに撤退したほうがいいだろうが、ここから降りるにもそれなりに時間がかかる。これは濡れることを覚悟するべきか。いや、しかし。右脇に携えた革鞄はずっしりと重い。中にはカメラが入っているのだ。祖父から譲り受けた精密機器、こんなくだらないことでいかれさせてしまうにはあまりにも惜しかった。どこか雨宿りができそうな場所はないだろうか。きょろきょろと辺りを見渡してみれば、ぽつりと鼻先に何かが触れる。とうとう雲の水分含有量が限界に達したらしかった。
    「……やっべ」
    はっと息を呑むと同時に、堰を切ったように辺りに水が打ち付けられ始める。とっさにカバンをかばうように胸に抱えて走れば、それは存外簡単に見つかった。くすんだ赤が深緑に覆い隠されながらもその存在感を発揮している。地獄に神ありと言わんばかりにそこに吸い寄せられれば、小さな社に身を寄せられそうなほどの屋根がしっかりとかかっているのがわかる。助かった。そう一息ついて木製のそこに腰掛ければ、ひんやりとした感覚が腿裏から伝わって体温を奪っていく。春先とはいえど、少し肌寒い。身を寄せるようにして膝を抱え熱を逃がさないように頬をうずめれば、学生服のナイロン生地がざらりと頬を撫ぜた。雨は止みそうにないが、どうしたものか。誰かに迎えに来てもらうにも、ここがどこかもよくわからない。あー、と思わず声を漏らせば、誰もいない境内に静かに木霊していく。静かだ、と思った。ここが友人の言っていたやばめの神社、なのだろうか。人の子どころか、幽霊ですらいなさそうな寂れた神社だ。やばい、というか気配がなさ過ぎて孤独感が恐ろしく募る。
    「……しくったな」
    「何がです?」
    独り言のはずの言葉にレスポンスが付き、それは会話へと姿を変えられる。その衝撃に声も出せぬままぎこちなく振り返れば、そこにはワイシャツにベージュのスラックスを纏った、ノスタルジーすら感じられる出で立ちの青年がニコニコと微笑んでいた。けれども真に目を引くのはその目元だ。何やら文様の書かれた薄い麻布一枚で、確かに彼の世界は隔てられている。そこには悪意も敵意も感じられない。それなのに、怖い。今の今まで気配を感じなかったのに、突然その姿を顕在させて笑っている。その事実にぞっとした。震える声を隠すようにして「えっと」と呟けば、彼はその薄い唇をすうともたげて「んーと」と成宮を指さす。
    「めっちゃ濡れてるみたいですけど、大丈夫ですか?」
    大丈夫じゃないです、と正直に答えることしかできない。そんな自分が情けなく気恥ずかしく、成宮は全ての恐怖心を忘れて「すんません」と顔をそむけた。


    「とりあえずシャワー貸すんで浴びてってください。風呂は今から沸かします。服は……まあ、俺のでも着れるでしょ」
    「すんませんほんと、何から何まで」
    「まあ急な雨ですしね」
    よく降っとるわ、とよくわからないセリフを吐いてケタケタ笑う彼のことが、成宮にはよくわからない。彼に手を引かれて招かれたのは社務所、のような場所なのだろうか。思いの外、生活感のある和室で統一されたそこは、風呂まで檜らしき木材でできているのだから恐ろしい。なんつー家だ。成宮は末恐ろしくなりながらも、濡れた服を粗雑に脱いで、あたりを見渡す。家の浴室と勝手が違いすぎて、どこに置いていいのかわからなかった。
    (……っていうか、これ、怪談だったら間違いなく食われるやつだろ)
    まだ死にたくはないが、しかし風邪をひくのも嫌だ。そんな生存本能のバグを治すのも億劫で、なるようになれと濡れた服をまとめて隅のほうに置く。コンタクトは諦めてつけたまま入ろう。替えの眼鏡を持ってきていないのが痛かった。こんなことになるだなんて、想像もしていなかったから。ふらふらと浴室に入り、たどたどしい手つきでシャワーの使い方を手を伸ばして確認する。これ以上体を冷やすのはごめんだった。幸い、そこまで難しくはない基本的な仕様のようだ。
    「使い方わかりそうです?」
    「あっ、はい! なんとかなりそうっす」
    「替えの服、洗濯機の上に置いとくんで。ごゆっくりー」
    できるか、とは言えなかった。知らない人間の家にいきなり転がり込んで、ゆっくりできるほど図太い精神を持ち合わせてはいない。頭から温水を被りながらゆっくりと目を閉じる。暖かい。それだけでひどく安堵できるのだから、人間は不思議だ。軽く全身を温めてから、逃げるようにして浴槽を後にする。茹で人間にされて食われるのはごめんだった。
