【君を隠したかった】忘羨金凌と藍思追は正座をしていた。
すでに金凌は江澄にしこたま叱られ、目を赤く腫らして背中を丸くしてうつむいている。
共に叱られてはいるものの、藍思追はさほど悪い事はしてなかった。しかし金凌が雲深不知処でおかしな試みを静観していた為、こうして金凌と共に藍先生からの説教を受けている。
「また猫などを馬鹿げた札で忘機に変化させようとしたら、今度は姑蘇のやり方で罰する。それが宋主だとしても、同じだ。心に刻みなさい」
「はい…」
金凌はもう顔を上げる事ができないほど落ち込んでいた。金凌は午前中、高額な符を購入した。さっそく金凌は符を猫に貼り、変化するかどうかを試したのだ。
金凌が雲深不知処を訪れると、藍思追はあらかじめ文をもらっていた。藍思追が金凌を迎えに行くと、金凌は摩訶不思議な符を自慢し始めたのだ。この符で動物が人間に変化し、従順な手下になると。
好奇心に従い、藍思追は本当に変化をするのか金凌と共に一緒に見守る事にしたのだ。
己が思う人間に変化させられる。金凌は強い手下が欲しかった。叔父に怒られたら守ってくれるような…。金凌が一番強いと思う者と言えば、藍忘機以外いなかった。
彼ほど強い者を手下にできれば、怒り狂う叔父から守ってくれるだけでなく、きっと今後の夜狩りに非常に役立つと目論んだのだ。
しかし残念ながら変化は失敗した。猫は子猫だったらしく、藍忘機に似た幼子になった上、まったく従順ではなかった。逃げ出し、その小さい藍忘機はあろう事か静室へと逃げ込んでいたのだ。
そして、その失敗作である小さい藍忘機はすぐに猫の姿に戻ってしまったのである。
「猛省しなさい」
藍啓仁の最期の一言に、二人は「ハイ」と最期は背筋を伸ばして返事をした。
一時辰もの説教を受け、やっと二人は解放される。
藍啓仁と江澄が今後の清談会で論議される件について少し話し合う事になった。
終わるまで金凌は思追の部屋で待つ事になり、トボトボとゆっくり歩を進める。
部屋へ向かう少年たちの背中に、藍忘機は声をかけた。
「金宋主、藍思追」
どれだけ顔を合わせても、毎度藍忘機の前だと金凌は緊張してしまう。真一文字に口きゅっと引き結び、振り返った。
「人を変える事はできない」
藍忘機の前触れなく発言されたその意味がわからず、少年は首を傾げた。
「昔、ある人を変えようと努力した事がある」
魏無羨だけがドキリとする。誰の事なのかすぐにわかった。含光君の過去に興味を持った少年は静かに年長者の話に耳を傾ける。
「その人のためになる事だと考え、会えば必ず姑蘇に来るように説き伏せようとした」
藍忘機と一瞬目が合い、魏無羨は背中を固くする。
「その人は死ぬまで、私の思うような行動はとらなかった」
「含光君が言っても考えを改めないなんて…とても頑固な方だったのですね」
藍忘機が一度ウンと頷いたので、心の中で魏無羨は「頷くなよ」と夫を突っ込む。
「人にはそれぞれに正義がある。大人になると、信じるものを変える事は難しい」
魏無羨はうつむいた。藍忘機は続ける。
「しかしまだ大人になりきっていない年齢の君たちにとって、考えを改める事はそう難しい事ではない」
「なるほど」
藍思追がフムと納得したような様子を見せ、金凌は眉を寄せた。
「今の話で何がわかったって言うんだ?」
「だからだな、金凌」
魏無羨が口を挟む。
「何が正しいのか、正しくないのか、おまえ達は大人の影響でコロコロ変えられるって事だ」
「はぁ?」
「お前はまた、もしかしたら含光君でなく違う奴を手下にできるか試みる事があるとする」
「もうしない!」
「わかったわかった。例えだ。聞いとけ。数年後。お前が大人になった時にまた同じ事をしようとしたとする。そして符の効力は抜群で、含光君より強い手下を手に入れた。その後、夜狩りでばんばん成果を上げるんだ」
「…いい話じゃないか」
「本当にそう思うか?そのうちお前は符で変化させた手下ばかりに戦わせ、お前自身の成長は止まり、弱くなるんだ」
「そんなのありえない!」
「だから例えだと言ってるだろう?含光君が言いたいのは、何が正義か、何が悪かをしっかり見極めろと言いたいんだ。それから…」
続きは藍忘機が言うようにと、魏無羨は夫を見上げる。
「他者を変えるのは容易ではない。何か問題に当たった時は臨機応変に自分を変える事も大事だ」
金凌はまたキュッと口を結ぶ。
「今回の件をきっかけに、いい方向へ成長しろって言いたいんだよな?藍湛は。」
