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    saka_esa

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    お題「姚宗主」

     平陽姚氏は小さな世家である。これは姚氏宗主の四大世家を前にした際の常套句であるが、実際のところそう小さいわけでもない。仙門世家が揃い打倒温氏を願えば門弟を従え馳せ参じ、修真界を揺るがした数々の場面でもその一端を担い生き残ってきた世家である。
     しかし四大世家ほど大きくもなく力が限られているのも事実であった。
    町人の前では威厳を保ち、一線をおいてはいるものの何もせずとも家を守れるほどの安定さはない。常に何かあれば吟味し我こそはと立ち向かっていく日々である。
     そんな日々の中、最近耳にする困りごとがある。
    平陽姚氏と同じかやや格下になるだろう世家宗主より相談事が持ち込まれた。
    聞けば水路に邪祟が出るという。これだけでは大したことではない。人が生活するには水が必要不可欠で、この土地は特に潤沢な河川を中心にできた町なのだから必然邪祟も湧きやすい。
    「それがどうしたというのだ」
    「姚宗主、我らとて水鬼がでたところで珍しさなど微塵もない。されどここのところとんっと数が多くて手が回らんのだ。ご存知の通り我家は人手が少ない故、どうか姚氏からお手を拝借できないかと息も切れ切れ馳せ参じたのだ」
    「お手を拝借とはいうが我ら平陽姚氏とて限りがある…なに、水鬼くらい退治できぬと申しているのではない。そんなものはお手のものであるが、今はこちらも人手が心許ないのだ」
    「何卒、何卒…このままでは退治が追いつかずに何やらおおごとになってしまう」
    困り果てたとうなだれる宗主の姿に姚宗主は肩を叩き顔を上げろと宥め賺す。その一方で頼られたという心地よさに酔わずにはいられない。頼られ是非にと頭を下げられる、これでこそ世家宗主である。
    「はて、どうしたものか」
    面倒ごとは厭うが姚氏ここにあり、と名が知れるのはやぶさかではないのである。
    しかしこちらでも水鬼が頻発している事実があり門弟達は幾日もかけて退治している日々だ。空いているものも居るが家を空にするわけにはいかない。
    「このままでは、このままでは水鬼が流れてよからぬことになる、さすれば何を言われるのかわかったものではない!」
    「広大な蓮花湖故、水鬼の一匹や二匹流れついたところでわかるまい!」
     嘆きおいおいと今にも泣き出しそうな宗主の世家は蓮花湖へと続く河川本流の、更に枝分かれした川にひっそりとある。水鬼が退治しきれなければ水鬼はいずれ本流に乗り蓮花湖へと流れてしまうだろう。そうなれば雲夢江氏の管轄故にあの宗主に采配が委ねられることとなる。しかし水鬼がどこからきたかなど、わかるはずもない。
    「わかる、あの男はわかる!姚宗主、恥を承知でお話しすると水鬼を蓮花湖に流してしまったことは何度かあるのだ。いや、もっと言えば流れてしまえと流したことが度々ある!姚宗主と同じくあの広大な湖に紛れ込んだところでわかるまい…そう思っていたのに」

     ――――そちらの世家は水鬼の処理が苦手と見える。水辺に世家を構えるにあたいするか疑問だ

     常に眉間にシワを寄せ、視線一つで人をクズでもみるかのように見下してくる男、雲夢江氏江晩吟。
    浮かんだ顔に胃がきゅぅっと鳴った。平陽姚氏もこの宗主も雲夢に近い位置にあるため四大世家の中でも雲夢江氏とはなにかと関わりが多くある。先代宗主であれば「何かあればすぐに頼ってくれて構わない」温厚な顔でそう言ってくれただろうが、現宗主はそうも行かぬ厳しさがある。
     己らの手に負えぬのは事実であるが何故こちらが委縮せねばならぬのか、何度考えても腑に落ちない。
    「そもそも四大世家ともあろう江氏がなぜ水鬼の一匹や二匹でそのような物言いをするのか!若くして宗主の座に就いた故にいまだに助け合い手を取り合う「調和」という部分を理解していないのではないか?!夷陵老祖魏無羨をおいかけるばかり、甥に目をかけるあまり市井の安寧を担う我々をないがしろにするなど四大世家にふさわしくないのではないか?!そうであろう?!」
    「姚宗主…水鬼を流したのは一度や二度では…」
    「雲夢江氏の人材は潤沢!実力とて…あってもらわねば困るのだ!宗主、そう落ち込まれることはない、この平陽姚氏!江宗主に一言物申して参ろう!!」
    「姚宗主!」
    まかせろ!胸を張り江氏の助力をもぎ取ってくると声高々に宣言した姚氏は意気揚々とその足で雲夢へと向かった。







