道侶以上コイビト未満「1つ屋根の下で夫婦実習?!」
「そう。疑似夫婦になって過ごすの。これはもう決まった事。異を唱える者は反逆者として処罰しますわ!」
温晁に体を預けたまま、声高々に王霊嬌が指示をした。
整然と列に並ばされた若者達がそれぞれ一同に眉を寄せる。
居丈高に言う王霊嬌に対しおぞましいものでも見るような目つきになったり、
頬に両手をあて周囲の男性を見渡しながら顔を赤く染めたりと反応は様々だ。
16才以上、18未満の未婚の修士は必ず温家に来るよう通達が来た。もし来なければ敵として相対すると。
温家の勢いは絶大だ。仲間だとはどの世家も微塵も思ってはいないが、敵にしては厄介という言葉だけではすまない自体になる。
「夫婦となる相手は我々が決める!俺の配下達が貴様らを滞在場所へ今から案内しよう」
温氏によって決められた男女が疑似夫婦として三ヵ月間過ごすという信じがたい説明がされた。仙士になると、己の技を極める事に命をかけるようになる。そのため生涯の相手を見つける事を諦めてしまう者が多いのだ。それを阻止するため、温家にて夫婦の良さを知らしめてやろうという考えに至ったという。
これは温家の宋主が考えたことでも、温晁の考えたことでもない。王霊嬌の思い付きと言うから、納得などできるはずがない。
何より結婚前の女性が男性と共寝するなどもってのほか。勇気ある数人の修士が反論の意を唱え始めた。その中でも最も大きな声で抗議したのが金家の後継ぎである金子軒だ。
「ふざけるな!私たちは新しい知恵を得る為にやってきたのだ。何が夫婦実習だ!帰らせてもらう!」
金子軒が踵を返したその時、温晁の放った矢が油断していた女性修士の頬をかすめる。金子軒の従者だ。
「キャア!」
魏無羨が眉をひそめ、矢を放った温晁の腕をつかんでいた。王霊嬌はすぐさま逃げだし、安全だと思えるところまで走った。
女性修士の頬をかすめる程度で済んだのは、魏無羨が矢を寸前で折ったからだ。
折った矢を握ったまま、一度の跳躍のみで移動したのである。
「何をする!魏無羨!家僕の分際で!」
周囲の温家の従者が魏無羨に剣を向け、取り囲む。
「なぜ女の子に矢を向ける?しかも顔にさ。お前の隣にいた奴にもおんなじ事してやろうか。顔は可哀想だから足にしといてやるよ。あぁでもうっかり手が滑って喉を刺しちゃうかもな!はは!」
魏無羨から殺気めいた眼差しを感じ、王霊嬌がヒッと小さな悲鳴を出す。
つかんでいた相手の腕をパッと放してやると、温晁は王霊嬌のとこまで走って逃げた。
江澄がオイ、と魏無羨の肩をつかむ。それをふりほどき、温晁に向かって魏無羨はツバを吐く仕草をした。王霊嬌は素手で矢を飛ばしたとしてもここまで飛ぶはずがないだろうと無駄にふんぞり返っている。
温晁は額に青筋の血管を浮き上がらせ、魏無羨の首を切り落とそうと一歩足を出す。
足に矢を刺してやろうか?と言われて喜ぶ女などいない。王霊嬌は嫌がらせをしてやろうと今しがた思いついた案を温晁の耳で囁く。温晁がなるほどと冷ややかな笑みを浮かべた。
「江晚吟」
温晁が剣を降ろし、江澄に顔を向けた。
この茶番に江澄は反吐が出そうな程気分が悪かった。温晁が話しかける前から江澄の眉はきつく寄せられていた。
「なんだ」
「お前の家僕が最も苦手なものを教えろ」
江家からは江澄、魏無羨、江厭離の三人だけだ。家僕は魏無羨しか連れてきていない。
「苦手なもの?魏無羨のか?」
お前のような外道に言うわけないだろと即座にこたえたかったが、下手な言動は慎むのが得策だと考えられる程には冷静だった。
魏無羨に目をやってから、江澄はぐるりと周囲を見渡す。藍忘機に一度目が留まり、目線を温晁に戻す。
魏無羨が苦手とするものですぐ思いついたのは犬だった。しかしこのいけ好かない男に魏無羨の弱点を教える義理は無い。後ろで江厭離が心配そうに「だめよ」と声をかける。犬の事は言うなと注意したいのだが、口を大きく動かすと温晁にバレてしまう。
江澄は小さく頷いた。
適当に氷結のように冷たい男の名を上げる事にした。あながち嘘ではない。
「藍の二の若様、だと思う」