    (……悪い人では、無いような気もするけど。変なのつけてるし、人間かもわかんねぇしな)
    体を拭って、服に袖を通す。ご丁寧に下着は新品を用意されていて笑ってしまった。ありがたいが、周到すぎる気遣いは少し気持ち悪い。しかし、そのあとに腕を通したワイシャツは、しっかりと自分の体より大きかった。己の身長の低さを実感して、少しイラっとする。はあ、と一つ溜息をついているとがらりとスライドドアが開いて、青年がドライヤーを片手に現れた。至れり尽くせりだな、と本気で呆れてしまう。
    「はは、結構おっきかったっすね。まあ大は小を兼ねるってことで」
    「あの、ドライヤーとか大丈夫っすよ。ほっといても渇くんだし」
    「いやいや、それで風邪ひいちゃ本末転倒ですって」
    どうせ服が乾くまで時間かかるんですから。ごうごうと音を立てて働いている乾燥機に目を向ける彼を見て、成宮はどうあがいても逃げられないことを実感する。いや、逃げられはするのだけれども。向けられた善意の真意がどうであれ、それを無条件に裏切ってしまうのは、何となく気が引けたのだ。鏡台の前に立たされて、コンセントを差し込まされる。いつ本体を渡してくれるんだろう。そう訝しんでいると、そのまま彼は成宮の髪に触れた。慣れていない手つきで撫ぜられるそれに、驚いて勢いよく振り返る。
    「えっ、いや、あんたが乾かすのは違うだろ!」
    「えー、そんな拒絶します?」
    「拒絶っていうか……俺、これでも高一なんだって」
    ちびだからそうは見えんかもしれんけどな。そう叫ぶように低く唸れば、切なそうに彼は瞳を覆う髪を揺らす。嫌なら、辞めますけど。そうごねるように呟かれると、成宮はそれ以上何も言えなかった。いや別に嫌なわけではない。ただ、その行為が面映ゆく、居心地悪いだけだ。出会ったばかりの人間になぜそこまで世話を焼くのか、淡白な自分には一切理解ができないから。
    「……ま、お好きにどーぞ」
    「あはは、髪を乾かされる側の台詞とは思えませんね」
    丁寧な手つきで、それこそまるで壊れ物にでも触れるような優しさは、どうにも邪険にはできない。変な人。成宮はそう思いながら、鏡越しに見える彼の目隠しが温風で捲れることを期待した。瞳が見えれば、彼のことが少しは理解できるような気がしたのだ。


    ピー、と激しい音が家中を劈く。乾燥機の仕事が終わったのだろう。だぼだぼの裾を捲りながら動き回るのもこれが終わりか、と成宮は安堵する。外の雨はまだ止みそうになかった。
    (結局何考えてんのかわからんかったな)
    ぱたぱたと音を立てて二人して乾燥機の前へと向かう。ドライヤーが終わった後は、ずっとテレビを見ながら当たり障りのない会話をしていた。雨音を聞きながらゆったりと続けられていた言葉のラリーで得たのは、せいぜい彼の名前だけだ。ケーイチって呼んでください。そうはにかむ彼に、なんだか「らしいな」と思ったのをよく覚えている。
    「蛍のケイに、一番のイチ。変な名前ですよね」
    「いや別に。変ではないじゃん」
    いー名前だと思うけどな。思ったままを告げてみれば、彼は特に表情を変えるわけでもなく「あっそうですか」と適当な返事をするだけだ。ちょっとは嬉しそうにしろよ、と思わんでもないがそれすらも彼のつかみどころのなさを増長しているような気がした。気になる。強く彼のことが気になる。ケーイチさん、と呟いてみれば「んー?」と振り返って少しだけ身をかがめてくれる。ばれていないとでも思っているのだろうか。子ども扱いが、腹立たしい。
    「ケーイチさん、よく世話焼きって言われるでしょ」
    「えぇ……うーん、別に言われませんよ」
    そもそもここには世話を焼かれるような人間は来ないです。成宮の服を取り出すために、背を向けながら蛍一は呟く。少し低くなった声は、かがんでいるからなのか、それとも。アイロンかけなきゃなあ、と服を広げる彼は、日がなどうやって生活しているのだろうか。一人きりで、こんな山奥に。きゅうと胸が締め付けられるような思いがして、成宮はそれを表現できる言葉を探す。けれど、先に口火を切ったのは蛍一だった。
    「だから、世話を焼くのは君が初めて」
    ふふ、と口元を緩めてだらしなく笑う彼は、ひどく幸せそうで。成宮はなんだかひどく離れがたく思ってしまった。きっとこの家を普通に後にすれば、もう会うことはない。成宮が、ここに出向かない限りは。山奥に隔離されたこの社は、自然には訪れることのない日常とはかけ離れた環境だ。