     埠頭に降り立つと人々の掛け声が鮮明になる。雲夢に訪れると感じていた優美さはなりを潜め、今は交易の船が着いたばかりなのか賑やかさが際立った。荷下ろしをする人々は姚宗主など見えていないのかドタバタと桟橋を走り回っては荷を運び、中身を改めては怒号すら飛び交っている。
    「…いつからこんなにも姦しくなったのだ」
    広い桟橋とは言え気をつけなければ落とされてしまいそうで顔をしかめたが、埠頭の門を潜ればそんな思いもどこかへ吹き飛んだ。
    「寄って行って!出来立ての饅頭だよ!蓮根のすり身汁もどうだい!」
    「こっちこっち!喉はかわいていないかい?!姑蘇からとどいたばかりの枇杷だよ!!」
    「まずは茶で喉を潤されるがいい!川面は冷える!届いたばかり西の茶葉はいかがかね!」
    屋台からの掛け声と胃を刺激する唐辛子の匂いに目移りする。船旅はそう長いものではなかったがようやく地に足をつけた安堵に胃を宥めたい気持ちもあった。
     店主たちに鷹揚に頷きながらどこかいいかと決めかねているとあっという間に蓮花鳩の入り口へとたどり着いてしまうった。引き返してめぼしい屋台に入りたいところであるが江氏の門番が他世家の宗主に気がつかないはずもない。しっかりと目線があってしまったため大人しく蓮花鳩への門扉に立った。
    「平陽からまいった姚である、江宗主に御目通り願いたく参った」
    先触れの文を出し損ねたことに気がついたが事態は一刻をも争うことである。叱責されるはずもなかろうと案内されるまま試劍堂に入ると蓮を象った椅子に江晩吟が座っていた。
    「姚宗主」
    「あぁ!これはこれは江宗主!久方ぶりだ、お変わりないか!」
    「…この度はどのような要件か」
    互いに拱手しあうと挨拶がわりの雑談もなく早速本題に入る。はるばるやってきた労いも、そちらの様子はどうだなどという近況も話し合わないのが江晩吟で、対峙するたびに先代の温かみや面白みがないとがっかりする。
    「江宗主はもうご存知かな、昨今水鬼があちらこちらと出没しておる。なに、水鬼ごとき倒せぬと申すのではないが無尽蔵に湧き出るのだから、我らのような弱小世家は人手も足りぬ中寝る間も惜しみ水鬼と対峙してきたが限界がある。このままではこの蓮花湖にも押し寄せてしまうだろう!どうかお力添えをいただけないだろうか」
    「水鬼」
    「さよう!珍しくもないが一度出ればなにかと手をとられ、数が集まれば厄介な事この上なし…我々を蔑む事なくその寛大さをお見せいただきたい!!」
    持参した地図を広げて掲げる。そこには相談にきた世家の他にいくつか赤く印づけられた箇所がある。ここにくる前に水鬼の出没を確認した場所だ。その数は片手ほどであるが、どこも水鬼にばかりかまけてはいられない。
    姚宗主がどこの家も現状に参ってしまってどうしようもないと訴えるが、江宗主は対峙した時と寸分の違いもなく微動だにしない。
    「水鬼が頻発しているのはこちらの耳にも入っている。近々討伐に夜狩を結構する予定である…その際はそちらにも伺うことになるが…」
    「おお、なんとお早い!さすが四大世家雲夢江氏であられる!!各地に馳せ参じる際には各世家にご助力求めるとよろしい!なに、私がその算段をたてましょう!」
    「なにもしないでいただきたい」
    「もちろんなんなり…と…なに…も?…なにもとは、それはいったいどういう事か」
    広げられた地図を一瞥すると江晩吟は立ち上がり試劍堂を後にするべく背を向けた。
    「言葉のままだ。この各地で起きている一件は我々雲夢江氏が請け負おう、手出しは無用」
    蔑ろにされていると怒りが湧くよりも手出し無用であるという言葉に安堵した。しかしそれを悟られてはなるまいと口を開こうとするがそれより早く江晩吟が振り返る。
    「我々が到着するまで2、3日程度はかかる、それまでは一匹たりとも蓮花湖に流さぬように」
    話は済んだと立ち去った江晩吟に「江宗主!」と声をかけたが江宗主が立ち止まることはなかった。
    「なんと…なんと失礼な…!」
    試剣堂に姚宗主の憤慨した声がこだまするが、控えているはずの門弟たちは微動だにしない。
     対応できぬと助力を求めにきたのに、それぐらいできねば困るとは一体どういうことなのか。詰め寄りたいが当の本人は姿を消して追うこともできず、門弟に呼び寄せろといったところで不可であろう。
    話を聞く耳持たぬ様子にならばここにいても無駄だと仕方なく踵を返す。怒りの乗った足音は開放的な蓮花鳩にダンダンと鳴り響く。いっそ江晩吟まで届くようにと更に足音を大きくしながら門へと向かった。
    「姚宗主!お待ちください!」
    門をくぐってすぐに姚宗主を引き止めたのは若く凛とした声だった。
    「…これは主管殿、今更何用か」
    「到着が遅れ申し訳ありません。宗主より話を聞いております、ただいま蓮花鳩では出立に向けて支度を整えているところなのです、やや大掛かりな作戦故、手が離せず刻が惜しいのです、どうかご理解いただきたい」
    主管の深々とした拱手にわずかばかり怒りが紛れるがぞんざいな扱いをされた事に変わりはない。事情の一つでも聞かねば、他世家たちになんといって説明すればよいのか。
    「大掛かりな作戦とはどういうことか、江宗主はもとより水鬼のことは承知しているようであったが」
    「はい、蓮花湖に水鬼が流れ出るようになり夜狩の際に各地にて聞き込みを行ってまいりました。此度は一掃する作戦を立てようやく実行できるまでこぎつけることができました。故にどうか見守りいただきたい」
    ようは結局作戦の邪魔をするなということであるが、雲夢江氏が「大掛かり」であり「刻が惜しい」などというのだから容易ではなく余裕がないのも誠と思えた。想像もつかぬことをやろうとしているのだろうと察しもついたがそれだけで気が晴れるものでもない。
    「主管殿、江宗主はまだ若い、言葉の選択に誤りがあることが玉に瑕だ。我々が折れるのは年長者としてのつとめであるが…それとていつまでもというわけにはいかぬぞ」
    「はい、心得ております。つきましては姚宗主、蓮花鳩ではおもてなしも叶わなかった故どう街でおくつろぎください。店のものには蓮花鳩にツケで、とおっしゃっていただければ結構です」
    にっこりと笑み拱手すると主管は足早に去っていく。
    「蓮花鳩のツケで飲み食いするなど!屋台、だと…?!」
    言って振り返れば埠頭に続く道に連なる屋台が目に入る。掛け声は止まずに賑やかで、鼻をすんすんと鳴らせば来た時と変わらず腹を刺激するいい香りがした。先ほど見て回った屋台に陳列された料理たちが脳裏を掠める。
    「いってやらないこともない」
    ひとまず空腹を満たし、平陽に帰る道中につまむ菓子も必要で、帰った先で待ち構えている者達にもなにか与えねばならぬだろう。
    「私は忙しいのだ」
    船に乗らねばならぬ時刻にはまだまだ猶予がありそうだ、陽の高さを確認し、賑やかな雑踏の中へと踏み込んだ。









