花と海とポケモンの楽園※またちょっとエグい感じになってきた。あとなんで手持ちのポケモンは六体か、みたい設定を捏造しているので注意。
【長い三日間 三日目】
キナギタウンは海の上に板を張って家を建てた人が住む町。海面すれすれの板の上。足音、歌声。リズミカルで楽しい。人間によってこの町に暮らすことになったポケモンも歩いている。靴の音、ポケモンの爪がある足の音、みんな違う。
板の下では波がワルツを踊っている。透明な水の中で魚も鱗を閃かせている。オレにとって、キナギはそんな町に思える。人間が踊るダンスの名前は「タンゴ」とか「ジルバ」とかいろいろ聞いたことあるけど、「ワルツ」っていうのがいい感じの響きだから、キナギタウンは波と人がワルツを踊る町ってことにしておく。実際のワルツってどんなのかよく知らないけど、別にいいじゃない。ほらほら上では雲も流れていくよ。細長いね。白いね。空は夜かな昼かな、青かな、黒かな、よく分からない紫の空だ。
ところでさ、ポケモンが人を体に乗せて海の上を渡ってる時、「波乗り」をしている時も、それはきっとポケモンと人が波が揺れるのに合わせてワルツを踊っているようなんだ。ワルツを踊っている時、どんな音楽がかかるのかすらオレはよく知らないけど、多分そう。きっとそう。
今オレは夢を見ている。これは間違いなく夢とわかる。オレは元の姿に戻ってる。でも人の言葉でしゃべってる。オレの夢の中になぜかダイゴさんが出てきて、目の前にいるからだ。今日は正体がばれてしまったとんでもない夜だったのに、寝る前は昨夜と変わらない雰囲気でダイゴさんに「おやすみなさい」を言って別れてきた。でもやっぱりオレ、パニックになってたんだよきっと。だから出てきたんだろう。
「ダイゴさんは人間だから言葉で説明しなきゃなあ」夢の中のオレはそう思って、なぜかキナギタウンの説明を一生懸命していた。夢の中のダイゴさんはいつも以上にオレと違う生き物という感じがしてなんだかゾワゾワした。目に元の姿になったオレが映ってるからかもしれない。
夢の中だけどここはキナギタウンだ。今も海の上、板の上に立っている。人間の子どもが「おそらのポケモン、おそらのポケモン」と言って通り過ぎていった。これも夢、なんだけど、実際に町でこの子どもがこの言葉を言ってたの遠い記憶にあるぞ。再現されているのかなあ。
「ホウエンの空高くを飛んでいくポケモンを見た! って人がいるけど、ずっと飛び回っているのかしら? どこかで休んだりしそうだけど」また人が通り過ぎていった。この人のこの言葉も現実で聞いたことがあるぞ。ひょっとしてここ夢ではないのかな?
「君、どこから来たの?」また人が通り過ぎる。オレ、どこから来たって言えばいいのかな。オレが住んでいた場所に名前はついてないから。
まあいいや。ところでさあ、さっきの人が言ってた空を飛び回ってるポケモンってオレたちのことかな? ラティオスとラティアス。オレはそう思ってたんだけど。うん、レックウザのことかもしれない? ふうん、レックウザってどんなポケモン?
……あ、あの影。赤い流線。翼。綺麗。あ、あ、嘘。ここはやっぱり夢だった。ああ、あのね、あそこにいるポケモン見てダイゴさん。あれが……今日、オレが死んだって話してた「姉さん」だよ。素敵でしょう。美しい生き物の形。
あれが「姉さん」で、えっと……隣に立っているのは……人間だね。
……誰だっけ。あの人間。待ってよ、思い出すよ。きっと、他の人間と同じで、遠い記憶で見た人が出てきているんだ。現実で見たことあるあの人間。あの人間、あの子ども、遠い昔に見た。
確かそう、「姉さん」が友達になってた人間。ずっと昔に、どこかの学校から旅行に来てた人間。数日で他の子どもと帰っていった。でも「姉さん」、しばらく後も何回か会いに行ってた。いつまで行ってた? あの人間が大人になるまで?