    「あの、さ」
    また来てもいい。そう、控えめに尋ねれば蛍一はひどく面食らったようにその肩を揺らす。それから困ったように頬を掻くと、「あー」とだけつぶやいて少し考え込んだ。何か不都合でもあるのだろうか。やっぱいい、と撤回する寸前、蛍一が言いづらそうに「あの」と発した。
    「今日は、傘を貸す、ので。……それ返しに来てください」
    来てくれないと俺、それなりに凹むんで。ちゃんと来てくださいよ。恥ずかしいと言わんばかりに手の甲で口元を隠しながら露になるかの鳴くような本心に、成宮は思わず声を出して笑ってしまう。笑わんでくださいよ、とうずくまって顔を隠してしまう彼の肩をバシバシと叩いて、成宮は次を確約してみせた。


    「まっじで今更なこと聞いてもいい?」
    「どうぞ」
    「その顔のやつなんなん」
    「あはは、マジで今更っすね」
    畳の上に寝転がるのも随分と慣れてしまった。幾度となくここに通っては、なんてことのない時間を過ごす。よくわからない彼を、少しでも理解するために。好奇心と言ってしまえば身も蓋もないが、それでも、確かに彼のことが気になっていたのだ。気づけば敬語も遠慮もなくなって、年上であろう蛍一のほうだけが自分に敬語を使っている。別にいいのに、と告げたって直らないのは、やはりどこか距離を保たれているのだろうか。
    「緊箍児、って知ってます?」
    「……きんこじ」
    「孫悟空の頭についてるやつ、っていえばわかりますかね」
    その言葉で成宮の頭の中に明確なビジョンが浮かぶ。孫悟空に与えられた、呪文によって締め付けることのできる枷。それがどう関係するのか。いやな想像をしてしまって成宮はぞっとする。同じですよ、と何でもないような声で笑って指さすのが、とても悲しかった。なんか悪いことしたん、と尋ねてみたって「さあね」とはぐらかされるだけだ。
    「でも、ってことは目には関係ないんだ」
    「あー、そうっすね。まあ俺の顔見たら不愉快な人たちがいるんで」
    「ふうん」
    じゃあ、俺には目、見せてもいいってこと? その言葉に蛍一はあからさまにうろたえる。別に見たってそんな面白いものでもないんですって。じたばたと顔の前で手を振って反抗する彼に、成宮は俄然興味を引かれた。えい、と隙を見てその麻布を引っぺがす。
    「え、普通の目じゃん」
    「普通の目ですよ! 当たり前でしょ!?」
    覆いの下は長い睫に縁どられた、平均よりはいくらか茶色がちな瞳が覗いていた。赤く染まっている目元もあって、かなり童顔に見える。てっきりもっと鮮やかな色の目でも出てくるのかと思っていたが、これはこれで趣のある、普通の美形といった顔立ちだった。
    「なんこれ、イケメン隠しか」
    「誰も来ないのに隠してどうするんすか……」
    それに俺は、どちらかといえば成宮君みたいな切れ長の目のほうが。ぶつぶつとぼやきながら、成宮から必死に麻布を逃がして瞳を覆う。そんな自棄にならなくても、もったいない。大体見づらくないのか、と問えば「まあ生まれたときからこれなんで」と居住まいを正して答えた。ちゃんと見えているのだろうか、と思ったがどうやら薄いが故にいくらか透けては見えるらしい。それでも、不便ではありそうだが。
    「俺の前ではそれ、上げときなよ。ピンとかで止めてさ」
    「えぇ……別にあってもなくても一緒でしょ」
    「でも目が見えるほうが、コミュニケーション取ってる感あるじゃん」
    俺はケーイチさんの表情とか、もっとちゃんと見たいよ。じっと目があるであろう所を見つめてそう言ってみる。蛍一はしばらく動きを止めてから、大きく溜息をついて麻布を折り込んだ。かろうじて、目と前髪の先が見える長さだ。わがままだなあ、と悔しそうに奥歯を噛んでいる姿に、ひそかに勝った、と思う。彼の本質に、少しだけ近づけたような気がした。
    「っていうか、街中でそんなんしてたら普通に浮くでしょ」
    「……俺、街中で歩かないですもん。こっから出ないです」
    「え、マジで? 飯とかはどうしてんの」
    「一族の人たちからたまに荷物が……」
