5.誰が誰の嫁だ!(です!) 外が騒がしいと思ったら、ギャラリーを引き連れて、あの男が現れた。
「ちーっス、黒子っちいますかー?」
館内の視線を一身に浴びてなお怯まないのは、人の視線に慣れているからだろうか。
「お前っ、黄瀬! 何しに来たんだよ!」
ボールを両手で持った火神が出入口に向かって怒声を放つ。黄瀬はどこ吹く風でしれっとリコに話しかけていた。
「すんません、カントクさん。黒子っち捕まえたら、すぐに退散するんで」
「そうね。そうしてくれると嬉しいわ」
「ありゃ、引き止めてくれないっスか」
苦笑した黄瀬を見ても、リコは真顔を崩さない。ギャラリー引き連れてとっとと帰れというのがリコの心底だが、さすがに声には出せないので、空気で察しろという無言の圧力をかけているのだ。
冗談が通じないとわかるや否や、黄瀬は真面目な態度に改めた。
「練習の邪魔してすんません」
はあっ、と小さなため息をついて、リコの表情がようやく和らいだ。
「黄瀬君に非はないんだけどね。このギャラリーだと、うちの部員がやる気なくしちゃうのよ」
リコと黄瀬が苦笑しあっているところへ、ちょうど黒子が戻ってきた。
「あれ、黄瀬君。どうしたんですか」
「黒子っち! 待ってたっスよ!」
黄瀬の喜ぶ声をかきけすようにリコのホイッスルが鳴り響く。
「あ、行かないと。ちょっと待っててください」
走り去る黒子の背中を見送って、黄瀬は壁にもたれて腕を組む。そんな仕草に歓声がわく。集合している誠凛メンバーがげんなりと肩を落とすのが見えた。
「ちょっと出ましょう。練習の邪魔になってるので」
戻ってきた黒子が黄瀬を体育館から連れ出す。それに火神が追随する。
「ちょっ、なーんで火神っちがついてくるっスか!」
「ついてってねェよ! お前らがオレの前歩いてんじゃねえか!」
「それを尾行と呼ぶんスよ!」
「呼ぶかっ! つかお前、ほんとに何しに来たんだよ……」
火神はうんざりという顔をした。
実は今日、黄瀬は一人で来たわけではない。笠松も一緒だ。バスケ部の代表として所用を片付けに来た。だから、黄瀬がこうしてフラフラ出歩いている間も、笠松は職員室で大人の話を聞いているのだろう。多分この後、黄瀬は怒られる。
それでもいいのだ。誠凛まで来て黒子に会わずに帰るなどということは、黄瀬にとっては地球上から海水がなくなることと同じくらいありえないことだった。
水場で火神が顔を洗っている。
そのすぐ横で黒子と黄瀬が話をしている。
「だから、なんでオレの近くで止まるんだよ!」
「オレも気になってんスけど! 黒子っち、なんでココなの!?」
「ボクが顔を洗いたいからです」
微妙な空気のなか、黒子だけが意に介さずバシャバシャと顔を洗っている。そして、ぼたぼたと落ちる雫をシャツの肩で拭い、「ところで黄瀬君、何の用ですか?」とさらに黄瀬をへこませた。
「何の用って……。用事がなきゃ来ちゃダメっスか」
「普通こないでしょう。用もなしに」
「えーっ! んー、たとえば顔が見たい〜とか、話がしたい〜とか」
「女子かよ」
「外野は黙ってるっス!」
黄瀬はとにかく黒子と話がしたいのに、当の黒子はまるで自分に無関心だ。そのうえ火神が横槍を入れてくる。
そこに、輪をかけて黄瀬をへこます(というより脅かす)大声が聞こえてきた。
「おら、黄瀬ェ! 帰んぞコラ、出てこい! 黄瀬ェ!!」
「あぁもう終わった! まだ全然話できてないのに! 黒子っち、もういっそ、うちに嫁に来るっスよ!!」
「誰が誰の嫁だっ!!」
「どーして火神っちが怒るっスか!!」
そんなやりとりを、黒子はいつもの顔で見ている。
ほどなくして、笠松がここにやって来た。
「こんなとこで油売ってやがったのか! とっとと帰んぞコラ、時間もったいねぇだろ!」
「まだなんも、つかこれからだったのに〜……」
「知るかっ! つかお前、勝手に消えんな!」
少し遅れて、その状況に日向・伊月・小金井が合流する。
「あれ、海常さん? まだこんなとこにいたんだ」
先ほど体育館で笠松の対応をした日向が軽く驚く。
「事情があるんだよ、こっちも」
笠松の機嫌が斜めなのを見て、日向は火神に目線を向ける。
「オレ、なんもしてねえよ! ……ですよ!」
「とにかく帰るぞ、とっとと歩け!」
黄瀬の後ろ襟首を鷲掴みにして、笠松がその場から離れようとする。
「ああぁ〜っ、黒子っち、嫁の件マジっスから考えといて〜っ!」
「気持ち悪いこと叫ぶなっ!」
フェイドアウトする黄瀬の叫びに、笠松の怒声が重なるところまでは聞こえた。
「だから、誰が誰の嫁だってんだよ……!」
こめかみに青筋を立てる火神を横に、二年二人は呆れ顔、黒子はやはり無表情だ。唯一、真面目な顔で見送っていた伊月が、はっとしたと同時に口にした言葉は、
「空気ヨメないヨメがヨンメイ……!」
「四人いないけどな」
小金井によって瞬殺されていた。