義賊『バサラ』の話それは、満月が支配する夜だった。
冴え冴えと輝く月を背負って、階上の窓ガラスに立っていたあの人はこちらを見下ろしていた。
(あれは……)
その人の正体を捉えようと目を細めるが、逆光でシルエット以外何もわからない。骨格や身長から考えると男のようだが、それすら誤魔化している可能性があるから過信が出来ない。
例え万が一に月光がその人を隠さなかったとしても、目深に被ったフードと身体をすっぽりと覆うマントでやっぱり中身が分からないだろう。
(私が分からないということは、つまり、知らない人だ)
そして、この場にアリスの『知らない人』がいてはいけない。
なぜなら、その日のアリスの仕事は「宝物を盗まれてしまうから助けてくれ」という依頼人からの要請で、対象の品物を守るために依頼人の屋敷に配備されていたのだ。
不審者と区別を付けるために、今日居るはずの人物は全て紹介を受けて記憶している。そのリストのどこにも、眼前の人物と同じシルエットになる者はいなかった。
「あなたが……バサラ?」
『バサラ』。それは最近世間を賑わせている、伝説級の盗賊の名であり――その日、アリスが捕まえないといけないターゲットの名であった。
ぽつりと溢れた間抜けな疑問は、小さな声だったはずだけど。夜の澄んだ空気に響き渡り、相手の耳に届いたようだ。
「――いかにも」
その人は羽織っていたマントをはためかせて、ゆっくりと頷いた。
「俺こそが、『バサラ』だ」
それが、『バサラ』とアリスの、初めての邂逅であった。