藍忘機は静かに頷いた。たとえ子どもであろうと身分は宋主だ。江澄や藍啓仁以外の人間がおいそれと叱る事はできない。叱れる機会が少ないからこそ、今回の件を成長の糧にするように藍忘機は言いたかったのだ。
「俺の夫は口下手だからな。多少わかりにくくても察してくれ」
フン、と金凌は両腕を組んでそっぽを向く。そして小さい声で言った。
「含光君と、魏嬰の事は尊敬している。強い奴は認める性分だ。だから…悪い大人にはならない」
暗に、自分の目指す人間は正義だから問題無いと言っているようだ。
察した魏無羨は口元を弧にし、にんまりと笑った。
「いい子だなぁ!」
「コラやめろ!」
可愛い甥の頭を撫でつけていたら、江澄が「帰るぞ!」と迎えに来たのだった。
その夜―――
「藍湛が亥の刻が過ぎても起きてるのは、もう俺が亥の刻に眠れない奴だとあきらめたって事か?」
「あきらめたわけではない。ただ、今は君に合わせようと思っているだけだ」
寝台の上で抱き合い、しばしお互いの体温を感じ取る。姑蘇の夏も暑いが、夜になると涼しく過ごしやすい。
「お前が無理を言えば、俺だってもうちょっと努力はするのに。昼に金凌に言ってた通り、”自分を変えた”のか」
「うん」
魏無羨の髪を指で救い上げ、口元に近づけた。
「臨機応変に対応できて大変よろしい」
魏無羨も、同じように藍忘機の額当たりの髪に口づけをする。
少し間があいだのち、藍忘機が魏無羨を少し強めに抱きしめて言った。
「君をこの部屋へ隠してしまいたかった」
「いま、夢が叶ってよかったな」
「うん」
目を合わすと、自然と唇は重なっていた。
「ん…藍湛、藍湛」
うん?と藍忘機は魏無羨の頬を撫でた。リンリンと虫が静かに合唱する夜。風は気持ちの良い加減でそよそよと二人を通り過ぎる。
「酒飲みたい」
前触れなく放たれた発言に藍忘機はなんとも言えない顔をする。間違いなく今の流れは酒を飲みたいなどとねだる雰囲気ではなかったはずなのだ。しかし藍忘機が駄目だと言うはずもなく、床に隠してある天子笑を取り出して魏無羨に渡してやる。
「今日いろいろあったろ?朝からずっと飲めてなくてさー!お、今日は月がきれいだ」
魏無羨は外に出て月を堪能し始めた。
藍忘機は魏無羨と同じように顔を上げ、月の美しさにしばし引き込まれる。
「藍湛教えてやるよ、満月を見ながらの酒は格別にうまいんだぞ」
ン、と天子笑を渡してくる彼を一度見る。一拍置いたのち、藍忘機は酒を受け取り、その液体を口にした。
「お前の酒癖は一生変わらないだろうなぁ」
思った通り、藍忘機は魏無羨にもたれかかるように眠り、しばらくして目を覚ました。
「お、起きたか。調子はどうだ?」
「あかん」
「へ?!」
天子笑をとりあげられた。ずるずると藍忘機に手を引っ張られ、部屋の中へ引きずり込もうとする。
「酒はもう終わり」
「ちょっと待った!どうした?口調がなんか違うぞ」
「姑蘇弁で喋ってほしいて昼言うてた」
確かに言った。しかしそれは冗談だ。藍忘機も魏無羨の冗談を毎度真面目にとらえるような事はしない。その後、子猫が変化した小さい藍忘機を見つけ、姑蘇弁の話は流れたのだ。
「姑蘇で話す男もなかなかエエなぁて、言うとったやろ」
魏無羨の右側の頬当たりがヒク、とこわばる。面白い。面白いが、こんな話し方をさせていいのかまずは魏無羨は考える。そしてすぐに結果は出た。今夜はこのまったりした話し方をする藍忘機と遊ぼうと。
「言った言った。言ったわぁ」
魏無羨もできるだけ姑蘇の方便に寄せて答えてみた。
「やし、大人しくし」
確か、
「やし」は「だから」
で、
「し」は「しろ」
という意味だったかなと魏無羨は瞬時に考える。
「なんで大人しくしなきゃいけないんだ?」
大人しくしろと言う意図は当然理解している。わかってて聞いたのだ。行動は子どものようだが、中身は大人である。酔った藍忘機は魏無羨を押し倒した。
「すぐにわかる」
魏無羨の腰ひもを解くと、はらりと胸がはだける。
「こんな所でスるのか?外から見えちゃうぞ」
藍忘機は一度動きを止め、魏無羨を横抱きにして寝台へと向かった。
「いった!もう、ほんと…お前!酔ったら乱暴に扱うの治せ!」
魏無羨は腰をイテテとさすりながら抗議する。
「わかった」
藍忘機も隣に座り、魏無羨の腰をさする。
「なぁ藍湛、俺の事、好き?」
「好き」
「本当?」
「ほんまに」
もっと方便で話してほしくて、藍忘機の方ばかり見ていた。
気づけば両腕は縛られている。
「今夜は姑蘇弁で俺をいじめてくれ」
「わかった」
その晩、新たな藍忘機を見つけた魏無羨だった。
fin.