魏無羨は「ハハッ、確かに!」と折った矢を捨てて両腕を頭のうしろに回す。
当の藍忘機は無表情だ。
「一度目は許す。ただし二度目は無い!この実習において文句を言うやつは問答無用でこの矢で心臓を射貫く」
全員、武器となる剣は取り上げられてしまっている。
立ち向かう術は無いワケではないが、温氏を敵にしてはいけない。
それぞれ歯をギリリと食いしばり、耐えた。三月(みつき)過ぎれば家に帰る事ができる。無事に帰還できるならそれでヨシ、耐えられなくなれば鳥に手紙をつけて実家に迎えに来てほしいと願えばいい。
温家の配下達がこちらへと案内し始める。ぞろぞろと温家の従者の後ろについていく修士の人込みに混じり、魏無羨も並んだ。
江澄との別れ際に、師兄として江澄に注意しておく事にした。
「間違っても嫌がる女の子に手は出すなよ。一緒に飯を食べるだけにしとけ?もし手を出したらお前が豚の餌になるぞ」
「当たり前だ!親の承諾もなしに結婚なんかするか!」
江澄が歯をむき出しにしてがなる様子に、魏無羨は腹を抱えて笑った。
***
妻役の相手が好みの女の子でありますようにと願いながら、魏無羨はチョロチョロと中の模様や調度品を漁っていた。
「見栄えのする品ばかりだ」
そこへ、突然喧嘩でも始めたのかと思うほどの大きな怒鳴り声が聞こえる。
「帰る!こんな実習、付き合ってられるか!」
「お待ちください、坊ちゃん」
「坊ちゃんと呼ぶな!」
外を見ると、崖下に家と人影が見えた。
いたのは金子軒と先ほど頬の軽傷を負った従者、そして傍でよくわからない動きをしているのは聶懐桑だ。
「金の若様、こらえて、こらえて」
聶懐桑が扇子で金子軒をそよそよとあおぐも、逆効果だったのかその扇子はバチンと地面に叩き落とされる。
「邪魔だ、どけ!」
「ひ、ひどい…お気に入りの扇子なのに。羅殿、金の若様もこう言ってますし、僕たちは僕たちの家で夫婦実習しましょう?」
「いえ、そういうわけには…あ!坊ちゃん、あの方は………!」
ゆっくりと歩いてきた可憐な女性に、一同息をのむ。
ピョンピョンと岩を蹴って飛び降り、近くまで来ていた魏無羨は目を丸くした。
金子軒に至っては眦(まなじり)が裂けるほどに目を見張っている。
江厭離がやってきたのだ。
(あの大馬鹿野郎の夫婦実習の相手って、師姉!?)
金子軒と江厭離は親が決めた許嫁同士である事は有名で、どの世家も知っている。
定めた温家の基準はわからないが、二人が夫婦実習の組み合わせになるのはなんら不思議な事ではなかった。
従者は安心したように金子軒から離れ、聶懐桑と共にあてがわれた家へと入っていく。
魏無羨はコソコソと木の後ろに隠れた。
頬を赤らめあう、なんとも雰囲気よく肩を並べている江厭離と金子軒を観察する。
ガサリと物音がした。江澄だ。
「魏無羨。何をしてる」
「お前こそ」
フン、と二人で鼻で笑いあい、目の前のなんかむかつく男と江厭離を見守る事に徹する。
「き、君が私の…実習の相手か?」
「ええ。先ほどそのように仰せつかりました」
金子軒は鼻頭や頭に手をあて、せわしない。
「そうか。その…家の中に入ろう」
金子軒の顔は真っ赤になっていく一方だ。厭離は金子軒のせわしない動作に、彼が緊張している事に気がつく。手を口元にあててクスリと微笑む。
「はい」
江澄と魏無羨は下唇と顎を出し、面白くなさそうに眉を寄せて二人の背中を見守っていた。新婚夫婦さながらの幸せそうな朗らかな笑顔だ。いい気分はしないが安心は出来たのでその場から離れる事にする。
ふと気になった魏無羨は顔を江澄に向けた。
「いい雰囲気じゃないか。いつから?」
「知らん。もともと姉上はあのクジャク男が好きだったみたいだからな‥‥」
「ふーん」
魏無羨は口をとがらせる。
「江澄、お前の相手は誰だよ」
「いない」
「なんだって?」
「言葉を理解出来なくなったのか?い・な・い、と言った」
「なんでだよ」
「修士の数が奇数だったらしい。だから最終日まで一人で夫婦実習をするようにと指示をされた」
「なんだソレ」
****
あてがわれた家に戻り、あぐらをかく。
一体どんな女性を連れてくるのだろう?