    衝撃的な生活に成宮は思わず「えー!」と叫んでしまった。つまり、彼の世界はこの社ですべてが完結するわけだ。小さな寂れた神社と、その奥にある居住スペースだけで。テレビはある、本もある。でも、それだけだ。キッチンも、お風呂も一人には有り余るほどのものが用意されているけれど、それを誰かに振舞うことはない。成宮のような、来客がない限り。ずっと一人きりで時間をつぶすために、最低限のものを見つめる生活。そこに生まれる感情を、成宮は知らない。
    「え、じゃあ今度どっか行こう! 俺の住んでるとこも大概田舎だからなんもないけど……」
    「それは無理ですね」
    即座に否定されるとは思っても見ず、情けなく「え」という声だけが漏れる。あからさまにショックを受けたと言わんばかりの成宮の態度に、さすがに蛍一も焦ったのか「や、違うんすよ」とさらに否定を重ねた。俺、この山から出れないんです。困ったように眉を下げる姿は、麻布を通してでは見れなかったものだ。
    「この山の麓辺りに、赤い紐が張ってあったと思うんですけど」
    あれの先へは、俺はいけません。寂しそうに伏せられる瞳の先には、見れない景色が広がっているのだろうか。その先を見せてあげたいと思うのは、自由だからこその傲慢なのだろうか。見せることは、彼を苦しめるだけなのだろうか。成宮は少し悩んでから、荷物を取りに席を立つ。え、どうしたんですか。焦ったように後を追ってくる彼に向ってハンドサインで着席を促した。ちゃんと持ってきてた。そうカバンの重みに安心して、改めて蛍一の横に座った。
    「これ、去年の村祭りのときの花火の写真。これは……お花見の時のやつかな」
    「写真……これ、成宮君が撮ったんですか?」
    「そ、もっと遡ればじいちゃんが撮ったやつも出てくるけど」
    上手いでしょ、とカメラのボタンをポチポチといじりながら思い出をスライドしていく。同じものを共有できない寂しさを埋めたい、ただの独りよがりな行為だった。それでも蛍一は興味深いのかまじまじとその画面をのぞき込んでは、時たま「戻ってください」とストップをかける。そんな何気ないわがままが、ひどくうれしかった。
    「またなんか撮ってこようか」
    「えっ、いいんですか!」
    「別に、もともと写真は趣味だし……」
    成宮君のお爺さんに感謝ですね、と蛍一はカメラに見入ったまま喜色を滲ませる。いや、俺にも感謝しろや。そう小突いてやれば、機嫌よく「わかってますよ」と笑った。


    いつもよりずっと大きな荷物を背負って山道を駆け上がる。キャリーケースを使えないのがこんなにも大変だとは。そう不満を垂らしながらも、心はひどく踊っていた。この日、泊ってもいい。カレンダーを前に彼に尋ねたときの高揚を、今でも如実に思い出すことができる。夏になって、それなりに距離を許された。そう思うのは、何も自惚れではないだろう。意気揚々と、何の抵抗もなく社務所の扉をがらりと開ければ「うわっ」と情けない声が奥から聞こえてきた。
    「ケーイチさん。来た」
    「もー、ちょっと早すぎじゃありません? 俺のこと好きすぎでしょ」
    「はいはい、そういうことにしといて」
    折角手の込んだ晩飯作ってビビらせようと思ったのに。そうぼやいている彼のいる台所へ向かうと、まだ材料一式が広げられているだけだった。昼すぎから作るだなんて、随分と気合が入っている。何作るん。横に並んで手を洗いながら尋ねれば、いたずらっぽく「なんだと思います?」と笑われた。ほうれん草、ベーコン、卵、パイシート。IHの完備された新しいキッチンに雑多に並んでいるそれを眺めて頭を働かす。なんだっけ、と何か引っ掛かりそうな記憶を浚っても、肝心の名前が出てこなかった。
    「自炊をしない男子高校生には難しかったですか?」
    「うーわ! そういうこと言うんだ」
    「あはは、ついいじめたくなっちゃって」
    キッシュですよ。キッシュ。そう鼻歌を歌いながらパイシートを伸ばす彼の目元に触れる。ちょっとした意趣返しだった。忘れてるよ、とその瞳を覗き込んでやれば、途端に視線をそらして、やられたと言わんばかりの顔をする。気持ちがよかった。
    「まだ慣れないんだ」
    「まあ、そりゃあ」
    「今日一日で慣れるでしょ」
    「うーん……どうでしょう。あ、ほうれん草洗ってください」
    「ん」
    雑に返事をしたものの、彼の言う通り自炊経験が著しくない成宮は、どこかぎこちない手つきでほうれん草の包装を剥く。家庭科の授業でやったような気がしないでもないが、もうろくに覚えていなかった。何から始めるんだっけ。しばらくその青々とした新緑を眺めてフリーズしていると、後ろからじわじわ来ると言わんばかりに笑いをかみ殺している声が聞こえてくる。笑うな、と睨みつければ、いったん自分の作業を止めて成宮の隣に立ってくれた。ほうれん草はね、と慣れた手つきで進めていく彼に、思わず見入る。
