【hrak】切と爆が登山靴を買う その場所は、駅前から続く地下街のいちばん奥にあった。周囲の景色が段々と寂れていって、シャッターを下ろした店が多くなる。開いている店も、怪しげなアジア風の雑貨だとか、家庭用のパソコンで作った感満載の看板を掲げたマッサージ屋だとか、切島鋭児郎にとっては到底自分から足を踏み入れることはないだろう思うようなラインナップだ。
一体どこまで歩くのかと思い始めたころに、目的地は突然現れた。周囲の薄暗い店とは違い、ショーウインドウから店内まで明るい照明で照らされ、様々な商品が整然と並んでいる。商品たちは緑や茶色、それに無機質なシルバーのものがほとんどなので、「カラフル」という言葉にはそぐわない。それでも切島にとっては、異世界か魔法の国のようにわくわくする空間に思えた。
爆豪勝己がよく行くという、アウトドア用品の専門店だ。
「すっげぇ! ここにこんな店あったんだ!」
「はしゃぐなうるせえ。声響いてんだよ」
爆豪に睨まれて、切島は慌てて声を落とした。斜め向かいのパワーストーンの看板を掲げた店から出てきた客が、怪訝そうにこちらを見ている。爆豪は不機嫌そうにその二人組に目線をやって、小さく舌打ちしながら店内へと入っていった。怯えた表情をする二人に軽く会釈をして、切島もそのあとに続いた。
店内には、切島が見たこともないような道具で溢れかえっていた。何を入れるんだと思うような大きなリュックサックに、先がかぎ爪のような形になったステッキ。店内の一番目立つところに張られたテントを覗き込んでいると、「こちら畳むとこんなに軽くなるんですよ」と店員がナイロンの袋を渡してきて、そこにテントの骨組みやシートが入っているとは思えないくらい軽くて驚いた。
特に切島の目を惹いたのは調理道具の数々だった。棚いっぱいの燃料ボンベや折り畳み式の五徳を見ると、これを使って野外で調理してみたいという冒険心が疼く。
「なあバクゴー、これ、バクゴーが持ってるのと同じやつか?」
「家でも料理しねえ奴が、なんで山登って飯作ろうとしてんだよ。てめえが用あんのはコッチだろうが」
そう言って爆豪が顎で示したのは、トラッキングシューズが並ぶ一角だ。そう、爆豪の登山に着いて行ってみたいと頼んでみたところ、まずは靴を買えとこの店に連れてこられたのだ。本来の目的を思い出した切島は、爆豪のあとに着いてシューズのコーナーに向かった。
普段履くスニーカーよりもごつめの登山靴が並ぶ棚の前に立つと、新しいゴムの匂いがした。用途ごとに足首を覆う部分の高さや、靴底のゴムの硬さが違うらしい。「まあ初心者ならこの辺だな」と爆豪が棚から靴を見繕い始めると、待ってましたとばかりに店員が寄ってくる。
「お客様、登山靴をお探しですか?」
「えーっと、ハイ。初めてなんで、友達に色々選んでもらってるんですケド……」
「おい切島、ボーッとしてねえで履いてみろ」
店員との会話を遮るように、爆豪が靴を指し示した。店員が慌てて「こちら、試着用の靴下になりますので、よかったらお使いください」と分厚い靴下を差し出してくるので、切島も慌てて受け取った。爆豪の方をちらりと見ると小さく頷いていたので、履いた方が良いということだろう。
普段切島が履く靴下の三倍は厚みがありそうな靴下を履いて、爆豪が最初に選んだ登山靴に爪先を入れる。「おいちゃんと紐解いてから履け」とダメ出しが入ったので、履きかけた靴から足を抜いて、無造作に結んである靴紐を解いた。
「お客様は、もう何度か山に登られたことがおありなんですか?」
