罵ってください赤鋒尊!! 聶明玦は困惑していた。
「何故!? 何故ですか大哥!!」
目の前のキャップを被った青年は驚愕に満ちた声色で必死の面持ちを見せながら聶明玦に問いただす。青年とはつい先ほど、多くの人が行き交う街中で遭遇した。一目見て、青年が誰なのかはすぐにわかった。
聶明玦の前世は筆舌に尽くし難いほど壮絶なものであった。そして、聶明玦の人生に大きく関与し彼を死に至らしめたのがこの青年――金光瑤である。
聶明玦も金光瑤も前世の記憶を持ったまま現代に生まれ落ちた。そんな因縁のある二人がこの広い世界の中で再び出会うというのはやはり何かの因果が働いているのだろうか。
しかし、そんな因果に驚くよりも金光瑤の言動の方に驚いた。聶明玦の記憶の中にいる彼は常に落ち着いており、何事が起きても取り乱すこともなく平静を装い対処する。そんな人物だった。
だが目の前にいる金光瑤は顔を合わせてからかつての人物像とは遠く離れた言動ばかりを聶明玦にぶつけている。
金光瑤の様子が怪しくなった事の発端は聶明玦のとても些細な一言からだった。
「今生では健やかに、平穏に暮らしているのか?」
「え……?」
「ああ、そうだ。せっかくだからコーヒーでも飲みながら話をしよう」
「え? えっ?」
聶明玦は何気ない言葉をかけただけだった。しかし金光瑤はその言葉ひとつ一つに戸惑い、混乱し、そして──。
「何故!? 何故ですか大哥!!」
このように、街のど真ん中で叫び声を上げた。
金光瑤は聶明玦の両肩を勢いよく掴みその大きな体を揺さぶる。
「私が憎くはないのですか!? 前世で私が貴方にした数々をお忘れなのですか!?」
「いや、覚えているが……」
「では何故そのように優しいお言葉を私に投げかけるのですか! 私は……私は……」
金光瑤の声が震える。聶明玦は彼が罰を欲しているのかと考えた。しかし、聶明玦には彼に対し憎しみも恨みも抱いてはいないのだ。前世は前世、今生は今生、と割り切って生きていくことにしたからだ。
「光瑤、俺は──」
「貴方に罵って欲しかったのに! 聞くに耐えない罵詈雑言を吐きかけられたかった! 憎しみの籠った目で見下されたかった! 私はずっとずっと、それを生きる希望にしていたのに!」
「…………は?」
耳を疑った。彼は今なんと言った?
「ま、待て、お前は一体なにを言っているんだ?」
「? なにってありのままの気持ちですが。あ、どちらかといえば願望に近いかもしれません。というか願望です」
ニッコリと金光瑤は笑う。再会して初めて見る笑顔がこんなにも不気味だとは思わなかった。
ますます訳がわからなくなり、頭痛さえしてきた聶明玦は目頭を押さえる。
「あの、大哥。本当に私を憎んでいないのですか?」
「いない。これっぽっちも」
「おかしい……私の予想では『貴様が逃げようとしても地の果てまで追いかけ嬲り殺しにし最後は晒し首にしてやる』と言われるはずだったのですが……」
「お前は俺を犯罪者に仕立て上げたいのか? そんなのは御免だ。俺は新しい生の道を穏やかに過ごしたいんだが」
「私は貴方にこれ以上にない憎しみをぶつけられながら罵って欲しいのですが!?」
「お前は情緒が不安定なのか!?」
「不安定どころかもうぐちゃぐちゃですよ! 私たち前世では最期同じ棺に入った仲じゃないですか!」
「やめろ! 変なことを言うな!」
二人の周囲がざわつきはじめる。気付けば周りには人だかりが出来ており、物騒な言葉を並べて言い争う二人には奇異な目が向けられていた。
聶明玦がこの状況を何とかせねばと思考していると、突然ピピーッ!と甲高いホイッスルの音が鳴り響いた。
「はい、すみません通してくださいー。お巡りさんですよー通してくださいー」
人だかりを掻き分けて姿を表したのは一人の警察官だった。
「懐桑……」
「え? 大哥?」
警察官は聶明玦の弟──聶懐桑であった。交番勤務の弟を見て聶明玦はやっと場が収まると胸を撫で下ろす。
「男二人が大声で言い争ってるって通報がきたんだけど……大哥なにをしたの?」