     翌日のことである。夜更け前には平陽に帰り着いていた姚宗主の元に相談をもちかけ世家の宗主や、水鬼について聞き込みをした者達がやってきた。
    拱手し、労いの言葉をかけ、感謝の言葉を連ねる宗主の姿を見て、江宗主に足らぬものはこれだと改めて思う。
    「江宗主はいかがでしたかな」
    「事情を話したところすでに知っているようであった。近々対処する予定があるから手出しは無用とのことだ」
    「おぉ、それはなんと心強い!」
    安堵の笑みを浮かべた宗主に昨日の憤怒がちらりと蘇る。
    「しかし江宗主は相変わらずであった、宗主になられてもう何十年と経つのに物の言い方を知らぬし、頼み方というものをわかっていない。あれでは四大世家の名も泣くのではないか?私が一から説明したのだ!どこの世家がなぜ困っているのかを!そして水鬼が流れ集まれば何になってしまうのかを!」
    とんっと卓に杯を置くと横に控えた者がささっと茶を注ぎ満たす。
    「それで、宗主はなんとおっしゃったんです?」
    「なんともうしたと思う…?ん?」
    己を取り囲む野次馬たちを一人一人確認するように指をさす。それでそれで、と先を促すものたちは皆面白がっている。
    「――手出しは無用…と!若くして宗主になったせいか礼儀というものを知らぬのか、まったくもってなっていない!抜けている!遠路はるばるやってきた私に茶の一つも出さず、これが先代江楓眠であったならば食事でもてなしていただろうに…なげかわしい!かつて夷陵老祖討伐にやっきになっていたが故に他者への労いを無くしているのだ!」
    ぐいっと杯を空にして野次馬を見れば嘆く姿に同情するどころか笑っているので面白くない。
    「先代を知るものもそう多くはなくなったのだ…私が言わずして誰がいうという?ん?年長者としてそのような物言いは如何なものかと進言するがどうにも聞く耳持たぬ!」
    不快感をあらわにするが集まっている者達は「手出しは無用」は朗報でしかない様子で、ならばもう心配はないと口々によかったと言い合っている。
     かつて、先代江楓眠が江氏宗主であったならば己とて手出しは無用と言われて喜んだであろう。それどころか共に戦うと剣を握り勇んだかもしれない。しかしあの江澄ともなると事情が変わるのだ。
    笑み一つなく、頭いくつか分高いところから視線だけで見下した視線を向けてくる。瞳の冷たさに比例して指で弾ける紫電の熱さは肝が冷える。

