看病(怠い…)
意識が朦朧とする中、ディックはベッドに仰向けになっていた。
ピピッ、と布団の中で電子音が鳴る。ディックはごそごそと布団とパジャマを擦らせ脇に挟んでいた体温計を取り、腕を布団から出し表示されている数値を見た。
「38度4分…」
小さく呟いた一言は、今のディックの状態を明らかにするのに十分過ぎるほどだった。
身体は熱く、思うように動かすことすらままならない。当然こんな状態で仕事に行くことなど出来るはずもなく、少し前に職場に休む旨を電話で伝えておいた。繁忙期でなかったことは一応幸いと言っておこうか。
体温計を傍らに置いて軽く息を吐くと、ドアを開く音が聞こえてきた。
「ディックー」
小さくディックの名を呼ぶ声がする。顔を向けたかったが、その気力すらなく息を吐くことで精一杯だった。極力足音を控えてベッドに近付いてくる気配を感じ、ディックは此方を心配そうに見下ろす青年-トムを見た。
「体温、どのくらいだった?」
その言葉に、ディックは傍らに置いていた体温計をトムに差し出す。トムは体温計を受け取り、表示されている数値に目を見開いた。
「うーん、高いな…」
驚いてはいるものの、割と落ち着いている。この明らかな状態に予想はしていたのだろう。トムは屈んで持っていた洗面器の中から濡らしたタオルを絞ってディックの額を軽く当てるように汗を拭いていった。
目を閉じて熱い息を吐きながら冷たいタオルの心地良さに身を任せる。碌に働かない頭の中で、トムの手を煩わして申し訳ないという思いを抱えていた。
粗方拭き終わったのか、トムはタオルを洗面器の中に戻しまた絞り、ほんの僅かに呼吸が落ち着いたディックにこう訪ねた。
「今スープ作ってるんだけど、食べれそう?」
表情と同じ心配そうな声。本当は何かを食べる気力すら怪しいが、少しでも早く治さなければという気持ちとトムが作ったものを食べたいという気持ちが合わさり、ディックは目をトムの方に向け口を開いた。
「食べる…」
聞こえるか聞こえないかの小さな声だったが、しっかりと聞き取れたらしく、トムは微笑んで絞ったタオルをディックの額に乗せた。
「ん、じゃあ持ってくるな」
トムは洗面器を持って立ち上がり、ドアの方へと歩いていく。ドアを閉めようとする前にディックをほんの数秒ほど見つめ、静かにドアが閉じた。
額の上に置かれた濡れタオルが気持ちいい。だが僅かな間とはいえ、トムのいない空間はとても寂しく感じた。
物音も無くしんとなった寝室は、再びドアが開いたことによって途切れた。後ろ手でドアが閉じられ、トムは湯気が立っているスープカップと水が入ったガラス製のコップを乗せたトレーを両手に持って寝そべるディックのところへとそっと駆け寄った。
トムは傍らにある椅子に座りトレーをローチェストの上に置き、ディックに声を掛けた。
「大丈夫?」
ディックは身体の怠さと戦いながら、肘に力を入れて上半身を起こした。その様子を見て、トムはチェストの上に置いたカップを持ち、中に浸っている木製のスプーンでスープを掬い熱を冷ますために唇を突き出しふぅふぅと息を吐く。そして、冷ましたスープのスプーンをディックに向け差し出した。
ディックはゆっくりと口を開き、差し出されたスプーンに顔を近付けていく。仄かに立ち込めるコンソメの香りが鼻を擽り、スープが口の中へと注がれた。
(美味しい…)
スープを味わい、ごくりと喉に通す。飲みやすいようにと塩分を控え目にした味と温かさとその気遣いが、身体中に染み渡っていくようだった。もう一口飲もうと、また口を開く。その仕草にトムはほっと息を吐いて微笑み、スープを掬った。
カップの中が空っぽになり、トムはそのカップの中身を確認し、トレーの上に置きながら言った。
「全部飲めたな。えらいえらい」
何時にも増して柔らかな口調で褒められ、ディックは照れ臭いようなむず痒いような、そんな気持ちになった。その傍らで、トムは空っぽのカップの横にある水の入ったコップと粉薬の入った小さなビニールを手に取った。
「薬、飲めそう?」
それらを差し出しながら此方を伺うように訪ねるトム。ディックは両腕を布団から出しそっとトムの方へと伸ばし、まず粉薬を受け取った。ビニールを破り、口の中へと入れる。その後に水を受け取り、粉薬と一緒に飲み込んだ。薬の独特な苦味が僅かに舌に残り、その苦味を無くそうともう一口水を飲む。コップを下ろしほっと一息付くと、トムは飲みかけの水が入ったコップを受け取りトレーの上に戻した。
「じゃ、俺戻るから。ゆっくり安静にしとけな」
そう言ってトムはトレーを持ち立ち上がった。くるりと身体をドアの方へ向け足を進めようとしたその時。
くいっ
「ん?」
服を掴まれ後ろへと引っ張られる。何だと思い振り返ると、そこにはディックがトムの服の裾を掴んでいる姿があった。目を見開くと、ディックは熱い息を吐いてこう言った。
「もう、ちょっとだけ…」
言葉はそこで途切れたが、トムはディックが何を望んでいるかすぐに察することが出来た。普段は見ることのない仕草にトムは柔らかな笑みを浮かべ、身体の向きを戻して再び椅子に座りディックの手を優しく握った。
「大丈夫、俺はここにいるから」
労う言葉。手の温かさ。優しい微笑み。そのどれもがディックの心に安らぎを与えてくれる。トムがいるだけで、空間が心地良くなるのだ。
言葉の代わりに、ディックはトムの手を握り返した。