「いや、俺はなにもしていない。全ての原因はこいつだ」
「こいつ……って瑤兄上!?」
聶明玦の両肩を掴んだままの金光瑤を見て聶懐桑は驚きの声を上げたあと気まずそうな表情を浮かべた。
「あー……エンカウントしちゃったかぁ……」
「お前は光瑤の存在を知っていたのか? 何故教えなかった」
「え、大哥それ本気で言ってる? 瑤兄上の顔なんて街のあちこちで見かけるじゃない」
「?」
「ほら、あそこにある看板の広告。あれ、瑤兄上だよ。モデルやってるから」
「モデル!?」
今度は聶明玦が驚く番となった。だからキャップを深く被っていたのか。しかしあの金光瑤がモデルとは……生まれ変わると何が起きるかわからないものだと実感した。
聶懐桑は金光瑤の両手を引き剥がす。そのときの彼の目付きは鋭いものだった。
「瑤兄上も人気モデルなんだからさ、こんな往来で目立つようなことはやめたら? そもそもなんでこんなことになったのさ」
場合によっては──と聶懐桑は手錠をチラつかせる。銀色の輪がキラリと光った。
「懐桑それを仕舞いなさい。俺もこんな騒ぎになるとは思わなかったんだが、実は──」
聶明玦はこれまでの経緯を説明する。話を進めていくうちに聶懐桑の顔色がどんどん青くなり、信じられないといった様子で顔を引き攣らせた。
「や、瑤兄上……?」
「なんだい、懐桑」
「病院行った方がいいと思う。あとめちゃくちゃこわいから大哥に近付かないでもらえると嬉しいな!」
「懐桑! なにを言うのですか! 私はただ純粋に大哥に罵って欲しいだけなのです! 貴方だってわかるでしょう? 私が前世でなにをしたか……」
「知ってるよ! だからこそ近付かないで欲しいんじゃないか! どうしてそんな拗らせ方しちゃったの!?」
「物心ついた時にはこうでしたので私にもわかりません!」
次は金光瑤と聶懐桑の言い争いになってしまい、聶明玦は頭を抱えた。周囲からはまだ奇異な目で見られているし、ひそひそとした話し声も耳に入る。その中には金光瑤の名前を上げる者もいた。
──地獄だ。
すっかり精神が疲弊し切っていた聶明玦はぼんやりと空を見上げる。
──猫。ネコちゃんが吸いたい……。
行き着いた先は現実逃避。しかし現実はどこまでも容赦なく聶明玦に金光瑤をぶつけてくる。
「大哥! 大哥は本当に私に復讐したくはないのですか!?」
「はぁ、くどい。前世のことはもう割り切っているんだ。お前に憎しみも恨みも抱いてはいないし、復讐もせん」
「今から心変わりとか……しません? 今ならなんと私を罵り放題、嬲り放題ですよ!」
「お巡りさん助けて!!」
苦虫を噛み潰したような顔で必死にお巡りさんこと聶懐桑に助けを求め、彼はサッと二人の間に割り込んだ。
「お巡りさんですよ〜。それじゃあそこのお兄さん、ちょっとあそこの交番まで一緒に来てもらえます?」
「えっ、懐桑に助けを求める大哥とか解釈違いなんですが。やめてください」
「はーい、手錠かけますね〜」
「どうせなら大哥にかけて欲しかった……そのまま引きずり回して欲しかった……」
「それ以上なにか変なことを言ったら本気で刑務所送りにするよ。じゃ、大哥またあとでね!」
「あ、ああ。ご苦労」
「またあとでね!」
「お前はついてくるな! 絶対に!」
お騒がせしましたー!もう大丈夫ですよ!と周囲の人々に声をかけながら聶懐桑は手錠のかかった金光瑤を引き連れて行く。
遠ざかる二人の後ろ姿を見送り、聶明玦は深く溜め息を吐いた。
「(疲れた……人生で一番疲れた……本当に人が変わった……いや、あれは本当に人か? 人ならざるモノなんじゃないか……?)」
前世の金光瑤とは全くの別人と言っても過言ではないと聶明玦は思った。まさか自分をあんなにも曲がった方向に思い続けながら今までを生きてきたとは……。
「(また同じ時代を生きられるのはいいが、あの調子ではな……)」
当面会うのは避けたいところだ、という聶明玦の願いは翌日には打ち破られ、金光瑤は週刊誌の一面を飾ることとなった。
──人気モデル金光瑤は実はマゾヒスト!?
屈強強面男性に罵倒を懇願! 警察沙汰に。