ナイトスカイカレイドスコープ 昔から自分の信念は曲げないので、親から頑固な子だと呆れられていたこともあった。
それから成長していって自分が思うこととは違うと思うが、状況や他の人間の考え方なのだと納得することができれば、自分の意見や思いを抑えることはできてきたと思う。
組織に所属することで自分だけの意見を押し通すことはできないことや、それでは組織や物事は進んでいかないことを自然と知り、学んでいったのだ。
また、小さい妹や弟ができてその二人を優先すると基本的に自分の思いを最優先にすることも少なくなってきた。
自分の中ではそんなに変わっていっていないと思うが、そうやって成長していき物事を知って、自分を抑えることができるようになっていくと、気付けば自然とわがままを言わない優等生と思われる自分が出来上がっていったようだ。
それはそれで別に構わない。
結局どう思われていても自分で引けないと思う部分では引かないし、親しい人は自分がそんな人間だと理解してくれているのを知っている。
でも今回の件は……そんな嵐山を、自分のわがままを主張していいものかどうかを悩ませる非常に珍しい件だった。
食堂で少し遅めの昼食をとっているときに、ボーダーから支給されている端末へ防衛任務のシフト確認の連絡が届いた。それを自分のスケジュールと照らし合わせながら確認していく。
七月。本部内にいるときはあまり季節の移り変わりを感じることはないのだが外へ出るともう初夏、というより夏だ。よく迅が高校を卒業して学校に行かなくなるとこのようにスケジュール確認などで日付を示されるのを見て、ああもうそんな時期かと思うことが多くなったと話していたのを思い出す。
七月といえば……七月に予定されているイベントや自分の予定を思い出してみる。
近いのは花火大会だ。三門市の花火大会はなかなかの規模なので、毎年盛況な行事でもある。
そして、下旬には……従姉妹の小南桐絵の誕生日だ。
この前誕生日プレゼントの話になったので、そしてなによりも大切な従姉妹なのでその誕生日を忘れるはずがない。と、同時にその翌日は自分の誕生日でもある。
「よ、嵐山。今頃昼飯なの?」
端末をぼんやりと眺めて思いを巡らせていた嵐山の後ろからの声に慌てて振り返ると、ズボンのポケットに手を突っ込んだままの迅がこちらに向かって来ていた。
「迅、こっちに来ていたのか?」
「うん、午後からの会議に出ろって呼び出されてさー。寝てたのに叩き起こされて呼び出されてさ……で、来てみたらその会議の前の会議が終わってないから待ってろとか言うしさー」
そう言いながら迅は嵐山の向かい側に座った。
明け方までお仕事してたのにさーと言いながらポケットから出した鍵についているキーホルダーを持ってクルクルと回す。
その鍵とキーホルダーは迅のセーフハウス的に借りている部屋の鍵だ。何度も見ているので嵐山も知っている。
きっと明け方まで任務……いや、暗躍の方かもしれない。とにかく明け方まで働き、そのまま玉狛には戻らずにセーフハウスの方に行って仮眠を取っていたのだろう。
「お疲れ様だな。でも無理はするなよ」
そう言いながら嵐山は自分の前にある定食のコロッケを半分に割り、その半分を迅に向かって差し出した。
「うん、ありがと」
差し出されたコロッケをパクりと一口で食べ、もぐもぐ咀嚼しつつ迅は嵐山に心配とコロッケのお裾分けのお礼を言う。
まだ口をつけていないお茶を、飲むか? と差し出すと迅も素直に受け取った。どうやらこのまま会議の時間まで嵐山の元で時間を潰すようだ。
そんな迅がお茶を飲んでいるのを見つつ、嵐山も止まっていた昼食を食べることを再開する。
しばらく会えていなかったので、お互いに近況報告をしつつ和やかに時間は過ぎていく。そんな中、珍しく迅はぼんち揚を出さなかった。急に呼ばれて持って来るのを忘れたのか、たまたまなのかはわからないがいつも出てくるぼんち揚は出てこない。その代わり、きっと無意識なのだろう……何度かクルクルと迅の手の中でセーフハウスの鍵が回されていた。
迅のスマホがメールを受信して震える。会議が終わったと呼び出しの連絡だろう。
