ビ―ドロ 古い引き戸に手をかければ案の定鍵はかかっていない。いくら師範を務めるとは言え、ひとり暮らしは物騒だからと堅が言い聞かせても、なにも取られるものはないからと家の主は豪快に笑う。そうして相変わらず佐野の家は誰もが出入り自由なままだ。
この家の扉が開いたままの理由はわかっていた。万次郎のためだ。
万次郎がこの家から、この渋谷から姿を消してからもう季節は夏を迎えていた。
しばらくすればふらりと帰ってくるだろうと浅はかな淡い期待があった。けれど万次郎は浅い思いつきで行動する子どもではけしてない。きっと万次郎が帰ることはないのだろう。それでも。いつかは当たり前のように帰ってこい。 そう願うように大きな家でひとり万作は待っている。
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