絶望と執着の結末◇◇◇前編 絶望◇◇◇
僕はレインくんと番になって以来、毎日が幸せ幸せでしょうがない。
大好きな人と番になる喜びがこんなにも凄いなんて知らなかった。
朝目が覚めて夜眠るまで意識がある間、ずっとレインくんとの繋がりを感じる。
毎日幸せでいっぱいだ。
世の中にはこんな統計があるらしい。
一生のうちで何らかの接点ができる人は三万人、学校や仕事で出会う人が三千人、仲良くなれる人が三百人、友達になれるのが三十人、親友になれるのが三人。
えーっと、親友になる確率が……。僕に計算は無理、でも低いのは確か。
僕には親友が四人も居るから統計よりちょっと多い。
この世界にはバース性という、もう一つの性別がある。
最初に男性と女性の性別に別れて、そこから更にアルファ、ベータ、オメガに別れる。
アルファに優秀な人が多くて、ベータは普通の人が多くて、オメガは癖が強い人が多い。
細々条件があるけどアルファはオメガがヒートっていう発情期の時セックスすれば男女関係無く子供を作る事ができるし、首を噛むと番ってい特別な繋がりを結ぶ事ができる。
だからバース性の違いで階級があったり、差別したりする人もいるけど、最終的には本人の人間性と筋肉の強さが全てだと僕は思う。
普通の番はお互いに望んで結ぶ物だけど、運命の番っていう特殊な繋がりもある。
なんでも生まれる間から結ばれることが決まってる運命的な存在らしい。
運命の番と出会うことはめったにないから、出会うと世界が変わるとか、二人が手を繋ぐだけで光るとか、色々言われてて僕にはよく解らない。
そして運命の番に出会う確率は親友ができる確率よりずっと低い。
全人口の二割がアルファで、一割がオメガ、七割がベータでそこから出会う確率は……。
やっぱり僕に計算は無理だ。
運命の番に出会っても同じ世代なんて事は奇跡に近い。
昔の古い写真から自分の番を見つけたなんて話も聞いたことがあるくらいだ。
一生のうちに出会える可能性がほぼないって事は分かる。
僕がオメガでレインくんがアルファ。
イーストン魔法学校在学中から付き合っていた僕とレインくんは、僕が卒業して二人共働き始めて、一人前の社会人になって自立したのを期に番になった。
僕とレインくんは付き合う前から色々あった。
僕の自身を好きなのかオメガとして欲してるのか判らなくて、それはレインくんも同じで好き同士なのにすれ違ってた。
二人で悩んで、言い合いしたり、みんなを巻き込んで喧嘩して、それで解りあえて僕たちは恋人になった。
恋人になって番になるまでにも色々あった。
お互いの言い分がぶつかってもう付き合いきれないとか、思ってるほどレインくんは僕を好きじゃないとか、オメガだったら誰でもいいと思ってるとかで喧嘩したりした。
お互いに大好きで一番大切って思ってるのに上手く言えなくてすれ違った。
どんなに喧嘩しても、やっぱり僕はレインくん大好きで、レインくんも僕を好きで居てくれた。
だから僕はレインくんとずっと一緒に居たいと思った。
レインくんと番になって幸せで世界の全てがキラキラして見えて満たされたけど、光ったりしなかったら運命の番ではない。
僕のはレインくんの運命の番じゃないけど、お互いに色んな事を乗り越えて、愛し合っているから不安などなかった。
ずっとこのままレインくんと幸せに暮らしていくって信じていた。
その幸せは突然で偶然に崩れ去った。
レインくんが運命の番に出会ってしまったからだ。
二人の仕事が休みの日、買い出しに出て街を歩いている時だった。
僕たちが手を繋いでマーチェット通りを歩いていたら反対側から歩いて来た家族連れ、両親に連れられた少女。
少女とレインくんの目があった瞬間時が停まったようにピタっと立ち止まると、二人は見つめ合った。
二人はお互いを認識して一瞬で運命の番と認識していたようだった。
本来なら僕には判らない事だけど、僕はレインくんの番だから二人の関係を感じとれた。
出会った瞬間二人は強く惹かれ合っていた。
彼女を見た瞬間、レインくんが呟いた言葉。
「俺のオメガ……」
その言葉は僕の脳裏に焼き付いた。
少女はサラサラした艷やかなブラウンの髪、青い瞳の大きな目を縁取る長いまつげ、白い肌に淡いピンクの唇、お人形のように美しい容姿で幼いのにキレイという言葉が似合う少女だった。
彼女が人目を引くのは見た目の美しさだけじゃなかった。
バース性の垣根すら超えて感じる、圧倒的上位のオメガとしての存在感だった。
オメガの人間は防衛本のから比較的身を隠す傾向にある。
でも彼女は違う。
隠すことの出来ない圧倒的魅力に惹きつけられる。
彼女がオメガだと認識しただけで、圧倒的な庇護欲を感じ尽くしたい気持ちが無意識に湧いてくる。
同じオメガの僕ですら彼女は守るものだと思ってしまう。
僕とはオメガとしての格が全然違う、同じだからこそ判る、彼女はオメガとして最上位の存在だと。
幼い彼女は運命の番に出会った事に驚いたのか持っていたぬいぐるみをぽとりと落とした。
それを見てレインくんは僕の手を離すと彼女の側に駆け寄った。
この手を離さないでと強く思ったけど言葉になんて出来なかった。
彼女の下に膝を着いたレインくんはぬいぐるみを拾い上げ手渡した。
本能に導かれ、運命の番であるオメガの前に傅くアルファ。
その光景は驚くほどに美しく、理想的な姿だった。
「ありがとう。……あなた名前は?」
「レイン……レイン・エイムズだ」
「そう、レインというのね」
出会ったばかりなのに彼女は名前を呼び捨てにした。
レインくんは普段なら不躾な言葉や態度に嫌悪感を表すのに、全くそれを出さず、むしろ嬉しそうに微笑んだ。
なんで?なんで会って間もないに呼び捨て呼んでるの?