じゃあ、行くかなーと言いながら迅は椅子から立ち上がる。嵐山も食べ終わった食器とトレイを持ち一緒に立ち上がった。迅は会議へ、自分は隊室へ同じタイミングで向かおうと思ったのだ。
「あ、そうだ」
「ん?」
「もうすぐ誕生日じゃん。なにがいいか考えておいてね。今度会ったときの議題はそれだからね」
手の中で回していた鍵を軽く投げてパシッと受け止めた後、迅は嵐山を指差してそう言った。
七月、嵐山の誕生日。
付き合い始めた頃に決めた、迅と嵐山の中で互いの誕生日プレゼントは互いに相談して一緒に決めようと言う約束。
今回も迅はきちんと覚えていてそれを実行してくれようとしている。もちろん、嵐山だって忘れてなんかいない。
そっと笑って頷く嵐山を見て、迅は「じゃお仕事頑張れよー」と言いながら会議室のあるフロアに向かって歩き出した。
迅の背中を見送りつつ、嵐山はまた思いを巡らせる。
忘れてなんかいない。ちゃんと覚えているし、ずっと考えていた。ただ、それを希望していいものかどうかが躊躇っている。
これを望むのは自分のわがままだ。
そのわがままを言っていいのか、それは言わないで違う物にするべきなのかで悩んでいる。
嵐山の恋人である迅悠一は自分のことに対して欲がないと思っている。
いつも自分以外の、みんなのための最善ばかりを考えていて、自分に対するこれが欲しい、これがいいという欲をほとんど出さない。ひどいときには自分には自分が望むものを手に入れる資格はないとか言い出す始末だ。
そんな迅が珍しく好きだ、欲しいと望む数少ないものの一つにぼんち揚がある。そしてそのぼんち揚のキャラクターであるぼんちネコだ。
……自分もその数少ない望むものに入っていると信じているが……明らかに迅が認め、周知されみんなから公認されているのはその二つだ。
迅の誕生日に、迅がもらってくれるのが誕生日プレゼントだからと言って渡された迅のセーフハウスの鍵。
何度も行ったことはあるが、合鍵をもらえるとは思っていなかったので……なによりもセーフハウスは迅の内側で、迅の許可なく誰も入れてもらえないであろう領域に……いつでも好きなタイミングで入ることが許されたということで、それがすごく嬉しかった。今でももらった合鍵を見るとあの胸の高鳴りを思い出す。
その合鍵をもらったときに自分の誕生日プレゼントを思いついた。
この鍵を入れるキーケースが欲しいな、と。迅とおそろいのキーケースが欲しい。
最初は我ながらいいアイディアだと思った。きっと迅も喜んでくれると思ったのだ。
でも、迅が今そのセーフハウスの鍵につけているキーホルダー……ぼんちネコのキーホルダーを見て、思いとどまった。
迅が自ら好きだと主張するぼんちネコ、それを外して自分の選んだものにしてくれと言うことは、明らかに自分のわがままだ。きっと、迅は優しいからいいよと笑ってくれると想像できるが、本当にいいのか? と思ったら、それはもういいアイディアだとは思えなくなってしまった。
それ以来……迅の誕生日に合鍵をもらって以来、嵐山は迅のセーフハウスの鍵を見るたびに、そして自分がもらった合鍵を見るたびに、どうしようかと思い悩むようになっている。
他にもっといいものが浮かぶか、いっそキーケースはどうだろうか? と迅に言ってしまえばいいのかもしれないが……残念ながら、現在までに他のいいものが浮かぶわけでも、迅に言うこともできずにいた。
***
今日は三門市の花火大会の日だ。もう少しで始まる時間になるが、まだ始まる前の警戒区域内はいつも通りの静寂な夜を迎えていた。
そんな警戒区域内を嵐山は換装体のまま走る。
おおよそここら辺だろうと思う場所へたどり着くと、足を止めて辺りを見渡す。ぐるりと見渡すと、斜め前の比較的高めなマンションの屋上に人影が見える。その人影に向かって、嵐山は再び走り出した。
「迅っ!」
「うおっ……嵐山? え、なんでいるの?」
「ははっ、視えてなかったんだな」
マンションの屋上の縁に座っていた迅の後ろから嵐山が声を掛けると、迅は意外にも驚いたような表情を見せた。未来視のサイドエフェクトをもつ迅がそんな反応を見せるのは珍しいことだ。
「だから、いつもなんでも視えてるわけじゃないって。……ってか嵐山のは、あえて視ないようにしてるの!」