     ――姚宗主

    かつて温氏が平陽に襲いきてもうおしまいだと危機にさらされた、その時に手を差し伸べてくれたのは優しい江楓眠であった。雲夢江氏がついているから大丈夫だと船に乗りこの地まで送り届けてくれた。見送った背が最後になるとは混乱の始まりとはいえ思ってもいなかった。
    「もっと可愛げがあれば」
    江楓眠の忘れ形見をもっと可愛がることができただろうに。落ちぶれかけた江氏を支えてやることもできたのに、江氏は、江澄はそれを望まなかった。
    蓮花鳩は修繕こそしても雲深不知処のように大きな建て替えは行なっていない。それなのに雰囲気ががらりとかわってしまい、様変わりした様子に嘆いたのは街のものだけではないだろう。門は常に閉ざされ訪れるものの敷居を高くした。
     前の方がよかった、しみじみと何度も口にした言葉に最初こそ同調していた者達も、今ではこうして「よかった」「よかったもうあとは大丈夫だ」と笑い合っているのだから座りが悪い。自分だけが取り残されてしまったような気持ちが好きにはなれないのだ。
     前の方が良かった。記憶にある蓮花鳩を、埠頭に立つ江楓眠を思い出そうとして浮かんだのは昨日の蓮花鳩であった。門扉こそ閉じられているが埠頭から蓮花鳩へと続く道には多くのかしましい屋台が連なり、街へと続く道にも所狭しと店が多く出ていた。少し遠くの空を見れば凧がいくつもあげられ、風に揺れては弓矢に落とされているのがよく見えた。
     なんともかしましい、以前と同じか、それ以上に姦しく大きくなった雲夢に江楓眠の影が薄れていく。
    「しかし、屋台の賑やかさだけは悪くない」
    「姚宗主?なにか?」
    「よいよい、なんでもない!雲夢より色々買い付けてきたのだ、持って帰るといい」
    「おお!これはありがたい!」
    蓮花鳩のツケで、何度繰り返し言ったかわからぬが卓いっぱいに並べられた菓子から流行りの玩具まで、見たことのないもっと西からの交易品を並べると場が沸き立つ。
    「姚宗主は気前がよろしい」
    「さすがですな!」
    「門弟を抱える世家ともなると違いますな!」
    物珍しいものを手に取り品定めをする宗主らの羨望の眼差しを受け止めうんうんと頷く。
    「何をいうか、平陽姚氏は小さな世家である!わはははは」
    ご謙遜を!高らかな笑い声は脳裏にうっすらと浮かんでいた江楓眠の顔も、昨日見た蓮花鳩も吹き飛ばすほど大きく響き渡った。



     告知通り、雲夢江氏総出の水鬼一掃作戦は実行された。主要河川から蓮花湖へと水鬼を追いやり、仕掛けにて討伐するという、実に大掛かりなものであった。姚宗主が蓮花鳩より帰還した翌々日のことである。
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    2006