……ああ、もうすぐ、夢から覚める。身体が、目が、現実が、開く感覚がある。目が覚める――。
ハイビスが目を開けた時、外はまだ薄暗かった。隣で横になっている警官達は誰も起きていなかった。彼は、先輩や上司だと自分でも半ば信じるようにして親しんできた人間達の顔を眺めてみる。もちろん一人ひとり違いはあるものの、皆一様に鼻は出っ張り、唇はぷっくりとしている。口を開けていびきをかく者もいた。歯が見える。舌が見える。人間は、頭くらいしか毛が生えていないベロンとした皮が丸出しの生き物達だ。
自分の顔も触ってみたり、手を開いたり閉じたりしてみた。夢の中の自分は本来の姿をしていて、目を覚ました今の自分はこの姿であることに、ますます倒錯した気分になった。
結局無言のまま警官仲間達を起こさないように、ハイビスは部屋から出ていった。ロビーにソファがあるので、そこに自分だけで座っていようかと思っていたのだが、あいにく先客がいた。
「おはよう、ハイビスさん」
「ええダイゴさん早くない? よく眠れなかったの?」
「だとしたらお互い様じゃないかな」
「オレの場合は絶対ダイゴさんのせいだよー」
ハイビスが文句を言うと、ダイゴからは「ごめんね」と軽く返ってきた。ハイビスは隣に腰掛けて、大きな窓から見える景色を眺めてみた。まだ太陽は顔を出していない。今度は隣のダイゴの顔を見てみた。先輩達とほぼ同じ位置で出っ張ったり裂けたりしている人間の顔だ。
「あの後、寝ていたらオレの夢の中にまであなたが出てきた。でも逆かもって不安になってきて。オレの方があなたの夢に干渉しちゃったかもしれない」
「ボクは今日の夢を覚えてすらいないのだけど。そんなことできるの?」
「自分からやってみようと思ったことはないなあ。でも無意識にしてしまったことはないかなって。寝ている相手の意識に入り込むのは簡単らしい」
ダイゴが興味深そうにハイビスの話を聞いてから、ポケモンには「夢喰い」という技が使えるものがいると言い出した。ハイビスは慌てて「オレは夢なんか食べない」と言った。
技マシンという人間がポケモンに技を覚えさせる道具があり、それを使えばともダイゴは言ったが、「たとえ覚えることができても食べないって」とハイビスは首を振った。ちなみにダイゴのお気に入りの技マシンは「鋼の翼」らしい。こっちならカッコイイ技名だから覚えてもいいかなと思えた。それからしばらくの間、技マシンの話題で少し盛り上がった。
ダイゴのアーマルドは古代では海に住んでいたが、化石から復元された時に体のつくりが変わって水の中に入れなくなった。しかし、水技の扱い自体は悠久の時を超えてなお覚えていた。そのため技マシンで「水の波動」という技を習得できたという。加えてダイゴはアーマルド自身にも問いかけながら技マシンを使って可能性を探ったそうだ。「水の波動」を使った他は、飛行のジムリーダーからもらった「燕返し」という技マシンで飛行タイプの技も覚えたと言っていた。
「あーどうしても今日の夢が気になって考えちゃう。やっぱりダイゴさんの方がオレの夢の中に来てなかった?」
気になるあまり、ハイビスはそれなりに盛り上がっていた話題を途中で切って、問いかけてしまった。
「ボクにそんな力はないよ」
ダイゴははっきりそう言った。少し時間が経過して先輩達も起きだしてきたため、そろそろ支度をしなければと二人は思い始めた。犯人が指定した九時など、あっという間にやってくるだろう。
「ああでも、気になることはボクにもあって」
立ち上がって先輩のところに行こうとしたハイビスをダイゴが呼び止めた。
「ボクはどこかできみにレックウザというポケモンの話をしたかな。そんな気がするのにいつしたか覚えていないんだ」
ハイビスは振り返った。しかし
「えっ、どうだろう。オレも覚えてない」
結局二人とも覚えていなかった。そしてついに朝の夢はなんだったのか分からないまま、両者とも忘れていった。九時を間もなく迎えようとしていた。
一行は一室に集まって時計の針を見つめていた。九時になったと同時に電話をかける。録音の機械や、また部屋の全員に声が聞こえるように別の機械も電話に繋がっていた。
「もしもし、おはようございます」
電話に出た人間は、犯人とは思えないほど普通の声で普通の挨拶をした。
「すごいですね。九時ぴったり。早速、今日の待ち合わせ場所をお知らせします」
本当にその辺の喫茶店で待ち合わせをするかのような言いぐさだった。
「待て。その前に答えなさい。お前の目的はなんだ」
警官の中の一番上司が電話の応対を引き受けていたが、後ろでは部下達が固唾を飲んで見守っていた。
「お金儲けです。生きるためにお金が欲しくて」
