憧憬はどんな色をしていたか 近頃ではずいぶん平和になったせいか、噂話の類も一時と違って平和で可愛らしいものばかりになった。その中のひとつが博多の街中でまことしやかに囁かれるようになり、噂話やゴシップにさほど興味のないツクヨミの耳にまで届いてくることとなった。
「ホークスの羽根の色が変わるってほんと?」
しつこいナンパから助け出した女子高校生に尋ねられて、ツクヨミはおおきな目をぱちりと瞬かせた。
「……そんな話は聞いたことがない」
「そうなの? でも、もっぱらの噂だよ。嬉しいときとか悲しいとき、その時の気持ちで色が変わるらしいよ。うちのお姉ちゃんも言いよった」
ツクヨミが雄英を卒業し、ホークス事務所のサイドキックになってから一年が経過していた。以前のように公安絡みの仕事で単独行動をすることも少なくなったので、ツクヨミは週に二、三日はホークスと顔をあわせているが、記憶を辿っても彼の翼はいつも同じ色をしていた。だれもが憧れる、深紅の翼。
「羽根の色が変わるところを見た者がいるのか?」
「私の知り合いにはおらんけど、友達のいとこの友達のお兄ちゃんが見たって。そのときはオレンジやったらしいよ」
友達のいとこの友達のお兄ちゃんって、それはつまりほぼ知らない他人じゃないだろうか?
ツクヨミはそう思ったが、正論で水を差すかわりに礼儀正しく「夕陽が当たると時にはそのように見えることもある」と答えた。
出所のよくわからない噂話である。女子高校生もそれ以上は追究せず、助けてもらった礼を改めてツクヨミに伝えたあと、
「ホークスの黄色くなった羽根をお財布の中に入れとくとね、宝くじが当たるんだってさ!」
と最後にとっておきの噂話を残して去っていった。
終業前に事務所に立ち寄り、他のサイドキックや事務員にその噂を伝えたところ、実に大ウケした。
「なにそれ、風水」
「そんなんで羽根むしられるとか災難すぎんね」
「……むしられているのか? 剛翼を?」
ツクヨミが驚いて尋ねると、事務員がおおげさに手を振って笑いながら否定した。
「いやいや、そこまではさすがに。でもあの羽根欲しがる人は多いけんねえ」
「なになに、俺の噂?」
渦中の男の声に、一同振り返る。ホークスはうーんと背伸びをしながらおつかれーす、とのんびりした声色で挨拶した。
「ホークスの羽根の色は実は変わるのだと耳にしたが、本当か?」
ツクヨミがストレートに疑問をぶつけると、ホークスはねむたげだった瞼を持ち上げて目をまるくした。他の所員たちがげらげらと笑っている中、真剣な顔をしたツクヨミをじっと見つめ、ちょっとだけ深刻そうな表情をしてみせる。
「ばれちゃったか……」
「なんと……」
ツクヨミが息を呑む。
「ホークス、やめんね!」
「純粋な若者をからかうな」
「俺だって一応まだ若者なんですけど!」
一気に賑々しくなった事務所の中で、ツクヨミはホークスの背負った翼を眺めた。LEDライトの白いあかりの下で、彼の翼はいつもと同じ色をしている。それがどのような時にどのような色になるのか想像しようとしたけれど、
「そういえばお土産にアップルパイ買ってきたよ」
というホークスの一言で、たちまちに雲散霧消していくのだった。
「貴様の羽根の色は可変だと聞いたが、本当か」
「はい?」
静岡でのチームアップ任務の最中のことだった。任務といってもほぼほぼ実地訓練のようなものだ。両事務所とも、キャリアの浅いサイドキックを中心に立ち回らせ、ホークスやエンデヴァーはフォローに回っていた。今は交代でちょっとした休憩をとっているところだった。
「カヘン?」
「気分や体調で色が変わると」
「ああ、可変。えーっと……」
ぬるくなった甘ったるい缶コーヒーを口にしながら、ホークスは考えを巡らせる。
「ショートくんから聞きました?」
ツクヨミ経由だな、とあたりをつけてそう訊ねると、「いいや、冬美だ」と返ってきた。なるほど、ツクヨミからショートくん、そして彼の姉である冬美さんを介して伝わったわけか……。
「なるほど、察しました」
「何をだ」
「エンデヴァーさんって雑談するの苦手ですもんね。ショートくんも饒舌なタイプじゃないし」
「やかましい! いらんことを察するな!」