    「料理、何年くらいやってんの」
    「えー? うーん、そうですね。二十年とか」
    「……ケーイチさんいくつなん?」
    「さあ? まあ、少なくとも君よりは年上ですよ」
    それはもう知ってる、と頬を膨らませたって、蛍一はおかしそうに笑うだけだ。年上。その言葉はどことなく重い。ただでさえ見てきたものが違うのに、年すら隣に並び立てないだなんて、あんまりだと思う。自分の見ている世界を知ってほしい。それか、彼の見ている世界が見たい。常々成宮が、彼に関して思い続けていることだった。
    「料理なんて、続ければできるようになりますよ」
    君にはまだまだ時間、あるじゃないですか。ぽんぽんと頭を叩くように撫ぜて、彼は「ほら、やってみて」と成宮に包丁を預ける。君には、その言葉がなんだかひどく引っ掛かって、消えてはくれなかった。ケーイチさんにも、時間あるじゃん。言えない言葉が、喉奥から胃へと溜まって、腹が膨れていく。


    「今日、八時から花火あがるらしいんだけど」
    「へえ! テレビ中継ありますかね?」
    「いや、見に行こうよ」
    折角なんだし。その言葉に途端に蛍一は怪訝な顔をする。俺、ここから出れないって言いませんでしたっけ。そう言わんばかりの表情に、成宮は即座に首を横に振った。別にこの山からでも、場所によっては見れるでしょ。キッシュを飲み込んでからそう告げてみれば、蛍一は「あー」と納得したのかあやふやな声を漏らした。
    「どこで上がるのかよく知らないんですけど、近いんですか?」
    「うん。俺の家からだとかなりでかく見えるから。この山でも見える……と思う。っていうか見えそうなとこは当たりつけてきた」
    「へえ。そんなことまで」
    ありがとうございます、と喜びと申し訳なさの入り混じった表情でぺこりと頭を下げる彼に、成宮は別にいいよと素っ気なく返す。すべて成宮がしたくてしたことだ。蛍一と何か特別な思い出を共有したい。その一心だった。もっとも、山中を歩き回ったり、人に聞き込みを重ねるのを、簡単だったとは言えないが。蛍一から素直に向けられる感謝がこそばゆくて、成宮は目前の最後の一口に集中する。火が通ってくたくたになったほうれん草とベーコンが、パイ生地に包まれて舌に伝わった。美味しい。
    「八時なら、言うてすぐですね」
    「そーだね。片づけは後にして出よ」
    「水にだけつけときましょうか」
    水を溜めた桶にザボンと皿を落とし入れて、玄関へと向かう。踊る足取りを気取られないように意識していても、どうしても浮かれてしまっていた。ご機嫌ですね、成宮君。そうくすくす笑われてしまっては、立つ瀬がない。別に、そんなんじゃないよ。と字面だけの抵抗をとってみても、それすら微笑ましく思われるだけだ。
    「俺は楽しみですけどね」
    ずるい。強くそう思う。そんな余裕に相手をされては、自分がまるで子供みたいで悔しいのに。シンプルな言葉が一番うれしくて、成宮は小さく「俺も」と返事をしてスニーカーに足を突っ込んだ。


    「やばい、なんか緊張してきたわ」
    「何を緊張することがあるんですか……」
    「見えんかったら凹むじゃん」
    斜面上にある怪談に腰掛けて、二人して空を眺める。普段は田舎だからと馬鹿にしていた暗い街並みも、こうして空を眺めるにはなかなか悪くないと思った。ま、見えなかったら大人しく天体観測でもしましょうよ。間延びした蛍一の声は、一つも心配を孕んでいない。まるで、花火ではなくこの時間そのものが大切だと言わんばかりに。
    (……まあ確かに、星空も綺麗だし)
    ぼうっと眺めているとどんどん目が慣れてきて、より多くの輝きを見つけることができるようになる。小さな星々。古代から変わらないそれに、名前を、意味をもたらしたのはいったい誰なのだろう。今を生きる自分たちは、それすらも知らないまま彼らの決め事をなぞって星を見ている。なんだか、変な気分だった。
    「夏の大三角、でしたっけ。あれ、どれなんですか」
    「大三角? あーっとね、あれは……」