店員が爆豪に対して控えめに問いかける。爆豪は不遜な態度で小さく頷いただけだったので、切島が後を引き継いで、「コイツは詳しいんで、色々聞いてるんですよ」と説明した。
「でしたら、また何かお困りの際にはお声かけください」
店員はそう言って引き下がっていった。一見不機嫌そうに見える(本当に不機嫌なことも多いが、今日は至って普通か、少し上機嫌な方だと切島は思っている)爆豪の態度がそうさせたのかと思い、切島は一応「あんまり睨むのもよくねえぞ」と声を掛ける。
「モノと場所借りるときゃ許可取るから、いいンだよこれで」
横でべらべら喋られるとうるせえわ、と爆豪は眉間に皺を寄せている。相変わらずだなあとため息を吐いて切島が試着を再開すると、サイズの合わせ方やら紐の結び方やらで、またダメ出しが入る。靴一つ履くのにもこんなに作法があるのか、と驚きながらも、切島はようやく最初の一足の紐を結び終わった。「しばらくその辺歩いてみろ」と言われて、店内をぐるりと一周する。
「これ、めっちゃ歩きやすいな! 足首安定するし!」
「こんな平坦な店ん中ばっか歩いてどうすんだ。あーゆーとこ歩くんだよ」
そう言って爆豪が示した先には、傾斜や岩場を模したような斜面台が置いてあった。なるほど、先ほど爆豪が言っていた「モノと場所借りるとき」とはこんなシチュエーションなのか。内心納得した切島は、店員に一言断りを入れてから斜面台を登ってみた。靴底ががっちりと岩肌を掴んでいるのを感じる。デコボコした足場でも硬いゴムが爪先を守ってくれて、安定感があった。
「これすげえな! 山道でもいくらでも歩けそう!」
「本物の山道はもっと足場悪ぃぞ。わかっとんのか」
一足だけじゃだめだ、色々試して決めろと言われて、切島はそれから何足もの登山靴を試し履きした。何度目かの斜面台の上り下りの途中で退屈しているのではないかとふと様子を伺うと、爆豪は爆豪で、切島が試しているものよりも足首のカットが長い靴を気にして見ているようだった。カットが長い靴の方が、険しい山に向いているという。
「決まったかよ」
最初に履いた靴をもう一度試そうと履きなおしていたとき、しばらく一人で店内を見ていた爆豪に声を掛けられた。
「おう、やっぱりお前が最初に選んでくれたやつが、いちばんよかった気がするんだよな」
爪先に少しゆとりがある状態で、下の方から順番にしっかりと靴紐を締めていく。靴を足に固定するつもりで、丁寧に。何度かの履き替えで覚えた紐の結び方で、もう一度最初に選んだ靴を履いた。やはり足に一番フィットする。もう一度斜面台を上り下りすると、身体を足をしっかり支えてくれているのを感じた。
「じゃあはよ買って帰るぞ。さっきからまた店員の目線がうるせえ」
「目線だけでそんな怒るなって。……すんません、これください」
会計を済ませて店を出ると、もう日が暮れかかる時間だった。地下街の隅にある店に長居したので、時間の感覚が分からなくなりそうだ。
「……でもあの調理器具、やっぱカッコ良かったなぁ」
「……別に俺が持ってる分で二人分くらい作れるわ」
「バクゴー……」
「カトラリーだけ買やいいだろ」
言外に山の上での食事を約束されて、切島の胸がじんと熱くなった。爆豪の表情はほとんど変わらないが、これが彼なりの穏やかな表情だと、これまでの付き合いでわかるようになった。
「俺、ラーメンとか食べたい! 卵入れるやつ!」
「んなモン余裕だわ。もっと作り甲斐あるやつリクエストしろ」
寂れた地下街に、二人の足音と会話が響く。今日だけでこんなにわくわくしたのだから、本当に山に登るときはもっと楽しいだろうと思うと、休日が終わるにも関わらず、切島の足取りは軽くなった。
fin.