聡狂【夏祭り】「関東ってどこも人多い……」
「まぁ、確かになァ。 何食べる? 好きなもん食べ」
祭りにいこーと唐突に現れた狂児が渋る聡実を連れ出したのは、アパートから少し歩いた先にある小さな神社の境内で行われている夏祭りだった。浴衣姿のこどもが走りまわり、小さいながらも櫓が組まれてその上では太鼓を叩く男たち。
祭り会場を満たす夕暮れから夜へと差し掛かるその空気は夏特有のもので、昼間はうだるほどに暑いものが少しは和らいだようにも感じる。とはいえ、湿気と気温は相変わらずで狂児の言葉を聞いた聡実は遠慮なくかき氷の屋台に足を向けた。
「あ、かき氷、俺も食べよ。 味は?」
「なんか好きにかけられるんやって。 あ、僕は大でお願いします」
氷の入ったカップを受けとり、店の前に並べられたシロップを好きなだけかける。聡実が真っ青に氷を染めたそれを見て、狂児は赤いシロップを控えめに氷に纏わせた。
「あっついな〜」
「ほんまや。 夜になっても全然涼しくないんおかしいやろ」
「このまんまやと冬になったら平均気温40度とかになってまうわ」
「ベタ過ぎておもろないです」
あっという間に溶けていく氷をなるべく多く口に入れようと、聡実はカップに意識を集中させている。人の流れからさり気なく聡実を道の端へと誘い、さてとかき氷に視線をやった男は小さくため息をついた。
「溶けてしもた……」
「さっさと食べんから」
「あ、聡実くんベロが青い〜」
「なんか青いのって夏らしくて良いですよね」
僅かに氷を残した色水になってしまったカップの中身を煽り、ジャリジャリと氷の粒を噛み砕いて狂児は自分の舌も見せる。
「俺、アカ」
「普段と変わらん」
キレイに空になった容器をまとめて近場のゴミ箱に捨て、聡実は次なる屋台に狙いを定めた。いつの間にか完全に日は暮れ、ただでさえ多かった人はさらに数を増やしてまっすぐ歩くのも中々難しくなってきた。目の前の焼鳥屋にあと少し、というところで急に狂児が何かを叫んだ気がして聡実は隣を向く。
「……狂児?」
どこにいても存在感のある男は、忽然と姿を消していた。人混みの中ひとり、聡実は立ち尽くす。
「最悪や、財布持ってきてへんのに」
脂の焼ける匂いに音。タレをたっぷり絡めた焼き鳥に後ろ髪を引かれつつ、あの男を探さない事には聡実の胃袋が満たされない。この人の多さだが、頭一つ分デカイあの姿はすぐに見つけられるだろうとしばらく境内を歩き回る。しかし、いくら探しても、どこにも狂児の姿を見つけられない。
「あ、スマホ」
焦りからすっかり忘れていた端末をポケットから取り出して通話を試みるがすぐにブツッと切れてしまった。何度かそれを繰り返して、仕方ないとトークに【今、鳥居のそばにいます】とだけ打ち込み額の汗を拭う。
せっかくかき氷で冷えた身体はまたじんわりと汗をかき始めていて、さっさと屋台で食いだおれてからアパートに帰りたいのにと聡実が少し苛立ちを覚えたところ、急に誰かに腕を掴まれた。
「っ、なっ、!?」
「見つけたァ。 どこ行っとったん」
ひんやりとしたその手を思わず振り払い、見上げた先には狂児が笑って立っていた。会えてほっとした聡実は、しかし男が被っているものを見て眉間にシワを寄せる。
「なんですかそれ」
「んー? ええやろ、似合う?」
「はぁ。 子供が被ってたんは見たけど」
プラスチックのお面。ヒーロー物の誰かを模したもので、子供はともかく良い年をした狂児が被るようなものではない。顔の半分を隠したそれが、ワイシャツ姿の狂児とあまりにもちぐはぐで、しかしこの男が少しズレているのは常のことか。
「ちょっとこっちおいで」
「え? あ、ちょ、狂児!?」
気を取り直して再度挑むかと屋台に向かい歩き出した聡実の手首を強引に掴み、狂児は急に別方向に向かって歩き出した。
「そっち、屋台ないやん」
「ええからええから」
人の流れに逆らうように、狂児は振り向きもせず、ずんずんと明かりの少ない方へ歩いていく。いつしか辺りは竹林だけになり、祭囃子も人の声も、何も聞こえなくなっていた。
「きょ、狂児! ええかげん離して!」
二人きりになり、急に心細くなって叫んだ聡実の腕をやっと男が離す。向かい合った二人の周りをひんやりとした風が吹き抜けて、思わず自分の両腕を抱き聡実は身震いした。
「ここ、どこ」
「んー……エエとこ連れて行こうと思ったけど、なんやキミのオトコは一生懸命で、めんどくさいなぁ」
「は」
「その声、欲しかった」
要領を得ない言葉とともにお面が被せられる。それをむしり取って聡実が男に掴みかかろうとした途端、ひときわ大きく風が吹き、竹林が激しく震えた。聡実の目の前が真っ暗に塗りつぶされる。
「またいくわ」
狂児によく似た、しかし聞いたことない声が聡実の頭の中に響いた。
「……みくんっ」
「、え、……狂、児?」
熱い大きな手が後ろから聡実の肩を掴んできた。ぜえぜえと上がった息の合間に、勘弁してぇなぁと聞こえる。振り向いた先に汗だくの男の顔があって、聡実は思わず手を伸ばしその頬を摘む。
「熱い」
「そらぁ、もう狂児さんめっちゃ走り回ったんやからな〜、頼むから急にどっか行かんといて」
「どっか行ったんは狂児やろ。 僕は連絡入れといた」
「エエー……やって、鳥居のとこおらへんし。 それにここ階段よ?」
言われてあたりを見渡せば、たしかにそこは石が積まれ作られた階段の途中だった。見下ろした先には先程の鳥居が見えて、しかし聡実はここまで歩いて上がった記憶がない。ふいに先程の白昼夢が蘇り、思わず聡実は狂児の手を掴んだ。
「アレぇ、どないしたんですか」
「狂児がはぐれたら困るから」
「ほーん……まぁ、そういうことにしとこか」
汗だくになって、いつもはしっかり整えられている髪の毛が乱れるのも構わずに聡実のことを探していた。その狂児を、アレは一生懸命だ、と言った。一生懸命でめんどうくさいらしい。別に聡実の男ではないのに。
「初めて手ェ繋いでくれた」
「はぐれたら困るからな」
「はいはい」
暗がりの中こっそり繋いだ手のひらはしっかりと体温を伝え合う。それは祭りが終わっても離されることはなく、どちらも離そうともしなかった。