    デネブ、アルタイル、ベガ。一つ一つを指先でなぞって蛍一に教えてやる。おー、とかほーとか、感動しているんだか、していないんだかわからない歓声を上げて同じようになぞる彼に、少しだけ楽しくなった。名前を決められた彼らは、決して別の人間を通してもその姿を変えることはない。じっと星々に見入っている蛍一の横顔を眺めていると、ぱっとそれが明るく照らされた。穏やかな色に、夜が包まれる。
    「わっ!」
    「……あがった」
    呆然と呟かれるそれに呼応するように、次々と夜空に花が咲く。どちらかともなく、きれい、と言葉にした。
    「きれい、ですね」
    「……うん」
    「火が、こんなに綺麗だなんて、知りませんでした」
    遠く離れた熱に浮かされてしまったように、ぽつりぽつりと語る蛍一に、成宮も倍の感動を覚える。星空とは違う人工的な光なのに、嫌悪感を覚えないのはなぜなのだろう。星々と違って、すぐに消えてしまうからなのか、それとも。ぼんやりと見入ってしまう頭を覚ますように首を横に振って、カメラを構える。消えてしまうからこその美しさを、瞬間で切り取りたいと思った。レンズ越しで色あせてしまうのだとしても、この時間の消費期限を、少しでも引き延ばすために。
    「……」
    ぱしゃり、と軽い音が花火の低い爆発音と重なる。夜空と共にフィルムの中に焼かれた蛍一の姿は、確かに永遠だった。フィルムの外にいる彼は、あとどれくらい側にいてくれるのだろう。
    「ケーイチさん」
    来年もまた、見に来ようね。その言葉がかけられなかったのは、成宮の臆病さが、未熟さが邪魔をしたからに他ならないのだ。


    苦しそうに眉間に皺を寄せて横たわる蛍一をじっと見つめる。その口から洩れる苦しそうな吐息をどうすることもできないのがもどかしい。花火が終わった後から、蛍一の様子は明らかにおかしくなった。ぶつぶつと何かを呟きながら頭を押さえてうずくまる。それだけでただ事ではないと分かるのに、成宮の顔を見つめてたった一言、彼はこういった。
    「もう二度と、俺の前に顔出しちゃダメです」
    その言葉に傷つく間もなく、目の前の彼は完全に気を失って倒れこむ。理解を超えた事態に成宮は動揺することすら許されず、ばくばくと主張する心臓を必死に押さえつけながら、蛍一の住む神社へと彼を引っ張ってきた。布団を敷いて、その上に横たわらせて。放置したままだった洗い物をすべて片付ける時間の虚しさは、ここに来て重ねた時間の中でも随一だったろう。荒い呼吸は、生きていることの証明だ。食い入るようにじっとその姿を見つめて、背中を撫ぜて。離れることだなんて、できるわけがなかった。
    (納得できるわけないだろ、もう顔出すなとか)
    一体、何が起こっているのだろうか。彼が得体のしれない存在だということを、すっかり失念していた。否、根底ではわかっていたのだ。彼と自分は生きている世界が違っていることくらい。それでも、同じ花火を見て、同じような感想を抱いて、少しでもリンクしたような気がして。それは、違っていたのだろうか。間違っていたのだろうか。もうよくわからなかった。ケーイチさん。震える声でその名を呼べば、ぴくりと彼の体が揺れる。その瞬間、世界が回った。
    「……え」
    背中と、後頭部に鈍い痛みが走る。叩きつけられたのだ、床に。どうして。正しくその事象が理解できたことが、成宮にとって幸いだったのかは、よくわからない。首元に当たる白い手に、力が込められていくのをぼんやりと、他人事のように見ていた。荒い呼吸音が、電灯に照らされて成宮に伝わる。へたくそな首絞めに眩んでいく意識の中で、ただ、その瞳が見たいと思った。ゆっくりと、手を伸ばす。
    「……いいよ」
    ケーイチさんなら、別に。ゆるゆるとしか動かない指先でその麻布をもたげてみれば、曇りを知らぬ茶色い瞳が、確かにそこにあった。ぽたぽたと頬を伝う涙も、同時に顔を見せる。途端に解放された喉は負担を感じたのか、ゲホゲホと勝手に咳き込んだ。そんな場合じゃないのに、なかなか収まらない。必死に息を整える成宮のことを蛍一は、ただ呆然と見つめながら「何してんすか……」と呟いた。
    「いいよ、じゃないんですよ……! 今、成宮君、俺に、俺に……!」
    「……うん」
    「何平気な顔してるんです!? 抵抗してくださいよ、逃げてくださいよ……!」
    「ごめんね」
    「違う、違うんです……」