僕だってそんな呼び方した事ないのに。
出会ってから間もないのにレインくんは彼女の全てを許していた。
彼女を見つめる目線は優しく愛に満ちている。
目の前の光景に寒気が止まらない。
まるで冷水を被ったようだ。
彼女と彼女の両親とレインくんが何か会話をしているけど、僕の頭の中は真っ白で何を会話を聞き取ることは出来なかった。
レインくんはなんで彼女の側に行ったんだろう。
運命の番である彼女を求めているから?
僕はこのまま置いて行かれるんだろうか?
ただ会話をしているだけなのに不安と嫉妬が止まらない。
今まで上手くいってて幸せだったのに、突然現れた彼女に邪魔されないといけないんだろう。
しばらくして話が終わったのか、レインくんは僕の側に戻ってきてくれた。
軽く別れの挨拶をすると彼女の両親は何事もなかったように去っていった。
あのくらいの歳だとフェロモンの出し方もヒートも知らないはずなのに、オメガとして最上位だから、運命の番だからかは解らないが、戻ってきたレインくんには彼女のフェロモンが薄っすらと纏わりついていた。
自分の番から他のオメガのフェロモンを感じる事ほど不快な事はない。
「……レインくんの運命の番でしたね」
「わかるのか?」
「はい……。僕はレインくんの番なんで……」
「そうだな。だがお前が気にする必要はない。彼女は俺の運命の番だが歳が離れすぎている。
あれほどのオメガだ、相応の時に俺以上のアルファが現れ番になるだろう」
僕の手を再び握り優しく微笑みかけてくれた。
凄く嬉しいけど、他のオメガのフェロモンが纏わりついている事に気づいているんだろうか?
彼女の事を話す時に優しい表情になっている事に気づいているんだろうか?
理性では僕の事を大切だと思っても、本能で彼女を求めている事に気がついているんだろうか?
「マッシュ、俺にはお前だけだ。それにあの家族は旅行で首都に来ているらしいから、もう会うこともないだろう」
レインくんは僕の手を引いて歩き始めた。
二人で買い物をして家に戻る道すがら僕はずっと考えていた。
レインくんはいずれ僕から離れて運命の番の元へ行くのだろうか?
さっきの言葉を信じたいと強く思ってもオメガ本能が違うと言う。
運命の番と結ばれる事が自然の摂理で正しい姿だから、逆らってはダメだ。
家に戻って、いつもと変わらない生活をしていても、僕の不安は消えない。
時間が経てば経つほど強くなっていく。
強くなる不安はどす黒い闇に変わって僕の心を満たいていく。
僕の事を想って欲しい。
ずっと一緒にいたい。
番を解消したくない。
二度と彼女の事を想う事がないように、彼女を思う気持ちにトドメを刺したい。
僕の心は自分自身で育てた闇に飲み込まれていった。
レインくんを失いたく気持ちが強すぎて、使ってはいけない薬に手を出してしまった。
通称ワクチン。
詳しい原理と効果とかは難しくてよく解らなかったけど、この薬はオメガのフェロモンの効果を増幅する効果がある。
アルファを微弱なラット状態にすることで、運命の番と共いるのに近い効果が得られるらしい。
ワクチンはオメガにとっては救済で、アルファにとっては本能を陥れる悪魔の薬。
使ってはいけない薬だ。
だけど僕は自身の心の闇に耐えられなくて、色々なツテを使ってワクチンを手に入れてしまった。
あの日から不安で夜眠ることができない。
今日も一緒に入ったベッドから抜け出してベランダで夜空を見上げている。
ワクチンを手に入れたけど、本当に使うか迷ってる。
手のひらには4つの小さなアンプル。
アンプルは注入用の針と一体になっていてオメガのフェロモンを染み込ませてアルファに打ち込むと効果を発揮するらしい。
直ぐに使用できるよう僕のフェロモンは既に染み込ませてある。
ベランダから寝室を振り返るとレインくんがぐっすりと眠っている。
レインくんは僕とは逆で調子いい。
体調が良いのも、よく眠れているのも、薄っすらとこびりついてる彼女のフェロモンのお陰だろう。
何日も経つのに彼女のフェロモンはまだ残っている。
もう嫌悪感に耐えれそうにない。
僕を意を決した。
寝室に入ると眠っているレインくんの首筋にワクチンを打ち込んだ。