おまえ、いつも確率の低い方ばっかり選ぶしさ……と言っている迅の横に嵐山は笑いながら歩み寄る。
まだそのサイドエフェクトを使いこなせていなかった頃は視える未来は全部視てしまい、多くの人の未来を見て辛かったが……ある程度このサイドエフェクトとも付き合いが長くなり使いこなせるようになってくると、視えていても視ないように、意識しないようにすることもできるようになってきたのだと以前、聞いたことがあった。テレビを見ているときに視界の片隅で誰かが動いているなとか、隣に座ったなというのと同じ感じらしい。動いている、そこに存在を感じてはいるが意識はテレビへ向かっているので気にならないのと同じように、視えていても意識していないから視えていないのと同じだと。でも、なにか重要なことがある場合は視落とししないようにしている。そう思うと、迅はもう慣れちゃったしこれが日常になってるんだから大したことないよと笑っているが……すごいことなのだと思う。
嵐山には想像することしかできないが、迅の負担やすごさを実感する。
「あ、始まったな」
ちょうど嵐山が迅の隣に立ったときに、花火の一発目が打ち上がった。
パッと開いた大きな花火と少し遅れてドオオン、と響く音。
少し遠いが視界が開けていて邪魔するものはなにもなく、よく見えた。
二発目、三発目と花火は次々に打ち上がり開き、音を響かせていく。
「すごいな……本当に良く見える」
いつも花火は妹弟の家族で一緒に見ていた。妹や弟と屋台を回って、花火を見にいくのだと高校時代に迅によく話していた。
迅は笑いながら聞いてくれていて、その日は任務は自分だから任せて大丈夫だよ楽しんでおいでと言ってくれたことや、迅が任務なのを気にしていた嵐山に自分は特等席で花火を見れるからと言っていたことを嵐山はきちんと覚えている。
今年の七月の防衛任務のスケジュールを確認したときに、嵐山のシフトが花火大会の日で花火大会が始まる前の夕方までだったことに気付いた。
いつもだったら防衛任務が終わった後に帰宅して妹弟たちと一緒に花火を見ようと思ったが、もう高校生になった妹弟たちは兄ではなくそれぞれの友達と過ごすらしい。
ボーダーはまだまだ隊員のメインが学生で、若い子が多い。花火大会などのイベントの日の任務はできるだけやりたくないと言うのが本音だろう。そんなことや、隊に入らずフリーで一人一部隊扱いの迅が自らそんなイベントの日に進んでシフトを入れるのはいつものことだ。
花火大会が始まる前に終わる自分の任務、きっと花火大会はシフトを入れるだろう迅……、あの話を聞いてからもう何年も経ってはいるが、自分も迅の言う特等席に行ってみようと思ったのだ。
「あんな何年も前の話覚えてたんだ」
「覚えてるさ。花火の見える場所を警戒区域内で絞り込んでみたが……ここかどうかはちょっとした賭けだったけど、見つかってよかったよ」
「いや、そこは愛の力で探したとか言ってみてよ」
「この広い警戒区域内をあらゆる条件で絞り込んでいった俺の努力は愛だと思うが?」
「……ああ、ウン、ソウデスネ」
「ははっ、自分で言いだして照れるのはどうなんだ」
「うるさいよ」
「……綺麗だな。近くで見るのも迫力あっていいけど、離れて見ると全体がよく見える」
「これもまた一興でしょ」
そう言って、それ以降二人は言葉を交わさずにしばし花火を見入っていた。
偶然なのか、まさか空気を読んだのか花火大会の間は門は開いていないし、開く未来も視えていないようだ。
ずっと隣で立ったまま花火を見入っている嵐山のズボンをクイっと軽く引っ張り、迅は隣に座れとうながす。そんな迅に素直に従い、嵐山は隣に座った。
「ねえ、嵐山……欲しいものあるんでしょ?」
「え……」
迅の言葉に驚いたように嵐山は隣を見るが、迅は花火を見たままで嵐山を見ようとはしていない。
「遠慮しないで言ってみなよ。せっかくの誕生日プレゼントなんだしさ」
「……でも」
迅がそんなことを言ってくるとは予想もしていなかった驚きと、まだこのわがままを言っていいものかどうかの躊躇いで踏ん切りがついていないこともあり、嵐山は言葉を濁す。