    嗚咽を漏らしながら必死に成宮をなじる。その髪を宥めるようにそっと梳き撫ぜた。初めて会った時のことをふと思い出す。あの時、彼が自分の髪に触れるのがたどたどしかったのは、人に触れたことがなかったからだ。彼の人生に、今まで気の置ける他人は存在しなかった。そこに突然成宮が入り込んできてしまったから、彼にはわからない。殺されてもいいと思えるほどに情を抱いている成宮の気持ちは、彼には分らないのだ。蛍一は震える声で、もっと自分を大切にしてください、と告げる。君は、長生きしなきゃいけないんですよ。震える声のそれは、もはや懇願に近かった。


    「俺、祓い屋の一族に生まれたんです。でも、生まれつきそういう神力が無くて」
    虚空を見つめながら、ぼんやりと誰に向かうでもない語りが始まる。相槌は打たないほうがいいと思った。なんとなく、ただその独白を聞いていた。
    「神力のない子供は、跡取りどころか使い物にもなりません。だから、無理やりにでも神力を持たせる必要があった。……人道を外れてでも」
    鬼食いという呪術があるのだという。言葉のまま、鬼を体内に取り込んで、その力を自分のものにするまじない。強力な力には、もちろんおぞましい反作用が付き物だ。体はもちろん内側から蝕まれ、残り時間はすさまじい勢いで減っていく。しかも、それだけではなく、時には意識さえ。
    「火には、厄払いの力があるでしょう。鬼にもその効果はあるんです」
    花火を蛍一の体越しに眺めた鬼は、その恐怖に打ち震えた。このままだと消滅させられる。それを恐れた彼は、体の制御を奪い、成宮に手をかけた。花火を見るよう促した、諸悪の根源を断つように。花火を見終わった後ぶつぶつと呟いていたのは、鬼の干渉が激しかったから。もう二度と顔を出すなと言ったのは、もしかしたらもう、主導権が自分に戻ることはないことを恐れたからか。点と点が線で結ばれていく感覚に、腹底が冷える思いがする。ずっと、彼は自分をかばおうとしていてくれていた。
    「……変なことに巻き込んでしまってすみません。やっぱり、あの日君を家に上げたのは間違いでしたね」
    本当は、もっと早く、君をここから遠ざけるつもりだったんです。懺悔にも似た告白だ。けれど、それは成宮にとっては本意ではない。けれど、蛍一の気持ちも痛いほどよくわかった。自分を大切に思ってくれているからこその、拒絶。だからこそ、辛い。蛍一のためなら、死んだって構わない。それは本心だ。けれども、彼の心遣いを押しのけてまで側にいることが正しいのか、成宮にはもうよくわからなかった。ケーイチさん。何を伝えるでもなく呼ぶ名前に、彼はもう笑ってはくれない。
    「これから君は、大人になる。そこに俺はいない。それがあるべき姿です」
    「……」
    「高校を卒業して、きっとこの村を出ていく。そうしたら君は一人暮らしをするんです。たくさん自炊をして、俺なんかよりずっと料理もうまくなる。そして俺と過ごした時間よりもっと多くの時間を、大切な人と過ごして、その姿を幾度となく写真に撮る」
    瞳を伏せて、唄うように未来予想図を述べる。リアリティがないと思った。けれどそれが、彼の想像する普通の人生なのだろう。この山から出たことのない、テレビや本を通してしか世界を見れない彼にとっての、普通。
    「それが、俺にとっての、幸せ?」
    「ええ」
    だからもう、ここに来ちゃダメです。振り返って念押すように告げられる。彼の瞳は見えなかった。当たり前だ。また、麻布の下にすべて隠してしまったのだから。それはもうこれ以上はないという意思表示なのだろう。これ以上、成宮が手を伸ばしたって、得られるものはない。ここが己が知れるすべてなのだと、言わんばかりに。
    「ねえ成宮君」
    成人式も、結婚式も、葬式も。ここからずっと、遠くでしてくださいね。小指を無理やり絡めて、幼い約束を誓う。大人になっても、家庭を持っても、生を終えても、その瞬間に彼はいてくれない。人生の中のほんの刹那だけ、蛍一と過ごした時間が顔を見せる。それが残酷なことだと、知らないほど彼も子供じゃないだろうに。
    「……ひどい。忘れられるわけないのに、そんなこと言うんだ」
    「ひどいですよね。大人って、ずるいんです」
    「ケーイチさん、俺、一生引きずるよ。ずっとケーイチさんのこと考えながら、大人になんてなれない」
    「……大人に、なるんですよ」
    蛍一がそっと、成宮の頬に触れる。何をするつもりなのかと目を瞑って構えれば、耳元にそっと、何かがささやかれた。それだけで、体中の力が抜けて、何もかもが逃げていく。それは明らかに不自然な、人為的なバグだった。
