春は君の手をひいて「チューリップって、こんなに種類あんのか」
春の花々が彩る駅前の花屋。その店先に、焦凍と出久は立っていた。
かたや母親の見舞い、かたやトレーニンググッズの買い物、それぞれ別の目的で出かけようとした二人は寮の玄関で鉢合わせた。
寒の戻りも和らいだ日差しの中、自然と並んで歩き始めた二人の足を止めたのは、少し春らしい花をお見舞いに持って行きたい、という焦凍の一言だった。
そして今、花屋の前。
春といえば、とまっすぐ店の一角ーーチューリップが並ぶあたりに向けられた焦凍の人差し指は、その種類の多さに戸惑ってゆるゆると下ろされた。
「……"あか、しろ、きいろ"、だけじゃねぇんだな」
童謡の一節を呟いた焦凍の声には、困惑の中にも素直な感心と感動がこもってる。
まるで見るもの全てが新しい幼い子どものようで、つい出久は微笑んだ。
「本当だね、二色混じってるのもある。どれにするの?」
出久の問いかけに、焦凍が黙り込む。口元に手をあて、視線は花々を行ったり来たりしていた。
「……病室には、よく青い花が飾ってある。でも青いチューリップはここにねぇな」
「うーん、ザ・チューリップ!っていう色なら、赤だけど……」
「あか……」
それきり、再びの沈黙。
あか。炎。左。エンデヴァー。色から連想されるそれらのイメージが、きっと言葉が澱んだ理由だろう。出久は自分の下唇を摘み、うーん、と首をひねった。
「あ!」
「お」
「じゃあ、一本ずつ違う色にするのはどう?」
全種類! パッと顔をあげるや屈託なく笑った出久に、焦凍はぱちくりとまばたきをした。
「こんなに種類があったんだって言った時の轟くん、新しいものを見つけて、ちょっと嬉しそうに見えたから」
「……そう、か」
「うん! ……あ、でも気に入った色があるなら」
「いや。……そうだな、全種類にする」
色違いの双眸が優しく細められる。その瞳が、この世界にあるものーー家族を雁字搦めにしたもの以外を捉えたなら。そしてそこに、小さくとも喜びがあるなら、尚更。きっと彼のお母さんは喜んでくれるんじゃないだろうか。色とりどりのチューリップの花束が、口数の多くない彼の背中を押してくれればいい。託すような、祈るような気持ちで、出久は店員を呼び止める焦凍の背中を見つめた。
「ラッピングに少し時間かかるって」
店員に小さく頭を下げてから、焦凍が戻ってくる。
「そっか」
「緑谷は、その」
口籠りながらふいと視線を逸らされる。その様子に首を傾げた出久は、視線だけで言葉の先を促した。
「用事あんだろ、付き合わせんのもわりぃし」
ここで、と呟く声はどこか頼りなく聞こえた。どうやら花束を受け取るまで待たせるのが申し訳ないらしい。そして、ここで別れることを少し名残惜しく思っている、らしい。
なぁんだそんなこと、と出久はくすくす笑って、自分よりも背の高い身体をしゅんと縮こまらせた焦凍の手に触れた。柔く握り、小さく引いてみる。焦凍の指先にぴくりと力が入った。
「一緒に待つよ、別に時間の約束があるわけじゃないし」
「……そうか」
「あ、ほら。これ、轟くんみたい」
出久が指差したのは、赤い花弁が白く縁取られた二色咲きのチューリップだった。焦凍は出久の肩越しに覗き込み、本当だ、と指先で葉に触れた。
「緑谷の緑も入ってる」
「それ葉っぱでしょ、どの花にも入ってるよ」
「どの花にも入ってるのが、尚更お前っぽい」
「それどういう……っ、」
言葉の意味を図りかねて振り向いた出久は、あまりの顔の近さに目を見開いた。視界いっぱいの整いすぎた顔。さらりと鼻先に触れた赤と白の前髪。花々のせいだけじゃない香りは、焦凍の匂いだ。
気づいてしまえば心臓の音がどきどきと耳の奥に響いて、誰かに聴こえてしまうんじゃないかと思うほどうるさい。
ごまかすように、出久はバッと勢いよく花に視線を戻した。視界の中、焦凍の指先は少し波打つチューリップの葉の縁を、つぅ、と撫でた。
「お母さんにも話すよ、葉っぱが緑谷みてぇだって」
「えぇ、ぼ、僕のことは別にいいんじゃない……?」
おずおずとストップをかける出久を、焦凍はきょとんと見返した。あ、だめだ。これは伝わらないやつ。出久の予想通り、心底分からないという表情で焦凍が首を傾げる。
「なんでだ? お母さんはいつも喜ぶぞ、緑谷の話すると」
「そ、そうなの?」
「あぁ。俺が、……」
はた、と突然言葉は途切れた。しまったとでも言うように口に手をあて、焦凍の目が出久から逸らされる。
「"俺が"、どうしたの?」
今度は出久がこてんと首を傾げる番だった。先を促しても焦凍の口は「あぁ」とか「その」とか歯切れの悪い声を漏らすばかりで、ついには口を噤んでしまう。
「……なんでもねぇ」
「えっ! なに、気になるなぁ」
けれど、隠そうとしていることを無理に聞き出すのも良くないだろう。それに焦凍は話すべきことならきちんと話してくれる、という信頼が出久にはあった。
時に痛々しいほど、けれど痛みも丸ごと自分のものと受け止めるように。まっすぐで、偽りなくーー例え、身の切れるような辛い話であっても、だ。
(……今はそんなに辛そうじゃない、かな)
出久がほっと息をついたのと同時に、「お客様」と声がかけられた。
ラッピングされたチューリップの花束を受け取って、焦凍が出久に向き直る。
「緑谷、待たせてわりぃ」
「っ、」
洋服も普段通り、髪もセットしているわけではないのに、花束を持つだけで様になる。容姿が整っているせいもあるだろうが、何より焦凍の佇まいには品があった。華やかながら爽やかさと慎ましさのあるチューリップがとても似合っていて、落ち着いたはずの出久の心臓はまたどくどくと脈打った。
「緑谷?」
「う、あ、その」
手でぱたぱた扇いでも頬の熱は逃げていかない。心配そうな焦凍の視線に耐えかねて、出久は両腕で顔を隠しながら言葉を探した。
「はっ、花束、似合うね! とどろきくん」
「……緑谷も欲しいか? 花束」
「っへ?! いや、僕は」
「あぁでも、もし緑谷に見せたい花を見つけたら、」
予想外の質問に慌てる出久の腕を、焦凍の手が片方ずつ掴んで、下におろしていく。隠れるものをなくした出久の視線は逃げ場をなくし、おず、と色違いの双眸を見つめ返した。
「花束にして持ってくんじゃなくて、お前を連れてきて、一緒に見てぇ」
ようやくかち合った視線に、焦凍は満足げに微笑んだ。
その笑顔が、あまりに優しくて。
それを向けられているのが、自分であることが嬉しくて。
「……うん、」
出久もまた、ふわりと笑った。
「僕も、君が見ていいなと思ったもの、そのまま見たいや」
へへ、と笑い合って、どちらともなく手が差し出される。
駅の改札までの束の間、春の空気を握り合って、また二人は並んで歩き出した。