いつも決断のスピードが早い嵐山がこうやって言葉を濁しためらう姿は珍しい。滅多ない姿に迅はそっと目を細めた。
「しょうがないなー……これでしょ?」
自分のズボンのポケットから出したぼんちネコのキーホルダーがついた鍵を嵐山に見せながら迅は優しく笑う。揺れる鍵と迅の笑った顔に嵐山は息を飲んだ。
自分はなにも言っていない。鍵のことも誕生日プレゼントのこともまだなにも言っていないのに、迅は嵐山の前に鍵を見せてきたのだ。
サイドエフェクトで視たのだろうか? と言うことは、未来の自分はこのわがままを伝えることを選んだのだろうか? それで迅は良かったのだろうか? 迅は優しいから自分に合わせてその未来を選んでくれているのではないだろうか? と不安や疑問が次から次へと浮かんでくる。嵐山のその様子に迅は鍵を振りながら笑った。
「あはは、違う違う。視てないよ」
「じゃあなんで……」
「わかるよ。だっておまえさ、鍵出すたびにずっと見てんだもん。この前の食堂でもずっと鍵見てるしさ。だから鍵のことかなって思ったんだよ」
「え……ええー……」
自覚はなかった。まったくもってそんなに鍵を見ていたなんて自覚はなかったので、そう言われてしまうと恥ずかしい。
嘘をつくのが下手だといろいろな人から言われているが、まさかそこまでバレバレだとは想像もしていなかったのだ。
「あ、もしかして鍵じゃなくて……まさかぼんちネコちゃんの方だった?」
「いや……鍵で合っている」
ここまできたら、今更隠そうとしても無駄だろう。ただでさえ嘘をつくのは不得意な上に相手は迅だ。誤魔化し切れるわけがない。
「じゃあさ、遠慮なく言ってごらんよ、嵐山」
組んだ足に頬杖をついて自分を見上げる、優しく笑っている迅を見て嵐山は心を決めた。
わがままでもいいんだよ、言ってごらん。
そう迅の瞳が言っているようで背中を押された気がした。
自分のズボンのポケットに入っている合鍵を、そっとズボンの上から触れる。鍵の硬い感覚を確認して、嵐山は口を開く。
「迅と……おそろいのキーケースが欲しいと思ったんだ」
「うん。……そっか」
「あの部屋の合鍵をもらって……同じ鍵を入れるおそろいのキーケースが欲しいと思ったんだよ」
「……そっかあ」
ふふ、と嬉しそうに迅は笑って嵐山に腕を伸ばした。
ゆっくりと隣に座る嵐山を迅はぎゅっと抱き締める。
迅に抱き締められて最初は目を丸くしていた嵐山だったが、すぐに同じように迅の背中に腕を回して抱き締め返す。
お互いに換装体ではあるが、その温もりや感覚を逃すまいとぎゅうっと抱き締める腕に力を込めた。
「どんなのがいい? キーケース」
「迅と一緒ならどんなのでも嬉しい」
「あははっ、じゃあぼんちネコちゃんにする?」
「………………それでもいい」
「すっごい不満そう! わかってるよ。なんかかっこいい感じのにしよっか」
「……あとで送る」
「あ、もうすでに目処ついてる感じ?」
もうすでに買うとしたらといくつかのサイトをブックマークしているのだが、なんだか気恥ずかしくなってきたので、嵐山は迅の肩に顔を埋めて更に抱きついた。
そんな嵐山に迅はまた楽しそうに笑う。
「あ……嵐山、嵐山」
ふと気付いたように、迅が嵐山の背中をポンポンと軽く叩いた。
嵐山が顔をあげると、迅はそのまま嵐山の横を指差す。花火の方向だ。すっかり迅に抱きつくことに夢中で、花火を見ていたはずなのに花火どころではなくなってしまっていた。
「もうすぐラストだよ」
「あ……じゃあ」
「そ、スターマインだ」
花火の最後を飾るスターマインが打ち上がり始めた。今までとは比べ物にならない連続発射され、次々と打ち上がる花火たち。そして広がる花火の花。
今までだって妹弟たちと一緒に見ていたはずなのに、まるで違うもののように見える花火に嵐山は息を飲んでそれらを見つめていた。
そんな嵐山の左手を迅の右手がぎゅっと握る。お互いに視線は打ち上がる花火に向けたまま、その互いの手の、指をそれぞれ絡ませ合った。
「今年のおまえの誕生日にさ、新しいキーケースに入ったおまえの鍵であの部屋を開けてよ」
今年の誕生日の夜に、嵐山がもらってからまだ一度も使っていなかった自分の合鍵を初めて使った。