「そのためだけに、ここまで派手なことをする必要があったのか!」
「派手なこととは? 昨日ビリリダマを川に流したことですか? それともカラクリのことですか? 今までの犯行のこと?」
犯人の声が聞こえてくる機械を、ハイビスが黙って睨んでいた。服の中にしまわれた、ラブカスが入ったモンスターボールと姉の心の雫に上から触れながら、犯人の言葉を聞いていた。
「もちろんそれもある。だが私が言いたいのは、お前の使うポケモンのことだ。これまでも何件か、有名人の手持ちを真似し、今回はついにホウエンのリーグチャンピオンと同じポケモンを使い始めた。これは、真似した対象への恨みなのか?」
「いいえ、別に。強いトレーナーが使ってるポケモンと同じなら強いかと思っただけです。それにワクワクするではないですか……そこにチャンピオンいますか?」
ダイゴが身じろぎしたが、何かを言う前に警官の一人が動作で止めた。首を横に振り、絶対に口を開くなと示す。
「彼もたまたま選びましたね。写真を見かけて……。でも珍しいポケモンが多くて集めるの大変だった。メタグロスは結局手に入らなかったし。ああ、情報を落としてしまいました」
確かに重要な情報だ。犯人はメタグロスを持っていない。それにすでにユレイドルとネンドールは警察で確保されている。一体ずつ用意したなら、犯人がコピーした手持ちはあと三体。だがもちろん関係ないポケモンを持っている可能性もある。
警察の側が黙ると、犯人が鼻で笑うような声でこう言った。
「少しだけ、有名人と同じ手持ちを使ったら犯人もその人と誤認されるかなと期待していたんですが、全然そんなことありませんでしたね。案外この世界、ポケモンの個体をちゃんと見てる。でもそう考えればチャンピオンも……別に極悪人が同じポケモン使っていても、自分が可愛がってる子達そのものというわけではないのだから、そんなに傷つかなかったかな?」
「ふざけるな‼︎」
思わず声を出してしまったものがいた。しかしそれはダイゴではなく、ハイビスだった。
「ふ、ふざけるなよ。お前、ふ、ふざけ……」
そのまま体をガタガタ震わせて、言葉が紡げなくなってしまった。ハイビスの先輩は慌てて、震える後輩の口を塞いだ。ダイゴも慌てて隣に来て、ハイビスの背をさすった。そして口の動きだけで「ありがとう」と言った。しかしハイビスは、音もないと言葉を読み取ることができなかった。もう正体を見破られた相手であるという遠慮のなさも手伝って、少しだけダイゴの感情をテレパシーで覗いてみた。気づいていないダイゴは、口の動きで「大丈夫?」とも綴ってくる。何が大丈夫なものか、全く大丈夫ではなかった。読み取れたのはこちらを心配する言葉だけではなかった。平静な顔で声をかけてくる彼の心中が悲しみで満たされているのが、ハイビスには見えてしまったのだった。
「それで待ち合わせ場所ですが、流星の滝がある洞窟はいかがですか? 広けていて綺麗、良いロケーションです。そこでポケモン勝負しましょう。せっかくチャンピオン本人も来てくださってるようなので」
「ポケモン勝負?」
「はい。……後、条件をつけてもいいですか? 入り口を警察が何人包囲するのも構いませんが、中に入ってくるのは昨日見かけた五人の方だけにしてください。せっかくですので」
「その条件を飲まなかったら?」
「入り口付近に見張りのポケモンを飛ばしておくので、あなた達以外は攻撃させます。監視カメラも分からないところにつけて見てます。それでも強硬して入ってくる人達がいた場合は、盗んできたポケモンを一匹ずつ……ですかね」
「あの滝がある洞窟は、入り口が二つあるだろう。確か……」
「どちらから来てもらっても構いませんよ。どちらも見張っています。いつでもどうぞ。でも本日の日中までにお願いします」
電話が切られた。拡大されたツーツーという音がしばらく部屋に鳴り響いた。
「流星の滝か……」
誰かが呟いた。上司が電話を置いて部下達に頷いてみせると、部下達も「せっかく犯人が逃げずに待っているのです。罠だろうが行ってみましょう」と言って、頷き返した。
「さっきはありがとう。場所も分かったから、あとは向かうだけだね」
ダイゴが今度は声に出してハイビスにお礼を言った。
「…………」
「ねえ、大丈夫かい? お姉さんのこともあるし、きっといろいろな気持ちが渦巻いていると思うけど……」
「……そうですね。いろんな感情渦巻いてますよ。だからオレ、こっからはめっちゃ明るくいきます。みんなガンガン笑っていってください。どうか!」
「なにを自分から道化師になろうとしてんだお前はよう」
「心配しなくても犯人を怖がったりしないって」