    「成宮君、幸せになって、くださいね」
    無理やりに降ろされていく瞼の合間から、彼の顔を見る。風でそよいで持ち上がった麻布の下には、大粒の涙が絶え間なく生み出されていた。泣くぐらいなら、そんなことすんなよ。そう言ってやりたくても、もう喉が開かない。薄れ行く世界の中で、ただぼんやりと、これ以上彼が寂しい思いをしなければいいと思った。


    自室のベッドの上で、意識を取り戻す。随分と長い夢を見ていたような気がした。そのくせ何も覚えていないのだから笑える。枕元に置いてあるスマートフォンを手繰り寄せれば、もう十時だった。起きて、写真でも撮りに行こうか。伸びをして立ち上がると、なんだかひどい疲労感が体を襲った。
    (……でも、写真、取らないと)
    誰に見せるわけでもないはずなのに、カメラを手に取らねばならないような気に急き立てられる。妙な焦りの中、手に馴染んだカメラの中には、花火に見惚れる綺麗な男の写真が、確かに残されていた。
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    Replies from the creator

    dentyuyade

    DONE性癖交換会で書いたやつ短編のやつです。割とお気に入り。
    星になる、海に還る輝く人工色、眠らない町。人々はただただそこで足音を鳴らす。唾液を飛ばす。下品に笑う。息を、止める。その中で自分はただ、誰かの呼吸を殺して、己の時間が止まるのを待っている。勝手なものだと、誰かが笑ったような気がした。腹の底がむかむかとして、思わず担いでいたそれの腕を、ずるりと落としてしまう。ごめん、と小さく呟いていた。醜いネオンの届かない路地裏の影を、誰かが一等濃くする。月の光を浴びたその瞳が、美しく光る。猫みたいでもあり蛇みたいでもあるその虹彩の中で、自分がただ一人つまらなさそうな顔をしていた。
    「まーた死体処理か趣味悪いな」
    「あー……ないけど、趣味では」
    「いや流石にわかっとるわ」
    「あ、そう?」
    歪む。彼の光の中にいる自分の顔が、強く歪んでいる。不気味だと思った。いつだって彼の中にいる自分はあんまりにも人間なのだ。普通の顔をしているのは、気色が悪い。おかしくあるべきなのだと思う。そうでなければ他人を屠って生きている理屈が通らない。小さく息をついて、目の前のその死体を担ぎなおす。手伝ってやろうか、と何でもないように語る彼に、おねがい、と頼む声は、どうしようもなく甘い。
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    dentyuyade

    DONE息抜きの短編。百合のつもりで書いたNL風味の何か。こういう関係が好きです。
    観覧車「観覧車、乗りませんか」
    「……なんで?」
    一つ下の後輩はさも当然のようにそんなことを提案した。園芸部として水やりに勤しんでいる最中のことだ。さっぱりとした小綺麗な顔を以てして、一瞬尤もらしく聞こえるのだから恐ろしいと思う。そこそこの付き合いがある自分ですらそうなのだから、他の人間ならもっとあっさり流されてしまうのかもしれない。問い返されたことが不服なのか、若干眉をひそめる仕草をしている。理由が必要なの、と尋ねられても、そうだろうとしか言えない。
    「っていうか、俺なのもおかしいやん。友達誘えや」
    「嫌なんですか」
    「いや別にそうでもないけど」
    「じゃあいいでしょう」
    やれやれと言わんばかりにため息をつかれる。それはこちらがすべき態度であってお前がするものではない、と言ってやりたかった。燦燦と日光が照っているのを黒々とした制服が吸収していくのを感じる。ついでに沈黙も集めているらしかった。静まり返った校庭に、鳥のさえずりと、人工的に降り注ぐ雨の音が響き渡る。のどかだ、と他人事みたく思った。少女は話が終わったと言わんばかりに、すでにこちらに興味をなくしてしゃがみこんでは花弁に触れている。春が来て咲いた菜の花は、触れられてくすぐったそうにその身をよじっていた。自分のものよりもずっと小づくりな掌が、黄色の中で白く映えている。
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