顔の炎がぶわっと大きくなったことで発生した熱風があたりの空気を揺らす。多少乱れた髪を整えながら、ホークスはけらけらと笑った。
「まあまあ。例の噂の真相ですが、マジですね。嬉しいことがあるとレインボーになります」
「何、本当か」
「ウソです」
「おい」
またまた燃え上がった炎を避けながら、ホークスは飛び上がった。熱によって生じた上昇気流に乗るようにふわりと浮いていく。そろそろ休憩も終わる頃だ。離れた場所で休んでいたツクヨミが向かってきているのが見えていた。
「でもまあ、体調が悪かったり生えかわりのサイクルが長い時はちょっと色がくすんだりしますよ。それに毛が生えて噂になったんじゃないかと」
「つまらん嘘をつくな。……なら今日も調子は問題なさそうだな」
頭上で遠慮なく広がっている翼を一瞥したエンデヴァーの言葉を聞いて、ホークスは束の間驚いたように目を見開いたが、すぐに元の生意気な若者の顔に戻って、
「お蔭様で!」
にやりと笑いながら言うと、太陽の方向へと飛んで行った。
諸々の残務を終わらせたツクヨミが、ホークスを探して付近を飛んでいると、街を一望できる鉄塔の柱に腰かけているのを見つけた。しょっちゅう姿をくらます彼を見つけ出すのが上手いとツクヨミはよく言われるが、そう難しいことでもないように思える。どこに行っても、大抵はその地を見渡せる場所にホークスはいるからだ。
「今日もお疲れ様」
仕事をすべて終えたことを伝えると、ホークスはジャケットのポケットから缶コーヒーを取り出してツクヨミへとくれた。ツクヨミがここへやってくることも織り込み済みだったのだろう。コーヒーを受け取り、礼を言ってから隣に腰かける。ホークスは視線を正面へと戻し、静かな視線で夕暮れ時の街を眺めている。
「羽根の色が変わるというのは嘘だったのか」
「おや、きみも意外と耳聡い」
昼間、ホークスとエンデヴァーの会話を耳にしていた。盗み聞きはよくないとは思うが、聞かれて困るようなことをきっとあんな場所では話さない。それにホークスは嘘をついていたので、否はイーブンといったところではなかろうか。
「もし翼の色を変えられるなら、何色が良いと思いますか」
「えー? おもしろい質問するね」
「くだらない質問ですまないが」
おもしろいってそういう意味じゃないよ、とホークスが小さく笑って言う。それから少しのあいだ、風がごうごうと鳴る音だけがあたりを包んでいた。今日は日差しが強かったから、少し冷えた風が熱をもった身体に心地良い。
「……考えてみたけど、やっぱり今のこの色じゃないかな。頑張ってキープすると思うよ」
「理由を聞いても?」
「だって、かっこいいでしょ」
ツクヨミの方を向いたホークスは、くしゃっと笑ってそんなことを言った。いつもは少し大人びて見えるけれど、そうやって笑うと、自分やかつての級友たちとほとんど変わらないようにも感じられて、不思議な心地がした。
「それだけ?」
「そう。単純な男だからね、俺って」
「黒もかっこいいぞ!」
ダークシャドウが顔を出して茶々を入れる。そうだね、と笑いながら再び街の景色へと向き直ったホークスは、ほら見て、とまっすぐに指をさして見せた。ツクヨミもそちらへ視線をやる。
「陽が沈むよ。これが見たくて、この時間はつい高いところでぼんやりしちゃうんだよね」
見るとたしかに、夕陽が街向こうの山々の後ろへと沈んでいくところだった。街も夕焼けの赤い色に染まっている。東方向にある、夕陽に照らされた立派な富士山も美しく立派だったが、ホークスはずっと西を見つめ続けていた。
夕暮れの時間帯は長く感じるのに、太陽の淵が地にふれると陽が沈むのはあっという間だ。夕陽の姿が見えなくなると、ホークスはすっくと立ち上がった。
「さー、そろそろ挨拶しに行こうか。あんまり遅いとエンデヴァーさんに怒られる」
「怒られたくて待たせているのかと思っていた」
「わはは! もしかして、その目敏さも俺譲りだったりする?」
何がおかしいのか、ホークスは大口を開けて笑うと、ばさりと翼を広げて落下するように風に乗った。見事なものだ。
そういえば、夕陽に照らされたホークスの翼がどんな色をしているのか、見るのを忘れていたな、とツクヨミは数日前の女子高校生のことを思い出したが、慌てて師のあとを追ううちに、そんなことも再び忘れ去られてしまうのだった。