先輩達が、バシバシと彼の背中を叩いていった。
キンセツシティから流星の滝へ向かうには、北上してえんとつ山の抜け道を通り、さらにハジツゲタウンを通って行くか、西のシダケタウンからトンネルをカナズミシティ側へ抜けそこから北上するか、どちらにしてもなかなか面倒なルートではあった。
少し考えた結果、カナズミ側のルートだと間の海で飛ぶか船に乗るかしなければならない手間があるということで、ハジツゲのルートを行くことになった。流星の滝周辺に応援を集める手筈を整えた後、五人でパトカーに乗った。後ろは多少狭かったが文句を言う者は誰もなかった。
「ポケモン勝負か。我々も一応ポケモンを持っていますので、役に立つかどうかは分かりませんが、紹介はしておきます」
上司がダイゴに向かってそう言い出し、車内でモンスターボールを手に取った。
「ありがとうございます」
「こんなところでだしたら車がもっと狭くなりますよー」
ハイビスが指摘したが
「大丈夫、そんなに大きくない。私のポケモンはチョンチーだ」
そう答えてポケモンを出した。助手席に座る上司のポケモンは膝におさまる大きさの魚だった。
「俺のもそう大きくないから出す」
後ろの席に座る警官はコイルを出した。ネジと磁石を組み合わせたような不思議な姿のポケモンだった。
「本当だ。どっちのポケモンも小さいですね。じゃあオレのも」
ハイビスはラブカスをモンスターボールから出した。
「まだ考えてる途中なんですけど、ニックネームはハートちゃんにしようかと思ってます。二人のポケモンは?」
「えっつけてないぞ」
「なんでですか?」
「ニックネームをつける、つけないはトレーナーの自由だろうが」
ハイビスが先輩とそんなやりとりをするのを横目に、運転を担当する方の警官は「ダイゴさん。私は一応エネコを連れています」と口で説明した。そしてこのエネコにはニックネームがついていた。遠くガラル地方を舞台にした有名な探偵小説の主人公の名前がとられていた。
ハジツゲタウンの手前、一一三番道路もパトカーで通り過ぎる。降り続ける火山灰を車のワイパーが雨と同じように弾いていたが、運転する警官が「後で綺麗にするのが、雨よりはるかに面倒くさいんだ」と言った。
火山灰が降り続ける風景は、雨と言うより雪に近かった。音を吸い取るように降り続け、世界を白色にしていくのもまるで雪のようではあった。ハジツゲタウンに着いたら一度休憩を取ることになったため、その短い時間だけでも一一三番道路を歩いてこようとハイビスが思うほど、珍しい風景だった。車内からはふらふらした足取りの斑模様のポケモンが草むらにいるのも見かけられた。「あのポケモンはパッチールだよ」とダイゴが口にした。
「他にはどんなポケモンいますか、この道路」
「エアームドがいるよ」
「ふうん。じゃあダイゴさんのエアームドも元々はここの子だった?」
この問いになぜかダイゴが笑い出した。前に別の人にも同じ質問をされたことがあるらしい。
ハジツゲタウンに到着し、休憩しながら改めて流星の滝までの町を確認し直すことにした。どうもこの町は朝滞在していたキンセツよりも気温が低いらしく、パトカーから降りた一行は肌寒さを感じた。
太陽が、火山灰なのか雲なのか、とにかくその向こう側に上がっている。白い層の向こう側にあるぼんやりとした虹色の光は、ちょうど蛋白石のようだった。地図を見たり、またポケモンの薬を買い出したり各々準備している中、ハイビスが「十分で戻ります」と言い残し、本当に一一三番道路を見に行った。そしてしばらくして灰まみれになって戻ってきた。おまけに「口開けて見上げてたら、灰が口まで入ってきちゃって」と言い出した。
「でも下からの眺め、綺麗でした」
「そりゃあ良かった」警官仲間達は苦笑した。
が、制服を白くしてしまった仲間の姿にふと、「彼はいつから部下だったか?」「後輩だったか?」という疑問が頭をもたげた。そして、「なんだこの疑問?」と疑問を抱いたこと自体に違和感を覚えた。
――好きなものを嫌いになるのなんか、簡単だ。ちょっと新しい情報が入らなくなればすぐ飽きるし、ちょっと探せばすぐ不愉快になれる情報でいっぱい頭を満たせるんだ。
インターネット、覗いてみなよ。ほらあなたの好きな作品、タイトル打ってみなよ。サジェストに「つまらない」「気持ち悪い」「弱い」こういう単語、くっついてくるでしょう。好きな作品の名前、好きな芸能人の名前、好きなポケモンの名前、打ってもついてくるでしょう。
ちょっと探せば、自分の好きな作品について、口汚い言葉で罵る奴も、気色悪いぐらい大袈裟に褒める奴も見つかるでしょう。並べてみたいよね。罵る奴と褒めちぎる奴を隣同士に。後ろから観察してそいつらがどんな顔しているか見てみたい。たぶん、最終的に自分が両方から気味悪がられて終わるだけだけど。