夫婦実習だと聞いたその瞬間、その場で女性修士全員の顔を見渡しておいた。手を繋ぎたくないと思った女性は一人もいなかった。誰が来ても問題無い。
魏無羨は女性と口づけをする事はおろか、手をつないだ事すら無かった。
しかし心には十分な余裕があった。
「どんな女の子が来るかな!」
両腕を枕にして寝台に横になる。
聞き覚えのある足音が聞こえてきた。
―――おいおい嘘だろ?
魏無羨はゴクリと喉を鳴らす。お願いだから自分の勘が外れますようにと両手を胸に充てて扉を見つめる。
引き戸になっている扉が開かれた。そこには霜が降ったような、冷たい空気を放つ男性が佇んでいた。藍忘機は気配で家の中にいるのが魏無羨である事がわかっていたのか、寝台で祈りを捧げていた魏無羨を見ても表情はまったく変わらなかった。
「男じゃないか!」
こんなのおかしい。嫌がらせでしかない。江澄のように一人で夫婦実習をする方が断然マシだ。
「この家に来るようにと指示を受けた」
「夫婦って事は女と男が対になってるもんだろ‥‥温家のやつらが嫌がらせしてくるだろうなとは予想してたけど。はーぁ」
両手を広げ、トスンとうしろから寝台に寝そべる。
残念そうな魏無羨に藍忘機はムっとする。
「君は女人が良かったのか」
「当たり前だ。こんな機会めったにないし。温晁の野郎はムカツクけど、俺だって男なんだぞ。女の子と二人きりになれるなんて、ワクワクしちゃうに決まってる。お前だってそうだろ?」
「君は何をするつもりだったんだ…女人と」
「何をだって?そうだなぁ」
魏無羨はニヤリと頬を上げた。
女性と遊べないという結果を迎えた代わりに、魏無羨はいたずらを思いついた。藍忘機をからかって遊んでやるのだ。
藍忘機が鳥肌を立て、あの整った顔が青ざめていくのが脳裏に浮かぶ。
「藍湛、ココ座って」
クククと心の内で笑いながら藍忘機を木造の椅子に座らせる。何かを狙っている風の魏無羨に気づいたのか藍忘機は警戒しながら腰をおろした。
「こういう事をしようと思ってたんだ。あーすっごく残念。可哀想な俺を慰めて?」
彼の膝に乗り上げ、ぴったりと胸をくっつける。
藍忘機の体が石のように固まった。魏無羨は「ブッ!」と噴き出して、床に落ちて笑い転げてしまいたい衝動を抑える。
表情は変わらないが動揺しているのは明らかだった。
今度はすりすりと藍忘機の胸に頬を充てて甘えてみる。
「なぁ藍湛。頭を撫でてくれ。俺たちはこれから三ヵ月も夫婦として生活しなきゃいけないんだぞ?固まってるだけじゃダメなんじゃないか?これは実習だぞ。ちゃんと俺のお嫁さんとして仕事してくれ」
頭を撫でやすいように、胸元の白い衣にピッタリと耳をつける。魏無羨は閉じていた目をパカリと開けた。嫌悪するどころか、見上げて見た彼の耳が赤く染まり照れているのがわかった。無表情ではあるが。
目を開けたのは他でもない。藍忘機の鼓動が通常よりも早く鳴っていたのだ。
(まさか、藍湛は相手が男でもいけるのか?)