「ん……」
少し反応があったが目が覚める事はなかった。
残ったアンプルをローブに隠してから僕はベッドに潜り込んでギュッとレインくんに抱きついて眠った。
翌朝、起きたときには彼女のフェロモン全て消え去っていた。
変わりに僕のフェロモンがレインくんを包みこんでいた。
やっといつものレインくんが戻ってきた。
僕はホッとした。
彼女と出会う前の暮らしに戻れた事に安心した。
旅行で首都を訪れるていたなら、もう会うことはないだろう。
これで大丈夫なはずだけど、不安は消えない。
僕が手に入れたワクチンのアンプルは全部で四本。
一本はもう使ったから、残りは三本。
効果と持続時間は個人差があるらしい。
不安を紛らわすためにお守りのように残りのアンプルを持ち歩いた。
心配事と不安の96%は怒らないって統計があるけど、僕の不安は現実となった。
僕とレインくんが一緒に買い物に出かけた時、彼女に再び会ってしまった。
これは偶然なんだろうか?
それとも運命の力なんだろうか?
彼女はレインくんを見つけるなり駆け寄り飛びついた。
受け止めるために僕と繋いでいた手はあっさりと離された。
地面に落とす訳にはいかないけど、凄く悲しい気持ちになった。
僕とレインくんの繋いだ手が千切れても離れなくなればいいのに。
「おい、急にどうした?」
「レイン大丈夫?変な事されてるわ」
「変な事?」
彼女の言葉にドキッとして、心臓が音がドクドクと耳に聞こえた。
僕がレインくんにワクチンを使った事が判るのだろうか?
いや、判るわけはない。
僕たちは番だから、レインくんが僕のフェロモンを纏っていても不思議じゃない。
「大丈夫、私なら助けれるわ」
「さっきから何を言って……るん……だ?」
彼女がレインくんの頬に触れると、フェロモンがふわりっと香り、僕の使ったワクチンの効果が無効化された。
フェロモンの効果が切り替わった反動でフラついて膝を着いたレインくんを彼女が支えた。
「……どうして」
呆然とする僕を彼女は真っ直ぐに見つめた。
「わかるよ、自分の番に変なフェロモンを付けられているんだもの。貴方の事知ってるわ、マッシュ・バーンデット。貴方は魔法が使えないのに世界を救った。誰よりも強い筋肉、肉体で最強の存在だけど、オメガとしては最下位ね」
彼女はレインくんにピッタリと寄り添いながら言葉を続けた。
「貴方と私じゃレベルが違うの。ヒートの来ていない私以下の存在だもの。レインのような最上位のアルファに見合うと思っているの?私とレインが出会った時点で身を引くべきだったのよ」
「そのなの、できるわけ無いだろう!僕とレインくんはずっと一緒で、色んな事を乗り越えてきたんだ。それを運命の番と出会ったからって、無しになんてできるわけ無いだろう!」
「レインの運命の番は私です。こんな酷い薬を使っておいてレインの事を大切に思っていないのですか?」
「思ってるよ!僕はレインくんの事が大好きだし愛してる!」
「だったらなぜ悪魔の薬を使ったのですか?マッシュ・バーンデットなぜ事実を受け入れないのですか?レインの運命の番は私です」
彼女はレインくん向き合うと、また頬に優しく触れた。
「レインも感じるでしょう?私達は互いに惹かれ合い、結ばれる運命なのです」
「……マッシュ……お前が、俺に薬を使ったのか……?」
レインくんは怒りが高まると怒鳴るのではなく、驚くほど冷静になり静かに強い言葉で話す。
普段より低く、はっきりと聞こえる言葉に背筋が凍った。
何度かこの声を聞いた事はあったが、自分に向けられたのは初めてだった。
反動が苦しいのかフラつきながら立ち上がると、彼女から離れ僕に近づいたレインくんはガッと僕の首筋を掴んだ。
「がぁ……ぁ」
僕は力が入らなくなり、がんくんと膝を着いた。
辛い、これは……。
地面に膝をついた拍子にローブからこぼれ落ちたワクチンのアンプルがコロコロと転がった。
僕は慌てて手を伸ばしたが、アンプルは少女の足元に転がっていった。
アンプルを拾い上げた少女は僕を憐れむように見つめた。
「なんで……レインくん、なんで?」
僕を見下ろすレインくんの目はどこまでも冷たかった。