子どもの頃、交換日記をやろうと言い出した子がいた。自分は喜んで日記帳を受け取って、その子に言葉を綴ったよ。でもすぐに終わった。言い出しっぺは向こうのくせに「あなたと仲良くするの、他の子がやめた方がいいよって言うからやめるね」だって。確かにしょうがないね。自分が気持ち悪いこと、本人も一番分かってるし。
大人になって、仕事ついたけど辛かった。人よりできなくて辛かった。でも一番何より嫌だったのは、嫌いな上司の顔見ると「死ね」と心で呟いてしまう、自分自身だ。直属の人だから毎日顔を見て、毎日「死ね」と思っていた。そんな自分が一番おぞましかった。
大人になる過程で、人の幸せを願える人になろうって、たぶんどこの学校でも学ぶし、自分も素直にそうでありたいと思った。今でも思う。でも毎日嫌いな存在には「消えろ」と思う自分はどれほど心が汚くなったことだろう。それとも違うかな。もともと頭がいい子がいるように、もともと運動神経がいい子がいるように、優しさというのも生まれつきの差があるのかな。自分は優しい人になりたかったよ。でもダメみたいだ。
また過去のこと、学校の研修旅行で海に浮かぶ町へ行ったときのこと。先生はグループ班を勝手に決めていた。しっかりとして誰にでも優しくしてくれるタイプの子が自分をくっつけられていた。可哀想に。あなたはそういうタイプだから先生に、厄介な一人ぼっちを押し付けられるんだよ。
自分さえいなくなればみんな勝手に仲良く観光し始めるだろうと思って、一人で抜け出した。ところがだった。あの真面目な優しい子は自分を見つけだして、あろうことかどんなに逃げてもついてくる。いつもは朗らかに喋る子なのに、黙ってついてくる。怖かった。
どこかのタイミングで気づいた。この子は、姿はまったく同じだが別人だと。気づいたことを察したのか、その子は元の姿であろう正体を明かした。
赤い羽が生えたポケモンだった。
ポケモンは鳴き声も上げないで自分に近づいてきた。体をくっつけられた時、なんとなく、このポケモンは姿を借りた人間と性格が似てるのかなと思った。だから借りたのかと思った。真面目で優しい。厄介な一人ぼっちを見捨てない子。黄色くて可愛い優しい目をしたポケモンだった。旅行の間、あんまりそのポケモンは何度もやってくるものだから、日程が終わる頃には根負けして、その子にちょっとは笑顔を見せるようになった。たまにそのポケモンと姿がよく似た青いポケモンも近くを飛んでいたけど、そっちは警戒していたのか近くに降りてくることはなかった。やがて帰る日が来た。
自分の故郷から、この旅行先の海の町は随分と離れていたから、会うのはこれきりかなと思っていたのだけど、なんとその赤いポケモンは帰ってからも度々、自分の元にまで飛んできた。そしてくっついて鳴き声をあげて、しばらくすると去っていった。
ただ勘だけど、あのポケモンは自分を友達だと思っていたわけではない。あれはとてもお節介な個体で、厄介者を嗅ぎつける能力に長けたいたんだ。きっとそうだ。じゃなきゃこんな自分にかまう理由が分からない。
警察達とダイゴは、流星の滝がある洞窟の入り口までやってきた。入り口の目の前までは徒歩で少し坂を登ってこなければならなかった。この辺りには野生のザングースも生息しているのだが、なんと入り口には犯人が飼いならしたらしきザングースが仁王立ちしていた。空を見ると、明らかに野生の飛び方でないエアームドが旋回しているのも見える。
「ダイゴさんのポケモンを真似した奴、あそこにもいるな」
と警官の一人が言った。
「見張りはあのエアームドとザングースなんだろう。あとは犯人がどこかからカメラで入ってくる奴を見ているはず」
「カナズミ側の入り口にはハブネークがいたりして」
警官達はそんなことを話す。
「なんで向こうの入り口はハブネークとかいうポケモンがいると思ったのかな先輩は」
「ハブネークとザングースは宿敵同士と言われる二匹だから、対になっているように連想する人も多いんだよ」
「なるほど……オレは知らないことが多いなあ……」
そんなやり取りもあった。
入り口周辺には応援で呼ばれた人々の姿も見られたが、警官の一人がそれに対し「予想していたより少なかったな」と言い出した。
「もっと、大勢がババっと周りを包囲してくれるもんかと思ってた……。たくさんのポケモンがこの中にいる犯人に苦しめられたのに」
「警察もそれぞれ、いろんな事件を解決するために動いているんだ。そうそう一つの事件にとんでもない数は集まらないさ」
上司がそう答える。その横でもう警官の一人がボソッと呟いた。