「緊張してる?」
「君がおかしい事をするからだ」
否定はしなかった。つまり体を摺り寄せられ、緊張しているのは間違いないという事だ。
魏無羨はなんだかさらに楽しくなってきた。
「藍湛、俺が来た時には鍋にもうできた料理があったんだ。皿に盛り付けてやるよ」
「食欲は無い」
「いいからいいから」
ヒョイと藍忘機の膝から降りて、魏無羨は深皿に鶏と大根の汁を注いでいく。
「うまそうなにおいだ。藍湛、はい、あーん」
箸で大根をつまみ、藍忘機の口元に近づける。口を開けようとしないので、扉を叩く時のようにツンツンとおかずを当てる。
「何をしている」
「見たとおりだよ。俺からの愛情だ。口を開けて」
その時、藍忘機の目の奥に、静かな炎がかいま見えた。
殺意ではないが、何か攻撃的なものを。逃げなければならないと、魏無羨の第六感が警告する。
「あ…っと、ちょっと調子に乗り過ぎたかな?はは…」
藍忘機の異変に気が付き、魏無羨は箸を下げようとする。藍忘機はもう一つの箸を取り上げ、深皿にある鶏をつまんで魏無羨の口に押し込んだ。
「んぶっ…」
「どうだ」
怒ってはいないようだが、いくぶん冷ややかな声で聞かれた。
「うまい‥‥」
「そうか」
次々と口に鶏と大根を入れてくる藍忘機をひたすら口をモゴモゴとし、唖然として眺めていた。
(あれ、藍湛、楽しんでる?モノを食わせるのが趣味だったのか)
夕食を済ませると、もう空はとっぷりと暗くなっていた。
もともと集まった時間は夕方ごろだった。
「さすがに寝台は二つあるな。藍湛、俺こっち使いたい」
使いたい、と指をさした方はすでに藍忘機が使おうと座っている場所だった。藍忘機は首を振り、拒否を示す。
二つある内の片方は女性ならスッポリと収まる長さの寝台だったが、身長が高い二人にとっては尺があまりに足らなすぎる。当然、二人とも男性用の寝台を選びたいと思う。
魏無羨は己が思いついた妙案を自画自賛する。この寝台から追い出せばいいのだ。
「そっか。でも俺もこっち使いたいんだよな。じゃ、一緒に寝よっか」
ポン、と藍忘機の胸を押した。油断した藍忘機はとすんと背中を寝台に乗せる事になる。
「どきどきして眠れなくなるかな?俺――――お前みたいな美人なら、相手が男でもイケる気がするんだ…お前はどう?」
藍忘機の腹に馬乗りになり、妖艶な顔を作って見せる。気持ち悪いと思わせればいい。そうすればこの寝台は自分だけのものだ。
「どきなさい」
調子に乗っている魏無羨を険を含んだ目で見上げる。
「いやだね」
「どかないつもりか?」
「どかない…って言ったら?」
「こうなる」
ぐるりと体勢を変えられた。背中が寝台にある。そして藍忘機と天井が見えた。
「へ…あの、藍湛‥‥?」
ガシリと前衣をつかまれた。ふりほどこうとしたが、ビクともしない。細く見えていた腕は思っていたよりもたくましいものだった。
「あぁぁぁあの、藍湛!?服は脱ぎたくないんだけど!?」
悲鳴じみた叫びを上げても衣服を離す風はない。
上半身の服を脱がされ、混乱する。藍忘機の見たこともないギラギラとした目つき、そして強すぎる力に不安を感じた。
上衣だけではない、全ての肌をあらわにしようとしているのを感じ取った。魏無羨は身をよじり、なんとか彼の腕から逃れようと試みる。
「やめろ藍湛、落ち着け、おち……っ落ち着け!」
藍忘機の白い衣服をひっぱり、正気を保つように訴えようとしたその時。
「こうなったのは、すべて…君のせい!」
語気荒く言う藍忘機の声が耳に聞こえたあと、両肩に強い痛みを感じた。両手で肩を押さえつけられている。その力に容赦はなく、痛みに顔をしかめた。
絶望的なほど、腕力に差があった。
―――逃げられない。
「魏嬰」
藍忘機のその声は切なく、弱く、か細いものだった。そして彼の目を見ていると、どうしてかじくじくとした熱が内側から湧いてくるのを感じた。
「藍湛は、もしかして…俺にこういう事したいって思ってたの?」
藍忘機は答えに詰まる。
力が緩んだが、魏無羨は逃げるよりも彼の回答を聞きたいという欲求を優先した。数秒待っても返答が来ない。代わりに、藍忘機の目の下が赤くなる。
魏無羨は力をフッと抜いたのだった。
=======
三ヵ月後。
道侶となり、一本の木のようにまとまって歩く姿の藍忘機と魏無羨に大勢の修士達が腰を抜かす騒動が起きるのであった。
FIN.