「……この事件で被害にあったポケモンと同じ数だけ人間が殺されているなら、今頃は世間の人々も巻き込んで大騒ぎになっているだろうがな」
ダイゴがその発言をした人間の顔をじっと見つめ黙っていた。最初に発言した警官がまた口を開く。
「やめろよ、少し考えちゃうじゃないか。人間とポケモンの命の価値みたいなの」
「しょうが……ないかって、今オレ思いましたよ。先輩達は人間の警察で、人間の世界を守っている人達なんだから」
ダイゴは続けて、「しょうがない」と発言したハイビスの顔に目を向けた。
「そんな顔しないでくださいよー、ダイゴさん」
ここでようやく、上司が決意したかのようにため息をひとつ出した後、一向に中に入るよう促した。仁王立ちするザングースは一人ひとりの顔をジロリと睨んでいたが、攻撃をしてくるような素振りは見せなかった。鋭い目つきとどんなものでも引き裂けそうな爪をもつのだが、不思議な可愛らしさがあるのがザングースというポケモンである。犯人に使われていることを少し可哀想に感じさせた。
洞窟の中に入ってすぐ犯人が待ち構えているということはなかった。昨日のニューキンセツの場合のように、奥まったところにいるのだろうか。そしてこの場所の名前になっている滝もすぐ見えるというわけではなかった。
外よりもひんやりと湿気を帯びた空気が満ちている。それだけでなく、この洞窟の空気は澄んでいた。洞窟と言っても中は広くあちこちから光が漏れているため、薄暗くはあったが視界に問題はなかった。
黙って進み始めると徐々に、ごお……という滝の音も聞こえてきた。ふと気がつくと空間がさらに広がり、瀑布が遠くに現れた。相当に大きな滝で、まだ遠いというのに霧のような冷気が肌にあたるような感覚があった。
ホウエンは隕石が多い地方だと言われる。そして、この滝の名前は隕石が落下した記録が古くから多く残ることに由来していた。しかしそれ以上に、「流星の滝」という美しい言葉は、この薄暗い場所で光が流れているかのように落ちる水の姿に相応しいもののように思われた。
滝から川の流れが続き、川の上には橋がかかっていた。一行は橋に近づいて行った。
「滝の横を見ろ。岩にライトがつけてある。犯人が示した目印かもしれない。滝の上に行ってみようと思う」
「滝なんてどうやって」
「ダイゴさんのポケモンで登る」
ハイビスが驚いてものすごい勢いでダイゴの方に体を向け「ダイゴさん、滝登れるの」と聞いた。その言い方だとボク自身が泳ぐみたいだと笑われながら、エアームドで昨日のように一人ずつ乗せていくと答えが返ってきた。彼は休日に採掘のためここへ来ることもあるらしく、その時は滝を遡って泳げる水ポケモンを連れてくるそうだが、今回はいないと言う。まあやはりダイゴ本人が滝登りするような機会はないのだろう、おそらく。
順番待ちをしながら警官の一人が呟く。
「犯人は何体ポケモンを出してくる気だろうか。エアームドも見張りに使っていたから、アーマルドとボスコドラの二体だけ……というのは甘い予想だろうな」
モンスターボールで持ち歩けるポケモンは六匹まで。それは人間の世界で決まっているルールだが、いわゆる犯罪者も律儀に守っていることが多いのは、結局それが一番合理的な数だからだ。
どんなに大きな、凄まじいパワーを秘めたポケモンも小さなボールに入れて運ぶことができること。人間が編み出した特異な技術だ。しかし限界はあって、ボールに入っていてもポケモンのエネルギーのようなものは少し漏れ出しているのだ。
人間がボールを携帯している時、手持ちのボールは近くで触れ合い、ボール内のポケモン達は互いのエネルギーを感じ合う。この数が多すぎると、ポケモンは緊張したり体に変調をきたしたりする。それが起きにくい上限がおおよそ六体なのだ。そのため、トレーナーは六体のポケモンを選りすぐるし、自分とポケモンの間だけでなくポケモン同士も仲良くさせ、互いの気に慣れるようにと苦心している。
犯人も、見張り役で確認した二体は別勘定として、戦闘には自分が携帯する六体を出すだろうと一行は予測を立てた。だがアーマルド、ボスゴドラときて、あと四体は何がくるか……まではさっぱり想像ができなかった。
――誰かの手持ちを真似して犯行を起こす時、ひょっとしたら、犯人もその人と誤認されないかと考えてはみた。でもそこまで期待していなかった。同じポケモンを飼ってるからと言って疑いをかけられるとしたら、世界中が誤認逮捕の事例だらけになると思う。
それどころか、自分はバカ丁寧に真似した相手が持ってる手持ちをできるだけ全て真似したものだから、犯行の痕跡から、使われたポケモン数匹を割り出されて、この有名人と同じだってことを割り出されて、そういえばこんな奴がいて、この間は……と割り出されていく。今回なんて、ついにホウエンのチャンピオン本人までやってきた。
自分は真似するトレーナーについて、特に悪印象も良い印象も持っていない人……端的に言ってしまえばよく知らない人を選んでいた。悪い印象も良い印象も持つのが怖かった。ホウエンのポケモンリーグは、そこまでポケモントレーナーが芸能人みたいに振る舞っているわけではないので、調べてみないと所属トレーナーがどんな人達なのかは分からなかった。でもなんと言っても一地方の実力者達だから、調べればちゃんと公式の試合記録も写真も出てくるぐらいの有名人加減だった。
チャンピオンの写真を本で確認した時、瞳の色を岩間に湧く清水のようだと思った。それで、それ以上の感想を持つのが怖くなって、急いで本を閉じた。とりあえず手持ちも調べたが、化石から復元させたポケモンであったり、進化させるのに手間がかかるポケモンであったり、さすがにチャンピオンだけあって、今まで真似してきた芸能人のポケモンよりも、はるかに集めるのがめんどくさそうな奴が多かった。
心のどこかに、育てがいありそうという気持ちが芽生えそうになるのを、自分は自分から隠した。
子どもの頃、自分はポケモンを育てるのが好きだった。ポケモンは喋らないから好きだった。こちらを傷つけるようなことを言わないから好きだった。話せるポケモンがいたとしたら、自分はそんな奴、ポケモンと認められないだろう。
ある日、同じ学校のクラスメートが自分を呼びつけて、好きなポケモンはこれと、あれと、と話し始めた。何が言いたいのかと思って聞いていると、こう続いた。
「だから同じポケモンをあなたも育てているのやだ。気持ち悪いから、私の好きなポケモンをあなたは育てないで」
しょうがないね、そう思うことにした。自分みたいな気持ち悪い人間は、誰かの好きなものを穢すような存在なんだ。自分が「これを好き」と言っただけで不快な思いをさせることもある。そんなことはあるんだ、自分の場合。言われた通り、自分はその子が好きだと言っていたポケモンを育てるのをやめた。嫌がっているのに無理やり野生に返した。
ポケモンを野生に返すこと自体は禁止されているわけではないけど、するなら普通、いくつも手順を踏むものだ。だが自分は全然そんな手順踏まなかった。数日後、家の前でそのポケモンはお腹を空かせて倒れていた。抱き上げるともう冷たくなっていた。自分は友達のせいだと逆恨みをしないよう必死に「自分みたいな気持ち悪いのが中途半端に育て、そして途中で世話を放棄したせいだ」と思うようにした。実際そうだ。
それからはもう、生きている間に、好きな何かができることを止めたくなった。何かを好きになるから、それをどうでもいいと思っている人の心無い言葉に傷つくのだ。
そして、自分が何かを好きになるだけで「こんな気持ち悪い人間が好きになるなんて」と不愉快がられるのだ。自分は、誰かの好きなものにへばりつく泥だ。クズだ。
こうして、好きになりそうなものは先回りして壊すようになった。悪口を言われそうなものは、言われて傷つく前に、言われそうなことを先回りして自分の口から罵ることにした。自分はポケモンを育てること以外に、工作をしたり、ちょっとした機械を作ったりする趣味を持っていたが、いよいよ悪事に手を染める前には、そちらの趣味も自分の手で汚して犯行に利用することにした。わざわざお世話になった人のカラクリを借りてきて、自分の手でバラバラにしてみた。
好きなものを好きでい続けようと努力するから苦しい、優しい人間になろうとするからちっともそうならない自分が悲しくなる、ならば、誰よりもクズな人間になってしまおうと思った。諦めきれるように。
金を稼ぐために、あと嫌がらせのために犯罪を起こすようになってからしばらくした時のこと。キナギタウンの近海で、必死になって死んだ生き物の鱗をナイフでむしっていた時だった。子どもの頃、自分を見張りに度々来ていたあの赤いポケモンが目の前に現れた。あの頃と変わらない、優しい可愛い目に悲しい光が宿っていた。あの頃のように、自分の体にくっつこうとした。
自分は鱗を剥いでいたナイフを手に、思った。さあ今日も、大好きなものをこそ、自分の手で消してしまおう、と。そうすれば自分は本物のクズになりさがれるだろうと。
――もうすぐ、写真と同じ目をしていたあのチャンピオンがやってくる。せっかくだから直接傷をつけたいと思ってわざわざ逃げるチャンスをこっちから捨てちゃったけど……正直なところ、単純なポケモンのレベル差だと勝てないだろう。用意したポケモンのうち四体は、今後真似するかも知れない人の手持ちを用意している途中だったものだ。
だから指示するトレーナーの心の方に傷をつけそうな手段を使うつもりだ。余計な印象を抱かないようにとすぐ本を閉じたくせに、結局自分は彼がどんな人間なのか想像してしまった。
あの地位にいる以上、どんなポケモンの猛攻も恐れない勇敢さはあるだろう。ポケモンが恐ろしい瞳で睨もうとも尻込みしないだろう。けど、あの人は、周りの人間に大事にされてきた人だと思う。平時だったらそれは強さになるけど……例えば、人間に敵意を向けられたり、人間に「殺してやる」と叫ばれたり、そういうことへの耐性にはならないだろう。ポケモンの脅威、自然の脅威、そういうものには怯まなかったとしても、絶対に、あの人は、人間の負の感情には怯む、そう考えている。
滝をエアームドで登っていくのは階級の順番となった。一番上の立場の警官を一人エアームドに乗せると、自分の肩に捕まらせてダイゴは滝の上へと登っていった。滝の上に広がる空間に警官を降ろした途端、彼は「お前は!」と言った。
昨日見た、あの犯人が奥に立っている。二人は下に残した仲間をどうするか一瞬迷ったが、もう犯人から眼を放すわけにはいかない。その考えを見越したかのように笑って、犯人が口を開く。
「いいんですか。下の仲間は放っておいて……さあ、襲いにいくんだ!」
手にしたマイクのような物に命令を伝えていった。ダイゴのエアームドが一番に下に目を向けると、仲間が小さな塊にしか見えないほど距離が開いたその場所で、二体のポケモンが残った三人に向かって、体を突進させようとするのが見えた。
下で待っていた警官達は、不意の物音とともに二方向からポケモンがこちらに向かってくるのに気づいた。片方はハジツゲ側の入り口で見かけたザングースだ。もう片方は、人間ほどの厚さの生き物でも貫けそうな牙を持つ大蛇、ハブネークだった。
思わず上を仰ぐと、小さいが何かきらりとしたものが見えた。三人の警官達はエアームドの翼が広がったのだと察した。そしてこれは犯人の罠だろうとも気づく。
「いけない、来ないで! 犯人の方を!」
「なんとかしますから!」
警官二人は自分達の相棒であるエネコとコイルを出し、走ってくるポケモンに向き合わせながら無線で上司にそう訴えた。続けて、エネコを連れている方の警察官は、懸命に相棒の愛称を呼びながらマングースに目を向ける。
「お前も早くラブカスをだせ!」
コイルを連れている警察官は、後ろに立っていた後輩にも指示をした。
「オレも早く上に行かなきゃ……うう、ハートちゃんよりもオレが戦った方が早いか……でも……ああもういい」
後輩は何やらよく分からないことを呟く。
「……奥の手出しますよ、先輩!」
そう言い出した後輩を一瞬振り返ると、その一瞬の間に後輩だと思っていた男が、青い翼を持ったポケモンに変化した。
「うっうわああ⁉︎」
先輩達は思わず、青いポケモンに目が釘付けになってしまった。隙だらけになったが、幸いなことに敵のポケモン達もいきなり形が変わった生き物にポカンとしていた。恐ろしい牙を持っているはずのハブネークが、その牙が生えた口をあんぐりと開けてしまっていた。
先輩達の頭に何やら、映像が流れこんでくる。敵に立ち向かう自分達のエネコやコイル、そして青いポケモンの姿だ。二人は顔を見合わせた。
「……言いたいことは後にしよう。まずは力を合わせよう」
「……ってことだよな?」
さっきまで後輩だった青いポケモンに呼びかけると、姿が変わっても言葉は通じるのか青いポケモンは頷いた。その時、青いポケモンの羽毛に挟まっていたモンスターボールからラブカスも出てきた。
(どうしたのハートちゃん!)
聞き覚えのある声が二人の警官の頭に響いた。
「うん。ハートちゃんも力を合わせたいってことだろ、たぶん」
警官の一人はそう呟いた。
「任せてもいいんですか? 結構鍛えてますよ。あの二匹」
「部下がなんとかすると言っている以上は信じる」
無線を部下から受けた上司は答えた。モンスターボールからチョンチーを出して犯人に身構えた。ダイゴは下の様子をチラリとだけ確認し思わず
「ついにハイビスさんが……」
と口にした。
「心配なさらないでダイゴさん。部下を信じてやってください」
崖の下の様子を彼とエアームドしか目撃していなかったので、上司も犯人も厳密には下で何が起きているのか分かっていなかった。
「……はい。心配はしてないです」
そして説明するのもやめることにした。今度こそ犯人に向き合わなければならない。先程まで移動に頼っていたエアームドをそのまま犯人に向き合わせる。犯人の方は思ったより二人が焦らなかったのでつまらなさそうだった。
(続く)